2011年2月13日日曜日

相身

「どうで死ぬ身の一踊り」(講談社文庫)収録の、
表題作を読んだ。

これまた著者西村賢太の私小説。

大正期の小説家藤沢清造の全集を刊行しようと、
奔走する著者と、
女性との同棲生活が淡々と描かれる。

藤沢清造に対する著者の態度は、
とても真摯でかいがいしいのであるが、
女性との暮らし方は「まるで駄目男」。

はっきり言ってDVであり、
これを読んだ女性100人中99人は、
「この男サイテー」と一蹴するに違いない。

「100人中100人」と書きたいところ、
というか、
一度は書いたのだが、
「とはいえ実際著者に惚れた女がいるのだから」と、
思いなおして99人に変更した。

まぁ露悪的というか、
自虐的というか。。。

酒を飲んでは頭に血をのぼらせて、
女を殴る蹴るのDV沙汰が痛々しいのだけれど、
なぜか読み進めてしまうのは、
その端正な文章に負うところが大だと思う。

それにしても、
これほど短気な男が、
何故自分をこれほどに客観し、
等身大で描けるのだろう。

そこが一番の不思議である。

そして女性には大変失礼ながら、
ただのアル中DV男の私生活が、
身につまされてくるのである。

それだけ著者の清造への献身ぶりが、
常軌を逸していて、
それ故に他の駄目駄目ぶりは、
一読者としてのぼくの中では、
不問に付してしまえる。

それに、
大人の男女のDVって、
考えてみれば「お互い様的」な部分もある。

嫌なら別れればいいのだ。

耐えられなければ去ればよいのだ。

それが出来ぬのは、
そりゃ様々事情はあろうとも、
結局は大人の男女の決断なのだ。

大体好き合う男女は、
互いに身の丈に合っているものだ。

そういう意味で、
くっついている間は「お互い様」なのである。

などとほざいてるぼくも、
かなりの身勝手男であるな。

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