先日のライブでは初めての試みとして、
スタンドマイクとともに譜面台を利用した。
おぼえているか自信がなかったので、
歌詞を置いていたのだけど、
結局ほとんど見ることはなかった。
でも、
「そこにある」というだけで得られる安心感は、
結構な威力ではあった。
しかし、
たとえば全曲ずっと、
カラオケ歌うみたいにして、
歌詞を見ながら歌っていたら、
お客さんはどう思っただろうか?
その曲を歌いこんでいないって、
普通は思うよね。
実際、
本当に歌いこんでいるならば、
英語の曲といえどほぼ歌詞は覚えてしまうものである。
ここからが本題なのだが、
人間の頭脳は、
どんどん記憶の苦労から解放されつつある。
何かが思い出せなくても、
ネットを調べれば、
ほとんど大抵わかる。
しかも今は、
携帯電話でそれができちゃうのだから、
人間はほとんど自分の脳で覚えなくても、
ネットという外部記憶に託すことができる。
でもそれって、
歌詞カードを見ながら歌う行為に似てはいないか?
分からないことを調べるという態度は、
分からないまま放置するよりはるかに大事なことだ。
でも、
自分の脳ではなくてネットに記憶を託すということは、
イメージとして電車が浮かぶ。
ネットもビデオもテレコも写真もない時代。
あるいはずっとさかのぼって、
紙や印刷や、
そもそも文字さえなかった時代。
昔の人の方が、
現代人よりはるかに多くの事柄を記憶していただろう。
人の精神において記憶というものは、
非常に重要な地位を占めていると思うけど、
記憶量が少なくなるっていうことは、
人の精神にどういう影響を及ぼしているのだろうか?
わからなければネットで調べて、
その場だけ問題を解消して、
でもすぐに忘れてしまう現代。
記憶が少なくて済むということは、
便利なようで単に、
人間が薄っぺらになるだけではあるまいか。
歌詞を覚えず歌う歌手のように、、、
●天皇が心臓手術。天皇の心臓にメスを入れる。結構すごいことだよなぁって思う世代はぼくぐらいまでかなぁ?
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