2011年4月30日土曜日

勇気

柔道の全日本選手権で30歳の鈴木桂司が4年ぶりに優勝。














たまたまテレビ観戦していたのだけど、
かなり感激した。

「ここで優勝する夢を何回も見た。今でも夢ではないかと怖い」

男泣きのインタビューにしびれた。


アテネ五輪100キロ超級で金メダルに輝いた彼だが、
北京五輪では初戦も敗者復活戦もあっさり破れ、
今やすっかり「過去の人」になっていた。

最近は風貌が何だか引退間際の清原みたいになってきて、
個人的にもあまり好きではなかった。

でも、
こんな復活Vを見せられた日にゃ、
正直「すいませんでした」と謝りたい。

「スポーツで被災者に勇気を」

東日本大震災以来、
こんな台詞を多くのアスリートが口にしたが、
どん底から這い上がってみせた彼こそ、
その言葉に相応しい。

他人に勇気を与えるためには、
まず自分が勇気を持たねばならぬのだ。

それに引きかえ、、、

世界フィギュアの男子二人は何だありゃ。

スケート靴の手入れもできない高橋。

同じ規則違反を繰り返す織田。

どっちも言語道断だろう。

特に高橋に至っては、
演技の後に舌をぺロリと出し、
インタビューでは悔し涙の一つでも流すのかと思いきや、
ヘラヘラ苦笑い。

彼が傑出した才能を持っていることは、
疑う余地がないけど、
あの醜態は、
アスリート以前の問題だ。

被災地でどれだけの人が、
彼の演技に期待したかわかっているのか。

で、
ソチ目指しますだって。

顔を洗って出直してこい。

日本で開催しなくて本当によかったよ。

2011年4月29日金曜日

代謝

映画「阪急電車」の予告編(http://www.youtube.com/watch?v=69qeTt-_RmA

人はそれぞれ皆、
やりきれない思いを抱えて生きている。
どうにもならない思いを抱えて生きている。
そして、
その気持ちは、
だれにも言えないのだ。

中谷美紀のモノローグ、
まったくその通りだな。

小学生であれ、
主婦であれ、
サラリーマンであれ、
政治家であれ、
芸術家であれ、
だれだって悩んでいるし、
その悩みは当人にとっては切実だ。

だれでもそうなのだから、
自分も我慢しなければ。
そう考えてしまえば、
ただただ苦痛になるけれど、
「あぁだれでもそうなんだ」と思いながら、
町や電車の人を眺めていれば、
それだけで、
自分の荷物が軽く感じるのは、
単なる錯覚だろうか。。。

話は変わるけど、、、

ipad2がやっと日本でも発売開始。

1より軽くて早くて、、、

う~ん、
やっぱり欲しい。

欲しい!

と、
アップルストアで購入寸前まで行ったのだが、
ギリギリ思いとどまった。

その代わりというわけでもないのだが、
思い切ってカバーを外した。
これまで黒の純正カバーをつけてたんだよね。

ついでに画面の保護フィルムも。


















随分スリムになった。

カバーを脱いで軽くなったから、
重量的には2に買い替えたようなものだ。

見た目も新品同様だし。

早さは変わらないけど、
ぼくの使い方にはあんまり関係ない。

今「飽きる力」(河本英夫著、NHK出版生活人新書)を読んでいる。

ある意味「飽きる」ことは、
人生という長い旅には、
欠かせない「能力」らしい。

確かに、
いつまでも全てのことに飽きないとすれば、
人は前に進めない。

「飽きる」とは、
自己防御的な取捨選択作業なのだ。

年齢を重ねていると知らず知らず、
本来飽きてもいいことを蓄積してしまって、
心の体脂肪率を高めてしまっているのかもしれない。

心だって、
健全な新陳代謝を繰り返して成長する。

自分で自分を閉じ込めては駄目だ。
自分で自分を自由にしてやるのだ。

●ペンギンさんと話をしていて、あの人が転職したことを知った。どんな仕事であれ、あの人が笑顔なら、それが一番だと思った●映画週間「死刑台のエレベーター」(緒方明監督)。有名なフランス映画のリメイクで、TUTAYAでほとんど借りられていたので面白いのかと思ったら、これ以上ないほどの駄作だった。

2011年4月28日木曜日

通告

今日は復職前にぼくがいた席の、
ひとつ隣で仕事をした。

登山でいえば8合目ぐらい。

もう頂は目の前だ。

だけど、
仕事のあと上司に言われたよ。

「登頂」は諦めてくれって。

力があるのは重々承知だけど、
やっぱり無理だって。

復職して3年半かけてここまでたどり着いた。

年齢的にも最後の登頂のチャンスだと思っていた。

そもそも期待はしてなかったけど、
ここまで来たら「ひょっとして」と、
かすかな期待も抱いた。

やっぱ人間だもの。
這いあがれるかもという夢はどこかに残ってた。

それはある意味、
昔の自分に落とし前をつけたかったのかもしれない。

でもその夢は今日完全についえた。

8合目と頂上の壁は大きく、
どうしても超えられなかった。

断念を通告されても、
「そうですか」と答えるのが精いっぱいだった。

仕方がない。
ぼくが上司でも駄目出ししたかもしれない。

推す人もいれば、
待ったをかける人もいる。
組織とはそういうものだ。

慎重派を押し切れる圧倒的な力がぼくにはなかったのだ。

だれのせいでもない。
自分がしでかした行為の代償なのだ。

だから特にショックはなかた。
逆にこれで吹っ切れた気もする。

仕事に対するスタンスは、
今後は少し変わるだろう。

ひとつの夢が消えても、
ぼくにはまだ夢がある。

夢を持つ力は残っている。

その力を信じて、
ぼくは今日も前に進む。

●持ちあげて落とされるのは痛い。これを書くか迷ったけど、書いてスッキリした●映画週間続行。第一弾「BECK」。同僚に勧められたのだけど、水嶋ヒロって、役者としてはよかったのになぁ●業務連絡。今日は元町参上します。

