2008年8月31日日曜日

結末

小説や映画で、
途中は鮮明に憶えているのに、
結末が思い出せない作品がある。

連載漫画や連ドラでは特に多くて、
要するに途中で飽きて最後まで読んで(見て)ないのだ。

しかしながら、
浦沢直樹の「20世紀少年」は、
ビックコミックスピリッツに連載時から、
欠かさず読んでいたはずなのに、
ラストが思い出せなかった。

この漫画は、
ぼくとほぼ同じ世代の少年時代から始まり、
1970年の大阪万博が大きな役割を担う。
確かにぼくらにとって、
アポロの月着陸と双壁をなす、
血沸き肉踊る、
一大スペクタクルだった。

主人公ケンヂらの空想した、
地球を揺るがす大事件が、
その後現実のものとなり、
解決のために、
元少年たちが奮闘するという、
冒険ものだ。

犯人はだれなのかが最大の謎で、
もぉいい加減にしろっていうくらい、
正体がじらされる。

数か月前、
ブックオフで全22巻を安売りしていたので、
思い切って買って読んで見たら、
あらら、
それでも分からずじまい。
どうりで結末を憶えていないはずだ。

映画公開を機に、
紀伊国屋で全巻が平積みされていたので、
おぉと思ったら、
隣に「21世紀少年」上下巻があった。
これはまだ読んでなかった。
ははは、
下巻の最後の最後で、
ようやく正体がわかった。

それにしても、
連載足かけ8年。
子供時代と大人時代が、
入り組んで、
登場人物もいっぱいいて、
話を広げるだけ広げて、
ぐちゃぐちゃに絡ませた挙句、
最後は作者もどう決着つけたらいいか、
分からなくなってしまったのじゃないかしらん。

結局のところ、
主人公たちは、
少年時代のサビの部分しか思い出せなかったのが、
次第にイントロやエンディングまで想い出していくという行為と、
物語の進行がシンクロしていて、
みんなが忘れていた事を、
ただ一人覚えていた人物が、
いたってことなんだ。

その人物が逆に、
誰からも忘れられていたという、
皮肉な話だ。


●映画の配役はなかなかいいんじゃないかと思う。3部作になるらしい。そりゃ2時間ほどで、この入り組み様を表現するのは無理だ●24時間テレビをやっている。初回の司会は、大橋巨泉と黒柳徹子だった、ですよね?

2008年8月30日土曜日

邦画

再生専用とはいえ、
DVDデッキが5000円もしないで買えるなんて!
ぼくの部屋のステレオの調子が悪く、
このPCでしか見れないのも辛いので、
居間に設置した。
薄型ではないけど、
すこし大きめのTVがあるのだ。

そこでぼくにしては珍しく、
邦画「チームバチスタの栄光」というのを借りた。

心臓のバチスタ手術を話の軸に、
手術室で行われる殺人事件を解決する、
厚労省の役人と心療内科医師コンビという設定。

内容は面白いんだけど、
主要どころの配役に少々疑問を持った。
作品の凄味や意外性、
不気味さが上手く出ていない感じがする。

じゃあ誰だったらいいのか、
代案を考えてみようっと。

役人役の阿部寛はトリックの乗りで快調。
この人はぼくの記憶では、
同じモデル出身の風間トオルの後を追うように、
役者デビューしたのではなかったか。

風間トオルはこじんまりとまとまってしまったけど、
阿部寛はその長身さながら、
スケールがどんどんでかくなっている。

とはいえ、
借りるほどの作品ではなかったかも。。。

●NHKのPCメンテの番組につられ、外付けHDドライブを買った。もうギガじゃなくてテラの時代なんだ。ヨドバシPCコーナーのぼくは、東京にタイムスリップした江戸町民といったところ。ハンパじゃなく意味がわからない●「ips細胞」(八代嘉美著、平凡社新書)も、一読しただけではどうにも。。。20世紀は核の時代で、21世紀は細胞の核の時代というのは、確かにそうだな。

2008年8月29日金曜日

大人

「スカイ・クロラ」のことが、
ずっと引っ掛かっている。
森博嗣の原作を読んだせいもあるだろう。

王義之の件もそうだけど、
最近、
いろんなことが実は繋がっていて驚く。
「冒険者たち」で複葉機が出てきたことも、
無関係ではあるまい。

英語では「The Sky Crawlers」だ。
Crawlerには「はいはいしかできない赤ん坊」という意味がある。
この映画の主役は、
「キルドレ」と呼ばれる、
大人になることを拒否した子供だ。

20歳で成人するということと、
大人になるということは違う。
成人なんて、
法的取り決めにすぎない。
もちろん、
親になるということとも違う。
定職に就くことや、
結婚することでもなかろう。

人それぞれ、
大人観があると思うけど、
ぼくにとっては、
20歳は子供の終わりで、
大人の始まりという感覚だ。
つまり大人0歳だ。

ぼくの中には20歳の子供と、
20歳そこそこの大人が、
共存している。

大人というのは、
ひとつの価値観にすぎないのかもしれない。



●大学4年になるめいのバスケットボールの観戦で、京都に行き、帰りに大阪・ミスター・ケリーズでたなかりかさんのライブを拝見。アトランタ在住のピアニスト宮本貴奈さんとのデュオだった。彼女はバックが少ないことが多い。力があるんだよぉ。

2008年8月28日木曜日

夢を追う

凱旋門の屋上に登ったことがある。
その時、
真っ先によぎったのが、
複葉機を操縦するアラン・ドロンに向かって、
手を振るリノ・バンチュラの姿だった。

昨日、
たまたまBSをつけたら、
「冒険者たち」(ロベルト・アンリコ監督)に出くわした。

ぼくが3歳の時の映画で、
小学生の時、
テレビで初めて見た。
レティシアっていうヒロインを〝埋葬〟するシーンで、
涙があふれて、
しばらく頭からはなれず、
鉛筆で場面の絵まで描いた記憶がある。

ぼくはDVDまで持っているにもかかわらず、
そのままつけっぱなしにしていた。

空と陸と海に、
ロマンを求める若者3人の物語。
青春映画っていえるのかどうかわからないが、
ストーリー自体は今の時点からだと単純そのもの。

でも、
「こんな風に生きたい」って、
子供心に感じた強烈な印象は、
まだ、
ぼくの中でくすぶり続けていると思う。

それにしても、
ドロンの格好よさ。
バンチュラの味。
たまらんねぇ。

ラストに出てくる要塞島(ボワイヤー砦)。
死ぬまでに絶対行くぞ。








●「ダーク・ナイト」がバットマンだということは知っていたけど、「DARK NIGHT」とばかり思っていた。騎士とはね。ジョーカー役のヒース・レジャーは、ブラック・レインの松田優作みたいに一世一代の怪演だったんだろうな。魅力たっぷりの一本●東京カワイイTVというNHKの番組が結構好きだ。今日は、メンズ雑誌のモデル「メンモ」というのを特集していた。23歳の売れっ子君は、自分のブランドも立ち上げて、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。その彼は「リスクを避けるの臆病なだけ」というようなことを言っていた。イケメン君に教えられた。

