仕事にせよ趣味にせよ、
思い通りにことが運ぶことは少ない。
いやほとんどゼロといってもよい。
でも何年かに1度、
思わず誰からも干渉されず、
拍子抜けするほど、
計画通りに事が運ぶことがある。
自分でも「嘘っ」と言いたくなるような。
そういう時はもちろん嬉しい。
でもきっとそれは、
数え切れぬほどの不本意や失敗があればこそなのだろう。
躓(つまづ)く石も縁の端
そんな言葉があるとは知らなかった。
日常のささいな失敗はもとより、
もう二度と立ち直れないと思うほどの挫折であっても、
それがあったから今がある。
もし今の自分を愛せるならば、
過去躓いたすべての石も、
愛することは無理だとしても、
せめて感謝することはできよう。
高校生の文化祭で、
さだまさしの「まほろば」を歌ったことがある。
川の流れはよどむことなく
うたかたの時押し流していく
昨日は昨日
明日は明日
再び戻る今日はない
そんな歌詞があって、
当時も何となく「そうだよなぁ」と思っていたが、
この中年になって改めて感じ入る。
歌詞はこう続く。
例えば此処で死ねると
叫んだ君の言葉は
必ず嘘ではない
けれど必ず本当でもない
いやぁ深い。
●泡沫は「うたかた」と読みます。ぼくも知らなかった●この「まほろば」を歌ったテープ、今もあるんだよなぁ●さあ、人間が「限界の先へ」挑む五輪が始まる。TV中継のメーンは、超夜型のぼくにはピッタリの時間帯で、怖いぐらいだ(笑)。
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