2011年4月27日水曜日

孤独

先日知人から、
復職が決まったと連絡があった。

よかったぁ。

そう思いながら、
心は当然ぼく自身の復職の時へと、
降りていった。

もう3年半になる。

正直なところ、
復職してからの出来事より、
それ以前、
つまり心身崩壊し休職やむなきに至り、
そこから這い上がるまでの8か月の方が、
はるかに印象深い。

そのうちのひと月間は入院生活だった。

とにかく安静にしているしかなかったので、
退屈だったぼくは読書にいそしんだ。

病院の近くに書店があって、
本当はいけないんだろうけど、
毎日のように抜け出しては立ち読みし、
気に入ったものは買い求め、
ベッドの中でただただ読んだ。

一番印象深かったのは、
ガルシア・マルケスの「百年の孤独」。

とはいうものの、
今ここでは粗筋さえ紹介することができない。

ただ、
読んでいる時の独特の感触は、
休職と入院という、
非日常的な出来事とあいまって、
ぼくの中に今でも確かなものとしてある。

おそらく、
読書体験というのは、
さらにいえば、
あらゆる体験というものは、
具体的な内容ではなく、
その時の手触りとして強く記憶される。

そのひと月を含めたぼくの「8か月間の孤独」は、
社会人的には空白であったわけだが、
かけがえのない芳醇な日々だった。

あのころはよく分からなかったけれど、
今はそうだと断言できる。

それに比べればこの3年半、
特に社会人としての日常は、
何と淡白な味であることよ。

ライブドアのホリエモンは、
収監中に「本を2000冊読む」そうだ。

大きく化けて娑婆に出てくる日が、
楽しみである。

●「百年の孤独」。同じ名前の焼酎もよく飲んだなぁ(笑)

2011年4月26日火曜日

肉声

スーちゃん最後の肉声

あまりに見事というほかない。

10数年にわたるガンとの闘病を、
公にすることなく、
しかも、
自分の葬式で流すメッセージを、
人知れず用意しておくなんて、、、

トップアイドルから女優に転身し、
55歳で逝ってしまった人生は、
あまりにも駆け足だった。

でも、
人は必ずいつか死ぬのだということを前提にすれば、
彼女ほど鮮やかに人生の幕引きを出来る人は、
そう何人もいるわけではない。

その内容がまたすごい。

東日本大震災の犠牲者の冥福を祈り、
「天国でお役に立ちたい」と言う一方で、
夏目雅子のように「復活」して、
社会に恩返ししたいと「予言」までしている。

そこから感じ取れるのは、
目の前に見える死への覚悟と、
この世への強烈な執着だ。

か細く優しい声だけど、
死してなお存在の記憶を残そうとする、
秘した情念はすさまじい。

これで2011年はぼくらにとって、
震災と同時に、
「スーちゃんが死んだ年」として記憶される。

彼女は「最後の肉声」を残すことによって、
自らそれを成し遂げた。

スーちゃんは、
そしてキャンディーズは、
本当の「伝説」になった。

●旦那さんのカチンコの演出がまた、、、●映画週間タイムアウト。1本残して返却しなきゃならなくなった。でも「阪急電車」を含め1週間で5本鑑賞だから、まあまあか。

2011年4月25日月曜日

納得

















観てきました。

母のお供で(笑)

阪急ガーデンズの映画館は満員。

って当たり前か。
この映画でここが一杯にならなきゃ、
嘘だよな。

原作は読んでないのだけれど、
やっぱり女性作家の作品だけあって、
完全に女性目線の内容だった(男が魅力的でない)。

でもまぁ、
芦田愛菜ちゃん可愛かったし、
沿線住民としては納得の小品でした。

阪急今津線の電車と駅と元町と関学が、
舞台のほとんどすべて。

乗ったことがある人なら、
お馴染みすぎる風景や音が一杯だ。

これほど「身近」な場所が映画になることは、
もうないだろうな。

それもさることながら、
一番印象的だったのは観客。

ぼくなんかポップコーン食べながら気楽に観てて、
どう考えても笑えるところなのに、
会場は「シーン」としてる。

一人だけ笑うわけにもいかず、
思わず声を飲みこんだ。

そんな場面が何か所かあった。
(終わってから母も同意見であった)

たぶん、
観客のほとんどは、
子どもの発表会に来た父兄の気分だったんじゃないかな。

「どうか失敗しませんように」みたいな、
ハラハラした緊張感が会場を包んでいたんだと思う。

観終わって会場を後にする人たちは、
一様に「ホッとした」といいたげな表情だった(ように思う)。

日本中でヒットするとは、
とても思えませんが(笑)

●ただ、阪急電車にあんな「なにわのおばはん」は乗ってないと思うんだけど?●映画週間も大詰め。今宵は「LAコンフィデンシャル」(カーディス・ハンソン監督)。噂にたがわぬ傑作でした。

2011年4月24日日曜日

記録

東日本大震災のグラフ本が、
そろそろ書店に並び始めた。

そういえば、
阪神大震災の時には、
ぼくも何冊か買ったよな。。。

本棚を探してみると、
4冊出てきた。














2月1日アサヒグラフ「関西大震災」
2月4日サンデー毎日臨時増刊「兵庫県南部地震」
2月7日週間読売「神戸壊滅」
それから3月の読売新聞「阪神大震災」

それぞれ名称が違うが、
どれもあの当時ぼくが買った。

第一印象は、
どれも新品といってもいいほどきれい。

あれから3回引っ越し、
その度に一緒に移動したが、
結局真剣に読むことはなかったのだ。

意味ないじゃん。

会社の後輩によると、
ネットなどでは今、
これらが定価以上で売りに出されているのだとか。

「定価以上なんて、何考えてるんでしょうねぇ」と、
彼女は憤っている。

「そうかぁ?10万円で買ってくれるなら即売るけどなぁ」とぼく。

などと言いながら、
結局売ることもなく、
「東日本」のも何冊か買って、
そしてまたろくに読まず本棚にしまいこみ、
次の大地震の時にまた取り出すのだろう。

意味ないじゃん。

うん。

確かに意味はない。

でも、
買わずにいられぬ衝動が、
絶対に16年前のぼくにはあったんだと思う。

でも結局、
書棚の肥やしになるということが分かった。

貴重な教訓だ。

でも、
やっぱりぼくは東日本大震災のグラフ本を、
買わずにいられないだろう。

断言できる。

2011年4月23日土曜日

愛用

愛用の耳かきが折れた。

実物を載せるのはちょっと何なので、
メーカーのカタログから。





よく分からないかもしれないけれど、
先端にU字型のワイヤーが少しずつ間隔を開けて、
3本付いている。

そこで耳を「こそぐ」ように掃除するわけだ。

これまでほかにも、
もっとハードな金属棒みたいなやつとか、
粘着棒みたいなやつも試したが、
金属棒は力加減が難しく、
耳から出血してしまったことがありNG。

粘着棒式のはイマイチ「掃除した」感が乏しく、
ここ数年はこれに落ち着いていた。

これだと、
力を入れ過ぎるとワイヤが弓なりになってしまい、
使い物にならない。
つまり自動的に力加減してくれる。

しかも、
ほどほどに掃除効果もある。

何より、
コソコソしてるだけで、
気持ちよかった。

そこがお気に入りの一番の理由だったかも。

なのに、、、

きっとプラスチックが劣化していたのと、
力を入れ過ぎたのが原因だろう。
ワイヤーの付け根のとこがポキリといってしまった。

修復は不可能だ。

しかし、
これがないと困る。
とっても困る。

んな訳でLet's go to amazon!

