2012年2月19日日曜日

歌詞

先日のライブでは初めての試みとして、
スタンドマイクとともに譜面台を利用した。

おぼえているか自信がなかったので、
歌詞を置いていたのだけど、
結局ほとんど見ることはなかった。

でも、
「そこにある」というだけで得られる安心感は、
結構な威力ではあった。

しかし、
たとえば全曲ずっと、
カラオケ歌うみたいにして、
歌詞を見ながら歌っていたら、
お客さんはどう思っただろうか?

その曲を歌いこんでいないって、
普通は思うよね。

実際、
本当に歌いこんでいるならば、
英語の曲といえどほぼ歌詞は覚えてしまうものである。

ここからが本題なのだが、
人間の頭脳は、
どんどん記憶の苦労から解放されつつある。

何かが思い出せなくても、
ネットを調べれば、
ほとんど大抵わかる。

しかも今は、
携帯電話でそれができちゃうのだから、
人間はほとんど自分の脳で覚えなくても、
ネットという外部記憶に託すことができる。

でもそれって、
歌詞カードを見ながら歌う行為に似てはいないか?

分からないことを調べるという態度は、
分からないまま放置するよりはるかに大事なことだ。

でも、
自分の脳ではなくてネットに記憶を託すということは、
イメージとして電車が浮かぶ。

ネットもビデオもテレコも写真もない時代。

あるいはずっとさかのぼって、
紙や印刷や、
そもそも文字さえなかった時代。

昔の人の方が、
現代人よりはるかに多くの事柄を記憶していただろう。

人の精神において記憶というものは、
非常に重要な地位を占めていると思うけど、
記憶量が少なくなるっていうことは、
人の精神にどういう影響を及ぼしているのだろうか?

わからなければネットで調べて、
その場だけ問題を解消して、
でもすぐに忘れてしまう現代。

記憶が少なくて済むということは、
便利なようで単に、
人間が薄っぺらになるだけではあるまいか。

歌詞を覚えず歌う歌手のように、、、


●天皇が心臓手術。天皇の心臓にメスを入れる。結構すごいことだよなぁって思う世代はぼくぐらいまでかなぁ?

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