2009年9月30日水曜日

確率

「ロシアンルーレット」という言葉が一般的になったのは、
映画「ディア・ハンター」からだったが、
その語源は実はよく分からないそうだ。

弾を1発だけ込めた回転式拳銃を、
こめかみに当てて順番に引き金を引く「死のゲーム」。
映画では二人が交互に引き金を引いていたから、
死ぬ確率は二分の一ということになる。


がんは今や、わが国の最大の健康上の課題である。現在、男性の2人に1人が、女性の3人に1人ががんになり、毎年30万人を超す人が亡くなっている。


先日新聞を読んでいたら、
こんな記事に出食わし、
頭をガーンと殴られる思いがした。
がんが日本人の死亡率の1位だということは知っていたけど、
せいぜい日本人全体で3人に1人ぐらいかと思っていた。

どんな統計に基づくものかわからないけど、
国立がんセンター名誉総長の寄稿だから、
まぁ嘘ではあるまい。


しかも男性といっても、
喫煙者であれば当然確率はさらに上がるはずで、
ということはロシアンルーレット以上。

つまり、
がんにならない方が難しいということになる。

今から禁煙しても、
よくて五分五分か。


とはいっても、
がん患者がこれほど増えているのは、
ある意味高齢化の賜物であって、
きっとぼくはがんに「なれる」ほど高齢まで生きれないだろう。

がんになるにも資格が必要なのだ。

もし何かの間違いが起きて、
がんになるほど高齢まで生きられたら、
逆に運がよかったといえるかもしれないなどと、
不謹慎に思うのであった。


●記事の力点は、予防の重要性と早期発見すればかなりのがんは治るという点にあり、ぼくのようなひねくれた考え方はよくありません。念のため。

2009年9月29日火曜日

景色












NHK「ONの時代」の録画を見た。

プロ野球読売巨人軍で、
3番王、
4番長嶋の「ON」の誕生から50年になるそうだ。

第2回となっていたので、
第1回があったのだろうが見逃した。

番組では華々しい選手時代を終えた後の、
監督での挫折と復活、
さらには王さんのガン、
長嶋さんの脳梗塞、
それぞれの大病との闘いぶりを追っていた。


それを見ていると、
「ON」って二人の頭文字をとっただけなのに、
二人のコンビ誕生が、
まさしく戦後日本の復興のスイッチ「ON」だったということに、
あらためて思い至る。

50年にという時を経て二人は老人になり、
世の中は「ECO」にうるさい。
二人が入れた日本のスイッチも、
そろそろ「OFF」にする時が来ようとしている。


ガンでやつれた王さん、
右半身が自由にならない長嶋さん。
当の二人からしてもう体はガタガタだ。

それでも多摩川グラウンドに立つ二人は、
誰もが見とれるいい景色。

それはきっと、
時代を背負うことを宿命づけられ、
それに応えようと正面から挑み、
もがき苦しんだ男の、
誇らしさが漂っているからだろう。


翻って今の日本に、
二人のような誇りは漂っているだろうか。


●ドタキャンが出たというので誘われてドゥービー・ブラザーズとデレク・トラックス・バンドのコンサートへ。グランキューブに初めて行った。新福島から歩いている途中、堂島川の景色に見とれた。冒頭の写真はその時のものです。ちなみに、写真をダブルクリックすると、少し大きくなりますヨ(笑)

2009年9月28日月曜日

栴檀

JAZZVOCALを目指し、
「楽器」としての声を意識するようになってから、
かれこれ1年以上になる。

ちょうどこのブログを始めたころだ。

それから何とか「いい楽器」になろうと悪戦苦闘してきた。

最近になってようやく、
自分でも「コレ」と思えるようなものが得られつつあるように思える。

音源をCDに落として人に貸すなんてマネをしたのも、
わずかばかりの自信が出来てきたのかもしれない。


「今なら」と思い、
梅田「JAZZ ON TOP」のセッションに久し振りに参加した。

実はこの店はぼくにとっては、
かなり「敷居の高い」店で、
しばらく敬遠してきた。

要は店の器に対して自信がなかったのだが、
ピアノが生田さち子さんということもあって、
思い切った。

以上でも以下でもない、
等身大の歌が歌えたと思う。


帰り際、
ハウスボーカルの清水ひろみさんに、
「温かい声だ」と声をかけていただいた。

望外の喜び。
少しは成長したのかもしれない。


帰宅して、
「ギルバート・ブレイク」(ラッセ・ハムストレル監督)をDVDで観た。
TUTAYAの100円セールで借りた3枚のうちのひとつ。
何の予備知識もなかったのだが、
若きジョニー・デップとレオナルド・ディカプリオの演技が素晴らしい秀作だった。

しかし何だな、
栴檀となる人は、
やっぱり双葉のころより芳しい。


果たしてぼくは栴檀になれるだろうか。
双葉と呼ぶには年をとり過ぎた、
今のぼくは芳しいだろうか。

●ちなみに、この監督の最新作は「ハチ~約束の犬」。馬鹿にしてたけど、見てみようかな●ブルー・レイプレーヤーとしてPS3を買った。

2009年9月27日日曜日

掌中

ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」は、
主役の青年以外はすべて役者(が演じる役者)で、
青年が自分の人生だと思っていたものは、
実はすべてテレビのバラエティー番組だったという、
ものすごい着想の映画だった。

彼が住む町はすべて超巨大な屋内セットで、
町のいたるところに設置されたカメラで、
彼の一挙手一投足が生放送される。


大学生のぼくは親父に、
「ぼくはまるで釈迦の掌中の孫悟空だ」
と言ったことがある。

両親はぼくを決して束縛はしなかった。
でも、
自由放任というのでも決してなかった。


何かとても広い牧場に放たれた牛、
あるいは、
すんごい長いリードをつけられた犬のような気分。

普段はやりたいようにしているつもりが、
ある時、
自分の行動範囲には限界があることを知り、
それを越えようとした途端、
引き戻される。

そんなことは数年に一度なのだけど、
それでも馬鹿なりに柵の向こう、
リードのない自分を夢見た。

結局ぼくには柵を越すことができなかった。


それは自分の勇気のなさに尽きるのだけど、
学生にとってやっぱり大きかったのは金だった。
親から自立するにはあまりにも金がなかった。
金銭問題を持ち出されては、
白旗を上げざるを得なかった。

あと母の涙と。

こんなありきたりな話、
スネかじりのたわごとかもしれない。
でも、
「親離れ」というものは一般に、
金銭的よりも先に精神的に始まると思う。

だから、
二十歳前後の数年間のモヤモヤ感って、
子どもにとってはとても大切な時期だ。
ほとんどその後の一生を左右するほどに。


親が子どもを守りたいと、
あれこれ気遣う気持ちは、
自然なものだし尊いしありがたい。

でも、
それも成人するまでかな。

それから後は、
子どもが傷つき疲れ果てて戻ってきた時に、
無条件で暖かく迎えてくれさえすればいい。

それが、
子離れということでもあるということに、
親の年になって気づいた。

●書き終えて、孫悟空について調べていたら、2ちゃんねるに以下の書き込みが。いい文章だと思う。ご一読を。

 誰でも知っている孫悟空のエピソードであるが、改めて考えてみた。
「どうして孫悟空はお釈迦様の掌を出られなかったのか?」
 出ようと思えば出られたはずなのだ。
ところが出る寸前で引き返したのだ。
お釈迦様の5本の指を「これが世界の果てである」
と勝手に解釈してしまったからだ。
孫は少なくとも指の付け根までは飛んでいったのだ。
ちょっと横に出て柱をすり抜ければよかったのだ。
でも孫悟空はそれをしなかった。
 しかしすり抜けるためには、
次のいずれかの決心をする必要がある。
「世界の外に出てみよう」
「これが本当に世界の果てか確かめてみよう」
 世界の限界を乗り越える決心が必要なのだ。
つまり、孫は5本の柱を世界の果てと思ったわけだから、
ここが世界の限界であり、同時に自分の限界だと思ったことになる。
本当はここで既知の世界に別れを告げるか、
命を賭して世界の限界を確かめてみようとする決心が必要だったわけだ。