あったあった。
同じ商品見つけた時には本当安心したよ。

翌日には届いて事なきを得た。

たかが耳かき。
されど耳かき。

愛用の品が壊れることって、
まぁたまにはあるけれど、
今回が一番うろたえたかもしれない。

●FM802から超懐かしい曲が流れてきた。よくカラオケで歌ったなぁ、、、(http://www.youtube.com/watch?v=IjlIl-MhUE0)。ユニコーンだぜ♪奥田民夫だぜ♪

2011年4月22日金曜日

理由

平日が休みの男友達と二人で、
昼飯を食おうということになり、
相談した挙げ句入ったのが「ガスト」。

ファミレスで食事なんて何年ぶりだろう。

そのガストにはコーヒーを飲みに一人で行ったことはあるが、
いつもガラガラで、
「こんなんでやっていけるのだろうか」と不思議だったのだが、
昼食時の今日は、
母子連れでほぼ満席。

ゲッ。

「喫煙席ならすぐにご案内できますが」とウェートレスが言うので、
渡りに船とばかりにそこへ案内してもらう。

あんまり考えず、
二人とも「ダブルハンバーグランチ」を注文。

もちろんライス大盛り。

ドリンクバーでアイスコーヒーを3杯おかわりし、
3時間ほど語り合って会計へ。

「1980円です」

一人の値段かと思ったら二人合計だった。

安い!
安すぎる!

妙に感動した。

でも、
こんな値段で何故もうけが出るのかしらん。

不思議だ。

で、
夜は映画週間3日目。

今日からの3本はTUTAYA「オススメの名画」だ。

ちょっと期待できそう。

まずは大好きなショーン・コネリー主演の「理由」(アーネ・グリムシャー監督)。













裁判ものと、
羊たちの沈黙みたいな猟奇殺人ものの、
いいとこどりみたいな作品。

流石TUTAYAオススメだけあって、
なかなか楽しめました。

原題「JUST CAUSE」

そういう本日の教訓は、
「本当の理由は簡単にはわからん」

●ちなみに理由には「ザ・ロック」のエド・ハリスや「マトリックス」のローレンス・フィッシュバーンが共演してた。この組み合わせは渋い●業務連絡。金曜日は元町へ参上します。

2011年4月21日木曜日

絶賛

「映画週間」2本目は、
デンゼル・ワシントン主演の「ザ・ウォーカー」(ヒューズ兄弟監督)















とにかく何かの大戦争で生き残った男が、
地球上で一冊だけになった聖書を持って、
西へ西へと歩く物語。

結局キリスト教万歳の映画。

ただそれだけ。

世界が廃墟になるという設定が、
もうすでに陳腐。
というか、
CGで作り出した廃墟の場面、
現実に東北の光景だし。。。

ただ、
ゲイリー・オールドマンが久々の悪役であったのと、
ラストのオチはなかなかだった。

それはそうと。

昼間FM802を聞いていたら、
DJの中島ヒロトが、
とある邦画を絶賛している。

DJであれ誰であれ、
ぼくは他人が絶賛しているものに弱い。

その予告編がこれ→「KG


ちなみにKGって、
空手ガールのことね。

武田梨奈っていう主演の彼女、
本物の空手家なんだって。


NO!CG
NO!ワイヤー
NO!スタント

カッコよすぎ。

中島ヒロトの褒めっぷりがリップサービスっぽくなく、
さらにこのYouTubeで絶対観たいって思ったけど、
大阪での上映は木曜日まで、
しかもレイトショー一回きり。。。

しゃーない。
レンタルだな。

2011年4月20日水曜日

前進

泊まり明けのフラフラ頭で、
新装開店した駅前のTUTAYAに寄り、
またしても5本まとめ借りしてしまった。

その1本目、
「エクスペンダブルズ」。


















シルヴェスター・スタローンが監督と主演し、
「タクシー」シリーズのジェイソン・ステイサムが共演。

さらに、
シュワルツネッガーとブルース・ウィリスと、
ミッキー・ロークが出てる、
「豪華海鮮ドンブリ」みたいな作品。

まぁ、
大物同士の共演ということで、
だいたい予想はしていたものの、
これほど「最強無敵」な駄作もめったになかろう。

笑っちゃった。

それより別の意味でこのDVDが良かったのは、
予告編に「唐山大地震」が入っていたこと。

中国で1976年に起きたこの地震では、
死者が約24万人とされ、
20世紀最大の地震被害なんだそうだ。

実は全然知りませんでした。

で、
その予告編がこれ→http://www.youtube.com/watch?v=kq2rD0fDGNs

その一瞬が、あなたの人生を永遠に変える

確かに今回の震災でも、
多くの人の人生が大きく変わってしまったことだろう。

ただ、
考えてみれば、
大切な人や物を失うとか、
そんな大事件はなくても、
誰もが毎日何がしか変わっていくし、
それは不可逆だ。

人生は一方通行だ。

だから何があっても人は前にしか進めない。

泣きながらでも、
悔いながらでも、
とにかく生きている限り、
人は前に進むしかない。

●この本当は3月26日に公開予定だったんだけど、当然のごとく延期され、たぶんこのまま未公開に終わると思う。

2011年4月19日火曜日

対処

地震が起きた時、
ぼくは自宅にいて、
しばらくテレビに釘付けになったということは、
以前に書いた。

その時テレビに映っていたのは、
何県だかわからないけど、
高速道路のような道路で、
そこへまさに津波が迫り来る場面だった。

路上には数台の車がいて、
そのうちの確かトラックだったと思うけど、
津波が来る方に進もうとしていて、
画面を見ながら母と、
「そっちちゃうやん」って大声を上げていた。

