「球界のキムタク」こと、
巨人の木村拓也コーチが急死した今月7日、
甲子園行ったぼくは、
巨人ファンが着ているユニホームを観察した。
圧倒的に多かったのは、
背番号「6」。
21歳の若武者、
坂本勇人選手だ。
ほかに「2」の小笠原、
「24」のラミレスなんかもいた。
当然のことながら、
レギュラー選手のユニホームが大半だったのだけど、
中に一人だけ「8」を着けている人がいた。
「TANI」
谷佳知選手である。
「ヤワラちゃんの旦那」という言いかたもある。
普段控えだから、
人気ないんだなぁって、
その時は思った。
その谷がやってくれた。
彼の追悼試合と位置づけられた、
今日の巨人×広島戦で、
何と代打逆転満塁ホームランを放ったのだ。
谷と木村はいずれも、
他球団からの移籍組、
いわゆる「外様」選手である。
互いに37歳。
同学年でもあり、
お互い励まし合ってきたという。
巡り合わせとしかいいようのない一発に、
谷は抑えようのない涙を流した。
この試合、
木村コーチの10歳の長男が始球式を務めた。
まだ四十九日も迎えておらず、
悲しみの岸辺にいるに違いないのに、
満員の東京ドームのマウンドに立ち、
山なりとはいえ、
立派なストライクボールを阿部捕手に投げ込んだ。
この子に勝ちをプレゼントしなくてどうする。
1点ビハインドで迎えた8回の攻撃は、
巨人ナインの執念が詰まっていた。
「出来レース」と揶揄する声もあろう。
でもぼくは違うと思う。
野球の天才集団「巨人」。
ひとケタの背番号を着けている谷でさえ、
控えに甘んじねばならぬ巨人。
そんな天才たちが本当の本気になってもぎとった、
そんな勝ちだと思った。
同時に、
そんな層の厚い巨人の中、
ピッチャー以外の全部の守備をこなし、
左右両打席でヒットを打った、
背番号「0」のキムタクは、
天才的万能選手だったのだと、
再認識した。
現役時代からのキムタクの口癖は、
「絶対にあきらめるな」だったという。
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