2010年9月30日木曜日

沈殿

秋晴れのさわやかな休日。
というのに何もする気が起きない。

ゴロゴロ、
ダラダラ、
グズグズ、、、

新聞を読んでも、
テレビを見ても、
すべてが頭を上滑りする。

かといって外出する気にもならず。

やっぱり、
ゴロゴロ、
ダラダラ、
グズグズ、、、

夕方になってようやく、
近所の喫茶店に行き、
「世に棲む日々」(司馬遼太郎著、文春文庫)を読む。

吉田松陰と弟子の高杉晋作の物語。

夜、
アニメ監督の今敏を取り上げた、
NHK「トップランナー」の再放送を、
録画で見た。

彼は先月すい臓がんで亡くなったのだ。
享年46歳。

彼のHPでは、
亡くなった翌日に公開された遺書が読める。

働き盛りの男性が、
いきなり「余命は長くて半年」って言われたら、、、

他人事じゃないよなぁ、、、


巨人のV4も完全消滅。

何ともダウナーな一日。

2010年9月29日水曜日

逆鱗

逆鱗に触れた。

うっかりじゃなく、
確信犯的に。

カツオが波平の盆栽をわざと割ったようなものだ。

結果がどうなるかは、
火を見るより明らかだった。

でもぼくは割った。

それが正しいことなのか。
間違っているのか。

わからない。

善意か悪意か。

それもわからない。

ただ、
ぼくという人間のすべてが、
これまでの人生経験から、
「割るべき」だとぼくに教えていた。

その内なるぼくの言葉に、
ぼくは勇気をもって従った。
ためらいはなかった。

だから、
「あなたのため」とは言うまい。
ましてや、
「いつかあなたにもわかる」などと、
諭す資格もない。

価値観は人それぞれだから、
ある人にとっては命より守りたいものがあるのかもしれない。

波平にとって盆栽は、
あるいは命より大切かもしれない。

でもぼくは盆栽より波平の方が大切だ。
ただそれだけだ。

正解のない闇の中で、
そのことだけは確かなように思われた。

「情がない」

そう言う声がある限り、
絶対にぼくは薄情者だろう。

許しがたい裏切り者だろう。

ただ、
もしぼくが賢く理屈で考えて行動する人間なら、
一体だれが好き好んで逆鱗に触れようとするだろうか。

避けて通る道はいくらでもあるのに、
だれがあえて火中の栗を拾うだろう、、、

必死になって積み上げて守ってきたものが、
だれかの手で一瞬にして壊された経験はぼくにもある。

だからその「怒り」はある程度分かる。
ぼくはその「怒り」から逃げようとは思わない。
真正面から全部受ける。

その痛みは胸に刻んだ。

一生の傷として。

それがぼくの、
自分がした事への責任の取り方だ。

●また、泊まり明けの日だった。心底疲れた。

2010年9月28日火曜日

辞世

伊勢谷友介の名を見ると、
いつも紀里谷和明とごっちゃになる。
前者は龍馬伝で高杉晋作を演じる俳優。
後者はカメラマンで宇多田ヒカルの元旦那。
共通するのは五文字ということと、
谷の一文字だけなのに。


にしても高杉晋作である。


なかなかに面白い辞世の句だと思ったら、
この人、
吉田松陰先生の弟子だった。
日本史ちゃんと勉強しなきゃな。
この路線なんだな、
ぼくが若いころ求めていたのは。


命知らずとか、
命がけとか言うけれど、
「一度は死んだ身」と思う奴ほど怖いものはない。
だって究極の開き直りでしょ。
龍馬だって寺田屋事件で九死に一生を得て開き直った。


話は飛ぶけど、
クルム伊達公子がシャラポワに勝ったのも、
彼女の驚異的な能力ももちろんあるけど、
「一度は引退した身」という開き直りの力は大だと思う。


でもそう考えてみると、
築き上げてきたもの、
失うものがありながら、
尚かつ挑戦していく者の方がより強く感じる。
たとえばイチローとか白鵬とか。
でも彼らは「降りる」わけにいかないから、
プレッシャーに耐えるのは宿命というか、
避けられないのであって、
もっと強い者もいそうではある。


失うものがあって、
自分の意志で「降りる」こともできるのに、
あえて挑戦し続ける者、、、
それってもしかして、
ギャンブラー!


ま、
いずれにせよだ、
面白い辞世の句、
今から考えておくかな(笑)

2010年9月27日月曜日

裁断

ソフトバンクがパ・リーグを制した。
七年ぶり、
秋山監督就任2年目の快挙だ。

しかも、
残り6試合で首位西武と3.5ゲーム差からの大逆転。

相撲でいえば、
土俵際でのうっちゃりのような優勝は、
あんまり記憶にないな。

そのホークスの小久保主将の座右の銘が面白い。

前後裁断

ぼくは全然聞いたことのないこの言葉、
実は江戸時代の沢庵和尚のものなのだとか。

過去も未来も裁ち切り、今この瞬間に集中すること


なんだって。


まさにそういう心境でなきゃできなかった優勝だ。


前後裁断。
言うは容易いが、
なかなか難しそう。


過去を引きずり、
未来を思い悩み、
その綱引き状態で生きるのが、
いわゆる人間というもの。


なかなか割り切れるもんではありません。


そういえば、
先日の探偵ナイトスクープで、
割り箸を名刺で折るっていうのをやってた。


コツさえつかめば、
小学生の女の子でも折れた。


コツさえつかめばねぇ。


人生のコツがねぇ。


あればなぁ、、、


●龍馬伝「馬関の奇跡」。奇兵隊がドンパチやってる戦場を、着流し姿で三味線ならし歩く高杉晋作。ありえねぇ。けどカッコいい。彼の辞世の句「おもしろき こともなき世に おもしろく」。いや、この時代の人は何かと面白い。

