2012年5月27日日曜日

説法

ご無沙汰だったNHK「未解決事件」、
第二弾はオウム真理教事件だった。

教団発足直後から地下鉄サリンに至るまでに、
麻原彰晃が行った説法を記録した、
実に700本ものテープを独自入手、
最古参の信者にも接触して、
この歴史的カルト教団がどのように生まれ、
巨大化したのかを生々しく伝えている。

修行中の信者が事故死し、
それを隠蔽したのが、
その後の数々の事件の原点であるという指摘は、
なるほどと思った。

組織内での不祥事もみ消しと構図が非常に似ていると。

一度隠すと、
隠したことがバレないようにするため、
また新たに何かを隠す。

秘密を共有することで、
知性も教養もある最高幹部らを、
こうやって抜き差しならない状況に追いつめて行ったわけだな。

視点はズレるけど、
大きな事件があるたびに、
裁判で真相は明らかにならなかったとか、
真実は依然闇の中だとかいうけれど、
これはもう、
「分かる人には分かる」としか言いようがないのだろうと思う。

あの時あの状況の信者にとっては、
そのような考えは思い浮かばなかった、
みたいに語る元信者の証言は本心だろうし、
それが分からない人には何をどう説明しても、
理解することはできない。

突き詰めれば、
それは、
人は他人を完全に理解できないのと似ている。

犯罪者の心理が理解できないというが、
普通に暮らしている人同士でも、
実は同じ事ではなかろうか?

もっと言えば、
戦争に突き進んだ日本軍や、
ユダヤ人を虐殺したナチス、
地震列島に原発を50基も作った日本、
そういうのだって、
当時の人の心理を理解するのは難しい。

ぼくが学生の時、
もしオウムに出会っていたら、
入ってたかもしれないし、
今ごろ塀の中にいたかもしれない。

確か大学の生協に、
麻原が「空中浮遊」する写真が表紙の本があったような記憶がある。

「胡散臭いな」と思っただけだったけど、
あの時、
ちょっとした好奇心で買って読んでいたら、、、

いやマジで、
その可能性はあったと思うわ。

●日曜日の第二夜には、何とあの上祐が出てくるらしい。



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