2008年12月15日月曜日

安藤忠雄

芸術性と競技性の両立を迫られるフィギュアスケーターは辛い。

昨日そんな話を書いたが、
「建築家」というのも、
「作品」と「商品」の板挟みという意味で、
フィギュアスケーターと一脈通じるところがある。



元町のjamjamで、
以下のようなイベントがあったので行ってみた。

2008/12/14 SUN.建築家 安藤忠雄氏との座談会
「神戸に夢を」
安藤氏と共に膝を交えながらのトークタイムです。

12月14日(日曜日) 15:00~17:00

1500円(シフォンケーキと珈琲)
シフォンケーキは数に制限がございますのでご了承下さい。

このひと時を是非皆様と共有したいです。
沢山の方々のお越しをお待ち致しております。

場所:ジャズ喫茶jamjam 078-331-0876




一応予習にと、
「建築家安藤忠雄」(新潮社)を読んでおいた。
おおよそ事前の印象通りの人だった。



おそらく建築家の優劣は、
自らの理想を実現させる力、
つまり、
クライアントとの交渉力で決まるのではないか。

いくら立派な図面を描いても、
実際に建たないならそれこそ「画餅」だ。
「どんな手を使っても」作っちゃった奴が偉い。
今風でいえば「実現力」ということか。




果たして安藤氏は、
施主の言うことは「一応聞いた振りはします」と断言した。
要するに表面的にはクライアントと丁丁発止やりあっているようで、、
結果的に「全て」自分の思い通りに事を運ぶということなのだと思う。

でもクライアントの方は、
いっぱい議論したんだから、
自らの意見もいっぱい反映されていると思うんだろう。

そう納得するまで話し合いには付き合う。
そういう粘り強さが安藤氏の真骨頂であろう。
そこが氏が傑出しえたひとつの要素だと思う。

自分の理想の建築を作るより、
クライアントの希望をかなえる方が、
時には(恐らく大抵は)楽なはずで、
ほとんどすべての建築家は、
優秀だが(あるいは優秀であるが故に)妥協してしまうのだと思う。



ただ、
実際の話を聞いてみて感じたのは、
氏にはそういう交渉術のほかに、
相手が敵か味方かを瞬時に見分ける「目」があるということだ。

反射神経というか、
本能というか。
要するに「勝てない喧嘩はしない」


氏が元プロボクサーであったことと無縁ではあるまい。




ところで氏に限らずの話だが、
60歳代の人が今の日本や若い人のことを悪く言うと腹が立つ。
氏も60年代安保に非常に思い入れがあるようで、
「あのころの若者は熱かった」みたいに賛美する。

でも、
教育システムを始め、
今の「日本」を作り上げた実動部隊は、
紛れもなく今の60歳代の人たちだ。
実際にヘルメットかぶって機動隊と戦ったかどうかは別として、
「あの頃」の若者がその後40年かけて、
日本を今のような姿にしてしまったのではないか。

そんなことはほおっかむりして、
年金もらって「今のままでは日本に未来はない」みたいに言われると、
さすがにこうして一言書きたくもなる。

本当は、
「ぼくたちがこんなにしちゃった日本だけど、今の若い人、何とか立て直してね」とお願いしなきゃいかんのじゃないか。



あと、
ぼくは氏が感じているほど、
若者に絶望はしていない。



●ジャズピアニスト小曽根真がオスカー・ピーターソンの魅力に迫ったNHKBSハイビジョンの番組が滅法面白かった。内容もさることながら、番組に参加していた女性が最後に言っていたことが印象的だった。「彼は自分の音に感動していたからこそ、聴衆を感動させることができた。彼は誰よりも自分を感動させたくて練習し、弾いていたと思う」みたいなことで、それはとても重要なことだと思った。

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