2010年9月26日日曜日

憑依

最近このブログを紹介したある方は、
ありがたいことに、
過去にさかのぼってまで読んでくれているという。

本人でさえそんなことはしないのに。

基本このブログは書きっぱなし。

その日その日の殴り書きだ。

とはいえいい機会、
久し振りに去年と一昨年の9月26日の分を読み返す。

去年は大曲の花火大会のことから始まって、
テレビじゃ実物の良さは99%損なわれる、
みたいなことを書いている。

一昨年は段ボールに座ったまま、
ズリズリ歩道を移動する奇妙なホームレスについて。

自分が書いたから当たり前だが、
よく覚えている。

今年は大曲どころか、
淀川花火にも行けなかった。

あのズリズリおじさんは、
そういえば最近ちっとも見かけない。

ところで。

大竹しのぶのドキュメントをやっていたので、
録画して先日見た。

彼女の演技は憑依型などと評されるが、
本人曰くは「役の人物の脳をイメージしてそこに行く」
んだそうだ。

分かるような分からんような。
それは他人を煙に巻くということではなく、
本人は当然のようにやっていることが、
言葉で伝えられなくてもどかしいという風で、
まさに自転車の乗り方を言葉で伝える難しさの類に見えた。

幽霊がフツーに「見える」人には、
見えない人が不思議でしょうがないという、
そんな感じ。

ぼくなりにあえて言葉にすると、
大竹しのぶの演技は、
役が彼女に乗り移るというより、
彼女が役に乗り移るという感じ。

うーん、
やっぱ難しい。

●久々のチョコパは美味しかったが、ちと寒かった。

2010年9月25日土曜日

聖人

おお寒むっ、、、

スイッチでもあるのかよ。
そう思えるほど、
秋分の日の昨日、
季節は夏から秋へ見事に切り替わった。

そんな昨日の深夜、
イチローが10年連続200安打するところを、
テレビで見ていた。

彼が「天才打者」であることは、
最早言わずもがなになってしまい、
今回の偉業では、
もっぱら10年続けたという点に、
関心が集まった。

いかに天才といえど、
10年間コンスタントに結果を出すというのは、
また別の才能というか努力が必要なはずだ。

健康管理はもとより、
結婚している彼なら夫婦関係であるとか、
もろもろの私生活の事。
グラウンド内外のすべてのことを、
きっちり管理できてこその記録だ。

報道によると、
今シーズンの彼は、
ことさら「200安打」を意識しないように心がけたという。
ことさら頑張らなくても「フツーに」に200打てるという、
そんな境地でいたいという意味だろう。

「連続」といえば、
白鵬の連勝記録も60まで来た。

今場所もし敗れるとすれば琴欧洲ぐらいか。
そこを乗り切れば、
一気に来場所、
伝説の69連勝がにわかに現実味を帯びる。

そんな二人を見ていると、
連続記録ってつらいなって思う。

積み上げたものが一瞬にして消える、
その恐怖心は、
積み上げた高さに比例して大きくなるだろう。

イチローが200安打できないシーズン。

白鵬の連勝が止まる時。

それはいつか必ず訪れる。
残酷だけど、
それがまた大ニュースになる。

二人はすでに、
方や球聖、
方や角聖と呼ぶにふさわしい。

●今日は久々住吉でチョコパを食べられる(笑)

2010年9月24日金曜日

共鳴

いつも閲覧しているブログに、

深夜のコンビニで生まれて初めてガリガリくんを買ったら「当たり」が出た。」


と書かれていた。


この人がぼくのブログを読んでいるわけはないので、
まったくの偶然なはずなのだけれど、
偶然であるからこそ、
自分のあずかり知らぬところで、
何かが共鳴しているような気になってほくそ笑む。


全然知らない人の映画評が、
自分の抱いた印象と瓜二つだったり、
「それ、それが言いたかった」みたいな内容だったり、
そんなことでぼくは、
「あーぼくは一人じゃないな」と安心できる。


その人たちと実際一緒に会ったり、
会話したりすることは、
絶対にないとほぼ断言できるけど、
それでいい。


勝手に同志と呼ばせてもらえれば、
それでいい。


そんな風に思う気持ちはきっと、
あずかりしらぬ世界を通して、
きっとそれらの人たちに共鳴するはずだ。


●滝川クリステルが先日のスタパに出ていた。「色物」的に見ていたけど、非常に硬派な女性だということがよくわかった。







2010年9月23日木曜日

拡縮

他人のブログを見ていて、
パソコンのctrlボタンを押しながら、
マウスの真ん中のホイールをクルクルすると、
画面の文字が拡縮できることに、
最近気付いた。

PCを触っていると、
時々偶然何かのキーに手が当たって、
変換がおかしくなったり、
動きが止まったり、
「へ、何これ」って慌てることがあるけど、
今回のこれってかなりな便利技?

