2013年8月25日日曜日

犠牲

先日NHKをつけたら、
黄色の髪の毛をした美輪明宏と、
ますます巨大化する玉ねぎ頭の黒柳徹子が出てた。

番組の本当に最後の方だったのだけど、
美輪明宏の言ってたことが印象的だった。

長く一線で続けられた理由、
みたいな話しの中で。

東京でも舞台で全国を回っても、名所や名店のたぐいには一切行かない。ただホテルと劇場の往復。何かを失わないと何かは得られない。

みたいな内容だった。

似たような話しがイチローにもある。

ヤンキースに移籍して、
久しぶりにシアトルで試合をした時だ。

イチローはこんなことを言った。

シアトルはスターバックス発祥の地だけれど、街中にこんなにスタバがあるなんて知らなかった。

これもだいたい。

つまり、
イチローは十年以上もシアトルに住んでいながら、
街にはほとんど出た事がなかったのだ。

自宅と球場、
あるいは自宅と空港。

延々と同じルーティンで。

だから、
シアトルの住民なら誰でも知っているようなことも、
知らなかったのだ。

だからといってイチローが、
シアトルにとけ込んでいなかったわけでは全くない。

セーフィコフィールドという球場を通して、
イチローはシアトルの住人とコミュニケーションしていた。

だからこそ、
移籍の時にあれほどの拍手を浴びたのだ。

イチローもまた、
ただ超一流のプロ野球選手であるために、
一般人としての楽しみを犠牲にしてきた(はず)。

もちろん、
美輪さんにせよイチローにせよ、
それを犠牲なんて思っている訳ないけど。

犠牲と思ってたら、
あんなに長く続けられるわけがない。

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