2012年2月9日木曜日

辞書

ろんぐろんぐたいむあごー。

ぼくが幼い頃、
親父が使っていた机の引き出しを何気に開けたら、
校閲の通信教育の答案が出てきて驚いた。

親父が何故校閲の勉強をしていたのか、
聞いたか聞かなかったかすら覚えていないけど、
親父が言葉に興味がある人だったことは確かだ。

その頃親父が使っていた辞書が広辞苑だった。

今ウィキってみたところ、
たぶんそれは第二版だったと思うのだけれど、
幼いぼくには書物というより、
何やら摩訶不思議な重い物体にしか思えなかった。

実際ぼくにとって広辞苑は、
押し花を作る時ぐらいにしか利用しなかった。

大体、
辞書といったものに興味を持ったことなどなかった。

「辞書を読むのが趣味です」っていう人がたまにいるけど、
「時刻表を読むのが趣味」っていうのと同じぐらい、
ぼくには意味不明な行為に映った。

前フリが長くなったけど、
「舟を編む」(三浦しをん著、光文社)は、
大渡海という辞書作りに没頭する人たちが主人公だ。

書評やタイトルから、
もっとしっとりした小説かと思ったけど、
意外なほどライトな読み心地で、
思わず笑う場面あり、
泣かせる台詞ありでなかなか楽しめた。

惜しむらくは、
本作品が連載をまとめたものだったこと。
連載では必要だったのだろうが、
一冊になると、
状況説明の繰り返しが気になった。

あと、
人物造形は巧みなんだけど、
割に「ありがち」な点。

これほど「美味しい」ネタなんだから、
一冊にする時に大幅に加筆修正して、
完成度を上げればよかったのに。

個人的興味としては、
このネタで井上ひさしが書いていたら、
もっと面白くなったのではと、、、

それは余計なお世話として、
辞書作りというものが、
いかに手間ひまかかるかということが、
この小説でよくわかった。

語彙の採取から始まって、
紙作りから校正に装丁そして販売まで、
中型辞書一冊のために十数年をかけ、
出版されるや否や改訂作業に入り、
それがまた十数年かかる。

その繰り返し。

結局辞書作りに「完成」はなく、
絶え間なく変化する言葉とともに、
辞書も変化し続けなければならない。

「人生をかける」といって差し支えない、
途方もない労力と、
それでも決して完成しないという事実の切なさ。

そこがいいなぁと思った次第。

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