陸上の朝原宣治選手がつけてきた、
練習ノートが面白い。
例えば、
「骨盤をスライドさせて真ん中を押しだす」
とか、
「スタートの前はベルトコンベアーに乗ってる感じ」
みたいな(正確じゃないけど)、
感覚的なことばかりが延々綴られる。
何となく分かるようで分からないような、
摩訶不思議な世界。
ぼくは僭越ながら、
そうして書きとめておきたい気持ちは分かる。
発声について、
ぼくも同じようにメモすることがある。
ある時、
「これだ」と得心した感覚を、
忘れないよう願って文字にする。
これでいつでも「アノ」感覚が再現できると願って。
だが、
ぼくの場合は、
後日読み返してみても、
うまく行ったためしがない。
どだい、
身体感覚を文字に置き換えるということが、
無理な話であって、
もし、
正確に表現できるなら、
その人は、
天才小説家だ。
歌やスポーツはマニュアル化、
つまり文章化できない。
だから奥深い。
きっと朝原選手も、
昔のメモを読み返したら、
首をひねるか、
笑っちゃうか、
そのどっちかだろう。
「形より感覚」
専属のコーチを持たなかった彼の20年は、
絶え間ない自分との問答であって、
その繰り返しが、
北京五輪の4×100メートル銅に結実したのだ。
●トップランナーの恐らく再放送を、仕事中にボーっと見ていたら、思わず引き込まれた。
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