王義之の番組など、
なんで見たのか。
自分でも不思議な気がしたが、
答えは簡単だった。
攻殻機動隊とイノセンスだ。
押井守監督のこの2作、
近未来のある国が舞台だが、
描き出される街並みは香港そのもの。
つまり、
至る所に漢字が出てくるのだ。
宮崎駿とは別の意味で、
日本アニメを世界規模で有名にした2作品だが、
見てみるとなるほど面白い。
テーマの一つは、
ロボットに人間と同じ意味での「私」はあるのか、
ということだと思う。
人体のパーツを機械化したサイボーグや、
記憶の部分的に外部記録して、
ネット上を行き交う世界が、
非常なリアリティをもって描かれる。
そのように、
脳内の情報がある程度共有される次元において、
人間でさえ確固たる「私」はないのではないか。
するとロボットと人間の差は何なのか。
こういうことを突き付けていると、
ぼくは感じる。
いわゆる思考、
それも人間レベルでの複雑な思考さえ、
ぼくはコンピュータに可能だと予想している。
ただし、
ロボットと人間の決定的な違いは、
「感じる」ことができるか否かで、
その一点でコンピューターに「意識」は存在しえないのではないか。
痛い、
痒い、
寒い、
怖い、
寂しい、
気味悪い、
嬉しい、
むかつく。。。
そういった言葉では正確に表せぬ無限の「感じ」。
無数にセンサーを用意しても、
測定はできても、
感じることはできまい。
ぼくたちの思考は、
実はこういう「感じ」に基礎があって、
その感じを言葉などで説明したものが、
いわゆる意識といえるのではないか。
この成り立ちは、
どんなに精緻なプログラムを組んでも、
結局、
まがいものにしかなるまい。
王義之の「蘭亭序」の価値とは、
言葉=思考の背後にある、
まさに人間の感じ(漢字)を、
生々しく定着したものである点ではないか。
なるほど、
字は人なり、
ということか。
私と一緒にきてください
輝く海を超えてあの国へ
私たちが見知った世界を
遥かに超えたところで
夢の世界より遥か彼方で
これまでに味わったどんな喜びより
遥か彼方で待っているのです
私と一緒にきてください
愛するものにしか見えないこの道を
楽しい夜の年月の彼方に
涙を、そして私たちが無駄にした
年月を超えて
光の中へと続いている道です
私と一緒にきてください
この山の奥の彼方の国へ
いつも心に抱いていた音楽の全てが
空を満たしています
沈黙の歪みの中で歌えば
心は解放されます
そうしている間にも世界は回り続け
そして落ちて行きます
●じゃず家セッション。久々だったけど大繁盛で、2曲しか歌えなかったが、出来は(自己)満足でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