こんな話を今更するのかというと、
先日帰宅のタクシーで相乗りした先輩の親族が、
地震の時に仙台空港の近くを車で走行中で、
とにかくラジオが「高台に逃げろ」と言うのだけ聞いて、
難を逃れたという話を聞いたからだ。

ぼくと母が「そっちちゃう」と言っていたドライバーにしたって、
高台に逃げたかったのだろう。
でも、
ひょっとしたら初めて通る道だったかもしれないし、
ならば海や川がどちらか、
とっさには分からなかったとしても不思議じゃない。

あぁ、
ぼくは何も考えていなかったんだなぁって。

冷静に、
状況を俯瞰して正論を言うのは容易い。

いわんや結果論おや。

ぼくなんか、
ありきたりな日常生活で、
普通に起きていることにすら、
満足に対処できてないのだ。

100年だか1000年に一度の大事には、
何一つまともに対処できないと思う。

他人のことを偉そうに批判するのは、
そんな駄目な自分を自覚してからでないといけないと、
自戒した次第。

●登校中の児童の列にトレーラー。関東の人、なんか無常感に襲われてないかな。本当に一寸先のことも、ぼくらは見えないのだ。

2011年4月18日月曜日

悪人

遅まきながら映画「悪人」(李相日監督)をDVDで。















深津絵里がモントリオール世界映画祭で、
最優秀女優賞に輝いたというだけで借りたので、
ストーリーもよく知らなかった。

深津のみならず、
俳優の演技が素晴らしいのに驚いた。

樹木希林や江本明は言うに及ばずだが、
どの俳優も、
表情や表情の変化や、
声や声の抑揚や、
姿勢や動作が、
すべて強い意志が込められていて、
これほど「演技」に関心させられた邦画は、
本当に久し振りな気がする。

中でもぼくが一番感心したのは、
殺されちゃう保険外交員役の満島ひかり。

旅館のボンボンにもてあそばれながら、
「出会い系」で知り合った別の男と援助交際している、
どこにでもいそうな(?)OL役なのだが、
彼女が何故殺されることになったのかを、
本当に素晴らしいリアリティで演じている。

「悪人」では、
彼女が殺されて、
それと入れ違いに深津が出てくるので、
いわば彼女の出演部分は「前説」になるわけだが、
ひょっとして主役を食ってる?。

少なくとも、
彼女の前半の好演があればこそ、
後半の意味が深くなったと言える。

もちろん深津は上手いし美しかったけど。

題材は暗いし、
ちょっと尻切れ感のあるエピソードも散見されるものの、
この映画の俳優陣の演技には、
確かにお金を払う値打ちがある。

映画館で観ればよかった。

●もう一人の主役妻夫木聡は、いささかミスキャストのような、、、彼って金髪にしても、基本的に「善人」に見えちゃうんだよね。演技力以前の問題として。

2011年4月17日日曜日

投影






















桜が咲き誇る公園で、
一本だけ、
枝を切り落とされた桜があった。

病気なのだろうか。

完全に死んでしまっているのなら、
根元から切られてしまうだろう。

ということは、
再び芽が出て、
花を咲かせる日がくるということか。

たとえ幹だけになっても、
とにかく立って生きている姿に、
自分をダブらせる。

ミスチル「かぞえうた

●itunesで購入すると、全額が義援金になるんだとか。200円。迷わずダウンロード。


2011年4月16日土曜日

星座

世界的には全く信用のない血液型占い。

でも、
ぼくは信じてる。

だって当たってるもん。

何より自分のAB型が(笑)

一方その他の占いは、
信じない、
というより興味がなかった。

血液型は人体に直接かかわるから、
性格にも影響しそうだけど、
生まれた月日や字画が性格に影響するとは、
とても思えなかったのだ。

ところが、
ある人のブログで、
こんな行動をとる自分は○座だからか?
みたいな記述があり、
ちょっと気になって星座と性格で検索し、
その人の星座の性格を読んでみたら、
あくまで印象だけど、
結構あたってるではないか。

ということで、
自分の山羊座も読んでみた。

あ、
あたってる。


例えば。。。

人間にとって、本当に大切なものは何か、自分はなんのために生きているのか、人生の意味は何か、自分とは何か……。山羊座の心の底には、常にそうした問いかけがあります。そういう根本的な問いに対する答えを探し求める旅が、山羊座の人生と言っていいかもしれません。

ま、
そういうとこ、
あるわな。

それから。。。

ゴールまでの道のりが、気の遠くなるような長いものだったとしても、山羊座は黙々と進み続けます。目標に到達することそのものよりも、それをめざして日々努力することのほうが、山羊座にとっては尊いことなのかもしれません。

ちょっとこそばゆいけど、
歌への姿勢はそうありたいね。

さらに。。。

山羊座は基本的に、何事もひとりでやりとげようとする性質で、人の力を借りる、人と力を合わせるという考えが希薄です。これも、自分が生きる意味を探そうとする性質からきたもので、言いかえれば、自分への強いこだわりです。

おっしゃる通りで。

極めつけはコレ。

また山羊座の性質を強く持っていると、お酒が強く、晩酌を欠かさない人が少なくありません。ストレスをお酒で発散しようとして、酒量がどんどんふえることもあり、肝臓に負担をかけます。内臓はじょうぶなほうですが、お酒の飲み方には気をつけたほうがよいでしょう。

言葉もありません。

結論。

ぼくの性格が知りたければ、
AB型と山羊座を読んで足して2で割って、
それを7がけぐらいにして、
さらに、
石に100回ぐらい叩きつけたイメージを持ってください。

