2008年12月30日火曜日

感覚

陸上の朝原宣治選手がつけてきた、
練習ノートが面白い。

例えば、
「骨盤をスライドさせて真ん中を押しだす」
とか、
「スタートの前はベルトコンベアーに乗ってる感じ」
みたいな(正確じゃないけど)、
感覚的なことばかりが延々綴られる。

何となく分かるようで分からないような、
摩訶不思議な世界。
ぼくは僭越ながら、
そうして書きとめておきたい気持ちは分かる。
発声について、
ぼくも同じようにメモすることがある。



ある時、
「これだ」と得心した感覚を、
忘れないよう願って文字にする。
これでいつでも「アノ」感覚が再現できると願って。

だが、
ぼくの場合は、
後日読み返してみても、
うまく行ったためしがない。



どだい、
身体感覚を文字に置き換えるということが、
無理な話であって、
もし、
正確に表現できるなら、
その人は、
天才小説家だ。

歌やスポーツはマニュアル化、
つまり文章化できない。
だから奥深い。

きっと朝原選手も、
昔のメモを読み返したら、
首をひねるか、
笑っちゃうか、
そのどっちかだろう。



「形より感覚」

専属のコーチを持たなかった彼の20年は、
絶え間ない自分との問答であって、
その繰り返しが、
北京五輪の4×100メートル銅に結実したのだ。



●トップランナーの恐らく再放送を、仕事中にボーっと見ていたら、思わず引き込まれた。

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