2008年8月27日水曜日

漢字

王義之の番組など、
なんで見たのか。

自分でも不思議な気がしたが、
答えは簡単だった。

攻殻機動隊とイノセンスだ。

押井守監督のこの2作、
近未来のある国が舞台だが、
描き出される街並みは香港そのもの。
つまり、
至る所に漢字が出てくるのだ。

宮崎駿とは別の意味で、
日本アニメを世界規模で有名にした2作品だが、
見てみるとなるほど面白い。

テーマの一つは、
ロボットに人間と同じ意味での「私」はあるのか、
ということだと思う。

人体のパーツを機械化したサイボーグや、
記憶の部分的に外部記録して、
ネット上を行き交う世界が、
非常なリアリティをもって描かれる。

そのように、
脳内の情報がある程度共有される次元において、
人間でさえ確固たる「私」はないのではないか。

するとロボットと人間の差は何なのか。

こういうことを突き付けていると、
ぼくは感じる。

いわゆる思考、
それも人間レベルでの複雑な思考さえ、
ぼくはコンピュータに可能だと予想している。

ただし、
ロボットと人間の決定的な違いは、
「感じる」ことができるか否かで、
その一点でコンピューターに「意識」は存在しえないのではないか。

痛い、
痒い、
寒い、
怖い、
寂しい、
気味悪い、
嬉しい、
むかつく。。。

そういった言葉では正確に表せぬ無限の「感じ」。
無数にセンサーを用意しても、
測定はできても、
感じることはできまい。

ぼくたちの思考は、
実はこういう「感じ」に基礎があって、
その感じを言葉などで説明したものが、
いわゆる意識といえるのではないか。

この成り立ちは、
どんなに精緻なプログラムを組んでも、
結局、
まがいものにしかなるまい。

王義之の「蘭亭序」の価値とは、
言葉=思考の背後にある、
まさに人間の感じ(漢字)を、
生々しく定着したものである点ではないか。

なるほど、
字は人なり、
ということか。

私と一緒にきてください
輝く海を超えてあの国へ
私たちが見知った世界を
遥かに超えたところで
夢の世界より遥か彼方で

これまでに味わったどんな喜びより
遥か彼方で待っているのです

私と一緒にきてください
愛するものにしか見えないこの道を
楽しい夜の年月の彼方に
涙を、そして私たちが無駄にした
年月を超えて
光の中へと続いている道です

私と一緒にきてください
この山の奥の彼方の国へ
いつも心に抱いていた音楽の全てが
空を満たしています

沈黙の歪みの中で歌えば
心は解放されます
そうしている間にも世界は回り続け
そして落ちて行きます



●じゃず家セッション。久々だったけど大繁盛で、2曲しか歌えなかったが、出来は(自己)満足でした。

2008年8月26日火曜日

傑作

中国の書家・王義之の「蘭亭序」が、
書の最高傑作である、
ということなど、
ちっとも知らなかったぼくは、
その理由を探った「新日曜美術館」に見入った。













そもそも書の良し悪しなど分からないのだが、
この「蘭亭序」はぐちゃっと消したところや、
上から書き直したところがあり、
どうしてこれが最高峰なの?
と思わせるに十分だ。

道理でこれは、
下書きなのだそうで、
しかも、
本物ではなく、
模写(模書?)というから、
いよいよ有難味が薄い。

ところが番組を見ていくうちに、
なるほどそういうことかと、
徐々に引き込まれるから不思議だ。

ぼくなりの理解では、
蘭亭序のすごさは、
書かれている内容の変化と、
その文字の形状、
間合いの変化が絶妙にシンクロしていて、
しかも全体として見たときの絵画的バランスという面でも最高という、
二重三重の要素が絡み合っている点にある。

王義之本人が清書しようとしたが、
結局、
あらゆる意味でこの下書きを超えられなかったとされ、
無意識が生んだ奇跡性もまた、
伝説の価値を高めている。

そして何よりも、
この書こそが、
ぼくたちが使っている漢字の原点、
つまり数学でいう1+1=2であるということだ。

これが原点なのだから、
これを超えることはできない。
論理的にみても絶対不可侵ということなのだ。

はぁー。
知らない事を知るってのは、
本当に楽しい。


●会社到着直前で、今日の仕事がなくなり、そういうことならと、ジャズライブを2軒はしごした。1軒目はトマトジュース1杯で3800円。2件目はトニックウォーター1杯で600円。演奏の中身は料金の全く逆。ま、差し引きトントンか。●女子ソフトの熱闘をNHKが特集していた。さすがに素早い。

2008年8月25日月曜日

あの時代を忘れない

人の記憶で最も強いのは、
匂いだったはずだけど、
ぼくにとっては、
音楽だ。

「勝手にシンドバッド」を初めて聞いたのは、
ザ・ベストテンの今週のスポットライトだった。

「C調言葉にご用心」は、
ラジオの深夜放送で聞きながら、
勉強していた情景も思い出す。

東京で一人暮らしを始めたころの思い出は、
「ミス・ブランニューデイ」とともにある。

仕事を始め、
地方勤務をしていたころのある年は、
「真夏の果実」抜きに語れない。

そして「TUNAMI」。。。

サザンには30年間、
本当にお世話になった。
ぼくの青春に、
ずっと彼らの音楽があったことを、
誇りに思う。

横浜での今夜のライブ。
WOWWOWでは見れなかったけど、
ダイジェスト版はテレビにかじりついて見た。

10年ほど前に甲子園球場でただ一度見た彼らの演奏は、
とにかく興奮しまくって終わったけど、
今日は派手な曲でもしみじみ聞き入ってしまった。

最後の一曲。
ぼくの一番好きな歌。



Ya Ya ~あの時代を忘れない~

胸に残る いとしい人よ
飲み明かしてた なつかしい時 Oh,Oh

秋が恋をせつなくすれば
ひとり身のキャンパス 涙のチャペル


ああ、もうあの頃のことは夢の中エへ
知らぬ間に遠く Years go by

Sugar, sugar, ya ya, petit choux
美しすぎるほど
Pleasure, Pleasure, la la, voulez vous
忘られぬ日々よ


