2012年10月3日水曜日

啖呵

久しぶりに元町に行くと、
ぼくがiPhone5を買ったと知っている、
乙女たちがやってきて、

「見せて下さ〜い」

と言ってくれた。

ありがたいねぇ、、、

人柱の醍醐味といえば、
こうした「見せて」の一言を聞けることだ。

おふこーす!

なんぼでも見てや。

「薄っすいですねぇ」

「カバー付けないんですか」

ちっちっち、
そんなダサいことはしないのさ。

「落とすの恐くないんですかぁ」

んなこと怖がってどーすんの、
せっかくのデザインを隠すなんて、
ぼくにはあんびりーばぼー。

予定通りの啖呵を切って、
それから会社に向かった。

早めに大阪についたんで、
ヨドバシに何気に寄ると、
iPhoneのアクセサリーコーナーに、
黒山の人だかり。

ホント、
平日の午後だというのに、
バーゲン会場のよう。

吸い寄せられるように山に参加すると、
そこには、
あるわあるわ、
iPhone5用ケース&保護フィルムetc

もーみんなダサいんだから、
ぼくはそんなのいらないよ〜

「落とすの恐くないんですかぁ」

「落とすの恐くないんですかぁ」

「落とすの恐くないんですかぁ」

頭の中を、
先の乙女の言葉がリフレインして、
気づいたら、


















いやぁ
面目ない。
やっぱちょっと薄すぎて、
グリップ感が乏しく、
落とす不安はあるにはある。

とりあえず、
手になじむまでの間背面だけこれで、、、

裸で持ってて落とすより、
たぶん恥ずかしい朝令暮改ぶりです。

みなさん、
ぼくの信念なんてこんなもんです。

ハイ、、、

●興味深い文章に出会ったので転載。「一般に、破壊あるいは解体が単一の特異的原因で起こりうるのに対して、回復は、無数の非特異的因子がしだいに好ましい方向に働く結果、全体として“地力”がついてくるとしか表現しえないような事態であることが多い」
 「おそらく、治療の基本原則の一つには、患者の示すものの中に建設的な意味を読みとり、それを活用しようとすることがあるであろう。何か積極的な意味はないかと問いなおすことは、しばしば、思いがけない新しい局面を開いてくれる」
 中井久夫は、治療者というのは患者と切り離されて存在しているものではなくて、絶えず患者とのやりとりの中で、患者から影響を受けながら治療行為を続けていくっていうことを言っていて、それが彼の基本的なスタンスなのね。
 つまり治療者は治療行為の外側にいるわけではない。治療という行為のサイクルの中に治療者も患者も両方がいる。それなのに、治療者が治療行為の外側にいると思っていたら、治療行為は自分が事前に想定したプログラムの中で進んでいくかのような幻想を持ってしまうことになる。

遺志

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