オウム事件は現代社会における「倫理」とは何かという、大きな問題をわれわれに突きつけた。オウムにかかわることは、両サイドの視点から現代の状況を洗い直すことでもあった。絶対に正しい意見、行動はこれだと、社会的倫理を一面的にとらえるのが非常に困難な時代だ。
罪を犯す人と犯さない人とを隔てる壁は我々が考えているより薄い。仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある。体制の中に反体制があり、反体制の中に体制がある。そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。
昨年6月に読売新聞に3日に分けて掲載された、
村上春樹のインタビューを読み返した。
「1Q84」のBOOK1と2が刊行された直後のものだ。
エルサレム賞の受賞スピーチ「卵と壁」が話題になった後でもある。
当時は、
村上春樹が相当の覚悟で「1Q84」を書いているのだと思ったものだ。
ところが、
BOOK3を読んだ今となってみると、
そういう重いものがすべて、
ラブストーリーという刺身のツマにされてしまった感が、
どうしても拭えない。
BOOK3が出るならば、
これらの問題をさらに深く深く掘り下げ、
いまだかつてだれも見たことのない世界へと誘ってくれる。
そう期待したのはぼくだけではあるまい。
だから、
BOOK3を読んだ率直な感想は、
「へへへ、実はこういうことでした」と、
悪びれず言われたような、
怒る気にもならないような、
そんな気なのである。
それこそ、
持ち上げるだけ持ち上げといて、
はしごをはずされたような感覚だ。
小学生のときに一度手を握り合った男女が、
20年たって尚互いを思い続け、
苦難の果てに結ばれる。
そんなことを書くために、
この小説はあったのだろうか。
もちろん、
二人のラブストーリーは、
この物語の重要な要素ではある。
しかし、
決して最重要ではなかったとぼくは思っていた。
第一、
もしそうだとしたら、
殺人という行為が、
あまりに軽く扱われすぎだろう。
1Q84年だろうが1984年だろうが、
何人もこの世から抹殺した青豆が、
普通に幸せになっていいはずがない。
倫理が相対的なものだとしても、
殺人は絶対悪だという部分は、
ぼくには譲れない。
一説には、
「BOOK4」があるという。
確かに、
1から3までは、
1Q84年の4月から12月までなんだよなぁ。
1月から3月までがないというのも、
なんか不自然ではある。
ほとんど無意味な根拠だ。
でも、
これだけ悪態をついても、
出たら読むんだろうなぁ。
これも未練かなぁ。
●コアなファンの人が読んでいたら、本当にごめんなさい。
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