互いに Guitay 鳴らすだけで
わかり合えてた 奴もいたよ Oh, Oh, Oh
目に浮かぶのは Better days

とびきりステキな恋などもしたと思う
帰らぬ思い出 Time goes by

Sugar, Sugar, ya ya, petit choux
もう一度だけ逢えたら
Pleasure, Pleasure, la la, voulez vous
いつの日にかまだ

Sugar, Sugar, ya ya, petit choux
美しすぎるほど
Pleasure, Pleasure, la la, voulez vous
忘られぬ日々よ

忘られぬ日々よ


●13億人を抱える国の威信をかけた国威発揚五輪。多くの記録、記憶とともに壮大な宴が終った。夜の長さが元に戻るだろう。

2008年8月24日日曜日

実戦

夜、
最寄駅に着くと、
ポツポツ雨が。

TUTAYAに寄って、
「大いなる陰謀」と、
「イノセンス」を借り、
店を出ると、
もう大雨になっていた。

よしきた風速60メートルでも大丈夫な傘の出番だ。

リュックから取り出し、
心の中で「シャキーン」と言いながら、
広げる。
ひし形をいびつにしたようで、
昼間なら目立つだろうが、
今なら気づくのは、
客待ちのタクシーの運ちゃんぐらいだろう。

左手でさしながら、
自転車をこぎ始める。
ひし形の長い方がリュックを覆う感じで、
なかなかよろしい。

雨はどんどん強くなり、
あちこちで稲光。
音楽で聞こえなかったけど、
きっと雷鳴も轟いていたはずだ。

あと4分。
強さを増す雨。

あと3分。
風も強くなってきた。

2分。
しゃれにならない。

1分。
あの角を曲がれば家だ。

到着。

すごい威力だ。
空力を計算した形のおかげで、
傘の抵抗も少なく、
ビニール傘よりも、
さすのが楽だった。
折り畳のもろさも微塵も感じなかった。




ずぶ濡れになっただけだ。


●「スカイ・クロラ」の原作を読み、その勢いで押井守監督の代表作「攻殻機動隊」をアマゾンで購入。「イノセンス」も押井監督作品だ。ずいぶん前のアニメだけど、ぼくには十分刺激的●「大いなる陰謀」。大いなるキャスティングと大いなる良心と大きすぎる邦題。

2008年8月22日金曜日

金字塔

北京五輪の大詰めで、
こんな感動が待っていようとは。

ぼくにとって、
4×100メートルリレーといえば、
100メートルのトップ選手を多く抱えるアメリカが、
優勝するのが当然で、
焦点は世界記録が出るか否かだった。

100の決勝にすら一人も進めない日本が、
銅メダルを獲得したことは、
ぼくの、
この競技に対する認識が全く間違っていたことを思い知らしてくれた。

積み上げたバトンパス技術で個々人の能力差を埋め、
力を出し切り、
「奇跡」は起きた。

これほど輝く銅はない。


●上野が、アテネから4年で成長した点はと問われ「自分を信じられるようになった」と答えていた●人間はアフリカが起源だというが、超人の起源も黒人なのかも。ボルトを見ているとそう思う●星野Jを打ち負かした巨人の李に立腹していたが、リレーを見て、どうでもよくなった。

成就

五輪ソフトボールを強く意識したのは、
2000年シドニーだったと思う。

日本は銀だったのだが、
確か当時無敵だったアメリカを、
予選リーグだかで破ったことがまずニュースで、
全勝で臨んだ決勝で再戦し、
唯一の敗戦を喫した。

勝率では1位だった訳で、
ページ方式という、
ソフト独特のトーナメントの不思議さに首をひねった。

今回はその逆の展開だった。
だから、
この金メダルは、
長年のソフト関係者、
そしてぼくのような4年に1度のソフトファンにとっても、
胸のつかえがとれた快挙だった。

解説席で涙声の宇津木妙子・前監督、
表彰台で見せた上野らの、
これ以上ない笑顔。

世界的には、
ボルトとイシンバエワのための北京五輪。
だが、
日本にとっては、
この試合が白眉。

どれほど重い「金」かと思う。


●雑誌で興味をもっていた、風速60メートルでも壊れない折り畳み傘の実物がBEAMSにあったので衝動買い。これで台風もへっちゃらだ。

2008年8月21日木曜日

318球

アメリカ戦の再放送かと思ったら、
相手はオーストラリア。

この日2試合目とは知らなかった。
しかもマウンドには、
再びエース上野が立っている。

「負けられない一戦」

最近安売り気味のフレーズだが、
悲願の「金」にたどりつくためには、
もう落とせない。

二番手以降の投手がピリッとしない中、
頼るのはこの人しかいない。

ぼくが見始めたのは、
5回表の豪の攻撃から。
直前に日本が逆転したものの、
リードは1点。

7回2死。
非力に見えるワイバーガーの、
同点ホームランで、
こりゃ負けたと思った。

延長に入っても、
上野が投げ続ける。
チグハグな攻撃が続いた末に、
ついに豪に1点を取られ、
万事休すと思ったら、
その裏、
追い付く。

夢中で見ていたら、
2時間以上、
テレビの前に釘付けになっていた。

剛腕、
鉄腕、
快腕。。。

どんな言葉もかなわないほど、
上野は凄かった。

ただ、
1日2戦、
いずれも延長を投げ切った代償は、
決して小さくはない。


●解説の宇津木妙子・前監督。途中から解説は悲鳴と絶叫に。ほかの競技でもあるんだけど、こういう時に、競技者にとっての五輪の重さを感じる●ボルト。今度は最後まで真剣に走ってたのが印象的。

2008年8月20日水曜日

夏の終わり

甲子園が閉幕し、
ここらへんでも、
赤とんぼが飛んでいる。

秋の気配だ。

ここ数日は、
日中でさえエアコンを止めることすらある。
7月が暑くて、
初回にダウンさせられたボクサーみたいに、
グロッキー状態で闘って、
気がついたら最終ラウンドだった、
という感じ。

今になって、
去年の夏は本当に暑かったと思う。

盆を過ぎてなお、
太陽はギラギラ照りつけ、
町が燃え上がっていたような気がする。
太陽の角度がそんなに変わるはずないのだが、
そういう印象がある。

甲子園の開会式で球児が倒れたり、
優勝した佐賀北の監督までが体調を崩して、
首の後ろに保冷剤を当てて采配をふるっていたりした。
いまのぼくのスタイルは、
これを参考にしている。