だって、
小さい文字がズラーッと並んで、
読み辛いと思っていたブログも、
あーらら、
まるで小学生の教科書のようになるんだもの。


ここで発見。

文字が大きいということは、
ただそれだけで、
内容が分かりやすく見えるということ。

でも本当はそんなことないよね。

書かれている内容は同じなのだから。


さらに思うのは、
小さい文字で読み辛いと思っていたブログは、
そういう読み辛さも含めて、
そのブログの、
もっといえばブログの筆者の感触としてぼくの中にあって、
だから、
文字が大きくなると、
読みやすくはなるけど、
なんかその人のブログではないような、
よそよそしいものになった。

ブログも本と同じように、
装丁は大事だと再認識。


それはともかく、
じゃぁぼくのブログも同じように拡縮できるのか、、、

当然のことながら出来た。

おぉ!

自分のブログの文字が大きくなったら、
なぜか恥ずかしかった。

すぐに元の大きさに戻した。

2010年9月22日水曜日

意図

一日遅れの敬老行事として、
母と「オカンの嫁入り」(呉美保監督)を観る。

大竹しのぶも宮崎あおいも、
予想通り良かったけど、
予想通りすぎて、
ちょっとつまらなかった。

合格点じゃ駄目、
というのも酷な話ではあるが、
つまり二人にとって、
この映画では役不足ということではあるまいか。


ちなみにこの映画、
予告編を見て普通に想像するような内容では、
必ずしもない。

主要な登場人物の3人が、
それぞれに「トラウマ」を抱えている。

それは良い意味の裏切りなのだが、
そこの部分と、
肝心のストーリーとがうまくかみ合っていないというか、
なんでそういう設定がこの物語に必要なのかが、
意図がよく見えないから、
安心して映画に入り込めないというか、、、

「やっぱり邦画は地味やなぁ」

母の感想である。

それから一緒にイタ飯食って、
敬老行事は終了。


そして夕方は、
一人で天満「じゃず家」のセッションへ。

ついに8月は一度も行けなかったので、
随分久し振りの感。
環状線の高架下のこの雰囲気。

ここも今のぼくの原点なのだと再認識する。


ライブでやった2曲で、
実は少々自信を持って挑んだのだが、
予想は悪い意味で裏切られた。

まだまだまだまだ。

長い長い長い道だなぁ。

2010年9月21日火曜日

交渉

どうやら今日は敬老の日だということに気付いたのは、
もう日が暮れそうになったころだった。
ならばわが家のお年寄りを敬わねばと、
夕飯後に映画を観に行こうと誘ってみた。
この機会に「海猿」を観てしまおうという目論見だったが、
お年寄りは、
「『オカンの嫁入り』が観たい」と渋る。

しかも、
「食事付きじゃないとヤダ」ときた。
交渉上手な年寄りだ。
しかし「オカンの嫁入り」って何じゃ?
一旦引き下がり、
自室でオカンの嫁入りを調べてみると、
大竹しのぶと宮﨑あおいの初共演作だという。



ま、


これならいいか。


9時50分の回なら、
そのままランチにもピッタリだし。
何より夕飯より安上がり。
早起きは辛いところだが、
そこは妥協して提案してみた。

満足げにうなずくお年寄り。


オカンと「オカンの嫁入り」鑑賞。


交渉成立だ。



●というわけで本日は早寝しよう。

2010年9月20日月曜日

教室

新しくぼくの部署に来た人に、
仕事を教えるという役目が回ってきた。

この部署に来て11年目。

何かの間違いに戸惑う。

大体においてぼくは、
他人にモノなど教えたことがない。
大学生のころ、
家庭教師というのは憧れのバイトだったが、
6年間一度もそんな機会には恵まれなかった。

それは単なる巡り合わせというよりは、
ぼくがモノを教えるほど、
何かに精通したことがないからだと思う。

反面教師なら自信満々なのだが、、、

右も左もわからぬ11年前、
今の仕事を始めたころ、
ぼくはどんな気持ちだったのか。

つらつら思い出しながら、
かつ、
あのころこんな風に教わっていたらよかったなぁと、
今更ながら思われることを加味して、
夕方から深夜まで、
付きっきりで「指導」した。

とはいえ、
元々職人的性格の強い職種だけに、
いわゆる「正解」も「理論」もない。
極端な話、
100人いれば100通りのやり方があり、
そのどれもが「あり」である。

要は結果次第。

生真面目なヤツがよいわけでもなく、
チャランポランだからといって、
必ずしも悪いわけでもない。

理屈で説明できる部分はごく限られていて、
ほとんどは結局身を持って覚えるしかない。

そして、
仕事にはその人のすべてが現れる。

恐ろしいほどに。

さて、
ぼくが発した言葉の何パーセントが通じるのやら?
たぶん二度とこんな役目はぼくには来ないと思いながら、
いつもより饒舌な自分に気づく。

あ、
おれって聖職者は絶対無理だけど、
実は教えたがりなんだ。

そんな自分に気付いた。

それと、
今の若い人は、
ぼくが若いころより、
ずっと優秀だということも。

Fear is often worse than the danger itself. 


