2008年12月13日土曜日

両立

フィギュアスケートは難しい。

技術的なことはではもちろんない。
それは当然難しいにきまってる。

ぼくがいつも感じている難しさは、
フィギュアの「競技としてのあり方」
あるいは、
フィギュアの観客の心構えとでもいうものだ。

やる方も、
見るぼくらも、
女子なら3回転半とか4回転とか、
大技の醍醐味と同時に、
細やかな感情表現など、
ドラマチックな感動も求める。
でもそれは、
かなり贅沢であり、
時に傲慢かもしれない。

確かにトップアスリートは美しいけど、
その美しさは「芸術的美」とは違うと思う。
この二つは本来両立しえないのではないか?
控え目に言っても、
両立するのは極めてまれであるはずだ。

今日のGPファイナルを見ていて、
あらためてそんなことを思った。



例えば安藤美姫。
第一演技者で、
最初のジャンプで思いっきりこけてしまった。
ぼくは正直、
彼女に関しては、
そこから後は見れなかった。

こけてしまった後、
「よい滑り」で採点は盛り返せても、
演技としては、
開始数秒で空中分解してしまった(と思う)。
彼女の熱烈なファン、
あるいは「競技」として見ている人は、
違う見方かもしれないが。

浅田真央が確かNHK杯のフリーの最後、
素人目には何でもない場面で転んだのは、
十分感動した後だったから「ご愛敬」で済んだ。
でも安藤に限らず、
最初のジャンプでこけるのは最悪。
芸術としては「台無し」だろう。


いっそ、
競技なら割り切って、
音楽なしで、
ウエアももっとシンプルなものにして、
純粋にジャンプとかステップとか回転とか、
技術だけを争ってはどうかと思う。

パフォーマーとしての部分は、
エキシビションとかで見られればそれでいい。
練習では100回やって100回成功しても、
本番であっさり失敗して、
時に涙ぐむ彼女らを見ていると、
こっちまで辛くなる。



●真央とキムの一騎打ちだろうが、真央の滑りには今だに「発表会」の色がある。対してキムは、ミスがあっても「パフォーマンス」色を感じる●将棋の竜王戦は大変な事態になっている。羽生に3連敗して後がなかった渡辺竜王が、そこから3連勝でタイに持ち込んだ。第7局は勝った方が永世竜王がかかる大一番。間違いなく歴史に残る戦いだ。必見。

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