確か7月の気温は大したことなくて、
クーラーが売れないとか、
早くも秋物商戦だとか言っていたら、
8月に入って遅れた猛暑が襲ってきた。

そういえば、
今年は台風が来てないな。

何事も帳尻が合うのなら、
これから次々やって来るのだろうか。


●飛び込みの魅力は、ぼくにとっては入水だ。あんな高さから落下して、これぐらい水しぶきが上がるはず、と反射的に思う頭を裏切ってシュボッと消える。あの、「逆のそう快感」がいい。技が何であれ、入水がきれいなら、ぼくはいい。

2008年8月19日火曜日

切羽へ

「切羽へ」(井上荒野著、新潮社)を読むまで、
ぼくは「きりは」という、
この言葉を知らなかった。

物語は、
小さな島に画家の夫と暮らす小学校の養護教諭が主人公だ。
春、
新任の男性教諭が赴任してからの、
夫婦や島の人々の一年を、
ひと月一章で描く。

島に生まれ、
島に生きる心模様。

直木賞を受賞したのは知っていたけど、
この手の本を、
ぼくはあまり読まない。
思わず本屋で手が出たのは、
ひとえにこの「切羽」という言葉に魅かれたからだ。

女性心理の描写はさすがにうまい。
というか、
ぼくには「へぇそんなものか」と感心ばかりさせられた。

逆に男性については、
あくまで女性の視点からの描写にとどまり、
無理をしていない。
それは好ましいことだと思った。

「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」

どんなに平穏な日常の連続でも、
何がしかの始まりと終わりが間断なくあって、
そこにはあまたの切羽が生まれ、
消える。

人の心の切羽か。

なくなっても、
あったことは記憶に残る。

時には一生。



●なでしこ。なでしこー。3点目と4点目がなぁ。もうちょっと背が高ければなぁ。いやいや。あと1試合、応援しよう●イシンバエワ。1センチ刻みは続く。。。

2008年8月17日日曜日

規格外

より速く、
より高く、
より遠く。

ミリや秒で結果が出る競技はいいな。

より美しく、
より強く。

採点や相手がある競技は難しいな。

そんな事を改めて考えていたら、
鳥の巣を稲妻が走った。

9秒69。
世界記録以上に衝撃だったのは、
ジャマイカのウサイン・ボルトという21歳の男が、
100メートルをゴールする前に、
両手を広げてから、
左胸(おそらく心臓のあたり)を叩いたシーンではなかったか。

「悠々と急げ」という、
ぼくの好きな言葉がある。

ボルトの走りはその具現だ。

それにしても、
彼は本当に人間か?


●いよいよ佳境の北京五輪。またの名を偽装五輪。白熱する競技が積み重なれば重なるほど、その愚かしさが際立ってくる●道具は表現を規定する。毛筆を手に、ゴッホのような油絵は描けないし、彫刻刀で阿吽像は彫れない。ぼくの声はどんな歌を表現したがっているのだろう。

2008年8月16日土曜日

枠の中

宝くじは買わねば当たらぬ。

サッカーのシュートは打たねば入らぬ。

確かにそうだ。

とはいうものの、
宝くじは買えども買えども当たらないし、
日本代表のシュートは打っても打っても枠の外。

そんなものさと思っていたら、
五輪女子サッカーで、
これほど溜飲を下げるとは。

なでしこお見事。
前半のヘッド鮮やか。
それ以上に、
後半の2点目には恐れ入りました。

ゴール前で中国選手と競り合って、
こぼれたボールに駆け寄る。
そこまではよくあることだが、
そのあと振りぬいたシュートは、、
飛び出してきたキーパーの脇の下を抜きゴール隅へ。
ここしかないという、
実に鮮やかなピンポイントゴールを、
日本の女子選手が見せるとは思わなかった。

「絶対絶命」とまで言われたところからの、
ノルウェー撃破に続く快勝。
すでに歴史的大健闘だけど、
あと2試合のうちひとつ勝てば、
メダルに届く。

日本代表(もちろん男子)の試合で、
ここ一番のシュートが大きくはずれるたびに、
「とりあえず枠の中に蹴れよ」
とぼやいていた生前の父に、
見せてやりたい試合だった。


●「反町J」もはや死語●逆瀬川「バックステージ」でサックス・遠藤真理子さんのライブ。40人ほど入る店が超満員で、遅れて行ったぼくは最初立ち見。いやぁ人気あるんだー。

2008年8月15日金曜日

光と影

夏の甲子園で優勝するということは、
予選から含めて全勝するということだ。

当たり前なんだけど、
見方を変えれば、
それはつまり、
ある年の夏、
日本中でたった一校、
敗戦を味あわなかったということでもある。

およそ4000の他の出場校は等しく、
ひとつの「負け」をもってその夏を終える。

人生勝ち続けることなんてできやしないから、
人は敗者に己を重ね、
ドラマを感じ、
時に泣けてくるのだが、
栄冠を手にするということは、
一切の影をまとわない、
たった一つの太陽になるということだ。

太陽にドラマはいらない。
敗者の汗も涙も全部蒸発させて、
ただ、
燦然と存在すればいい。

人生連戦連敗のぼくなど、
とても正視できない輝き。
それでも目を細め、
サングラスをかけてでも、
仰ぎ見るまぶしさがあってこそ、
影は影なりに濃度を増す。


●ふいに仕事が休みになったので、ちょっとだけ髪を切った。

2008年8月14日木曜日

囲碁

碁盤の裏に、
彫り込んだ窪みがある。

こどものころ、
それにまつわる恐ろしい話を聞いた。
ネットで調べてみたら、

「昔、碁の勝負に横から口出しをする事は厳禁とされ、それを犯した者は即刻首を刎ねられた。首は裏返した碁盤の上に置かれ晒されることになっていた。窪みはその血を溜めておくために、いわゆる血だまりとして作られた・・・」

という記述に出会った。

まさにその話だった。。。


わが家には父の形見の碁盤がある。
母が嫁入り道具として持ってきたらしい。

将棋ほど人気のない囲碁。
ぼくは、
幼いころに父に手ほどきを受けたものの、
将棋の駒の動きのようなとっかかりがなく、
単純すぎるがゆえに広大な世界に、
あっさり匙を投げた。