若い「生徒」の行く末が、
光にあふれ、
安泰であることを祈りつつ。

2010年9月19日日曜日

熱唱

あなたは希望の星

40ん年生きてきたが、
こんなことを面と向かって言われたのは初めてだ。

「県庁の星」ではない。

「希望の星」である。

生まれて初めてのことだし、
今後の人生でも、
んなことはないだろう。

文字通り前代未聞、
かつ空前絶後である。

言われたぼくは「いやいや」なんて謙遜はするが、
内心嬉しくない訳がない。


で、
それとは関係なく(いや少しあるか)、
いきなりですが、
「お気に入りの一曲」コーナー。

思わずitunesからダウンロードしてしまった。


ではみなさんは、
YouTubeでどうぞ~(↓をクリックしてください)
http://www.youtube.com/watch?v=J0TSrlig76c&ob=av3n


この歌のキモは、
ぼくとしては、
必ず夢を持つとか 背負わなくていい ただ生きよう
のとこだと思う。


●今日はずーっとこれリピートしてました。この二人、歌うんまいよなぁ●「海猿」観ようかな?

2010年9月18日土曜日

余分

うちの近所の自販機では、
コーラゼロが100円で売っている。















先日の深夜、
100円硬貨を握りしめ、
フフンと買いに行き、
100円を投入したのだが、
自販機がうんともすんとも言わない。


いつもならタバコと一緒に買うことが多いから、
適当に小銭をつかんで来るのに、
その日に限って100円だけしか持っていかなかった。

仕方ないので一度家に引き返し、
数百円を持って再度自販機へ。

しかし再び無反応。


ぼくはその時になって初めて、
返却レバーがあることに気付き、
押し下げてみると、
200円が返ってきた。

それでもう一度100円を入れると、
ちゃんとランプがついて、
ボタンを押すと、
ガシャンとコーラが出てきた。

何のことはない、
最初の100円の入れ方が、
ちょいと具合が悪かっただけだった。


しかしこの一連のぼくの行動は、
考えてみれば随分おかしい。

2枚目の100円を入れて、
なおかつ無反応かもしれないという可能性を考えていない。

あの時、
硬貨を入れる→ボタンを押す→コーラガシャンっていう、
当然の流れが断ちきられたことで、
「変だ」と頭が混乱し、
次に100円きっかりしか持ってこなかった自分の不運を、
「しまった」と思い、
思考が一気に「家にもう100円をとりに帰る」に行ってしまった。


すべては100円きっかりしか持っていかなかったことが原因だ。

こんな些細なことで、
冷静さを欠いたわけだ。

●さっき行ったら、100円じゃなくて120円に戻っていた。100円だけ持って行ってたら、またもや危ないところだった。やっぱり何事も備えあれば、である。

2010年9月17日金曜日

出現


















40歳代の男性にとって、
大なり小なりあると思われる、
「キッス体験」。

歌舞伎を思わせる奇抜なメーク。

火を吹いたり、
口から血をしたたらせたり、
おどろおどろしいステージング。

にもかかわらず、
キャッチーで圧倒的にカッコいい演奏。


中学生だったぼくにも、
かれらが出現した時の衝撃は忘れられない。

今でも十分に「衝撃的」ではあるが、
たぶんあの時自分が高校生だったら、
あるいは小学生だったら、
違う印象を抱いのではなかろうか?

扮装や演奏が一体となった「キッス体験」は、
あのころ中学生だった男子特有のものに違いない。

というのは、
ぼくと同じ年代の有名人が、
同様のキッス体験を話しているのを、
たまたま最近立て続けに耳にしたからだ。


そういう意味では、
ぼくはビートルズ世代ではないと思う。

もちろん中学生の時にもビートルズは知ってたし、
好きだった。
でも、
キッスのような感じではなくて、
もう既に十分有名な存在として彼らはあった。

むしろキッスに近い印象として残っているのは、
クイーンのほうかもしれない。


いずれにせよ、
同じ事柄でも、
それに遭遇する年齢が違えば、
影響の仕方も大きく異なるだろう。

いや、
事柄というより、
その出現といった方がより正確かもしれない。

ある事象や人物が出現した、
その時に居合わせた年齢。

たとえば、
山口百恵の出現は、
こどもだったぼくには、
それほど衝撃ではなかった。

むしろ当時のおとなの方が、
受けた衝撃は強かったと思う。


「トラウマ」といっていいほどの「キッス体験」は、
やはり、
あのころ十代前半だった男子だけに特有のものだと思うのである。

●パンダ写真を気に入った理由も、トラウマの影響か!

2010年9月16日木曜日

阪急

ぼくの家は阪急電車の沿線に建っている、
というか、
家の目の前を阪急電車が走っている。

だから、
普段はJRを利用するくせに、
阪急電車には特別な愛着がある。

ちなみに、
阪神間には北から阪急→JR→阪神が、
平行線状態になって通っている。

偏見を承知で言うけど、
阪急は「山の手」、
阪神は「下町」、
JRはその間みたいな感じが、
ぼくの中ではある。

阪急は靴を履いていないと乗れないが、
JRはサンダルでもOKで、
阪神は雪駄でも問題なし、
みたいな(怒られそう、、、)。


異論もあろうが、
まぁ阪急電車の上品さは、
別格といっていい。

特に御影~岡本~芦屋川~夙川あたり。

マルーン色の車体、
車内を飾る宝塚歌劇のポスター、
ベルベットのごとき手触りのシート。

どれをとっても、
ハイソ感が漂っていて、
保冷剤入りタオルを首に巻いて乗る勇気は、
ちょっとないな。


前フリが長くなったが、
有川浩の「阪急電車」が中谷美紀主演で映画化される。

ロケを当然行うだろうから、
「沿線」住民としては興味津津だ。

といっても、
映画(小説)の舞台は今津線。

ぼくんちの前を走るのは神戸線。

路線違いなんだけどね。

●阪急電車を毎日見ながら乗るのはJRという中途半端さがぼくらしい(笑)