 ところが孫悟空はどちらも行わなかった。
つまりは、世界の限界を押し広げるという気はなかったことになる。
従って、孫悟空の狼藉は既存の(自分が守られている)世界の秩序を破壊するだけであって
新しい世界=新しい秩序をうち立てる為のものではなかったということが証明されたわけである。
彼はテロリストであって革命児ではなかった。
仏教という秩序=世界観をうち立てて世界を拡大した革命家であるお釈迦様としては、
これは看過できないことであったのだろう。また、
新たな世界観を創造したお釈迦様であるから孫悟空を裁く権利があったわけである。
(ここで、ニーチェの「超人」概念と関連させて話をふくらませる予定であったが、それは延期)。
お釈迦様もキリストもニーチェのいう超人である。
お釈迦様がしたこの賭は孫悟空が超人かテロリストかを判断するためのものであった。
そして孫悟空は超人ではなかった。だからお釈迦様は孫悟空にテロリストとしての罰を与えたのだ。)

ちょこっと授業破壊をする生徒というのを思い起こした。
彼らは自分を守っている学校という範囲内で騒いでいることにとどまらず、
新しい世界観を生み出そうとしているのであろうか?
学生運動とやらも似たようなものだったのかなあ。
 そういえば私は授業中うるさい生徒であった。
秩序を乱すものとして先生方は嫌がったろうなあ。
その私も一度だけ世界を拡大するような騒ぎ方をしたことがある。
「万葉集は、詠み人の幅広さに特徴があり、天皇の歌から乞食の歌まで入っている」
「先生!乞食に歌を詠めるほどの教養があったんですか?あったとして、誰がそれを書き留めたんですか?」
先生はなぜか激怒したが、このときの私であれば、
お釈迦様との賭に勝てたかもしれない。
そのとき私が言ったことに意味を後付けすれば
「権威だ、定説だ、といって鵜呑みにせず、自分で考えてみよう」
というメッセージだったともいえる。

 孫悟空がお釈迦様に負けた理由はもうひとつある。
お釈迦様の掌を筋斗雲に乗って出ようとしたことだ。
横着をせずに歩いて出ようとすれば出られたのかもしれない。
筋斗雲がいかに速かろうと、お釈迦様がそれ以上のスピードで走れば孫悟空は出てゆけない。
地道に歩いてゆけば、いかにお釈迦様の掌が大きかろうといつかは出られたはずなのだ。
その地道さがあれば、お釈迦様も孫悟空をそれはそれで受け入れたことだろう。

2009年9月26日土曜日

実感

新潟県大千市大曲で毎年8月に開かれる花火大会は、
正式には「大曲全国花火競技大会」といい、
全国各地で開かれる数多の花火大会とは一線を画する。

一般的な花火大会がアイスショーだとすると、
こちらは世界フィギュアとか五輪みたいなものだ。

どちらが楽しいかといえば、
ショーの方かもしれないが、
全国選りすぐりの花火師たちが、
「内閣総理大臣賞」を目指して揚げる真剣勝負には、
それなりの趣がある。


NHKの地元局が制作した番組を、
夜中に再放送していた。

しかし、
テレビで見る花火は駄目だ。
燦然と咲き一瞬にして散る花の美は、
漆黒の夜空があってこそ映える。

残念ながらうちのテレビではその漆黒が出ない。

この目で見たのはもう4年も前のこと。

懐かしい思い出だけど、
あれからぼくの人生は大きく曲がっていった。
一寸先も見えない漆黒の闇の中を。


どんな人の人生も、
大なり小なり蛇行しながら進むのだと思うが、
あれだけ大きく舵を切ったことがないぼくには、
それが恐怖だと感じる間もなく、
今まできたように思う。

少し周囲は薄明るくなってきたようだけど、
それは目が慣れてきたのかもしれないし、
あるいは、
見えないことに慣れてきただけかもしれない。







ゴーギャンの傑作、
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

この大作が今、
東京国立近代美術館にあるということをぼくは忘れていた。
東京に行ったぼくの、
すぐそばまで来てくれていたのに。

絵画も花火と同じ。
実物の99%は複製では失われるのに。


「レオン(完全版)」(リュック・ベッソ監督)。
終盤、
レオンと12歳の少女マチルダとのやりとり。

君に会ってからすべてが変わった。
だから少し自分だけの時間が欲しい。
君ももう少し大人に。。。

もう大人よ。
あとは年を取るだけ。

俺は逆で年だけは取ったが、
これから大人に。。。



レオンは自分が何者か実感した瞬間、
あの世へ行ってしまった。

2009年9月25日金曜日

上品

ペンギンさんが嬉しそうに近寄ってきた。
モスバーガーをどうやって食べるのか、
「あの人」に尋ねたらしい。

すると何と、
「紙ナプキンは1、2枚しか使わない」という。

一体どうやって。

慌ただしい説明でよく飲み込めなかったのだが、
どうやら、
上のパンをはずして、
それをちぎって過剰なソースを食べるということらしい。
洋食のスープの要領だ。

信ジラレナイ‼

感動で大笑いした。
上品な人はどこまでも上品なのですね。

でもバーガーの下の部分は、
どうやって食べるのだろう?

ひょっとして、
ナイフ&フォーク?
借りるの?


ちなみに、
2年前の2ちゃんねるに、
この問題(?)についてのやりとりがあった。
「日刊スレッドガイド」
(http://guideline.livedoor.biz/archives/50970830.html)

何かと問題の多い2ちゃんねるではあるが、
このスレッドには一人笑いしてしまった。

ちなみに会社の同僚の女性に尋ねたところ、
「残ったソースは食べない」という、
あまり上品ではない答えだった。

●モスバーガーでこんなに笑わせてもらえるとは思わなかった●先日のじゃず家セッションの1曲をCDにして他人に貸した。さし上げられるほどのシロモノではありません。ダビングもできない(はず)。頭に焼き付けてください(笑)

2009年9月24日木曜日

連覇

不調だったドライヤーが決定的に壊れてしまったので、
通勤の途中ヨドバシカメラに行くと、
ものすごい人ゴミに圧倒された。

最新機種はまるで、
SF映画に出てくる光線銃のような形で、
イオンを髪に噴射してダメージから守ってくれるらしい。

でも当然ぼくの頭にそんな高級なものは不必要なので、
静音タイプのやつにした。
夜型のぼくとしては、
静かなことがなによりなのだ。


背番号88が8回宙に舞った。
巨人がセ・リーグ3連覇。

セの3連覇は王、長嶋らを擁した巨人が1965年から73年まで9年連続優勝した「V9」以来の快挙となる(nikkannsports.com)