「プロ棋士の思考法」(依田紀基著、PHP新書)。
著者は日本を代表する棋士で、
ぼくより少し若い。

その中に、
「勝ち続ける八つのK」として、
囲碁の大局観を養う教えが書かれている。

1.感動
2.繰り返し
3.根本から考える
4.工夫を加える
5.感謝
6.健康
7.根気
8.虚仮の一念

そう。
このブログのタイトル変更は、
本書を読んだのがきっかけだ。

詳しくは実際に手にとってみてもらいたい。
ただし、
立ち読みで十分だけど。

形見の碁盤を押入れで眠らせておくのは、
親父に悪いかな。

初盆だ。


●女子柔道・上野の連覇もすごいけど、フェンシング・太田の銀はどえらいことだ。印象的にはサッカーW杯で日本が決勝で負けたというぐらいの感じ。つまり、ありえないことが起きた。これでフェンシングを始めるこどもが増えるだろう。

2008年8月13日水曜日

他人の夢を背負うのは、
大変だろうな。

甲子園では球児が、
北京では五輪代表が、
会ったこともない人の分まで、
たくさんの夢を背負って、
戦っている。

夢の数が多ければ多いほど、
自分一人では出せない力を、
生んでくれもするだろう。
その重みに耐えきれず、
自壊してしまうこともあるだろう。

いずれにせよ、
戦いの場に立ててこそである。

4年分の、
自分の夢だけなら、
野口みずきは、
這ってでもマラソンに出ただろう。
たとえズタズタになって、
途中棄権するようなことになっても、
夢を追った結果だと、
悔いはなかったはずだ。

肩に乗った数千万人分の夢。
それがいとおしいからこそ、
強行出場のようなまねはできなかった。
そして引き換えに、
自分の夢もあきらめた。

輝ける人の宿命とはいえ、
あまりに残酷だ。


●深夜、BSなどでやっている地味な競技をボーっと見ているのもいい。フェンシングや射撃やカヌー。日本人選手の結果はどうであれ、一流アスリートの懸命な姿は美しい。

2008年8月12日火曜日

アンタは偉い

4年に1度のチャンスに、
最高の結果を出す人は、
やはり女神に選ばれし者なのか。

北島康介「金」を見ていて、
凡人は、
そう思う。

けがもあった。
調子が上がらない時も、
ライバルが躍進した時期もあった。

予選では思わぬ伏兵が、
自分の記録を次々破った。
決勝では3位でターンした。

それでも慌てなかった。
最後はオレが1番と、
とことん自分を信じ切れる、
その力の源は何か。

内柴正人は、
挫折を乗り越えるにはと問われ、
「柔道を続けること」
と答えた。

続けていれば、
いい時が来るというほど甘くはないだろうが、
辞めてしまえば永久にその時は来ない。

続けて、
もがいて、
もがいて、
もがき苦しんで、
それを糧にできた者に、
女神は時折優しい。


●とは言うものの、北島。インタビューのリアクションが、どうにも芝居じみて見えるのはぼくだけだろうか?アテネでの「チョー気持ちいい」も、前もって用意してあった台詞っぽく見えたのは、ぼくだけだろうか?●タイトル変えました。「虚仮の一念」からとりました●難波「845」セッション。ピアノがまた赤松さんで、心地よく。何かが見えたように思ったのは、気のせいか。

2008年8月11日月曜日

交番

なにはともあれ、
自転車が戻ってきたので、
盗難届を解除しないといけない。

自分の自転車に乗っていて、
あらぬ疑いをかけられたら、
気分悪いし。

ということで、
届け出た最寄の交番に行った。
セッションの帰りだったから、
日付は間もなく変わろうとしていた。

交番は無人で、
スチール机の上には電話機と連絡先。
用があるならここへということだ。

ぼくはちょっとためらった後、
かけてみた。
要件を面倒臭そうに聞いた、
電話の先の警官は、
近くを巡回中の警官を戻らせると言った。

10分ほど待ったけど、
誰も戻ってこないので、
備え付けのメモに「また来ます」と書き残し、
さぁ帰ろうとした時に、
パタパタパタとカブに乗った警官が帰ってきた。

いよいよ遅くなったし、
トイレにも行きたい。
さっさと済ませて帰ろうと、
椅子に座っていると、
さきほどの警官が中に入ってきて、
ヘルメットを脱いだ。

とっても小柄で、
分厚いレンズのメガネをかけたその婦警さんは、
いかにも警察学校をこのあいだ出たって感じ。

制服から警防、
無線機に防弾チョッキ、
身に付けているすべてが、
当たり前だが本物で、
それらを小さい体に取り付けられた婦警さんは、
現実感がなく、
これはコスプレ?って勘違いしそうだ。

盗難届解除届を作成しようとするのだが、
本署と電話でやりとりする様子が、
またたどたどしくて、
きっと無線の向こうの警官も、
さっきのような面倒臭そうな声のおっさんで、
このスズメのようにはかなげな府警さんに、
いろいろ「指導」している様子だ。

「発見場所の住所ですか?」
「あ、調べてなかった」
「かけなおします、あっそうですか」

受話器片手に住宅地図をめくり始める府警さん。

「久寿川って西宮ですかぁ」

大丈夫なんだろうかこの人。

早くしてくれ。
トイレの我慢が限界だ。

伝えようにも彼女は受話器を持って、
住宅地図をああでもない、
こうでもないとめくっている。

ぼくは住宅地図を渡すよう促し、
自転車返還所を必死で探してあげた。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

だから早く電話を切ってくれ。

「すいません、トイレお借りできますか」

ダメ元で言ったら、
「いいですよ」って本当か。

ぼくは交番内のトイレに駆け込んで用を足し、
ドアを開けると、
婦警さんが警戒して立っていた。

この状況で、
刃物持った少年が、
「おやじ殺しました」とか言って来たら、
どうなるんだろう。

そして、
そいつが襲ってきたら、
ぼくが婦警さんを守らねばならないのかな。
いや案外、
この婦警さん、
シバトラみたいに、
めっちゃ強かったりして。

すっきりしたぼくは、
先ほどまでの焦りも消え、
スズメの婦警さんとの時間を、
楽しんでいた。

化粧っ気はない。
真っ黒短髪。
爪も短く切って、
腕にはくたびれたGショック。

そうかぁ時計は私物なのか。
ようやく書類を作り終えて帰る時、
頑張ってくださいって言おうとしたけど、
やっぱりやめて、
「ありがとうございました」と一礼して、
深夜の交番を後にした。


●武庫之荘「Mクアトロ」セッション。8時過ぎに行ったのに、客がいない。五輪が始まってから、客足が悪いという。歌い放題と言っても、そんなに楽譜持ってきてないし。そうこうしていたら少しずついつもの顔ぶれがそろいだして、最後はそこそこにぎやかになった●内柴の「金」。取れる時はこういうもんなんだと思う。