2010年9月15日水曜日

無駄










新しくなったipodnanoを買ってしまった。

本当に小さい。

これまでの半分ぐらい。

しかもタッチスクリーンで操作ができる。


しかし、
これを買った本当の理由は別にある。
写真ではわからないと思うけど、
全体がクリップになっていて、
シャツなんかに簡単に止められるのだ。


Appleって、
iphoneもそうだけど、
デザインは完璧に美しいけど、
ストラップホールがないんだよね。

たぶん会社としての美学だろうが、
持ち運びには絶対不便だ。

だから、
これまでのipodは、
折角の美しい姿を犠牲にして、
ストラップが付けられるカバーを、
別購入して付けていた。


それがこれだと、
美しい姿のまま、
持ち運びできる。

機能性と携帯性と美の融合。


何、
無駄遣い?

そうですよ。


でも駄目なんだな。

こう美しいと。

我を忘れる。

●小沢総理は幻に終わってしまった。これから「あー、あの時小沢になってればなぁ」って何度か思うだろう。

2010年9月14日火曜日

剛腕

これまで触れてこなかったけど、
民主党代表選挙がきょう行われる。

菅直人か小沢一郎か。

勝った方が次期総理だ。


小沢氏が立候補を表明した時から、
週刊誌では「小沢総理確定」みたいに報じていて、
一方、
新聞やテレビの世論調査では、
菅直人支持が圧倒的である。

あまりの逆転ぶりに、
ずっとあ然とさせられてきた。

小沢氏が勝ったとしたら、
出だしの支持率は圧倒的に低かろう。

しかしながら、
勝てぬ選挙に氏が出たとは思えず、
世論をよそに、
小沢総理が誕生する確率が高いと、
ぼくはみている。


というか、
興味本位で言わせてもらえば、
ぼくは小沢総理を見てみたい。

ぼくが子どもの頃から政界の中枢にいて、
かといってそこでじっとしている訳ではなく、
離党して新党を作り、
他の党と合流してはまた離党し、、、、

とにかく政界を揺さぶってきた。

悪い噂が絶えない人で、
にもかかわらず政治生命を保ち続けていることは、
およそ人間業とは思えない。


よくも悪しくも「数は力」を信奉する、
古いタイプの政治家だ。
もう、
こんな人は日本に二度と現れぬだろう。

だからだろう。

小沢氏の政治生命がなくなる前に、
「一度ぐらい総理をやらせてみたい」的な、
奇妙なシンパシーを覚える。


総理としても「剛腕」なのか、
はたまた、
「正体見たり」になるのか、、、

単なる怖いもの見たさなんだけど。

2010年9月13日月曜日

恐縮

3年半ほど前、
ぼくは公私ともに人生でかつてないほどの、
どん底状態にあった。

今だからそれがどん底だったと言えるのだが、
当時はそれが底なのか、
あるいは二番底があるのか、
皆目見当もつかず、
「ギャン」と叩きのめされ、
粉々に砕け散り、
ぼくは人間の体をなしていなかった。

バラバラになったジグソーパズル。


そこからひとつずつ欠片を拾い集め、
何とかもう一度人間という絵になった。

そんな今に至るまで、
ぼくのことを客観的に見てくれている人と、
今日、
小一時間ほど話をした。

普段は他愛もない雑談が多いのだけど、
今日はちょっと真面目に、
あえてこれまで触れずにきた、
当時の「深層」的なことも、
避けずに尋ねてみた。


スクープ的裏話も知ったし、
普通の羞恥心があれば、
それだけで飛び降りかねないような我が醜態についても、
改めてスポットライトを当ててみることができた。

そうしているうちに不思議なことに、
「3年でよくぞここまで、、、」と、
自分という人間のしぶとさにちょっと感心できた。

と同時に、
ぼくの知らないところで多くの人が、
様々な形で動いてくれていたことも知り、
それにはすかり恐縮してしまった。


人は色んな意味で、
一人じゃ生きていけない。

それを時に足かせと感じることもあるが、
今日ばかりはただただ感謝した。


大げさではなく、
今日ぼくの命があるのは、
そうやって、
陰日向に、
砕け散ったぼくの欠片を探し集め、
つなぎ合わせてくれた、
皆さんのおかげです。

まだ、
足りないピースがあるかもしれないけれど、
心底ありがとう♪

2010年9月12日日曜日

総数

このブログに新たに加わった機能に「統計」がある。

毎日、
何人が閲覧したのかがグラフで示されるのである。

このブログには返信機能を付加していない。

それはこのブログが全くの一方通行、
「瓶詰めの手紙」でいいと思っていたからだし、
今でも基本的にはそう思っている。


とはいうものの、
そんなことがわかるのならと、
チラと見てみた。

それによると、
この機能が加わった今年6月からの、
当ブログの閲覧者総数は「1459」。

例えば昨日は24人の人が見てくれていて、
その時間帯までわかった。


かなり驚いた。

このうちの何割かはぼく自身であろうし、
間違ってのぞいてしまった人も多数いると思うのだが、
それにしても、
ぼくの予想では、
数人、
それも片手で収まるほどだと思っていた。

