「嘘を吐く」という活字を見た時、
「うそをつく」と読むのだと理解はしていても、
それより先に「うそをはく」と生理的に読んでしまう癖は、
いまだに抜けない。
「酷い」も「ひどい」より「むごい」が先だ。
こういう語感はなかなか矯正されない。
この二語は、
最近の小説で特によく使われているように感じられる。
「反省してまーす」と言った国母選手に、
生理的反発を覚えるのは、
きっと日本人だけだ。
この感覚を外国人に説明するのは、
ほとんど不可能に思える。
「反省しているという言葉をだらしなく発音した」と説明して、
さらに「つまり彼は本当は反省などしていないと多くの日本人に受け取られた」
と補足しても、
日本人なら生理的に感じる感触をそのまま伝えることはできないだろう。
当然逆もまたしかりで、
外国語にあるであろう「反省してまーす」的な感覚は、
ぼくには一生実感できまい。
先日亡くなったサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は、
きっと英語のネイティブなら感じ取れる多くのニュアンスが、
日本語では抜けていて、
たぶんその抜けてしまったところこそが、
この小説の肝ではないのかとさえ思える。
話は前後するが、
国母選手のくだんの発言はYouTubeにもアップされていて、
それを見ると「反省してまーす」の直前に、
「ちっ、うっせーな」と言っているのが、
確かにマイクに拾われていた。
そういえば、
あの一件の後、
国母選手が銅メダルを取る夢を見た。
なのにマスコミの扱いは異様に小さいという、
変てこな夢だった、、、
で、
ここからが本題なのだけど、
「ミステリアスセッティング」(阿部和重著、講談社文庫)。
平易な文章の中に「涕涙(ているい)」とか、
「傲岸(ごうがん)」とか「双眸(そうぼう)」とか、
難読熟語いっぱい出てきて、
そのひっかかりが意図的なのかどうかが、
ひっかかった。
若者に人気の著者である。
しかもこの小説は、
著者初の「ケータイ小説」だったそうだ。
いくらルビがふってあるとはいえ、
こういう文字を読んだ若い人が受ける感触はどんなものなのか。
きっとぼくの語感とは、
全く違うに違いない。
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