2008年8月27日水曜日

漢字

王義之の番組など、
なんで見たのか。

自分でも不思議な気がしたが、
答えは簡単だった。

攻殻機動隊とイノセンスだ。

押井守監督のこの2作、
近未来のある国が舞台だが、
描き出される街並みは香港そのもの。
つまり、
至る所に漢字が出てくるのだ。

宮崎駿とは別の意味で、
日本アニメを世界規模で有名にした2作品だが、
見てみるとなるほど面白い。

テーマの一つは、
ロボットに人間と同じ意味での「私」はあるのか、
ということだと思う。

人体のパーツを機械化したサイボーグや、
記憶の部分的に外部記録して、
ネット上を行き交う世界が、
非常なリアリティをもって描かれる。

そのように、
脳内の情報がある程度共有される次元において、
人間でさえ確固たる「私」はないのではないか。

するとロボットと人間の差は何なのか。

こういうことを突き付けていると、
ぼくは感じる。

いわゆる思考、
それも人間レベルでの複雑な思考さえ、
ぼくはコンピュータに可能だと予想している。

ただし、
ロボットと人間の決定的な違いは、
「感じる」ことができるか否かで、
その一点でコンピューターに「意識」は存在しえないのではないか。

痛い、
痒い、
寒い、
怖い、
寂しい、
気味悪い、
嬉しい、
むかつく。。。

そういった言葉では正確に表せぬ無限の「感じ」。
無数にセンサーを用意しても、
測定はできても、
感じることはできまい。

ぼくたちの思考は、
実はこういう「感じ」に基礎があって、
その感じを言葉などで説明したものが、
いわゆる意識といえるのではないか。

この成り立ちは、
どんなに精緻なプログラムを組んでも、
結局、
まがいものにしかなるまい。

王義之の「蘭亭序」の価値とは、
言葉=思考の背後にある、
まさに人間の感じ(漢字)を、
生々しく定着したものである点ではないか。

なるほど、
字は人なり、
ということか。

私と一緒にきてください
輝く海を超えてあの国へ
私たちが見知った世界を
遥かに超えたところで
夢の世界より遥か彼方で

これまでに味わったどんな喜びより
遥か彼方で待っているのです

私と一緒にきてください
愛するものにしか見えないこの道を
楽しい夜の年月の彼方に
涙を、そして私たちが無駄にした
年月を超えて
光の中へと続いている道です

私と一緒にきてください
この山の奥の彼方の国へ
いつも心に抱いていた音楽の全てが
空を満たしています

沈黙の歪みの中で歌えば
心は解放されます
そうしている間にも世界は回り続け
そして落ちて行きます



●じゃず家セッション。久々だったけど大繁盛で、2曲しか歌えなかったが、出来は(自己)満足でした。

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