「切羽へ」(井上荒野著、新潮社)を読むまで、
ぼくは「きりは」という、
この言葉を知らなかった。
物語は、
小さな島に画家の夫と暮らす小学校の養護教諭が主人公だ。
春、
新任の男性教諭が赴任してからの、
夫婦や島の人々の一年を、
ひと月一章で描く。
島に生まれ、
島に生きる心模様。
直木賞を受賞したのは知っていたけど、
この手の本を、
ぼくはあまり読まない。
思わず本屋で手が出たのは、
ひとえにこの「切羽」という言葉に魅かれたからだ。
女性心理の描写はさすがにうまい。
というか、
ぼくには「へぇそんなものか」と感心ばかりさせられた。
逆に男性については、
あくまで女性の視点からの描写にとどまり、
無理をしていない。
それは好ましいことだと思った。
「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」
どんなに平穏な日常の連続でも、
何がしかの始まりと終わりが間断なくあって、
そこにはあまたの切羽が生まれ、
消える。
人の心の切羽か。
なくなっても、
あったことは記憶に残る。
時には一生。
●なでしこ。なでしこー。3点目と4点目がなぁ。もうちょっと背が高ければなぁ。いやいや。あと1試合、応援しよう●イシンバエワ。1センチ刻みは続く。。。
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