WBC連覇といい、
これで原辰徳監督は紛れもなく名将となった。

何よりも、
野手では坂本や松本や亀井ら、
投手では山口や越智といった、
若手を成長させながらの連覇という点に意義がある。

かつて、
「読売グループの人事異動」という屈辱的な言葉でチームを追われた彼が、
ここまでたどり着くまでになめた辛酸を思う。

と同時にその屈辱を克服したからこそ、
熱さと冷静さを併せ持つ懐の広さが備わったのだろう。

今年のチームについて聞かれた彼は、
こう答えている。

互いに尊敬し合い、朗らかさ、素直さ、謙虚さも持ち合わせている選手が多い。互いを支え合いながら前に進むのが巨人軍の伝統

道徳の教科書に出てきそうな、
ある意味優等生的な言葉だけど、
実際にはなかなか人前で言えるもんじゃない。

これが実感であろうし、
原監督自身がそういう人なのだろう。


壊れたドライヤーは廃棄処分されるしかなかったけど、
人間は一度お払い箱になってもまた立ち直れる。

そんなことを考えさせる、
美しい胴上げだった。













●写真はYOMIURI ONLINEより

2009年9月23日水曜日

欲望

「人間の欲望は他者の欲望である」というラカンの言葉が本当なら、
ぼくの欲望の多くは今は亡き父の欲望だ。

多くの子供は父母の欲望を自分の欲望として生きるし、
ぼくが特別なものではないだろう。

ただ、
そうであることに自覚的かそうでないかの違いはあると思うけど。


今日は予告通り、
久々天満「じゃず家」セッションに行った。

2曲ともバラードというのは、
本来好ましくないのは分かっていたけど、
どうしてもその2曲を歌いたかった。

結果、
決して出来はよくはなかったと思うけど、
自分としては望むべき方向に進歩していると実感できた。

セッションとはいえ、
聞いてくれる人がいるのだから、
冒険的な試みよりも、
安定的なものを披露するべきだったかもしれない。

でも、
人前で歌うということでしか得られないものは確かにあって、
だから、
セッションというのはぼくにとって、
練習と本番の中間のような位置づけとなっている。


父の3回忌が近く、
母の動きが慌ただしくなってきた。
間もなく納骨もする。

息子ならだれでも父親というのは、
目の上のたんこぶというか、
漬物石というか、
何を言われようが言われまいが意識せざるをえない存在であり、
つまり鬱陶しい。
にもかかわらず冒頭述べたように、
潜在的に父を喜ばせたいという思いがあるあたりが、
父と息子のありようの複雑さを招いているように思う。

仮に反抗的態度をとったとしても、
それは裏返しであり、
実は他人の欲望をとりわけ敏感に察知しているということかもしれない。


きっとぼくが今の仕事についても、
こうしてジャズに力を入れているのも、
母と一緒に暮らしているのも、
どこかで父の欲望とつながっているのだろう。

それを自覚したうえで、
父なき今、
ぼくがぼくの欲望を生きることは可能だろうか。

それはぼくとは何なのかという問いにもつながるように思える。

こんなことを書いているのは、
「ラカンの精神分析」(新宮一成著、講談社現代新書)を読み始めたからにほかならない。


欲望ということでは、
今日、
ひとつ閃いたことがある。

煙草でも何でも、
やめたいやめたいと思うと余計にそれが欲しくなるのは人情であるが、
その状態を乗り越えた先には、
何かを欲する情動=それを忌避するスイッチが入るという、
ある意味矛盾した状態に到達できるのではなかろうか。


秋だから少し哲学的に。


●読書の秋ということなのだけど、これはかなり歯ごたえのある本だ。ゆえに同時並行で「ダブルファンタジー」(村山由佳著、文芸春秋)も読み進める。女性作家の本は、男というものに対する女性の見方を知るうえでとても興味深い。

2009年9月22日火曜日

敬老

男性で最長寿の世界記録は日本人だ。
徳之島の泉重千代さん。
120歳と185日。

1986年に亡くなって以来20年以上、
この人を抜く男性は表れていない。

中学生のぼくは徳之島を訪れ、
当時すでに日本最長寿だった重千代さんを訪ね、
握手してもらったことがある。
少ない自慢のひとつだ。


敬老の日ということで、
せめて外食をと70歳の母を誘った。
でも、
70歳の母は敬老されるべき対象だろうか?

日本だけで100歳以上が4万人いる時代だ。
70歳などまだ「若い」という時代かもしれない。

というわけで(どういうわけ?)、
駅前の馴染みの定食屋で済ますことにした。


その店でのこと。

ぼくらの前のテーブルに若いカップルが座った。

どうやら女の子が以前、
この店でバイトしていたらしい。
女性店主と親しげに会話している。

注文を終えた彼女は、
おもむろに煙草を吸い始めた。
男の子は吸わない。

しばらくして店主が料理を運んできた。

女の子が話し出す。

「私結婚するんですー」
「うわーおめでとー」

「妊娠もしてるんですー」
「重ね重ねおめでとー」

「でもこの人じゃないんです」
と目の前の男性を指さした。

なんかよく分からない展開。
ま、
とにかく目出度いことではある。


ぼくと向かい合わせに座る母は、
そんなやりとりは全く聞こえていない様子で、
天ざるを美味しそうに食べていた。

帰り際のレジ。

「お母さんお元気そうで」と店主。

「ええ、ぼくより元気ですよ」


頑張れ母。

重千代を抜くのはあなただ。

●「音楽寅さん」終了。桑田が趣向を凝らして歌いまくったこの番組。なんか寂しい●だからぼくは、久しぶりに「じゃず家」セッションに行くとしよう。

2009年9月21日月曜日

誤用

「リベンジ(Revenge)」を「雪辱」という意味で使うのは、
日本のスポーツ界でよく見られるけど、
その用法が一般化したのは、
西武ライオンズ時代の松坂大輔投手が使った1999年からだ。

言うまでもなく、
リベンジの本来の意味は「復讐」だ。

「スターウォーズ ジェダイの帰還」(Retrun of Jedi)
は最初「Revenge of Jedi」だった。
ジェダイの騎士に「復讐」はないだろ、
ということで変更になったという。












この写真は結構有名で見た記憶がある人も多いだろう。
戦場の写真であることは一目瞭然だけど、
いつ、
どこで撮られたものかまでは知らなかった。

「父たちの星条旗」(クリント・イーストウッド監督)を見て、
この写真に隠された秘話があったことを知った。

これは第二次大戦中の日米両軍による硫黄島の戦いで、
米軍が摺鉢山(すりばちやま)を攻略した時のものなのだが、
実はこの写真の前に一度星条旗は立てられ、
この写真は同じ日にあらためて立てなおされた時の模様だという。

