フィギュアスケートの、
競技性と芸術性は両立するかについて、
もう少し考えてみる。
例えば、
棒高跳びのイシンバエワが、
バーを持って助走する時、
何か振り付けをしたらどうだろう。
そして、
その結果、
問題ないはずの高さが跳べなかったとしたら。
あるいは、
白鳥の湖を舞うプリマが、
いつもより一回多く回った挙句、
無様にこけてしまったら。
どちらもナンセンスだろう。
ところがフィギュアスケーターが求められているのは、
そういうことで、
だから常に(文字通り)本末転倒になる危険をはらんでいる。
浅田真央がトリプルアクセルを決めた瞬間は、
凄いものを見たと思ったけど、
それは純粋にフィジカルなものであって、
芸術性とは違う次元の話だと思う。
高い芸術性を生むには、
高い技術が必要だという意見には半分賛成だけど、
身のこなしや表情やプロポーションは、
フィギュアの技術とは本質的に関係ないと思う。
解説の伊藤みどりが興奮していたのも、
トリプルアクセルを2度跳んだという、
歴史的事実に対してであって、
彼女にとって、
芸術性はあんまり興味がなかったのではないか。
少なくともぼくにはそう感じた。
だって技術論ばっかりだったから。
荒川静香なら、
表情とか演技構成とかにもっと言及しただろう。
とにかく、
難易度の高いジャンプが決まった時というのは、
小手先の工夫などは蹴散らす、
圧倒的な感動があることは確かだ。
結局ジャンプはすべてに勝るのかな。
何回こけたって、
女子がもし4回転を決めたら、
それ一発で歴史に残る訳だし。
でも安藤美姫みたいに、
最初から最後までジャンプばっかりしてた印象しかないのもどうだろう。
あれじゃ、
わざわざ音楽変えた意味ないじゃないかと、
ど素人は思う。
こんなことばかり書いていると、
何だかんだ、
お前つまりフィギュア好きなんじゃねーかよと、
突っ込まれそうだ。
確かに、
テレビ桟敷で文句たれてる、
ただのオヤジだ。
●偶然だが「ジャンパー」という映画をDVDで観た。最近、これほど下らないと思った映画はない。
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