2011年2月19日土曜日

質問

今日ペンギンさんと話していて思い出したのだが、
若い頃のぼくは議論好きで、
何かにつけては酒を飲み、
友人と議論しあっていた。

今でいうディベートみたいなこと。

でも、
同窓会の折などに、
同じような調子で議論を吹っ掛けて、
相手の女の子に引かれちゃった苦い経験がある。

こちらはいつもの調子で、
ゲーム感覚で掛け合いしていたつもりが、
相手には、
糾弾とまではいかずとも、
何やら問い詰められているように思われようだ。

世の中、
理屈でわからないことなどないなんて、
無邪気に信じていた馬鹿なころの話だ。

議論っていったって、
所詮は自分の考えを納得させる、
いや押しつけていただけだった。

「なんで?なんで?」って子どものような問いを繰り返し、
相手を追い詰めては、
言い負かしたと得意になってた。

質問することの、
何たるかも知らぬ阿呆だった。

よい質問には答えが半分隠されている。

敬愛する作家開高健の言葉だ。

でも馬鹿で阿呆のぼくには、
その意味がよく分からなかった。

今だからこう思う。

質問とはつまり、
同じことを自分にも問うことだ。

だから、
開高のいう「よい質問」というのは、
それについて考えを深め、
質問者自らも成長できる質問っていう意味だと思う。

そしてさらに思うのは、
質問というのは、
哲学であれ、
世界情勢であれ、
機械の操作であれ、
ペットの飼い方であれ、
ともあれ何かを知りたいという情熱と同義だ。

だから、
情熱のない質問は、
仮に答えが得られたとしても無意味だ。

話しはそれるけど、
よく「それはよい質問だ」など嬉しそうな偉い人がいるが、
あれは単に、
その人にとって「都合がよい」質問である場合が多いから、
注意が必要だ。

いや今日は、
質問について考えたよ。

質問とは、、、

自分が何を知らないかを知り、
それを知りたいと思う情熱。。。

つまり、
相手を知るということは、
自分を知るということなのだ。

●ペンギンさんが開高健「輝ける闇」(新潮文庫)を読んでくれている。それは、とっても嬉しいことなんですよ。特別な意味で。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...