ところが最初の掲揚の写真より、
2度目であるこの写真が有名になってしまい、
映っている米兵のうち3人が、
生き残って「英雄」として帰還する。


映画は、
英雄にされてしまった米兵の苦悩を描く。

本当の英雄はぼくたちではなく、
戦場で死んでいった多くの仲間だと、
彼らが何度呼びかけても、
誰も耳を貸さない。
ついには一人が精神を病んでしまう。


この写真はやらせではなかった。
嘘でもなかった。
でも、
「最初」ではなかった。

米国にとっては、
硫黄島を攻略したという象徴が欲しかっただけなのであり、
出来のいいこの写真は、
戦時国債を売るうってつけのPR材だった。













こちらは最初の掲揚の写真。
こちらの方が生々しく思えるが、
2度目の方が「ドラマチック」に見える。
もし最初の写真が使われていたら、
国債の売れ行きも、
3人の人生も全く違っていただろう。

何かが独り歩きする怖さを自戒したい。


●かなりややこしい話なので、詳しくはウィキペディア「硫黄島の星条旗」を参照下さい●武庫之荘「Mクアトロ」で田中美幸(パティ):Vo、西脇敦子:Pf、高畠博文:Bs、宮原利之:橋本現輝:Drのライブを鑑賞。パティさんは、昨年この店で一緒にライブをさせていただいた仲。相変わらずハスキーな「色っぽい声」でした‼

2009年9月20日日曜日

銀星

世は「シルバーウィーク」だが、
ぼくにはあまり関係ない。

次は6年後だとか。
その時ぼくは。。。
Ah考えるのはよそう。


大相撲秋場所で鶴竜が琴欧洲を破った。
平幕が横綱を倒すことを「金星」というが、
同じように、
平幕が大関を倒すことを俗に「銀星」という。

その鶴竜もモンゴル出身。
土俵を沸かせるのは、
本当に外国人力士ばかりになった。


秋の澄み切った夜空。
この歌のイントロのリフ聞いただけで、
ホント切なくなるよ。


午前二時 フミキリに 望遠鏡を担いでった
ベルトに結んだラジオ 雨は降らないらしい

二分後に君が来た 大袈裟な荷物しょって来た
始めようか 天体観測 ほうき星を探して

深い闇に飲まれないように 精一杯だった
君の震える手を 握ろうとした あの日は

見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ
静寂を切り裂いて いくつも声が生まれたよ
明日が僕らを呼んだって 返事もろくにしなかった
"イマ"という ほうき星 君と二人追いかけていた
Oh Yeah Ah


気が付けば いつだって ひたすら何か探している
幸せの定義とか 悲しみの置き場とか

生まれたら死ぬまで ずっと探している
さぁ 始めようか 天体観測 ほうき星を探して

今まで見つけたモノは 全部覚えている
君の震える手を 握れなかった痛みも

知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ
暗闇を照らすよな 微かな光 探したよ
そうして知った痛みを 未だに僕は覚えている
"イマ"という ほうき星 今も一人追いかけている
Oh Yeah Ah

背が伸びるにつれて 伝えたいことも増えてった
宛名の無い手紙も 崩れるほど重なった

僕は元気でいるよ 心配事も少ないよ
ただひとつ 今も思い出すよ

予報外れの雨に打たれて 泣き出しそうな
君の震える手を 握れなかった あの日を

見えてるモノを見落として 望遠鏡をまた担いで
静寂と暗闇の帰り道を 駆け抜けた
そうして知った痛みが 未だに僕を支えている
"イマ"という ほうき星 今も一人追いかけている

もう一度君に逢おうとして 望遠鏡をまた担いで
前と同じ 午前二時 フミキリまで駆けてくよ
始めようか 天体観測 二分後に 君が来なくとも
"イマ"という ほうき星 君と二人追いかけている
Oh Yeah Ah Ah Ah yeah yeah

~天体観測(BUMP OB CHICKEN)


●YouTobe(http://www.youtube.com/watch?v=SCOA4bUE8J4)でお楽しみください。ぼくが高校生ぐらいだったら、絶対バンドでコピーしたな。

2009年9月19日土曜日

綺麗

「センビキヤ‼」と声がするので振り向くと、
ペンギンさんが立っていた。

ぼくが本に線を引きながら読むので、
ペンギンさんはぼくを「線引き屋」と呼ぶ。

久し振りに会うのだが、
相変わらずニコニコしている。

しばし語り合っているうちに、
ぼくは、
かねてからの疑問をぶつけてみた。


モスバーガーを綺麗に食べれますか?


ここで「綺麗に」というのは、
ペロリと平らげるという意味ではなく、
口や手を汚さずに、
ということだ。

というのは、
ぼくはモスバーガーを食べる度に、
口の周りをソースでベチャベチャにし、
紙ナプキンを十枚単位で使い、
最後には残ったソースを、
あの包み紙を破って舐めこするような、
そんな汚いやり方しかできないからだ。


ペンギンさんはしばし考え、
「あの人ならできるかも」と答えた。

「あの人」というのは、
ぼくたちの間で半ば〝伝説化〟している、
とある女性のことだ。

ペンギンさん曰く、
「あの人」は皆で食事しても、
自分たちはガツガツ食べているのに、
一人小鳥が餌をついばむがごとく上品に食べ物を口に運び、
自分たちの胃はまだ半分も満たされていないのに、
「ごちそうさま」と一人はしを置く、
そんな人だそうだ。


言われてみれば、
「あの人」ならモスバーガーでも、
楽しげに会話しながらさりげなく、
本当に綺麗に食べてしまいそうだ。

ぼくとペンギンさんはすっかり意気投合し、
おおいに笑った。
最近にないほど笑った。

楽しいひと時だった。


でも本当は、
「あの人」だってモスバーガーは、
口をベチャベチャにして食べるはずだ。

きっとそうさ。

●ということで、モスバーガーを食べているカップルは、相当に関係が深いに違いないということに。ネタにしてしまった人たち、すいません。今日はこれしかないと、昼間から決めてました。

2009年9月18日金曜日

大鉈

日本列島が激震に見舞われたかのようだ。

鳩山内閣が本格始動するや否や、
郵政民営化の抜本見直しや、
ダム建設の中止、
後期高齢者医療制度の廃止など、
各大臣から矢継ぎばやに大方針が示され、
関係各所が大わらわとなっている。


民主にしてみれば、
マニフェストに沿っているだけなのだから、
「寝耳に水」と言われる筋合いはないと言うだろう。

アメリカでも新政権発足から100日が勝負。
鳩山内閣がスピードを重視しているのは間違いない。

何といっても鉄壁の官僚機構が相手である。
最初は一発ガーンとかますのもよかろう。
ぼくたちだって、
それが民意なのであれば、
多少の痛みは覚悟する必要がある。


しかし何でもかんでも、
「マニフェスト通り」の一言で片づけてよいものでもあるまい。
確かに民主党は大勝した。
しかし自民党に投票した国民も大勢いるわけであり、
前にも書いたが、
民主主義の要諦は少数意見を大事にすることである。
多数意見が間違えていることがあるという謙虚さは、
民主主義において最も大事なことだ。

この国に大鉈を振るわねばならぬ時であることは間違いない。
しかし、
振り回し過ぎて弱者や、
ひいては国そのものの首を切り落とすようなことがあってはならない。


●のりピー保釈。不思議なほど、何の感慨も沸かなかった●昨日のブログで井上雄彦を井上雅彦と誤ってしまった。情けない。訂正しました。。。

2009年9月17日木曜日

密着

漫画雑誌を買って読むことはなくなったけど、
会社近くの喫茶店で夕食を食べる時、
そこにある「ジャンプ」「マガジン」「モーニング」には目を通す。

週刊少年ジャンプで連載中の「バクマン」(原作・大場つぐみ、作画・小畑健)は、
2人の現役高校生がジャンプでの連載を勝ち取るという面白い設定で、
週刊漫画誌の内幕や、
漫画家の苦労がよくわかる。

