2011年2月21日月曜日

訃報

人生最悪の出来事があったからこそ、
素敵な人との出会いもあった、
と書いた矢先、
そのうちのお一人が亡くなられた。

その方は、
ぼくが末席にいる、
とある会の古参会員で、
会の精神的支柱ともいえる存在だった。

親父と同じぐらいの年齢にもかかわらず、
居丈夫で声が大きく、
出身地の広島なまりが交じった関西弁で、
人生経験やご家族との触れあいについて、
お会いするたびに話しておられた。

奥様も、
御主人に負けぬ大きな声の話好きな方で、
とっても世話好きな「おばちゃん」で、
いつもユーモアたっぷりに、
夫婦喧嘩の話などをされていた。

ここ数か月ほど、
入退院を繰り返しておられたようで、
昨年末にお見かけしたのが最期になってしまった。

かなり弱っておられるようだったけど、
まさかこんなに早くお亡くなりになるとは思わなかった。

「まさかこんなに」

よく慣用句的に使われる言葉だけど、
今回は本当にそう思っている。

どんなに聞かされていようと、
あの方が亡くなるということが、
にわかに信じがたい。

だから、
メールで訃報を受け取ったものの、
仕事中はあまりピンとこなかったのだけど、
帰宅してからだんだんと、
ありし日の姿や声が思い出されて仕方がない。

いつも会の中心にいて、
ぼくら末席を含め、
会全体の雰囲気を温めていた。

天上からも、
「がんばりんさい」と、
励まし続けてくださるだろうか。

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