2008年8月10日日曜日

YAWARA

悔しさを押し殺しているようには見えなかった。

むしろ諦念、
あるいは無。

谷亮子ほどの勝負師なら、
目の前にいるルーマニアの選手に勝てるか否か、
同じ畳で対峙した瞬間に分かったはずだ。

勝てないかもしれないと感じたからこそ、
まともに組まなかった。
組めなかった。

一方、
ルーマニアの選手は、
勝てるかもしれないと思ったはずだ。
だが相手は五輪連覇中の女王。
組みたくとも、
無意識が組ましてくれなかった。

勝てないかもしれない。
勝てるかもしれない。

同じ畳の上にいる審判は、
組み合おうとしない両者の中の、
微妙な違いを感じ取ったのではないか。

実績と経験で固めた、
YAWARAという鎧。
谷は容易に覗かせようとはしなかったが、
その中身の脆弱さを誰よりも分かっていたのは、
ほかならぬ谷自身だっただろう。

判定で敗れた後、
谷が見せた表情は、
もはや鎧をまとい続ける必要のない、
柔道家・谷亮子の素顔であったのだと思う。

2008年8月9日土曜日

北京五輪

地球の人口は60億人だという。
ぼくが子どものころは確か30億人っていってたから、
すごい勢いで増えているのは確かだ。

人類誕生以来、
いったい何人がこの星で生まれ死んでいったのか。
まったくの勘だけど、
数千億人単位かな?
兆まではいくまい。

そのあまたの人間の中で、
最も早く走り、
泳ぎ、
最も高く跳び、
最も遠くに投げることのできる可能性を持った人たちが、
北京に集まった。

人間のたゆまぬ向上心の成果が、
スポーツという側面で最高の輝きを見せる祭典が始まった。
見逃せない日々が続く。

一方で思うのは、
金メダルを取る人も、
ぼくのようにただそれを観戦するだけの人も、
その頭脳の神経細胞は1000億個あって、
その神経細胞同士の接点は、
実に1000兆に及ぶという事実である。

肉体的な差異は人それぞれあっても、
この脳の構造は人類すべてに平等であるということ。
そしてそのすべての人類の数、
そして宇宙の星の数をも圧倒する、
脳の驚異的世界。

「記憶力を強くする」(池谷裕二著、講談社ブルーバックス)。
最大のフロンティアはぼくたちの脳の中にこそあることを、
改めて実感させてくれる。

北京五輪の開会式で見せた、
中国の歴史絵巻は見事だったが、
紙や羅針盤や活版印刷や、
それらの発明の背後には、
名をとどめぬあまたの人がいたことを思う。

それぞれが、
頭の中に宇宙を携え、
それぞれに生き、
それぞれに死んだ。

死とともに消えた記憶の総量は、
いったいどれほどの量なのか。

●NHKでも「中国5000年の歴史」って言ってたけど、「4000年の歴史」から一体いつ1000年もプラスされたの?永遠に4000年ということはありえないにしても、あまりに唐突すぎないか。

2008年8月7日木曜日

自転車Ⅶ

あるべきはずの場所から、
突然消えてしまった自転車。

それは、
ぼくの恩人の象徴だった。

それに気づいたのは、
この「自転車」というブログを書き始めて、
数日たってからのことだった。

ぼくが今、
仕事を続け、
ジャズを学び、
お気楽に生活していられるのはすべて、
1年余り前に知り合った、
その人のお陰だ。

その恩人が、
転居することになり、
最後に会う機会が、
自転車がなくなった翌日に迫っていた。

出会いがあれば、
別れがある。

そんな事は当たり前だ。
ぼくだって、
愚かな半生とはいえ、
ダテに年はとってない。
それぐらいのことは学んできたはずだ。

互いに生きてさえいれば、
いつか再会することもあるさ。
笑顔でお元気でと、
言えばいい。

そう思いながら、
ぼくの頭は数日間、
その人の事で占拠されていたといっていい。

自転車が止まっていない駐輪場を見た時に感じた、
座ろうとして椅子がなかったような、
頭の中の感覚と現実が一致しない戸惑いとは、
その人が身近にいなくなるという現実の先取りだった。

翌日に訪れる、
その事を恐れていたからこそ、
ぼくは、
本当は自分が余所に止めたにもかかわらず、
駐輪場に自転車がないことに気づいた瞬間、
「あぁ、なくなってしまった」と思い込んだのだ。

ぼくは翌日、
その人に会わなかった。

会って型どおりの挨拶をするのも面映ゆいし、
ぼくの感謝の念は伝わっているはずだ。

それで充分じゃないか。。。

でも、
ぼくが避けて通ろうとした喪失感は、
形を変えて、
すでに前夜、
ぼくのもとを訪れていたのだった。


●この項終わり●会社帰りに「スカイ・クロラ」を観た。拍子ぬけするほどすいていたけど、確かに、分かりにくいというか、ストーリー性に欠けるので地味な作品と言っていいと思う。こみあげる感動はない。ただ、押井守監督の伝えたいことはじわっと感じ取れた。いつの時代であっても若者が抱える苦しみ。癒されることなく、再現なく繰り返される生きずらさ。一般にデフォルメされる2次元アニメの部分こそ実はリアルで、細密なCGを駆使した空中戦の描写はアン・リアルだという、表現方法の逆転がカギだと思う。

2008年8月6日水曜日

自転車Ⅵ

どうして鍵が壊れていないのか。

自宅へ自転車を漕ぎながら、
ぼくは漠然と考えていた。

自転車を返してもらう時、
その係員は言った。

この鍵は開かへんから泥棒も避けるわ。

その鍵は閉まっていて、
ぼくが持参した鍵で開けた。
あらためて見ると、
マンションなどでも使われている、
ポツポツ穴のある、
ディンプルキーだ。

こんなヤツやと一発やけどな

係員は、
そばに止まっていた別の自転車を、
ポンとたたいてそう言った。

疑問は自宅に着いてからも頭を離れなかった。

可能性は3つ。

①鍵をかけ忘れて盗まれ、その後かけられた。
②鍵がかかったまま、駐輪場の2階から盗み出し、車か何かで運んで放置した。
③係員の太鼓判にもかかわらず、鍵はいとも簡単に開く。