アンケートハガキによって毎週はじきだされるランキングは、
テレビにおける視聴率と同じで、
人気があればアニメ化されもするし、
下位低迷が続けばあっさり打ち切られる。


週刊モーニング連載の「バガボンド」(井上雄彦作)は、
「スラムダンク」の作者井上雅彦の次の作品だということは知っていたけど、
そのタイトルの意味が「放浪者」とか「漂泊者」だということは長年知らず、
お察しの通り、
ずっと「バボンドって変なの」と思っていた。

その井上雄彦氏が「プロフェッショナル」に出ていて、
しかも1時間拡大版だというので大いに期待して見たけど、
なんか物足りなかった。


何か所も喫茶店をはしごしながらネームに苦しむ作者、
締切ぎりぎりの徹夜作業。。。
1年間も密着して、
あの程度しか肉薄できないものかなぁ。
スタジオでの質問も、
間が抜けているというか、
あまりに的を得ていないように思えた。

ひょとしたら、
「バクマン」を読んでいるから、
番組で紹介されたことぐらいは、
ぼくのなかで既に漫画家の「前提」になっていたのかもしれない。


といいながら、
ぼくは「バガボンド」の熱心な読者ではない。
11年にわたる連載も終幕も近いようなので、
いっちょマンガ喫茶でも行ってまとめ読みしようか。

●ミリオンダラー・ベイビーをまた見た。モーガン・フリーマンは、史上最強の黒人俳優だなと思う。

2009年9月16日水曜日

分子

高城剛氏の「サバイバル時代の海外旅行術」で知った「分子料理」。

すべての食材を数式化し、料理を徹底的に分析したうえで調理を始めるのです。この21世紀の新しい調理法はその後も世界を席巻し続けています。


同書によると、
「レストランマガジン」2008年版の上位3店は、
いずれもこの分子料理の店だという。


ということで、
どんなものかネットで調べてみたのだが、
液体窒素を使うだの、
それでシェフが両手を吹き飛ばされただの、
変てこな情報が一杯あって、
どうにも具体的なイメージがわかない。

でもスペインの「ELbulli」というお店が、
その最先端の様子で、
レシピ本はすでに2000年に出版されていた。


たぶん「分子料理」というのに明確な定義はなく、
既存の概念に惑わされずに食材や調理法を組み合わせることで、
新しい食感や風味を追求する料理法という意味のようだ。

「食材を数値化」するということは、
つまりすべての食材を等価に扱うということなのだろう。


高城氏の本はその他、
いろんな意味で面白かったのだが、
一番興味深かったのは「あとがき」かもしれない。

実際の僕は正真正銘の根なし草で、放浪癖があり、日本に出入国する場合はマイレージなどの無量航空券ばかりで、いまも年に数日は野宿するし、空港で泊まることも多いという人間です。そんな日々の僕に過去数年ついて来てくれた女性をめとり、今も変わらず同じ鞄を持って、同じようにパッキングし、あちこちへ旅を続けています。

「この女性」とはもちろん沢尻エリカのことだ。
本屋でこのあとがきを読むだけでも、
彼らへの見方は変わると思う。


ちなみに彼のブログによると、
彼はこの5年かけて、
それまでの定住生活からの脱皮を図ったと述べている。

自分に染み付いた価値観を一度「分子レベル」に解体し、
それから本当に欲するものへカスタマイズするという作業は、
最近の思想の傾向にも似ている部分があるかもしれない。

彼はそれを身をもって実践してるわけだ。


●鳩山内閣がいよいよ発足する。果たしてこの国を再編できるだろうか●横浜の工藤投手が自由契約に。ちなみに彼は愛工大名電出身。そう、イチローの先輩である。

2009年9月15日火曜日

異能

「チョコレート・ファイター」(ブッチャヤー・ビンゲーオ監督)
が予想通り面白かった。

自閉症児として生まれた娘が、
見よう見まねでムエタイの達人に成長するというストーリーは、
ほとんどお笑いの荒唐無稽さなのだが
異能のファイターを演じる主演のジージャーのアクションが痛快無比。
戦う場面設定も工夫されていて、
十二分に楽しめた。

最初、
画面に阿部寛が映るので、
注文を間違えたかと思ったら、
彼も出演していたのだった。
全然知らなかった。


ところで、
イチローが大リーグ9年連続200安打を達成した時、
ぼくは寝ていて、
またしてもテレビの歓声で目が覚めた。
寝ていても耳は起きているのだということを痛感する。

「走りながら打つ」と形容される独特のバッティングスタイルは、
イチローという天才のオリジナルであり、
その突出した異能さを見せつけられると、
未来永劫、
この記録を超える人は出てこないだろうと確信する。

その意味では「前人未到」というより、
空前絶後というべきだろう。


21世紀に入ってずっと、
この人はぼくたちを興奮させ続けてくれているのだ。
彼と同じ時代に生きていることが、
とても嬉しいじゃないか。


●「007/慰めの報酬」(マーク・フォースター監督)はポール・ハギス脚本ということで見たが、これは脚本の出来不出来というより、やっぱりアクション映画で、それなりに面白かった。

2009年9月14日月曜日

旅行

「地球の歩き方」といえば、
ぼくが大学生のころは貧乏旅行者のバイブルだった。
ネットなどない時代に、
同じような貧乏旅行者の口コミが満載されていて、
この本がなければ、
ぼくは北米一周の旅などしなかっただろう。

その「地球の歩き方」も読者層が高齢化し、
それにつれて随分高級なホテルなども紹介しているという。


ネット時代の旅のあり方について、
かの「ハイパーメディアクリエイター」高城剛氏が書いた、
「サバイバル時代の海外旅行術」という本(光文社新書)が、
なかなか面白い。

広告主に迎合した日本の旅行ガイド本がいかに「ダメか」を示し、
ネットや最新機器を使った、
旅のノウハウを具体的に紹介している。

各国情勢についてCIAのサイトが最も充実しているとか、
「分子料理」なるものが世界中のトレンドだとか、
知らないことが次々に出てきて、
まるで別世界の話を聞いているようだ。

相変わらず何をしているのか、
よくわからない高城氏。
「皆既日食は是非見るべき」など、
いささか我田引水の観もあるけど、
情報は新鮮で実用的だけに、
説得力は十二分といえる。


それにしても、
世界中で携帯電話が使え、
ネットができる時代になって、
地球は狭くなったのだなぁと思う。

国境や人種など気にせず、
軽やかなフットワークで世界を縦横無尽に旅する高城氏に、
少し嫉妬してしまった。

沢尻エリカと結婚したからではない。

念のため。

2009年9月13日日曜日

国旗

国旗を逆さまに掲揚することは、
「国家の非常事態」を意味そうだ。
「告発のとき」(ポール・ハギス監督)で初めて知った。

ならば日の丸はどうなのだろう?
逆さまにしてもわからん。
ということは、
常に非常事態ともいえる。


それはともかく、
「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家が監督だけに、
間違いなく脚本の腕は超一流。
この人の作品ならまず、
何を観ても間違いはないと確信した。