だいたいそんなヤツです。

●しかし不思議だ。言葉のトリックなのだろうか?でもぼくは絶対にO型の性格ではないし、しし座の性格でもない、と思うのだが、、、

2011年4月15日金曜日

科学

先日髪を切ったあと、
何気に「ザ・ライト‐エクソシストの真実‐」(ミカエル・ハフストローム監督)を観た。

これが見たかったわけではなく、
たまたまその時間に始まりそうなのが、
これだったのだ。

御存じ「レクター博士」アンソニー・ホプキンスが、
悪魔払い師を演じている。

それだけが見どころのような、
ほとんど「B級」作品に思えたが、
映画の出来とは関係なく、
この時期だからこそ色んなことを考えた。

宗教ってのも、
結局は世界を読み解く体系のひとつだ。

それは否定的なのではなく、
「科学」と同レベルとして。

だから、
科学にせよ宗教にせよ、
どちらが正しいかなのかが問題なのではなくて、
その体系を信じるか否かなのである。

むしろ宗教の方が、
長年の人類の叡智が詰め込まれている分、
体系としてより強固かもしれない。

映画にも出てくるけど、
バチカンのあのキリスト教建築物の荘厳さを見ていると、
これほどの物を作り上げさせる宗教の力は単純に凄い。

というか、
あれほどの物を作られたら、
何だかその気になるというか、
信じちゃうような気がする。

随分以前にも書いたけど、
信じるということに合理性は不必要だ。 

全然非合理であっても、
そう納得すること。

それが信じるということだ。

であるならば、
いまのぼくは科学を信じているのだろうか。

「科学の神殿」とも呼ぶべき福島原発の無残な姿を連日ながめ、
ノーモア原発と思うぼくは、
きっと科学の力を信じてはいない。

知人にこの番組を教えてもらった。

隠された被爆労働

科学の力は信じるに足りるのか。

みんなも一緒に見て、
共に考えてみよう。

●番組名をポチっとしてください●業務連絡。今週はチョコパ。

2011年4月14日木曜日

物欲

このひと月、
amazonで買い物をしてないことに、
さっき気づいた。

最後に注文したのは3月16日で、
商品は携帯充電用のソーラーバッテリー(笑)。

それを注文をしたのも、
それから一切何も注文してないのも、
明らかに震災の影響だ。

欲しい物がなかった、
というよりは、
物が欲しいと考える暇がなかったという方が近い。

ACの広告に反発して、
無駄遣いすると宣言したくせに、
まったくこのザマだ。

人には様々な欲望があるが、
物欲というのは、
心に余裕がないと生まれないんだな。

ことさら贅沢をしたいとは思わないけど、
寝て起きて食べて仕事してまた寝る、、、
そんな生活では、
確かに金は貯まるけど、
心の中から生命力がただ一方通行で出て行くような気がする。

「人はパンのみにて生きるにあらず」

聖書の言葉が正確にどういうことを指しているかはともかく、
多少の贅沢をするとか、
下らない事を考えるとか、
馬鹿話をするとか、
そういうことはきっとどこかで心を潤している。

つまり人として生きるのには不可欠なのだ。

心の中に四コマ漫画を。

そんな風についこの前書いたばかりなのに、
というか、
そう書いていたころのぼくの心中には、
実は四コマ漫画はなかったんだと思う。

ところで、
最後に注文したソーラーバッテリー、
まだ届かないんですけど。

届いても、
使うような日は来て欲しくはないですけど。

●といって今何が欲しいわけじゃないんだよなぁ。これが。

2011年4月13日水曜日

衝撃

「レベル7の衝撃」と言っていい。

福島原発事故はついに、
チェルノブイリと肩を並べる、
世界最悪の原発事故と認定された。

日本の原発では「あり得ない」とされたはずの事故が、
現実に起きてしまったわけだ。

チェルノブイリ事故の時に、
旧ソ連に向けられたのと同じ眼差しが、
今世界中から日本に向けられている。

「技術立国日本」という看板は、
木端微塵に打ち砕かれた。

一か月を過ぎてなお放射能を垂れ流し続ける事態。

国際社会に顔向けできない。

それでもなお、
「放出された放射能はチェルノブイリの10%程度」などとして、
「あの事故とは規模が違う」という論調を見かけるが、
そういうことは、
垂れ流しを止めてから言って欲しい。

それとは逆に、
レベル5から7への「格上げ」が「早すぎると」いう声もある。

特に地元福島の人々の嘆きは悲痛だ。

でも、
「正確で迅速な情報公開」を求めたのは、
ぼくら国民だ。
都合が悪いからといって、
格上げを遅らせるなどもってのほかだろう。

むしろ遅すぎたというべきだ。

「あり得ないことはあり得ない」

それが今回の震災の、
最大の教訓になりそうだ。

●しかし、この由々しき事態に、何と日本人は落ち着いているというか、鈍感というか。なんだろうなぁ、この国民性は●プロ野球開幕してるし●やっと髪を切れた。

2011年4月12日火曜日

白紙

統一地方選から一夜明け、
大躍進した「維新の会」率いる橋本・大阪府知事は、
さぞや喜色満面で会見するかと思いきや、
意外な「敗北宣言」。

過半数を目指していた大阪市議が、
目標に届かなかったからだといい、
「大阪都」構想も「いったん白紙」にするとのたもうた。

いかにも弁護士らしい駆け引きをする人だ。

ただ「政治家」というには、
あまりにも腹の中が透けて見えすぎて、
まだまだ軽い印象は否めない。

その軽さが彼の信条であり、
魅力でもあるのだろうが。。。

それはともかく。

東京から見て今や「一地方都市」でしかなくなった大阪を、
再び東京に対抗する大都市にしようという「大阪都」構想は、
新鮮であるし、
何より東日本がこのような状況になっている今、
とっても説得力があると思う。

安全保障の観点からも、
東京に何か不測の事態が起きた時、
匹敵する都市機能が西日本にもあるということは、
絶対に好ましい。

一節では、
今秋の大阪市長選に橋本氏が出馬し、
府知事には自ら意中の人を立てるという。

プーチンとメドベージェフのロシアみたいにして、
外堀も内堀も固めてしまおうということのようだが、
このまま行けば、
それもあながち荒唐無稽な話ではないように思える。

ま、
そういうことも含めて、
これからは大阪を含め、
西日本が動かなきゃね。

●イタリアに渡った友達の幸せそうな姿が彼女のブログで見れた。よかった。彼女に贈る(http://www.youtube.com/watch?v=KcQEUYVfViA