どれも考えられない。

ぼくは嫌な気持ちになってきた。

そうだ。
信じられないけど、
第4の可能性がある。

④ぼくが駐輪場以外の場所に鍵をかけて止めた。

そんな馬鹿な。
あの日だってそれは考えた。
それほど自分を信用していない。
でもそれでもなお、
ありえないと判断したじゃないか。

だってわずか数時間前に、
両脇の自転車の間によっこいしょと止めた、
その手の感触が残っていたんだ。
第一、
駅の近くで自転車を止める用事なんてない。

用事なんて、

用事なんて、、、

ぼくは慌ててこのブログを読み返した。

まず、
自転車が盗まれたのは15日の夜だった。
ぼくは盗難届を出した前夜の17日だと思っていたが、
それがまず2日も違っている。

大変だ。

そして、
はっきりとはしないが、
8日に駅前のTUTAYAでDVDを借りているらしいことも分かった。
一週間レンタルなら、
15日が返却日だ。

大変だ。

ぼくはあの日、
DVDを返すため、
TUTAYAに自転車を止めて鍵をかけ、
そのまま電車に乗って天満に行ったのか。
そしてそのことを完全に忘れて、
駐輪場に自転車がないから盗られたと思いこんだのか。
自転車は3日間もTUTAYAの前に放置され、
18日に撤去されたのか。

言葉もなかった。

そんなにぼくはアホだったのか。

正真正銘の自転車放置野郎が、
自転車盗の被害者になりきって、
返還所であれほどの大見えを切っていたのか。。。。

ぼくは自転車が久寿川にあると聞いて、
自転車を盗んだ奴がそこまで乗って行ったと思っていた。
だが実は駅前で撤去されて運ばれただけだったのか。

すべての状況を考えあわせると、
これに間違いないと、
認めざるを得ない。

そう言えば思いだした感触がある。

日時は確かじゃないけど、
TUTAYAに自転車を止め、
鍵をかけるかどうか迷った記憶だ。

すぐそこの窓口に返すだけだから、
かけなくてもいいかとも思ったが、
万が一乗り逃げされてはと、
結局かけた。。。

たぶんそれが15日で、
ぼくは鍵をかけたことで自転車が盗られる心配がなくなり、
その瞬間、
自転車の存在が頭から消えたのだろう。

穴があったら入りたいとは、
こういう時に使う。

自分の愚かさを自分で暴いていく作業は辛い。

しかし何故それほどの記憶障害を起こしたのだろう。

さらに突き詰めていった時、
ハタと膝を打ち、
そして、
ある感情がこみあげてきた。


我ながら驚くべき結論だった。。。


●もうじき終わります。返還所の係員の人、市役所の人、ごめんなさい。いまさら申し出ませんが、本当にすいません●きょうはその天満「じゃず家」セッションだった。すこしマシな歌が歌えるようになってきたと実感する。

2008年8月4日月曜日

自転車Ⅴ

少しお待ちください。

市役所の担当者はこう言って、
電話口から離れた。

上司に相談しているのだろう。
ひょっとしたら逆転かな。
ぼくはくだらない事を考えていた。

ぼくの言っていることおかしいですか。

そばで聞き耳を立てていた返還所窓口の係員に、
ぼくはたずねた。

いいえ、
電話代もかけてるのにねぇ。

そうだ。
この携帯電話代だって、
ここまで来る電車賃だってぼく持ちなんだ。
おまけに1800円払うなんて。

係員のおじさんはあきれ顔だったと思うけど、
ぼくはその時は妙に元気づけられた気がした。

あなたは17日に自転車を取られたんですね。
市役所の担当者は電話に戻ってくると事実確認を始めた。

そうです。

でも夜遅かったので駐輪場の係員はいなかった。

そうです。
交番に届けるにも、
自転車の登録番号は自転車屋さんでないと分からないですし。

で18日に盗難届を出したんですね。

そうです。

。。。。。。。。

そこの係の者に代わってもらえますか。

ようやく話は通じたようだ。
変換所の係員は、
ぼくの携帯ではなく、
所の電話から市役所にかけなおし、
しばらく話して電話を切った。

駐輪場盗難を擬制すると係長が判断しました。

擬制?

警察でなくても駐輪場の係員に盗まれたと報告すれば、
その日が盗難日だと認める制度があるんです。
でもあなたの場合は夜中で係員がいなかった。
だからこの駐輪場盗難の制度を擬制するんです。

つまり援用するということですか。

ご理解いただきたいのは、
これはあくまで今回限りということです。
今度あなたに同じことがあっても、
同じようになるとは限りません。

何とか落とし所を見つけた訳だ。
自分たちの行動の説明がつけばよかったのだ。

役所らしいなぁと、
変に感心した。

それから、
と係員は続けた。
盗難届と撤去日が同じなら1800円をいただくという決まりは、
文書化されている訳ではありません。
しかしこれは、
行政裁量の範囲内なんで、
そこはご理解いただきたい。

そう、
ぼくはその裁量を求めていたのだ。
同日なら1800円と、
機械的に処理しようとしたから問題になった。
裁量権があるなら、
最初から面倒くさがらずに裁量してくれればよかったのに。

こうして小一時間かけた末、
自転車は無料でぼくの元に戻ってきた。

幸い、
これといった傷もない。

その時ぼくは、
相手を言い負かしたというより、
自分が正しいと思ったことを、
あきらめず主張してよかったと、
内心充実していたはずだ。

こんなにムキになる必要があったのかとも片隅で感じながら、
とにかくひと仕事終えたようなホッとした気分で、
夕方の市内を我が家へと向かった。


すべてが丸く収まったと思っていた。


●ここからが本題のような話です●不動は残念な結果だった。彼女って獲得賞金10億円を突破した日本女子ゴルフ界の女王で、名前通り強心臓の持ち主かと期待していたのだが、実は非常に気が小さい人なのではないかと思った。周囲の声が耳に入らないというより、耳に入れると緊張するから耳栓してるみたいな。勝負所でのプレーが拍子ぬけするぐらい淡泊なのは、時間をかけるほど緊張するからではなかろうか。世界のトッププレーヤーはゴルフに限らず、ここ一番ではじっくり時間をかけるし、ピンチになるほど集中力を増す。そういう域には達していないように感じた。そこが優勝した20歳の韓国人と決定的に違う点だろう。

2008年8月3日日曜日

自転車Ⅳ

夏の夕方。
一日の仕事も、
もうすぐ終わり、
仕事帰りの一杯が楽しみになってくる午後4時。

そこへ名指しで意味不明の電話。

面倒臭そうに、
かつ、
警戒感ありありの市役所の担当者。
それでもかろうじて丁寧に、
ぼくの主張を聞き終わると、
さぁそろそろいつものひとくさりという感じで、
窓口の係員と同じ抗弁を並べ立てた。