イラク戦争から帰還したはずの息子が、
悲惨な死体となって発見された謎を父親が探るという、
一応ミステリー仕立てになってはいるが、
実際はイラク戦争帰還兵の後遺症という、
生々しい問題を扱っている。

謎解きにあたって、
父親が元軍警察の軍曹だったという設定が、
かなり有利に働いており、
ご都合主義的ともとられかねないところだが、
脚本の上手さプラス、
トミー・リー・ジョーンズら名優陣に、
最後まで持っていかれた。


帰還兵ものとしては、
「ディア・ハンター」(マイケル・チミノ監督)という傑作があったな。
一連の「ランボー」だってそうだ。

まともな人間は戦場では生き残れない。
どんな人も狂気をはらんでいくし、
そうなることを拒めば、
きっと死がすぐに待ち受けているのだろう。

多くの元兵士は、
自分の中の狂気に気づかされ、
それは帰還して英雄と奉られようと、
一生その人の中から消えることはないだろう。


ところで、
この作品の原題「IN THE VALLEY OF ELAH」とは、
旧約聖書のダビデとゴリアテの故事に由来するのだそうだ。

確かに原題では日本人には何のことやらわからんのだが、
「告発のとき」という邦題も、
観終わった今となっては違和感が残った。

●住吉でチョコパが精一杯の一日だった。

2009年9月12日土曜日

風潮

寝る時に枕元で、
小林秀雄の講演のCDをかけることが多い。

何度聞いても飽きない点は、
古今亭志ん生のCDに通じる点がある。
(といいながら寝てしまうのだが)

印象的な言葉は数々あるのだが、
最近一番気にいっているのは、
科学万能主義を「ここ300年ほどの風潮」だと、
言いきっている部分だ。


彼は「経験は主観でも客観でもない」と言う。
経験は経験だと。
科学的かそうでないかという物差しで計って、
その経験が正しいか間違いかなどと決める筋合いのものではないのだと。

科学とは計量可能なものだけを扱う。
だから計量不可能なものは迷信と退ける。
そのことをはっきり認識することが大切だと。

今や科学は人間の心をも、
脳という計量可能なものに置き換え、
脳の科学的変化を突きつめれば、
ついには心が分かると仮定しているが、
それは誤りだとも。

つまり、
彼は心は脳にはないと言っているのだ。


久々に駅前のTUTAYAに行った。
「チョコレートファイター」を観たかったからなのだが、
たった1枚の在庫は借りられていたので、
仕方なく「ミラーズ」(アレクサンドル・アジャ監督)という、
ホラーを選んでしまった。

ぼくはホラーは基本的に観ないので、
この作品がホラーとしてどの程度の出来栄えかは分からない。
ストーリーはいささか破たんしているようで、
かつ最後の方の展開は端折り過ぎのようにも思う。
でも、
2度ほど出てくる惨劇シーンは、
さすがに背筋がゾワゾワした。


鏡に映った自分が、
まるで自分以外のもう一人の人物のように感じ、
鏡の向こうにもう一つ別の世界があるように感じたことは、
そういえばぼくにも子どものころあるし、
だれでもそうかもしれない。

そんな人類共通(?)の神秘性に裏打ちされているだけに、
科学的精神は封印して最後まで観た。


●今週はなにかと忙しく、元町へは行けそうにない。寂しいのだけれど●志ん生のCD第2巻を注文した。

2009年9月11日金曜日

禁断

ヒース・レジャーが28歳で急逝した時、
ぼくは彼のことを知らず、
その後公開された「ダーク・ナイト」のジョーカー役で、
強烈な演技に打たれ、
「惜しい俳優を亡くした」ということを実感した。

と同時に、
どうして彼がジョーカー役に抜擢されたのか不思議で、
「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督)をDVDで観た。

で再び驚かされた。

そこには、
悪の化身で饒舌なあのジョーカーとは似ても似つかぬ、
寡黙で不器用なカウボーイ役の彼がいた。
それもゲイの。


1960年代の米といえば、
もちろん黒人差別は存在したわけだが、
ゲイやレズに対する偏見は、
ある意味黒人に対する以上に強かったのではなかろうか。

映画に登場する二人のカウボーイは、
20年間にわたり関係を続けながらも、
女性と結婚し子どもももうけ、
一見人並みの家庭を築く。

二人の逢瀬は年に数回。
それでも、
いやそれが故に二人の愛は衰えることなく、
それは片方の悲劇的な死まで続く。


大自然をバックにした二人の演技が素晴らしい。
どっちつかずの中途半端な状態を続けた果てに、
自分たちや周囲を不幸に陥れ、
結局、
取り戻すことのできない年月を悔やむ。

そんな悲劇的な歳月が、
やや駆け足に、
それでも淡々と描写されていく。


それにしても、
ゲイの寡黙な青年とジョーカー。
これほど振幅の激しい役を演じきったヒース・レジャーとは、
いったいどのような俳優だったのだろうか。

ダーク・ナイト完成直前、
公私ともにつかれ切った彼は、
睡眠薬など薬物に頼るようになり、
結局それがもとで死んでしまった。


そこまでして、
あのジョーカーを作り上げたのか。

もう一度「ダーク・ナイト」を観たくなった。

2009年9月10日木曜日

矜持

プロ野球横浜ベイスターズの工藤公康投手は、
46歳でなお1軍で投げていることそれ自体驚異だ。

しかし、
最近は敗戦処理的な使われ方しかせず、
それでも淡々と投げる様は、
それが現実の力とはいえ、
多少悲しい気もする。


岡田J対ガーナ戦は、
1-3になった時点で99%負けたと思ったが、
後半、
5分間で立て続けに3点入れて、
まさかまさかの大逆転。

4点とも日本得意のセットプレーではなく、
流れの中でのシュートであり、
日本代表史上、
画期的な試合になった。

こうも綺麗にいくと、
逆にガーナが弱いだけではと思ってしまう卑屈さが、
日本人の悪いところかもしれない。


にしても、
稲本の活躍にはシビれた。
ヤンチャ坊主の印象が強かった彼もじきに30歳。

2001年からずっと海外クラブでプレーしているものの、
最近は代表に招集されてもベンチを温めてばかりだったが、
後半18分に投入されたこの日の彼は、
岡崎の頭に合わせたピンポイントクロスといい、
態勢が崩れながらもゴール左隅に蹴り込んだ決勝点といい、
一瞬にして圧倒的な存在感を示してみせた。

きっと胸中では狂喜乱舞していたはず。
でもインタビューの言葉がいい。

「いいボールがきたので、コースを狙って打った。向こうの中盤が空いていたんで、スペースを狙った」

さらりと語る姿に矜持を見た。


世代交代は避けられないし、
それがない世界は衰退するしかないのだが、
ベテランのこういう決定的な仕事を見れて、
こちらが狂喜乱舞した。

2009年9月9日水曜日

希望

「桑田佳祐の音楽寅さん」は
ふざけ半分の番組かと思っていたのだが、
回を追うごとに
手間と金がかかっていることが分かるようになってきた。

演奏も映像も、
とにかく凝りようが半端ではなく、
桑田の力の入れようが伝わってくる。

本気で馬鹿をやっている感じ。


今日はほぼ全編、
山中湖のライブ映像だった。
それを見て、
あらためてボーカリストとしての桑田の凄味を感じた。

それは番組ラスト「希望の轍」の時で、
ゲスト参加(したらしい)若手ボーカルにマイクを渡すのだが、
歌が若手に変わった途端、
一気にパワーダウンするのである。

もちろん、
桑田が自分のために作った歌であるし、
PAその他もすべて彼の声質にチューニングしてあるわけだけど、
そういうことを差し引いても、
若手みんなが、
ただのカラオケボックスでわめくあんちゃん、
にしか見えなかった。


にしても、
「希望の轍」はいい歌だ。

夢を乗せて走る車道
明日への旅
通り過ぎる街の色
思い出の日々

恋心なぜに切なく胸の奥に迫る
振り返る度に野薔薇のような Baby love

遠く遠く離れゆくエボシライン
Oh, my love is you.
舞い上がる蜃気楼
巡る巡る忘られぬメロディライン
Oh my, oh yeah,
Gonna run for today, oh, oh......