2011年4月11日月曜日

諸君

仕事を始める前にボーっとしていると、
後輩が近づいてきて、
「これ読んでみてください」と、
紙を手渡してきた。

「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)」
なる文章がネットで評判なのだという。

結構長いが全文引用する。

諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

「今日ひとりで海を見てきたよ。」

そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32


 一言付言する。

歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

梅花春雨に涙す2011年弥生15日。


立教新座中学・高等学校


校長 渡辺憲司

この校長、
60歳代と思われるが、
それにしては文章が「熱い」。

ところどころ脈絡が変な具合だけど、
そこがまた、
校長の並々ならぬ心情の生々しさとして、
プラスに作用している。

統一地方選では、
大阪府議会と大阪市議会と堺市議会で、
「維新の会」の候補が続々と当選した。

「大阪都」が実現するのかどうかは、
まだまだ今後の展開によると思うけど、
地方政党の躍進は、
東日本大震災とは無縁ではあるまい。

ひと月たってもなお、
日本中の誰もがみな心を熱くしている。

鉄は熱いうちに打て。

変えるなら今だ。

●で、なんでぼくにこの文章見せるの、と後輩に問うと「わかってくれそうだから」との返事。悪い気はしなかった。


2011年4月10日日曜日

改行

出勤前にドトールでコーヒーを飲んでいたら、
上司から電話がかかってきた。

「今日は人足りてるから休んで」

会社まであと5分のところなのに。。。

まるで日雇い労働者だ。

それでも本来なら喜ぶべきところなのだろうが、
「余剰人員」と宣告されたようで、
一抹の寂しさを感じるのは、
サラリーマンの性かもしれない。

それにしても、
目的なく一人歩く梅田は寂しい。

イヤホンで音楽を聞いているから、
声は聞こえないけど、
周囲の人はみな、
週末を楽しく過ごそう感でみなぎっている。

逃げるようにジャンカラに入った。

考えてみれば久し振りだ。
窮屈な個室が妙に懐かしく、
「歌をうまくなるぞ」と初心に戻った気がした。

ついでに映画館に寄ろうか迷ったが、
結局、
観たかった「トイ・ストーリー3」をTUTAYAで借りて観た。

1も2も観てないのだけど、
ストーリーはよく分かったし、
確かに面白かった。

でも、
子供向けアニメにも関わらず、
ちょっとしたスペクタクルな場面で先の地震や津波を連想してしまい、
「シャレになんない」って感じたのは、
自分でも意外だった。

震災前なら、
単純に楽しめたのだろうけど。

こんな感覚は、
阪神大震災の時にはなかった。

そういう意味で、
何か東日本大震災って、
本当に大きな時代の転換点になるように思う。

昭和から平成とか、
バブル前と後とか、
いろいろ時代の区切り方ってあるけど、
それらとはちょっと違う感じ。

日本人全体が心に傷を負ったという点では、
アメリカにおける9・11以前と以後に近いかな。

とても大きく言えば、
震災前までが「戦後」で、
これからは「震災後」みたいな。

文章で言えば「、」ではなく「。」でもなく、
段落変えとか新たな章を設けるとか、
はたまた分冊するとか、
新たな日本史の始まりを予感させる。

●ちょっと思うのは、日本のアーティストの立ち上がりが遅い気がする。海外の方が反応が早く、チャリティーアルバムを配信している。たぶん海外での報道の方がシビア=現実的なんだろう。日本は海外向けにはちゃんと広報して、国内向けには別の穏便バージョンを流しているのではなかろうか?日本人はただ知らされていないだけのような気がしてならない。

2011年4月9日土曜日

予断

夕べの余震のあと、
仙台の友人にメールをした。

今日だけで3回返事をくれた。

05時24分

もうやだ…
またライフライン止まった。
やっと少しずつ立ち直ってきたのに。
余震なんてレベルじゃないし

12時38分

まさに、踏んだり蹴ったりだね。
体に力が入りません。
仕事先に行ったらビルの配管が外れて水浸し。
1日に再会したばかりなのに。
めまいする。

14時07分

電気戻りました。
これで水も使えます。
一安心です。

ということで、
こちらも一安心。

一方、
福島原発は予断を許さない。

さっき配られた読売新聞をパラパラ。

元原子力安全委員長松浦祥次郎氏のインタビューに目が行く。

ーー事故の見通しはどうか。最悪のシナリオは?

最悪なのは、新たな水素爆発で格納容器が破壊され、放射性物質が大量に流出することだ。近くに人は立ち入れず、他の炉も手が付けられなくなる。こうなると日本にはもう解決策がないと思う。放射性物質の放出量はチェルノブイリの事故を超えるだろう。こうした事態は何としても防がないといけない。窒素注入はそのための手段だ。

