免許証の写真が、
自分のベストショットだという人に、
ぼくはお目にかかったことがない。
出来上がった免許証を見て、
そこに映っているのは紛れもなく自分だけど、
お願いだからもう一度取り直してと言いたくなる、
そんな人がほとんどではないか。
でもそんな願いは聞き入れられるわけもなく、
かといって紛失したことにして再発行するほど暇でもなく、
次の更新までの3年間持ち歩くことになる。
しかし、
免許証の写真は本当に自分のありのままを映し出しているだろうか。
自分が思い描く自分の顔は美化されすぎているとしても、
他人が見る自分の顔は果たして、
免許証の写真のようなものだろうか。
写真が映し出す情け容赦のない外見とは違って、
他人が見る自分の顔には、
その他人が自分に対して感じている「情」が加味されているはずだ。
よくも悪くも。
ブログで「たはしろ」と名乗り始めたとき、
自分でさえ気恥ずかしく、
それが自分だとは思えなかった。
買いたての洋服のようによそよそしく、
ぼくという人間に馴染んではくれてなかった。
それでも何だかんだいって、
はんこ名刺を作ったり、
「たはしろ」名義でライブをしたりしているうちに、
最初のころの違和感は薄らぎ、
今では少しだけだけど、
愛着すら感じ始めている。
「たはしろ」というひらがな四文字を見たとき、
あるいは発音したときの感触の中に、
毎日このブログに向かってきた記憶や、
セッションで歌った経験や、
そういった様々なものが喚起されるからだと思う。
それはきっとぼくだけではなく、
これまでこのブログに付き合ってくれている、
貴重な人たちにも共通の思いだと信じたい。
だから初めてこのブログを見て、
「へっ、たはしろだって」って思っているあなたも、
そのうち、
それ以外ありえないと感じるようにきっとなる。
こんなことを書いているのは、
今日2月1日は「もといちの日」だから。
みんなと会い、
「たはしろ」名刺を配るはずだろう。
美人は三日で飽きるが、
ブスは三日で慣れる。
実も蓋もない言い方ではあるが、
そういうことだ。
そもそも、
2年1組の「もといち」ってのも、
最初は変な感じたはずだ。
歌を歌うぼくは「たはしろ」。
2月1日は「もといちの日」
何年かかろうが定着させてみせる。
●「もといち」に「たはしろ」。なんか似ているな。
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