耳が聞こえない先生に、
子どもが何か尋ねている。
「先生、好きな色は?」
先生はその子の唇の動きを読み取って答えた。
「今はいないの」
先生は「好きなiro」を「好きなhito」と間違えたのだ。
確かに口の動きが似ている。
先日たまたま、
しかもちょっとだけ見た番組のひとコマだけど、
聴覚障害者はこうした「聞き間違い」に苦労するらしい。
だからある人は、
「思い込まないように気をつけています」と話していた。
「色」と「人」の間違いは微笑ましいけど、
命に関わる事だってあるだろう。
大変なんだなぁと思ったが、
考えてみればぼくたちも同じだ。
人間は文字や楽譜を発明して、
言葉や音楽の流通性を爆発的に拡大させたけど、
文字や音符に込められた本当の意味を理解するのは、
なかなかに難しい。
というか、
記号に込められる意味の量は最初からたかがしれている。
だから、
記号を介して行われる、
ぼくたちのコミュニケーションは、
ほとんど誤解の上に成り立っているといっていい。
少なくとも、
それぐらいの心構えでいた方がいい。
心と心が直接結びついたような状態を、
仏教では「拈華微笑」(ねんげみしょう)というが、
その地点を100だとすれば、
ぼくたちの地点は1でもないだろう。
●中国が神戸市に子ども用マスク10万枚を寄贈した●北朝鮮が核実験を実施した。
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