週末の渋谷駅周辺はすごい人ゴミだった。
スクランブル交差点は青になる度に、
恐らく数千単位の人が四方から無秩序に交じり合いながら、
それでいて大過なくそれぞれの人が行き交い、
それぞれの目的地へと向かっていく。
この光景はいつもながら壮観である。
しかし、
人や物や情報が間断なく行き交うこの街は、
ただじっとしているには実に耐え難い場所でもある。
人との待ち合わせの時間まで、
わずか30分余りをやりすごすのに、
高架下の喫茶店に避難した。
明確な目的を持たず漂う人間に、
東京という街が見せるキツさは、
ぼくが学生だったころと何も変わらないなと思う。
人間の「動的欲求」というものを可視化するなら、
ここほどふさわしい場所はないと思う。
「巡礼」(橋本治著)はいわゆる「ゴミ屋敷」に住む独居老人が、
いかにしてそのようになったのかを描く。
昭和という時代を生真面目に生きながら、
いつのまにか社会のゴミ同然となった男が、
かつての記憶が残る家に、
他人にはゴミとしか映らぬ物を溜め込む。
それでは何もどうにもならないことは、
百も承知しながら。
時代に取り残された男の、
哀れな末路といえばそれまでなのだが、
ぼくには他人事とは思えなかった。
明日は我が家へ帰ろう。
それが今のぼくの目的だ。
●暇な人はウォーリーを探してみて下さい。
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