福島原発は今もなお、
現在進行形で綱渡り状態なのだ。

報道が少なくなったからといって、
危険度が下がったわけでは決してない。

日常を取り戻すのも、
明るい話題も、
お笑い番組も結構だ。

ただ、
常にこのような破局的な危険が、
本当にリアルなものとして今の日本に存在していることを、
忘れちゃいけないだろう。

2011年4月8日金曜日

祟目

余震である。

宮城県北部と中部で震度6強とか。

余震というよりも、
これだけで十分にでかい。

もしこっちて起きていたら、
飛び上るほど驚いただろう。

先月の地震で、
残っている建物も相当ダメージを受けているはず。
また死者が出るのだろうか、、、

阪神大震災の時、
避難所に親兄弟を見舞った夜、
ちょっとした余震でも、
会場の体育館で寝ていた人たちが、
とっても怖そうにしていたことを思い出す。

年度も改まり、
ようやく日本中が様々な問題を抱えつつも、
何とか前を向き始めた矢先、
満開の桜に少し心浮きだっていた頭から、
冷や水を浴びせられた気分だ。

ぼくも、
ここひと月は、
自分の部屋でもNHKをずーっとつけていたが、
最近ようやくFMに切り替えたところだった。

これでまたNHKに逆戻りだ。

とはいえ、
先も書いたように、
ここ関西では全く揺れはなく、
あくまでテレビを見る限りの想像なのであるが。

そう、
ここひと月近く、
地震や原発事故について何だかんだ言いながら、
ぼくはまだ現場を肉眼で見ていない。

いつかはこの目でと思うのだが、
東北は遠く、
まとまった休みは、
当然とれない。

原発はとりあえず大丈夫らしいと会見している。

大丈夫といっても、
すでに大丈夫ではないのであるが。。。

●業務連絡。金曜日、元町に参上いたします。

2011年4月7日木曜日

道楽

今回の地震&津波が起きて、
一番「頼もしいな」と思ったのは、
漁師たちの言葉だった。

具体的には挙げられないのだけど、
津波の爪痕に対して冷静というか、
「必ず再び海に出る」みたいな。

やっぱり海の怖さを知ってるからだろうなぁって、
勝手に推測していた。

その漁師たちが怒った。

東電が放射能汚染された水を海に捨てたからだ。

その怒り方が、
農家や酪農家とちょっと違うように感じられるのは、
海に命を懸けていることと無関係ではないように思う。

生活の糧を奪われたというだけではなく、
自分の命を汚されたような心底の怒り。

話は変わるが、
夕べ会社で寝る前に休憩室にいると、
別の部署のジャズ好きの先輩が、
「最近歌ってるの」と話しかけてきた。

会社にもごく少数ではあるが、
ぼくがジャズを歌っていることを知っている人がいる。

ぼく「いやぁ地震があってからはさっぱりで」

先輩「道楽やってる気分じゃないわな」

道楽かぁ。

確かに道楽で始めたけど、
今は道楽なんかじゃない。
ぼくにとっては生きてる意味に近い、
はずなんだけど、、、

そして宿直勤務から解放。

心身ヘトヘトなのに、
空は真っ青でやたら暖かく、
コンビニでガリガリ君を買って、
商店街のベンチに座って食べる。

ん?














少し疲れが和らいだ。

2011年4月6日水曜日

極上

花粉症なのか鼻かぜなのか、
正体はわからないまま、
相変わらず鼻水っぽい。

そこで最近見かける「高級ティッシュ」を初めて使ってみた。

ティッシュなんて基本街でもらうもの。
まず自分じゃ買わないものね。

びっくりした。

値段は確かに高め(といっても一箱300円もしない)だが、
感触は明らかに極上。

ふんわり包まれる優しい肌触りで、
頻繁に使えば使うほど、
その違いは歴然としてくる。

その極上加減も、
メーカーによって微妙に違うこともわかった。

「たかがティッシュ」のすごい進化に、
いまさらながら気がついた次第。

ところで。

東日本大震災の死者は今のところ1万2千人台だが、
ひょっとすると4万人近くになるかもしれない。

というのも、
宮城県南三陸町など5市町の行方不明者が、
集計漏れしているというのだ。

現在の行方不明者は1万5千人だが、
未集計分を合わせると、
2万人を大きく超えるのは必至だからだ。

この時点での行方不明ということは、
限りなく「死者」に近い。

しかし、
発生から3週間以上たってそんなことが判明するとは、、、

現地はまだまだ大混乱なんだな。

極上ティッシュで鼻をかみながら、
その贅沢を少し申し訳なく思う。

●福島原発から出た放射性物質の降下予測図を見ると、北海道を除く日本列島ほぼ全域に「降っていた」ことが一目瞭然。量は違えど、これで同じ「被爆者」だ。

2011年4月5日火曜日

資格

出勤すると突然、
4年前までぼくが座っていた席に、
今日座るかと、
上司が打診してきた。

そう、
ぼくはかつてあの席に座って仕事していたのだ。

東京出向から戻ってきてからの数ヶ月間。

仕事面で乗りに乗っていたころだ。

それが、
私生活上のトラブルで心身ボロボロとなり、
ついには休職する羽目になってしまった。

あっという間の「天国から地獄」だった。

8ケ月たって復職して、
一時はまたそこに座ったのだが、
周囲の声なき声で引きずり下ろされ、
以来4年、
再びそこに座ることなど想像もできなかったし、
実際だれもぼくにそんなことは言ってくれなかった。

二つのピラミッドの、
一つの頂点。

そこへの道は永遠に閉ざされたと思ったし、
その席の近くに行くことさえはばかられた。

だから、
今日は二つ返事で引き受けてもよかった。

そうすれば、
屈辱の日々にケリをつけることが出来たかもしれなかった。

でも、
ぼくはやんわり辞退した。

昨日も書いたように、
虚脱状態の今のぼくに「そこ」に座る資格はないと思った。

出来る出来ないじゃなく。

せめて前日に言ってくれてりゃ、
それなりの心構えもしただろうが、、、

今日のところは、
そういう提案があったことを喜びに思おう。

2011年4月4日月曜日

虚脱

終わりは突然やってきた。














ipadのゲーム「インフィニティ・ブレード」の、
大ラス付近の場面。

「えっ終わっちゃうの」と、
あわててカメラを取り出し撮影した。

前に、
ソフトかハードか原因不明で、
いちからやり直しになったが、
それでも諦めず、
ついにオールクリア。

最強の敵を倒し、
ジ・エンドである。

自分でも驚くほどゲームにのめりこんだのは、
初代「バイオハザード」以来である。

特に地震が起きてからは、
このゲームをしている時が唯一の息抜きだったかもしれない。

そういえば、
バイオハザードの時も、
大きな事故の最中だった。

剣や盾や魔法を順番にマスターし、
強い敵を次々倒し、
やっとゴールした時、
大げさに言えば一種の虚脱状態が訪れた。

それは仕事においても同じである。

先日書いたように、
もうこの会社にいる以上2度とないような仕事を達成し、
今は元の腑抜け社員だ。

そりゃ仕事だから、
ちゃんとやってますよ。

でも、
もうあんな昂揚はもう来ないことをぼくは知っている。

さてゲームに話を戻すと、
エンディング場面のあとに、
こんな画面が現れた。














わかりやすく言えば、
キャラクターのレベルを引き継いで始めるか、
全く新規のゲームとして出直すかという問いかけである。

迷ったけど、
やっぱり同じキャラクターで行くことにした。

未練がましいぼくらしい選択である。

ゲームも仕事も、
ぼく+で続けている。

2011年4月3日日曜日

妙案

福島原発事故が起きるまで、
東日本と西日本で電気の周波数が違うってことを、
知らない若い人もいたようだ。

イマドキの電化製品は、
50ヘルツだろうが60ヘルツだろうが、
関係なく使えるのだから無理もない。

ぼくが大学生で上京した時には、
すでに大半の家電は互換性があったと思うが、
確かドライヤーや掃除機などモーター系や、
照明関係は駄目だったような記憶がある。

原発事故で関東の電力供給量がピンチになり、
にもかかわらず、
この周波数の違いがネックとなって、
西日本から電気が融通できないことが問題になってる。

この事態に東電は、
休んでいる火力発電所をフル稼働させて対応しようとしているが、
それでも夏場の電力不足は決定的だという。

それに、
火力発電所をフル稼働させるということは、
温室効果ガス大量に放出するわけで、
非常事態とはいえ望ましいとはいえない。

もっともぼく個人は、
地球温暖化が二酸化炭素のせいだとは、
信じていないのだが、、、

いずれにせよだ。

周波数の違いがあるから、
西日本に住むぼくらとしては如何ともしがたい、
東日本の人には申し訳ないけど、
夏場はエアコンがんがん使わせていただきますって、
思ってはいないだろうか?