風の詩(うた)よ
黄昏(たそがれ)よ
ためらいの道

波の音は今宵もブルー
愛しい君の名を誰かが呼ぶ

ため息の中にほのかなあこがれが寄り添う
愛されるために羽ばたくような Baby love

熱く熱くこみあげる涙に
Oh, my love is you.
たわむれの放射線
揺れる揺れる 面影は哀しく
Oh my, oh yeah,
Be the one for tonight, oh, oh......

情熱の重さは夜の凪
さまよう夏の日は陽炎(かげろう)

遠く遠く離れゆくエボシライン
Oh, my love is you.
舞い上がる蜃気楼
Di di di......
Oh my, oh yeah,
Let me run for today


桑田佳佑こそが希望だ。

2009年9月8日火曜日

朝食

この時間、
珍しくNHKで大リーグ中継をやっている。
自分が見ていながら何だけど、
一体どんな人が見ているのだろうと思う。

レイズと戦うヤンキースは17連戦の最中だとか。
しかもダブルヘッダーだという。

年間162試合。
日本より遥かに広い国中を移動しながら戦うメジャーリーガーは、
何よりタフでなきゃやってられない。


イチローが大リーグ通算2000本安打を達成した。
渡米してから9年目。
連続200安打も目前だ。

彼の全ヒットのうち、
約400本が俊足を生かした内野安打。
力と力のぶつかり合いが好きなアメリカ人には、
いささか物足りないかもしれない。

彼がどれほどかの地で評価されているのか、
本当のところはよく分からない。

それでも彼が活躍し続けられるのは、
大きな故障がなかったから。
彼もまた信じられないぐらいタフな男だ。


母からの受け売りだから不確かだけど、
朝食にカレーというイチローの「日課」は、
医学的には理想的なのだそうだ。
ま、
いかにも体が活性化しそうではある。

カレーはさすがに食べないけど、
ぼくも朝食はけっこう食べる方だ。
しかも、
起きてすぐにでも、
かなりの量を食べられる。

甘い物でも一向にかまわない。
というより、
甘いものがないと物足りない。

かといって、
ぼくがタフというわけではない。

夏休み明けの仕事は、
想像以上にしんどかった。

早く来い、
冬休み。

2009年9月7日月曜日

転換

毎日放送の「走れ感嘆符ポストマン」を見ていたら、
はるな愛が、
昔勤めていたニューハーフのお店の先輩に、
謝りに行くという企画をやっていた。

店に入りたてのころ親切にしてもらいながら、
売れっ子になって「天狗」になったそうで、
先輩が店を辞める時にもロクに挨拶しなかったという。

「天狗」になったニューハーフというのは、
下品なダジャレのように思えて、
どこまで本当か嘘かよく分からなかったが、
とにかく性転換を選択した彼女(彼?)は偉い。


フォーサイト9月号の『「多様な働き方」への転換は可能か』という特集に、
次のようにある。

終身雇用が曲りなりにも機能してきたのは、高度成長期までのごく一時期だけにすぎず、それも製造業の大企業、中でも男子従業員のみで、全体の労働力人口からみれば、10%にも満たない。

と前ふりして、

そもそも、わが国では、「まっとうな生き方」だと人々の考える幅が狭すぎる。偏差値の高い大学に入り、直ちに一流企業に就職しその会社で働き続ける、このパターンのみが成功であり安心を保障すると考えすぎではないか。

と続ける。


今頃そんなこと言ってくれるなよ。

ぼくたち高度成長期の申し子は、
この「10%」あるいは「まっとうな生き方」信仰にモロに影響されたし、
それ以外の生き方を想像することは怖いことだった。
典型的なサラリーマンだった父の下で育ったぼくは尚更だ。

そういうことに反発して、
実際そういう生き方はしないと誓ってきたのだが、
やはりこの信仰は骨の髄まで染み込んでいるようで、
結局何もかも中途半端のままここまで来た。


東京で再会した同級生の女性は、
大学卒業後に病院で事務の仕事をしたあと、
アメリカの大学に入りなおし、
帰国後は劇団や英会話学校に勤め、
ついには映画の翻訳の仕事をするようになった。

会うのは結婚式以来初めてだったが、
今は仕事はセーブして、
もっぱら夫婦でテニス三昧なのだと話していた。


彼女に限らずぼくの周囲の女性は概して自然体だ。

男が終身雇用信仰に絡めとられないのと、
彼女たちが結婚→出産=女の幸せ信仰に陥らないのと、
どちらが難しかったかを比較する気はないが、
いずれにせよ、
若い時期にジャンプした彼女らが、
今輝いていることは間違いない。


これから働き方、
つまり生き方はますます多様化していく。
時代の転換に取り残されぬ力は、
このぼくに残されているだろうか?

少々弱気になる秋である。

2009年9月6日日曜日

一日

今日こそは東京を堪能しようと思ったのだが、
ホテルのチェックアウトが10時というのが気になってロクに眠れず、
それでもモーニングを食べたうえにアンパンとプリンを食べて、
気合いを入れてホテルを出たら、
凄く暑かった。

おまけにパソコンなど荷物を全部入れたバッグが肩に食い込み、
あっさりギブアップして新幹線に乗ることにした。

せめてもと、
東京駅近くの丸善で「12万円で世界を歩く」(下川裕治著、朝日文庫)を買い、
新幹線で読もうとしたが、
ほとんどずっと寝てしまった。


実家にたどり着いて少し仮眠した。
再び外出して住吉でチョコレートパフェを食べ、
家では岡田J×オランダ代表戦の後半を観戦。
続きに佐野元春と矢野顕子のインタビュー番組を見て、
さらにTUTAYAから送られてきていたDVDで、
「クラッシュ」(ポール・ハギス監督)を観る。


結局ぼくの2泊3日の東京の旅は、
alfieに行ったことと、
中学時代の同級生に会ったことと、
渋谷のカラオケボックスに行ったことと、
丸善で本を一冊買ったことだけで終わった。

実は4日から6日まで東京JAZZをやっていて、
もう少しでも計画性があればチケットを手に入れて、
それを堪能する手もあったのであり、
そうしていれば「有意義」だったのかもしれない。


