毎日放送の「走れ感嘆符ポストマン」を見ていたら、
はるな愛が、
昔勤めていたニューハーフのお店の先輩に、
謝りに行くという企画をやっていた。
店に入りたてのころ親切にしてもらいながら、
売れっ子になって「天狗」になったそうで、
先輩が店を辞める時にもロクに挨拶しなかったという。
「天狗」になったニューハーフというのは、
下品なダジャレのように思えて、
どこまで本当か嘘かよく分からなかったが、
とにかく性転換を選択した彼女(彼?)は偉い。
フォーサイト9月号の『「多様な働き方」への転換は可能か』という特集に、
次のようにある。
終身雇用が曲りなりにも機能してきたのは、高度成長期までのごく一時期だけにすぎず、それも製造業の大企業、中でも男子従業員のみで、全体の労働力人口からみれば、10%にも満たない。
と前ふりして、
そもそも、わが国では、「まっとうな生き方」だと人々の考える幅が狭すぎる。偏差値の高い大学に入り、直ちに一流企業に就職しその会社で働き続ける、このパターンのみが成功であり安心を保障すると考えすぎではないか。
と続ける。
今頃そんなこと言ってくれるなよ。
ぼくたち高度成長期の申し子は、
この「10%」あるいは「まっとうな生き方」信仰にモロに影響されたし、
それ以外の生き方を想像することは怖いことだった。
典型的なサラリーマンだった父の下で育ったぼくは尚更だ。
そういうことに反発して、
実際そういう生き方はしないと誓ってきたのだが、
やはりこの信仰は骨の髄まで染み込んでいるようで、
結局何もかも中途半端のままここまで来た。
東京で再会した同級生の女性は、
大学卒業後に病院で事務の仕事をしたあと、
アメリカの大学に入りなおし、
帰国後は劇団や英会話学校に勤め、
ついには映画の翻訳の仕事をするようになった。
会うのは結婚式以来初めてだったが、
今は仕事はセーブして、
もっぱら夫婦でテニス三昧なのだと話していた。
彼女に限らずぼくの周囲の女性は概して自然体だ。
男が終身雇用信仰に絡めとられないのと、
彼女たちが結婚→出産=女の幸せ信仰に陥らないのと、
どちらが難しかったかを比較する気はないが、
いずれにせよ、
若い時期にジャンプした彼女らが、
今輝いていることは間違いない。
これから働き方、
つまり生き方はますます多様化していく。
時代の転換に取り残されぬ力は、
このぼくに残されているだろうか?
少々弱気になる秋である。
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