表題作を読んだ。
これまた著者西村賢太の私小説。
大正期の小説家藤沢清造の全集を刊行しようと、
奔走する著者と、
女性との同棲生活が淡々と描かれる。
藤沢清造に対する著者の態度は、
とても真摯でかいがいしいのであるが、
女性との暮らし方は「まるで駄目男」。
はっきり言ってDVであり、
これを読んだ女性100人中99人は、
「この男サイテー」と一蹴するに違いない。
「100人中100人」と書きたいところ、
というか、
一度は書いたのだが、
「とはいえ実際著者に惚れた女がいるのだから」と、
思いなおして99人に変更した。
まぁ露悪的というか、
自虐的というか。。。
酒を飲んでは頭に血をのぼらせて、
女を殴る蹴るのDV沙汰が痛々しいのだけれど、
なぜか読み進めてしまうのは、
その端正な文章に負うところが大だと思う。
それにしても、
これほど短気な男が、
何故自分をこれほどに客観し、
等身大で描けるのだろう。
そこが一番の不思議である。
そして女性には大変失礼ながら、
ただのアル中DV男の私生活が、
身につまされてくるのである。
それだけ著者の清造への献身ぶりが、
常軌を逸していて、
それ故に他の駄目駄目ぶりは、
一読者としてのぼくの中では、
不問に付してしまえる。
それに、
大人の男女のDVって、
考えてみれば「お互い様的」な部分もある。
嫌なら別れればいいのだ。
耐えられなければ去ればよいのだ。
それが出来ぬのは、
そりゃ様々事情はあろうとも、
結局は大人の男女の決断なのだ。
大体好き合う男女は、
互いに身の丈に合っているものだ。
そういう意味で、
くっついている間は「お互い様」なのである。
などとほざいてるぼくも、
かなりの身勝手男であるな。
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