「語感トレーニング」(中村明著、岩波新書)が、
なかなか面白い。
日ごろ何気なく使っている日本語だが、
実は驚くほど微妙に使い分けていることを、
痛感させられる。
「はじめに」から少し引用してみよう。
正確なことばというのは、単に誤りを含んでいないというだけでは不十分だ。「休憩」か「休息」かと迷ったとき、両方をやめて「休み」という語で間に合わせれば、そんな微妙な意味の違いに悩まずにすむ。「休み」には「休憩」も「休息」も含まれるから、たしかに間違いではないし、そういう把握が適切な場合もある。が、「休み」は、その「休憩」と「休息」だけではなく、「休暇」「休日」「休業」から「欠席」「欠勤」「欠場」までを含む広い意味のことばだ。そういう区別をせずに単に「休み」とするほうが適切な場合もあるが、それは、松も欅も楓も桜も白樺も無差別に「木」で片づけ、小腸と大腸どころか胃も肝臓も膵臓も区別せずに「消化器」で間に合わせるような、そんな粗っぽさで現実を切り取ったことになる。
そういえば最近、
会社の勤務表示が変わって、
従来の「明け」と「休み」がすべて「休み」に統一されてしまったのだが、
この引用に照らせば実に粗っぽい所業であることになる。
だって、
実感として「明け」と「休み」は全然違うんだもの。
愚痴はさておき、
引用を続ける。
「教員」「教師」「教官」「教授」「教諭」「先生」「師匠」はどれも、ものを教える立場の人をさすが、それぞえの語のさす対象や範囲にはずれがある。
すべてを「先生」に統一すれば、
それは合理的かもしれないが、
いちいち別の呼称があるのにはれっきとした理由があるのであり、
そこを無視して合理化するのは、
極端にいえば人間性を無視した行為だ。
このブログの読者のみなさまも、
日によって話題の違いもさることながら、
文体やちょっとした単語の選択によって、
「こいつ機嫌いいな」とか、
「ちょっと疲れてんのかな」とか、
微妙に感じとっていただけているのではないかと思う。
前にも書いたと思うけど、
人間の語感センサーは実に精妙で、
謝る人が「どうもすいまそん」って言ったら、
ふざけているのかってなる、
その感性は日本語のネイティブならではのものだ。
だから本当は、
このブログも細心の注意を払わねばならないんだけど、
「すいまそん」的間違いを多々犯していると思う。
そんなことを自戒させられる一冊だ。
●さて今日の気分はどー映りましたでしょうか?●何と、昨日の分の公開を忘れてました。今日のを読んでくれた方は、よろしければ昨日の分も併せてどうぞ。
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