どこのどなたか存じませぬが、
たとえ数分でも時間を割いていただき、
本当にありがとうございます。

ぼくにできることは、
内容はともかく、
ただただ毎日更新を続けるのみ。


「長生きは人生の目的ではなく手段だ」

などと普段はほざいているくせに、
なんか長生きが目的のような、
そんなブログになっているところが、
自分で笑える。

●NHK「佐野元春のザ・ソングライターズ」にサカナクションの山口一郎が出ていた。この人、絶対そのうち小説を書くなと思った●明日(正確には今日)の営業時間を知ろうと電話をしたら「営業時間外です」のアナウンス。スタッフ用の電話にかけ直すと今度は「この電話は使われておりません」だと!ということで、今日は午後1時までには参ります。よろしく。

2010年9月11日土曜日

升目

ipadで数独を解くのが最近の「日課」だ。

ぼくの解き方は単純明快で、
まず横列の空いている□に、
入る可能性のある数字をすべて入れる。

上から順番に9列すべて。

とにかく、
あらかじめ書きこまれている数字以外の数字、
そのことだけを考えてひたすら埋める。

これが第一段階。

次に縦列に目を移し、
すでに入っている数字を消していく。
左から順番に9列すべて。

これが第二段階。

それから、
各ブロックに目を移し、
同じようにすでに書かれている数字を消去する。

以上三段階を経た時点で、
下ごしらえは完了。


あとは、
縦列横列、
そこだけにしかない数字を丹念に拾い上げ、
確定していく。
ある数字が確定すれば、
縦横とブロック内の同じ数字は消去する。

面白くもなんともない機械的なやり方だけど、
そうやっていけば必ず正解に至る。
こんな絨毯爆撃みたいなやり方ができるのは、
ipadならではかもしれない。

鉛筆と消しゴムを使っていたら、
相当に面倒だろう。


しかしそれでも、
案外簡単ではない。

行き詰って変だなと感じたら、
気が付いたら同じ列に同じ数字が二つ入ってる!

記入漏れや消去漏れが原因だ。


そういうことがしばしばあって、
我ながら不注意なヤツだと思い知らされる。

でも、
きっちりやった時には、
最初は升目に一杯並んでいた数字が、
少しずつ着実に減って、
ある時点から加速度的に確定してく、
その感じが今のところは心地よい。

自分のその時点の集中力を測るには、
もってこいだ。

2010年9月10日金曜日

計算











NHKのお昼の番組、
「スタジオパークからこんにちは」では、
生放送のスタジオに毎回ゲストが招かれる。

ゲストは番組冒頭スタジオの外にいて、
ファンや単なる野次馬やらが作る人垣を通ってスタジオに入るのだが、
その時、
5分の1ぐらいの割合でゲストがスタジオとは違う方向に行きそうになる。

5分の1ぐらいというのは、
ぼくの直感的なもので、
実際には2日続けてのこともあるし、
しばらくないこともある。


間違えるたびに、
いち視聴者として素朴に思うのは、
「なんで道案内を置かないのだろう」ということだ。

通路は間違える可能性はたったひとつで、
司会者が先導するなり、
そこにADなり大きな矢印を置くなり、
あるいは単純に間違える可能性がないような、
人垣の作り方にすればいいのに、
NHKは一向に改めようとしない。


そうやって何人かに一人の割合で間違えて、
「あ、しまった」的な場面が生まれることを、
計算(期待)しているとしか思えない。

そうだとすれば、
あまり上品とはいえない。


というか、
この番組の冒頭自体が、
カメラ割を含め、
なんかこなれてないというか、
普通は回を重ねるにつれ、
いろんな部分が洗練されていくと思うのだが、
この冒頭の部分のぎこちなさは、
いつまでたっても変わらない。

生真面目なNHKにしては、
本当に不思議なことだ。


ゲストが道を間違えたとしても、
たいして面白くもないのだけど、
きょうのゲストは間違えるかどうか、
毎回録画を見るたびに、
かすかにハラハラしてしまうぼくなどは、
まさしくNHKの思うツボなのだろうか、、、


●一度見てみてください。ぼくの言っている意味がわかると思います。

2010年9月9日木曜日

到来

さっき外に出てみたら、
夜風が涼しいではないか。

「秋」という言葉が、
ようやく実感できてきた。

相変わらず日中は暑いが、
季節は確実に変わってきている。



唐突だけど、
ぼくが8年ほど前に書いた絵である。

先日スキャナーを買って、
それにはそれなりの目的があったのだけど、
それだけじゃぁもったいないと、
何かスキャンできるものは、、、
と探していたら、
引き出しの中から、
ハガキ大のスケッチ帳が出てきた。

水でにじむ色鉛筆ってのがあって、
それで描いたもの。

スキャンした上で画像を少し加工してみた。

水墨画っぽいかな?

