福岡伸一氏は「できそこないの男たち」(光文社新書)で、
そう述べておられる。
赤ちゃんが高い高いをしてもらって喜ぶのも、
人がジェットコースターに熱狂するのも、
その加速感が「快」だからだと。
視覚
臭覚
味覚
聴覚
触覚
そのすべてを奪い取られても、
なおぼくたちは加速を感じることができる。
だが現代科学をもってしても、
加速を感知する仕組みは分からない。
ザ・ローリング・ストーンズのライブ映画「シャイン・ア・ライト」。
5日から劇場公開されるのにもかかわらず、
DVDを買ってしまった。
こどものころは完全にビートルズ派で、
というより、
ストーンズのことはほとんど知らず、
実際今でもよく知らないのだが、
還暦をすぎた男4人の、
この驚くべき映像を見て、
完全にノックアウトされた。
かっこよすぎる
それは、
音の加速感であり、
バンドの歴史の加速感であり、
メンバーひとりひとりの人生の加速感が、
全部ひとまとまりになって、
画面から押し寄せてくるからだ。
ノスタルジックなんかじゃなく(実際ぼくは彼らの曲はほとんど知らない)、
現在進行形で、
どの曲もすばらしくドライブし、
「うわぁー」とぼくをどこかへ連れていく。
きっと映画館で見ればもっと凄いことになってしまいそうだ。
先の福岡氏は、
こうも述べている。
私たち人間は、媒体としての時間の存在を知覚することができない。時計も、カレンダーも、日記も、等速運動を分節しているだけで、時間の運動そのものの実感を知らせてくれはしない。
時間の存在を、時間の流れを知るたったひとつの行為がある。時間を追い越せばよい。巡航する時間を一瞬でも、追い越すことができれば、その瞬間、私たちは時間の存在を知ることができる。時間の風圧を感じることができる。それが加速覚にほかならない。
巡航する時間を追い越すための速度の増加。それが加速度である。加速されたとき初めて私たちは時間の存在を感じる。そしてそれは最上の快感なのだ。なぜならそれが最も直截的な生の実感に他ならないから。
ストーンズの音楽も、
紛れもない「生」を実感させてくれた。
ジャズもまた、
そういうものなのだと思う。
●生命保険を整理した。車もなくなった。もっと生き方をスリムにして、人生の加速感を味わいたい●神戸・ルミナリエが始まった。今日は比較的暖かく、人でもさほどではなかったとの情報あり。
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