2010年4月11日日曜日

複製

デジタルとアナログ。

対極にあるようなこの二つが、
突き詰めれば同じだということを、
茂木健一郎の対談集「芸術脳」(新潮文庫)で気付かされた。

原子レベルまでいけば、
どんなものだってデジタルだ。


ぼくは無神論者だし、
魂の存在も信じない。

人は死とともに、
自我も消滅する。

長い間そう思ってきたし、
今も基本的にはそうだと信じている。

自我は脳に宿るのだと。


でもごく最近、
ある可能性について考えるようになった。


「人体製造」でも触れたように、
臓器の複製やクローン人間の技術は、
早晩確立される。

とはいえ、
クローン人間は、
自分と寸分違わぬ遺伝情報は持っているとはいえ、
絶対に自分とは違う。

なぜなら、
脳が経年変化をしていないからだ。

何のソフトも入っていない新品のPCのようなものだ。


しかしながら、
もし、
たった今のぼくの脳と同じ状態を、
原子レベルにおいてまで、
そっくりコピーすることができるとしたら、
その脳の感じる自我は「ぼく」だろうか?

このPCのデータを、
丸ごとコピーすることができるのと同じように。


人体とPCが違うことは承知してます。

技術的に今出来るかということではなく、
思考実験として。


思うに当然それは「ぼく」ではない。


ということは、
「ぼく」という自我は、
脳の中にだけあるのではないということなのではないか、、、


最近考えているのは、
そんなことなのです。

くだらないかもしれないけれど、
ぼくにとってはかなり重大。


たまたまこの文章を読んだ人でもいいから、
答えがわかる人がいたら、

tahashiro@gmail.com

までお教えください。


●久し振りに住吉でチョコレートパフェを食べました。やはり暖かくなると、美味しさが増すような。

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