もう一枚あった。


















こちらは油絵的に派手に加工した。

モデルがだれとか、
出来栄えとか、
そんなことは一切関係なく、
ぼくにそういう季節があったのだ、
ということで、、、

2010年9月8日水曜日

一人

天満「じゃず家」のセッションに行こうと、
家を出たのだが楽譜を忘れ、
何となく梅田をブラブラしているうちに、
茶屋街のジャンカラにたどり着いた。















とりあえず1時間、
それから30分延長。

珍しく本当にカラオケも歌った。
ミスチル「イノセントワールド」。
もちろん原曲キーで。

難しいけど、
やっぱりいい曲。

帰り道、
DDハウスあたりの繁華街を一人歩く。

サラリーマン同士やカップルや、
楽しげな人たちの間を縫うように、
一人歩く。

繁華街を抜けて視界が開けると、
大改築中の大阪駅の大屋根が見えた。

















なんじゃこいつは、
っていう目で、
おっさんがこちらを見ているのに、
今気付いた。

2010年9月7日火曜日

史実

龍馬伝が失速している。

あくまでぼくの中でだけど。

「日本を洗濯する」と宣言した後、
第3部に入ってからがどうもいけない。


歴史物の宿命として、
史実に縛られるという辛さはあるだろうが、
この失速感は、
史実に追われていることが原因だと感じる。

動乱の幕末、
矢継ぎ早に起きる事象を、
なんとか辻褄合わせするために、
脚本の方が引きずられている。

新しい登場人物が次々に出てきて、
それらの人々と龍馬の関係が深く描かれる前に、
出来事が起きてしまう。

だから感情移入できないのではないか?


お龍と龍馬は結婚する。

それは史実なのだけれど、
ドラマで見ている限りは、
なぜ二人が恋に落ちたのかが、
もひとつピンとこない。

そりゃ、
数回会っただけで恋に落ちる、
事実とは案外そういうものかもしれないけど、
ドラマとしてはやはり説明不足だろう。

こうなると、
脚本が史実に引きずられているのか、
脚本が史実に寄りかかっているのか、
つまり、
「実際そうだったんだから」という言いわけなのか、
よく分からなくなってくる。

先日の第36回「寺田屋騒動」もそう。

結局龍馬は一人も殺さずに窮地を脱出するわけだが、
どうせドラマなんだから、
大立ち回りを見てみたいのも人情。

たとえ峰打ちであっても、
バッタバッタとやってほしかった。

あれだけ剣術の修行をしたのに、
肝心の時にはピストルを威嚇発射し、
相手を人質にとって逃げるというのでは、
やっぱり見ていてスカッとしない。

それに、
逃げた材木倉庫の屋根で龍馬が思いだす人の中に、
あれほど慕っていた姉の乙女がいないのも気になった。


脚本家も当然そんなことは分かっているのだろうが、
何せ年末までに終わらせねばならぬから、
人物を書きこむ余裕がないのだろう。

時間配分を間違えたのならいっそ、
放映期間の方を延ばしたらいいのに。

龍馬をそんなに早く、
殺さなくてもいいのに、、、

いや、
いっそのこと、
最後は史実を捻じ曲げて、
龍馬は殺されず、
明治政府にも入って日本を大改革みたいな、
完全なフィクションに転換して、
来年の大河に引き継いだらどうだろう。

ねぇ、
NHKさん。

2010年9月6日月曜日

相方

出勤前、
武庫之荘「Mクアトロ」に寄った。

9月の「サンディ昼下がりライブ」のためだ。

















今回のボーカルはパティさんこと田中美幸さん。

最初ぼくがこの昼ライブで歌った時の「相方」で、
先月のぼくのライブにも来て下さった。

写真だとよくわからないんだけど、
彼女、
とってもチャーミングな外見。
それに反して、
声がとっても「セクシー」。

女性にしては珍しく低いハスキートーンだ。

今日は1セットと2セットにまたがる感じで、
小一時間しかいられなかったのだけど、
先月がウソのような大盛況にびっくり。

数曲聞いた中では「サマータイム」にハマった。

うだる暑さの中こき使われる黒人の労働哀歌に、
彼女の声がピッタリで、
かつ暑苦しくない。


この声は彼女の無二の個性だ。

一声聞いただけで「あっ」て分かるなんて、
すんごい武器だよね。

もっともっと、
このドライでクールでちょっとダークな路線も、
押し進めて欲しいなぁ♪

●休刊になっていた雑誌フォーサイトがウェブ版で復活した。とりあえず会員登録してみる。紙と電子媒体の違いを感じ取れるだろう。

2010年9月5日日曜日

病名

今日、
もう5時前だというのに、
吸った息が「熱い」って感じた。

サウナに入った時みたい。

プロ野球選手でさえ熱中症になる、
かなり異常な事態。

なんか一日一日、
サバイバーな気分である。


ところで「吸う」といえば、
タバコをやめたいのにやめられない人は病気、
なんだそうだ。

さっきBS2をチラッとつけたら、
医者がそう言っていた。

ニコチン依存症ってわけか。


では、
別にやめたいと思っていない人は病気じゃないの?

