あるべきはずの場所から、
突然消えてしまった自転車。
それは、
ぼくの恩人の象徴だった。
それに気づいたのは、
この「自転車」というブログを書き始めて、
数日たってからのことだった。
ぼくが今、
仕事を続け、
ジャズを学び、
お気楽に生活していられるのはすべて、
1年余り前に知り合った、
その人のお陰だ。
その恩人が、
転居することになり、
最後に会う機会が、
自転車がなくなった翌日に迫っていた。
出会いがあれば、
別れがある。
そんな事は当たり前だ。
ぼくだって、
愚かな半生とはいえ、
ダテに年はとってない。
それぐらいのことは学んできたはずだ。
互いに生きてさえいれば、
いつか再会することもあるさ。
笑顔でお元気でと、
言えばいい。
そう思いながら、
ぼくの頭は数日間、
その人の事で占拠されていたといっていい。
自転車が止まっていない駐輪場を見た時に感じた、
座ろうとして椅子がなかったような、
頭の中の感覚と現実が一致しない戸惑いとは、
その人が身近にいなくなるという現実の先取りだった。
翌日に訪れる、
その事を恐れていたからこそ、
ぼくは、
本当は自分が余所に止めたにもかかわらず、
駐輪場に自転車がないことに気づいた瞬間、
「あぁ、なくなってしまった」と思い込んだのだ。
ぼくは翌日、
その人に会わなかった。
会って型どおりの挨拶をするのも面映ゆいし、
ぼくの感謝の念は伝わっているはずだ。
それで充分じゃないか。。。
でも、
ぼくが避けて通ろうとした喪失感は、
形を変えて、
すでに前夜、
ぼくのもとを訪れていたのだった。
●この項終わり●会社帰りに「スカイ・クロラ」を観た。拍子ぬけするほどすいていたけど、確かに、分かりにくいというか、ストーリー性に欠けるので地味な作品と言っていいと思う。こみあげる感動はない。ただ、押井守監督の伝えたいことはじわっと感じ取れた。いつの時代であっても若者が抱える苦しみ。癒されることなく、再現なく繰り返される生きずらさ。一般にデフォルメされる2次元アニメの部分こそ実はリアルで、細密なCGを駆使した空中戦の描写はアン・リアルだという、表現方法の逆転がカギだと思う。
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