西日本にも、
東日本の電力調達に貢献できる方法があると、
今日思いついた。

東日本で火力発電が増える分、
西日本の火力発電を控えるのだ。

根本的な解決策ではないが、
そうすれば、
少なくとも日本全体としての温室効果ガス排出量の問題はクリアできる。

もちろん、
その結果西日本で電力不足になったとしたら、
こちらはこちらで計画停電をすればいいのだ。

それが「痛みを分け合う」ってことだろ?

とにかく思うのは、
地震までは日本経済が破綻寸前のような論調があったし、
地球温暖化対策だって、
「待ったなし」だったはず。

今回の地震でそれらの問題が棚上げできるのだったら、
それは「待ったあり」じゃないかって思う。

一体何を信じたらいいのやら、、、

●年度が改まり、一気にマスコミのトーンが変わった。ひと月を境に、この傾向は一層拍車がかかるだろう。こういう情報の潮位の変化は、津波並みに●久々にチョコパを食べたのだが、いつの間にか店が禁煙になってて驚いた。

2011年4月2日土曜日

証言

昼過ぎ、
同級生の女性からメール。

先ほどガスの開栓が完了してライフラインがすべて復旧しました‼

そう。
彼女は長いこと仙台に暮らしているのだ。

地震があった直後、
ぼくは彼女にメールした。
その返信は短くて簡潔だった。

とりあえず全員無事です。家の中ぐちゃぐちゃ

あらら、
でもよかった。

その次の彼女からのメールは13日

連絡ありがとう。充電が切れていてなかなか連絡できませんでした。
ライフラインアウトですが電気は近くまで復旧してるみたいです。
パパの会社がライフラインが復旧しているので水は確保できています。
一応家に家族全員無事にいます。
余震が止まらないので怖いです。

水と電気は確保か。
まずまず悪くない。

その次は14日。

家の近辺は仙台市でもましな方のところです。
昨夜8時頃電気もつながりました。水もマンションの貯水槽の分は制限付で少し使ってもよいと通達がありました。
携帯はなかなか繋がらない。新聞も昨日の午後地震後初めて届きました。テレビは電気が繋がってからです。ラジオはずっと聞いていましたが不安でした。
今も余震は絶えることはありません。食糧やカセットコンロのガスはいつなくなるのかも心配です。
公衆電話も一度かけに行きましたがかなりの行列です。息子は朝7時に出かけ開いている店に2時間程並び、実際欲しいものは当然手に入らずです。家の向かいに台原森林公園という青葉区の給水所がありますが、車と人だらけです。青葉区の給水所は3ヶ所、少なすぎます。信号が消えている所は車も人も命がけです。近所のガソリンスタンドも昨日はほとんど営業していませんでした。
マンションのご近所の方と声を掛け合ったり、情報を頂いたりして助かっています。
お年寄りや乳幼児、病人のいる家はもっと大変だと思います。
原発のことも含めて多分これからまたいろいろ問題が出てくると思います。
福島の浪江にお住まいの知り合いが被爆したかもとも聞きました。
余震が続く中、不安だらけです。

混乱と不安な様子が手に取るように伝わってくる。
なのにぼくは駆け付けることもできない。
ただ見守るしかできなかった。

「これから起きることを出来るだけ記録して欲しい」とだけメールして、
以後は連絡を控えた。

そして今日のメールである。
ライフラインの完全復旧を伝える文字が弾んで見えた。

「帰っておいでよ」

仙台空港がひどい状態だけど復旧したら帰ります。
ガスも家は早い方でまだまだ復旧率は20%以下みたいです。
気仙沼の知り合いに会いに行った友達は、映像や写真で見る何倍もひどい状態だったと言っていました。

彼女の実家はこちらにあるのだ。

そして、
やっぱり現実は、
報道されているよりずっとひどいんだ。

無理もない。
だって、
報道される人たちは、
少なくとも取材されるだけの力があるってことだもの。

そんな声も出せない人たちが、
至る所にいるのだろう。

是非こちらで、
報告会を開いてほしい。

●ゆうちゃん、無断で転載してごめんね。でも本当によく辛抱したね~●業務連絡。土曜日はチョコパを食べる予定です。

2011年4月1日金曜日

仕様

気がつけば新年度。

実感がない。

もちろん地震のせいだけど、
もう1つ、
ちっとも暖かくならないことも影響していると思う。

ぼくの服装は、
相変わらず「冬仕様」。

つい数日前までは「真冬仕様」だった。

何もぼくだけが特殊なのではなく、
街中では今でもダウンのコートを着ている人を、
普通に見かける。

そんなこんなで、
ぼくの季節感は3月11日以来止まっているのだけれど、
ひとつ変化があるとすれば、
どうやら「花粉症」のようだ。

断定はできないけど、
たぶん「ヒノキ」だと思う。

スギのときは全く大丈夫だったのに、
ヒノキ花粉が舞うここ数日、
やたら鼻水やくしゃみが出る。

去年もちょっとヤバイと思ったのだが、
今年はそれが確信に変わった。

あわてて鼻炎カプセルなどを飲む。

変化といえば、
報告が遅くなったけれど、
ぼくのYouTubeの「she」を熱心に聴いてくれている人が、
先日ついにipod再生5000回を突破したと教えてくれた。

すごいね。

全然先の見通しがたたないぼくの歌修行であるが、
そういう強烈に熱心な支持者がいてくれること、
それがぼくの何よりの原動力だ。

今はまだ仕事一色で、
セッションもまだ当分は行けそうにないけど、
こんなことではへこたれません。

新しいアップロード、
今しばらくお待ちください。

え?

別に待ってないって。

そりゃまた失礼しました。。。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...