2010年4月29日木曜日

生府

健康こそが至上主義の、
政府ならぬ「生府」が統治する近未来。

伊藤計劃の「ハーモニー」(ハヤカワ書房)は、
先日紹介した処女作「虐殺器官」に続き書かれ、
そして彼の遺作となった作品だ。


前作が集団意識をテーマにしていたとするなら、
本作はまさに個人の意識そのものがテーマだ。

人間が完全な生物に「進化」するためには、
自意識などはむしろ邪魔で、
盲腸とか尾てい骨みたいに退化して、
なくなっちゃえばいいのに。

たぶんこれが著者の最大の問いだろう。



なるほどそうかもしれない。



でも自意識がなくちゃあ、
それはすでに人間とは呼べないよなぁ。

人間は自意識をもった存在で、
だからどうしようもなく愚かな時はあるけど、
それもまたよしっていうか、
許容したいって心が、
ぼくの中から抜けない。



ところで。

健康至上主義社会といえば、
未来ではなく、
過去にすでに実例がある。


ナチス・ドイツだ。

ユダヤ人大虐殺へとつながる道のスタートラインが、
「健康は国民の義務」とうたったナチスの厚生事業であることは、
周知の事実である。

喫煙や飲酒を忌み嫌い、
全ドイツ国民を健康にするという理想の果てが、
あの大虐殺であったことは、
今一度思い起こしておきたい。

健康であることは喜ばしいけれど、
「義務」だと言ってしまえば、
たちまち、
病人は国民の義務を果たしていないという論理へとつながったことは、
想像に難くない。

そういえば、
どこかの国に「健康増進法」なるものがあったっけ。



健康は権利であって、
義務ではない。

お間違えなく。


●ハーモニーは、迫力や完成度からいえば虐殺器官ほどではないと思ったが、ガンで亡くなった著者の遺書として読めば、かなり痛切。にしても享年34歳とは、本当に惜しい。

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