デジタルとアナログ。
対極にあるようなこの二つが、
突き詰めれば同じだということを、
茂木健一郎の対談集「芸術脳」(新潮文庫)で気付かされた。
原子レベルまでいけば、
どんなものだってデジタルだ。
ぼくは無神論者だし、
魂の存在も信じない。
人は死とともに、
自我も消滅する。
長い間そう思ってきたし、
今も基本的にはそうだと信じている。
自我は脳に宿るのだと。
でもごく最近、
ある可能性について考えるようになった。
「人体製造」でも触れたように、
臓器の複製やクローン人間の技術は、
早晩確立される。
とはいえ、
クローン人間は、
自分と寸分違わぬ遺伝情報は持っているとはいえ、
絶対に自分とは違う。
なぜなら、
脳が経年変化をしていないからだ。
何のソフトも入っていない新品のPCのようなものだ。
しかしながら、
もし、
たった今のぼくの脳と同じ状態を、
原子レベルにおいてまで、
そっくりコピーすることができるとしたら、
その脳の感じる自我は「ぼく」だろうか?
このPCのデータを、
丸ごとコピーすることができるのと同じように。
人体とPCが違うことは承知してます。
技術的に今出来るかということではなく、
思考実験として。
思うに当然それは「ぼく」ではない。
ということは、
「ぼく」という自我は、
脳の中にだけあるのではないということなのではないか、、、
最近考えているのは、
そんなことなのです。
くだらないかもしれないけれど、
ぼくにとってはかなり重大。
たまたまこの文章を読んだ人でもいいから、
答えがわかる人がいたら、
tahashiro@gmail.com
までお教えください。
●久し振りに住吉でチョコレートパフェを食べました。やはり暖かくなると、美味しさが増すような。
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