そういう考え方はきっと屁理屈として退けられ、
すべて「喫煙者は病人」として啓蒙されるだろう。

そのことは受け入れる、
というか抗しがたい流れだとして、
問題なのはその先だ。

喫煙という病気を治そうとしない人、
つまり禁煙しない人はケシカランという、
飛躍した考えが蔓延しないか、
それが心配だ。


言うまでもないことだが、
病気を治すか否かは本人の意思である。

それは風邪だろうがガンだろうが同じことだ。

普通は治そうとするけれど、
人として病気は治さなければならないわけではない。

水虫だって虫歯だって病気である。

もちろん、
「病気は治すようる努めるべし」なんて、
法律で定められているわけでもない。


でも、
微妙な論理のすり替えで、
喫煙者は病気を治そうとしない怠惰な人である、
というような価値観が広まっていくかもしれないと思うと、
身震いがしてくる。

たとえば、
肥満な人は管理職に適さない、
みたいな。


その流れで言えば、
「症候群」とか「予備軍」っていう用語も好きじゃない。

診断されて病名を与えられ安心する人もいるだろうけど、
病名を付けられたがために、
偏見に苦しめられる人もいる。

●こういうことを書いていると、自分は若いころと変わってないなぁと思う。どこまでも懲りないヤツ。


2010年9月4日土曜日

補給















書いてみるもんである。


「NOTIME」が10個、
ブログの熱心な読者様から届いた。

その方の近所のスーパーでは平気で売っていたとか。


スーパーとかって、
まず行かないしなぁ。

本当に助かります。

これで1週間は持つでしょう。


しかし、
こんな拙ブログの書き込みに、
そんなに気をつかって頂いて、、、

次はマツタケをお願いします。

それは勿論冗談。
ガムも、
これから先は自分で何とか自助努力いたします(笑)。


で、
話は変わりますが、
今夜の「第30回高校生クイズ」。

オギャーと生まれた赤子が、
たった十数年生きただけで、
何でこんなに賢くなれるんだろう。

単純に感動した。

聞いたこともないような科学用語や、
想像もつかないような計算を、
いとも簡単にやってのける。

ぼくも今日生まれたことにして、
20年後にはあの子たちぐらいになろう。

そんな変な勇気がわいてきた。


でも考えてみれば、
ぼくってすでに、
あの子らの父親世代なんだな。

わずかにがっくし、、、

2010年9月3日金曜日

伏字

今日は外食するから夕飯はいらないと言ってあったのに、
結局気分が変わって外出をやめた。

しかし、
いまさら家で食べるとも言えず、
解決策として母を外食に誘った。

といっても近所の定食屋なのだが、
母は嬉々としてこの話に乗ってきた。


こういう場合わが家では、
基本的に現地集合ということになっていて、
母は先に電動アシスト自転車に乗って出て行った。

ぼくが店につくとすでに母は着席していた。

お茶を持ってきた店主のおばちゃんに、
「お元気そうですねぇ」と言われ、
ますます嬉しそうな72歳の母。

以下母との(というか母の会話)

「最近しわが増えてきてんけどなぁ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「嫌やわぁ。フカヒレ食べに行こうか」

「??????????」

「肌にええねんで。歌舞伎役者が言ってたもん」

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


確かにこの人元気だ。

少なくともぼくよりは絶対。


「ほな御馳走さん」

伝票をぼくに手渡し、
電動アシスト自転車に乗って、
颯爽と一人先に帰って行った。

●青字はぼくの心の声です。適当に想像してください(笑)

2010年9月2日木曜日

食欲

相変わらずクソ暑いけど、
9月になったからには無理にでも「食欲の秋」。


















となれば、
やっぱコレでしょ。

8月中には、
天一のお向かいにある、
なか卯のざるそばに何度か浮気したが、
「秋」と思えばこれぐらい食べられます。

やっぱウマい。

ひと口ひと口かみしめ、
スープもほとんど飲んだ。


一度ここに写真載せたかったんだよなぁ。

それと、
右上の写真。

「ぱんだら」というサイト(http://detectface.com/sample/pandara/)で、
簡単にパンダ風に加工してくれる。

読売新聞の夕刊で今日初めて知って、
早速試してみた。

いくらパンダにしても、
元が可愛くなきゃやっぱ駄目だな。

期間限定の掲載ということになりそうな予感、、、


ちなみに集合写真でも大丈夫。

必死に顔を検出して、
これでもかというぐらいパンダにしてくれます。

是非お試しを!

●新しいブログの編集操作がいまいちよく分からん。写真の位置が本意ではないのだけれど、しばし我慢しよう。

2010年9月1日水曜日

実況

ここ数年愛用してきた白シャツの左脇の部分が、
ついに裂けてしまった。
















愛着があるので、
着続けているのだが、
ダメージジーンズはセーフでも、
ダメージシャツで会社はやっぱり無理。

ということで、
途中ユニクロに寄って、
白黒2枚のシャツを買った。


その分時間を食ったのがいけなかった。

JRで人身事故があったらしく、
尼崎駅で立ち往生。

音楽を聞きながら数独を二問解いたが、
電車は全然来ない。

イヤホンをはずして構内アナウンスを聞いてみると、
列車の運行状況を実況中継してた。


それはまさに「実況」だった。

「ただいま普通電車が大阪駅に入りました」

「快速電車はその後、信号が青になり次第大阪駅に入ります」

「ただいま信号が青になり、快速電車が大阪駅に到着しました」

「先に快速電車が大阪駅を発車いたします、いや、ただ今しました」

「快速電車は塚本駅を通過しました」

「あと5分で当駅に到着いたします」

こんな調子でずーっとやってる。

ぼくは普通を待っているのだ。

ホームに取り残された乗客に親切ではあるけれど、
口調が明らかに慌てふためいていて、
それがホームを余計に暑くしているような、、、

野球の実況じゃないんだから、
もっとクールにやってくれないかなぁ。

いや涼しげにやられたら、
逆に頭にくるかもしれない。

時折かむのもご愛敬。
必死の実況がだんだん面白くなってきて、
30分ほどの間、
ホームで楽しませてもらった。


ふと携帯を見ると、
またしても着信アリ留守録アリのマーク!

嫌な予感とともに再生したが、
今日は朗報だった。

ありがとう。

●ブログの機能が新しくなったので、使ってみました。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...