それは分かってます。
でもね、
あなたは今、
目の前にいないからどう思われるかわかりませんが、
ぼくは疑いの余地なく、
自転車を盗まれた被害者ですよ。
そちらの言われる理屈もわかります。
でもね、
例えば当日なら半額にするとか、
できるんじゃないですかねぇ。

そういう考え方はあるかもしれませんが、
決まっていることですから。

じゃあね、
例えばぼくが納得いかないから払わないと言ったらどうなるんですか。

もう充分。
ブログに書くネタは十分だ。
ぼくは心の中では白旗を用意しながら、
試しに聞いてみた。

自転車をお返しするわけにはいきませんねぇ。

冷房のきいた部屋で椅子に座っているであろう、
担当者の間髪入れぬ言葉が、
白旗を引き出しにしまわせた。

あなたねぇ、
決まり決まりって言われるけど、
一体何かに書かれたものがあるんですか。

いえありません。
でもそういう取り決めなんです。

二言目には決まりっていうから、
てっきり何か根拠があっておっしゃってるのかと思ったけど、
そうすると、
あななたちが単なる口頭で申し合わせていることに基づいて、
自転車を盗まれた被害者であるぼくに1800円払え、
でないと自転車を返さないって、
そんな人質に取るようなことを言われるんですか。
それっておかしくないですか。
お役所仕事って融通が利かないけど、
一応議会とかで決めたことに従っている訳だから、
仕方ない面もあるし、
この件もてっきりそうかと思ってましたけど、
全然違うんですね。

ぼくは一気に話した。

さっきまでにこやかだった窓口の係員が、
神妙な表情で、
自分たちのいる小屋の中へ入るよう促す。
中は冷房が心地よく、
勧められるまま、
パイプ椅子に腰かけた。

これで環境は対等だ。。。


●これじゃクレーマーだな。でも事実だから仕方がない。恥を忍んでまだまだ続けます。●さあ、不動の活躍を見るとしよう。

2008年8月2日土曜日

自転車Ⅲ

その日は仕事が休みで、
セッションに参加するため、
夕方出かけた。

いつもより少し早目、
午後11時前に最寄駅に帰ってきたぼくは、
自転車置き場に向かう。
震災よりずっと前、
駅周辺に整備された時からずっと、
借りている場所だ。

もうほとんどの自転車は、
主と共に家路につき、
がらんとした駐輪場。

考えてみたがらんとしすぎていて、
ぼくの自転車までがなくなっていた。

「!」

声を上げることはなかったけど、
一瞬言葉もなかった。

あるべき場所にあるべき物がない。
座ろうとしたら椅子がなかったみたいな感じ。
あとは自転車こいで帰宅して、
風呂に入ってブログ書いてという、
頭の中の道筋がフッとかき消された。

我に返って考えてみた。
間違って別の場所に置いた?
いいや、
いつもの左右の自転車の間に差し込むように止めた。
ほんの数時間前のことだ。
その感触は今もある。
カギをかけ忘れた?
この左手にある。

ということは。

盗まれた。

ここまで認識するのに、
数秒ぐらいはかかった。

初めての経験だったけど、
落胆も怒りも別になかった。
係員も当然いない。
ただ携帯で母に連絡し、
「自転車盗られた。本当に」
とだけ伝え、
歩いて帰った。

防犯登録はしてある。
そのうちどこかで見つかるだろう。
そう楽観的に考えていた。

母の方が「えらいこっちゃ」という風であった。

ぼくは次の自転車を買うのはしばらく見合わせ、
通勤にはバスを使うことにした。
暑かったけど、
買ったら途端に見つかりそうな、
そんな間の悪さが自分にあることを、
ぼくは知っている。

母はせっせと自転車屋やら、
自転車置き場の係員に報告し、
最寄の交番に届を出した。
ぼくはそんな母を、
警察が一生懸命探してくれる訳ないじゃないかと、
冷ややかに、
でも黙って見ていた。

だから撤去自転車置き場からの通知を見たとき、
やっぱりこういう形で出てくるんだよなと、
妙に納得し、
つくづく新しい自転車を買わなくてよかったと、
10日間ほどの辛抱が報われた気がしていた。


だから1800円を出し惜しんだわけじゃなかった。


ただちょっと納得がいかなかっただけだ。


30日の夕方、
名神高速の下にある撤去自転車保管場所から、
市役所に電話をかけたぼくは、
そういう心境だった。。。


●この項続く●三宮のクレオールで、赤松真理さんのライブ。ギター&バイオリンとボーカルで活動しているバンドで、ジャズスタンダードとオリジナルの構成。初めての店だったけど、バーというよりミニホールという感じで、とっても上品。その上品さに赤松さんらの演奏がまたピッタリで、本当に心が洗われるようだった。一回洗ったぐらいじゃ、この汚れ、どうにもならないんだけど。

2008年8月1日金曜日

自転車Ⅱ

盗難届が出されたのが18日。
放置自転車として撤去されたのも18日。
無料返還するには、
盗難届が撤去日より前じゃないとダーメ。

係員の言い分はこうだ。

なるほど。
そうでないと、
自転車を違法駐輪して撤去された輩が、
その足で交番に駆け込む可能性がある。

自信満々の係員。

決してあなたがそうだという訳ではないですよ

こちらの心を見透かしたようなセリフ。
ぼくと同じような人が多いのだろう。
いかにも同情しますという顔で、
手慣れた扱いだ。

こちらも一応抗弁した。
盗んだ人を見つけて払わせるべきなのに、
何で被害者が肩代わりしなくちゃならないのか。
同じ日だというなら、
時間を調べてくれ。

それは出来ません。
無料返還は前日までということで線引きしてますから。

こりゃ白旗かな。

そう思った。

その時係員が、
こちらではそうとしか言えません。
もっとお話になりたければこちらへと、
市役所の電話番号が書かれた紙片を差し出した。

準備万全。
これで一丁上がりにする気だ。
ほとんどの人は「いやいいです」と1800円払って帰るだろう。

夜勤明けで疲れてもいた。
まだ暑いし、
家まで自転車の道のりは長い。

もう帰ろうか。。。



嫌だ。

暑さのせいか。

「そうですか。じゃ折角ですからここから電話します」


ぼくは携帯電話を取り出した。。。


●まだまだ続きます●この4日間、BSで「ルパンⅢ世」特集をやっていた。一般的には宮崎作品もある第2シリーズが有名だけど、ぼくには第1シリーズが懐かしかった。この年で見ても十二分に鑑賞に耐える作品なのに驚く。ストーリー、台詞、音楽。みんなバッチリだ。小学生だった夢中で見た気分が鮮やかに蘇った。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...