ろんぐろんぐたいむあごー。
ぼくが幼い頃、
親父が使っていた机の引き出しを何気に開けたら、
校閲の通信教育の答案が出てきて驚いた。
親父が何故校閲の勉強をしていたのか、
聞いたか聞かなかったかすら覚えていないけど、
親父が言葉に興味がある人だったことは確かだ。
その頃親父が使っていた辞書が広辞苑だった。
今ウィキってみたところ、
たぶんそれは第二版だったと思うのだけれど、
幼いぼくには書物というより、
何やら摩訶不思議な重い物体にしか思えなかった。
実際ぼくにとって広辞苑は、
押し花を作る時ぐらいにしか利用しなかった。
大体、
辞書といったものに興味を持ったことなどなかった。
「辞書を読むのが趣味です」っていう人がたまにいるけど、
「時刻表を読むのが趣味」っていうのと同じぐらい、
ぼくには意味不明な行為に映った。
前フリが長くなったけど、
「舟を編む」(三浦しをん著、光文社)は、
大渡海という辞書作りに没頭する人たちが主人公だ。
書評やタイトルから、
もっとしっとりした小説かと思ったけど、
意外なほどライトな読み心地で、
思わず笑う場面あり、
泣かせる台詞ありでなかなか楽しめた。
惜しむらくは、
本作品が連載をまとめたものだったこと。
連載では必要だったのだろうが、
一冊になると、
状況説明の繰り返しが気になった。
あと、
人物造形は巧みなんだけど、
割に「ありがち」な点。
これほど「美味しい」ネタなんだから、
一冊にする時に大幅に加筆修正して、
完成度を上げればよかったのに。
個人的興味としては、
このネタで井上ひさしが書いていたら、
もっと面白くなったのではと、、、
それは余計なお世話として、
辞書作りというものが、
いかに手間ひまかかるかということが、
この小説でよくわかった。
語彙の採取から始まって、
紙作りから校正に装丁そして販売まで、
中型辞書一冊のために十数年をかけ、
出版されるや否や改訂作業に入り、
それがまた十数年かかる。
その繰り返し。
結局辞書作りに「完成」はなく、
絶え間なく変化する言葉とともに、
辞書も変化し続けなければならない。
「人生をかける」といって差し支えない、
途方もない労力と、
それでも決して完成しないという事実の切なさ。
そこがいいなぁと思った次第。
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