しかしながら今、
こうして一日が終わる前、
とてもすがすがしくいられるのは、
不思議な気もする。

いわゆる計画的で有意義な一日もいいけど、
こんな訳の分からない、
かつ慌ただしい一日も、
ぼくらしいと、
ひとり納得する。


自画像は自宅の棚に再び収まり、
ぼくも、
あるべき場所に戻った。

いずれ自画像を持って、
12万円で世界を歩く日も来るだろう。

●サッカーは結局「オランダ強えー」という印象しか残らなかった。たぶん彼らは90分のうち、本気は10分ほどしか出さなかっただろう。それで3点取るのだから●ポール・ハギスは「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本を手がけた人で、「クラッシュ」ではメガホンもとった。大変な才人だと思う。出演者ではマット・ディロンが素晴らしかった。

2009年9月5日土曜日

目的














週末の渋谷駅周辺はすごい人ゴミだった。

スクランブル交差点は青になる度に、
恐らく数千単位の人が四方から無秩序に交じり合いながら、
それでいて大過なくそれぞれの人が行き交い、
それぞれの目的地へと向かっていく。

この光景はいつもながら壮観である。
しかし、
人や物や情報が間断なく行き交うこの街は、
ただじっとしているには実に耐え難い場所でもある。

人との待ち合わせの時間まで、
わずか30分余りをやりすごすのに、
高架下の喫茶店に避難した。

明確な目的を持たず漂う人間に、
東京という街が見せるキツさは、
ぼくが学生だったころと何も変わらないなと思う。
人間の「動的欲求」というものを可視化するなら、
ここほどふさわしい場所はないと思う。



「巡礼」(橋本治著)はいわゆる「ゴミ屋敷」に住む独居老人が、
いかにしてそのようになったのかを描く。

昭和という時代を生真面目に生きながら、
いつのまにか社会のゴミ同然となった男が、
かつての記憶が残る家に、
他人にはゴミとしか映らぬ物を溜め込む。

それでは何もどうにもならないことは、
百も承知しながら。

時代に取り残された男の、
哀れな末路といえばそれまでなのだが、
ぼくには他人事とは思えなかった。


明日は我が家へ帰ろう。
それが今のぼくの目的だ。


●暇な人はウォーリーを探してみて下さい。

2009年9月4日金曜日

実感

GLAYがデビュー15周年を迎え、
日産スタジアムでライブを開いたと、
ホテルのテレビをつけたらやっていた。

彼らの「ここではない、どこかへ」が、
チャート1位になったのは、
ちょうど10年前の9月のことだ。














とういうことで、
夏休みを利用して、
ぼくは家を飛び出し東京に着いた。
自画像を携えて。


ここに来るのはだいたい3年半ぶり。
茶色の駅舎は変わらないけど、
何やら大規模な改修をしているようだ。

片やぼくはこの3年半で、
全面リニューアルと相成ったのだろうか?

それを確かめるために来たような気もする。


とはいうものの、
たった3年半では、
東京の雰囲気に大きな変化は感じられない。

大阪に比べてマスクをしている人がやや多い気がするのと、
エスカレーターで右側を空けることぐらいだ。

ひと目で変化が分かるような変化は、
逆に本当の変化ではないのかもしれない。



夜は六本木のalfieに。
都合7年間住んでいながら、
この店に入るのは実は初めてだ。
嘉本信一郎(ds) 福田重男(p) 佐藤"ハチ"恭彦(b)のトリオライブを堪能した。

帰りのエレベーターで、
ヴォーカリスト・フリューゲルホーンプレイヤーのTOKUとすれ違った。

東京に来て、
一番東京にいるんだと実感した。

2009年9月3日木曜日

巡礼

今日から遅い夏休みになった。
いつもの事ながら、
どこに行こうかグズグズ考えている間に日が迫り、
海外はもう無理で、
沖縄はインフルが流行ってそうで、
北海道は寒そうなのでパス。

でもとにかくどこかには行きたい。
どこかに行きたくて行きたくて、
東京行き新幹線の安いチケットを衝動買いしてしまった。


そうしてみると、
始めから東京に行きたかったような気がしてきて、
ネットでビジネスホテルも予約した。

荷造りは何もしていないけど、
たぶん大丈夫だろう。


旅の友にと「巡礼」(橋本治著、新潮社)を買った。

今のぼくにとっては、
どこかに行って何をするかではなく、
どこかに行くこと自体が大事なのかもしれない。

だから結局、
東京でもジャンカラで歌の練習をするだけになろうとも、
それはそれでもいいのだ。

ということで、
明日は東京からお届けします。

●元町に行くとペンギンさんたちが忙しそうにしていた。ぼくは夏休みでぼーっとしていた。

2009年9月2日水曜日

子音

ドトールで、
「マンゴーミックスジュースエスサイズ」
と頼んだのに、
「アイスコーヒーエスサイズですね」と間違えられた。

どうして?

実は今回が初めてではない。
さすがに何か理由があると考えて、
最近買い換えたイヤホンのせいだと思い至った。

どうして?

そういえば、
こんな間違われ方は、
イヤホンを買い替えてからだ。

新しいイヤホンは、
遮音性がより高いのである。


家に帰って実験してみた。

イヤホンをしたまま録音してみると、
「マンゴーミックスジュース」と言ったはずが、
「アンオーイッウウウーウ」と聞こえた。

実際にはそれほど極端ではなかったけど、
要は子音が弱くなっていた。

ちなみに音楽を流しながらだと、
自分はちゃんと発音しているつもりでも、
まるで耳が聞こえない人のようになった。

英語の発音でも子音の重要性が言われるが、
日本語でも、
ほんのちょっとした子音の弱まりで、
たちまち聞き取れなくなるのだと、
妙に感心した。

ドトールの店員は、
良く分からない発音だったので、
咄嗟に一番よく売れる「アイスコーヒー」だと推測したわけだ。


ぼくたちは、
普通に会話していても、
常に自分の発音を聞き取り、
実にデリケートにフィードバックしているのだ。
発声は実に微妙な仕組みで成り立っている。

だから、
耳の聞こえない人にとって、
正確に発音することは、
至難の技だと、
再認識した次第。

●ひと夏タンクトップと二枚のシャツで過ごしたのに、九月に入っていきなりポロシャツを着たら、肌寒かった。間抜けなことだ●実は今日から夏休み。どう過ごすか。決まっているけど、それなまたいずれ。

2009年9月1日火曜日

雑草















夕暮れ時に自転車に乗っていたら、
家の近所の空き地に夕日が降り注ぎ、
雑草の緑が余りに鮮やかで、
思わず一枚撮った。

ここは元々国鉄の社宅があった場所で、
建物が取り壊された後も、
何が建つでもなく放置されている。

放置といってもちゃんと金網で囲われていて、
中に入る子どももなく、
雑草が好き勝手に生い茂っている。


「雑草という名前の植物はありません」
という昭和天皇の言葉は有名だが、
名前なんて人間が勝手につけたものだから、
それぞれがどんな名前なのかなど、
当の植物にとってはどうてもいいことだ。

こうしてスキあらば生えてくる雑草を見ていると、
市街地というのは、
いかに人間が管理して自然を抑え込んでいるのかに気づかされる。


●写真をクリックすると、画面いっぱいに雑草がお楽しみいただけます●「アンブレイカブル」(M・ナイト・シャマナン監督)をDVDで。このころはまだドンデンガエシの監督で通ってたのだなぁと納得した。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...