2011年8月31日水曜日

土壌

わが家の前は電車が走っており、
子どもの頃、
その度に大きな声で歌った覚えがある。

大きな騒音の中で、
ぼくの声はかき消され、
恥ずかしくないからだ。

「わたしはドジョウ」と次の首相が言い、
室伏が念願の金メダルをつかんだ最中、
放射性セシウム137の土壌汚染マップなるものが公表された。

































6月に測定した値を、
今この時期に公にする狙いは、
小学生だったころのぼく並みの、
浅知恵まるだしである。

最高地点では、
チェルノブイリ事故の時に、
強制移住基準とした値の10倍に及んだ。

あのソ連でさえ、
国民を強制移住させた基準の10倍ですよ、
10倍!

まさしくケタ違いの惨状だ。

こういう場所に住んでいた人は、
気の毒と言うしかないのだけど、
生きているあいだに再び戻ることは出来ない。

とまぁ、
そんなことは随分前から分かっていたことなのであるが、、、

今改めて思う。

「絶対に起こらない」と、
国や電力会社があれほど言っていた事故が、
それを遥かに上回るレベルで、
この日本列島で起きたのだ。

ジェノサイド。

大量殺戮という言葉が重い。

事故を起こしたことはもちろんだが、
その後の対応の遅さ、
情報の隠蔽、
そして今現在も遅々と進まぬ除染。

そういったすべての行為が、
この国の人による、
この国の人の未来に対するジェノサイドである。

んなこと言われたって、
じゃ私に何ができるの?

そう思う人もいるだろう。

それは無理もない。

この国の最高権力者である首相でさえ、
浜岡を止めるのが精いっぱいだったのだ。

ただ、
ぼくらが今現在行われている、
ジェノサイドの間接共犯だという、
そういう認識を持つだけでも、
未来は大きく違うと信じたいのだ。

●掲載した地図は、グーグルマップに落とし込んだものをネットで見つけたので転載させていただきました。

2011年8月30日火曜日

失格

昨日は、
落とし穴事故のことで一杯だったけど、
もうひとつ、
驚くべき事件があった。

世界陸上男子100メートルの決勝で、
超人ボルトがまさかのフライング失格。

予選や準決勝の走りを見ていて、
相変わらず別次元だと思っていたので、
これには驚いた。

何でスタートにこだわる必要があるの?

他の誰よりも遅く走り始めたって、
余裕で1位になれただろうに。

彼を見ているといつも、
「人間の進化」について考えさせられる。

こと「走る」ということに関して、
彼は原生人類とは明らかに異なる進化を遂げた、
新人類なのではないかと。

そんなことを書くのも、
今読んでいる「ジェノサイド」(高野和明著、角川書店)と、
どこか話がかぶるからだ。

まだ途中なのだけど、
人間の進化は「突然」起きるという話。

こと「走る」ことに関して、
ボルトは人類の進化を体現しているに違いない。

でも、
その彼にしても、
プレッシャーに負けてフライングしちゃんだから、
心の進化のほうは、
まだまだなのかもしれない。

「伝説になりたい」

ボルトは大会前、
そう言っていた。

もう十分伝説だし、
フライングもまた、
新たな伝説になる。

彼は存在そのものが、
すでに伝説なのだ。

●野田首相誕生へ。ふーんって感じ。



2011年8月29日月曜日

暗転

夫の誕生日のサプライズにと、
妻らが掘った落とし穴に、
夫婦一緒に落っこちて窒息死した事故。

23歳同士の新婚カップルを襲った悲劇に言葉を失う。

深さ直径とも2.5メートルの穴を、
人力で砂浜に掘る労力は並大抵じゃない。

それは夫を驚かせ、
また、
誕生日を祝おうという愛情の深さでもあったはず。

それが最悪の結果となり、
というか、
こんな結果は誰にも予想できるわけない。

夜の砂浜。
ロマンチックなひと時。
そして暗転。

砂の中に生き埋めになった二人が、
死にゆくまでに考えたことは何だっただろう。

それを想像するだけで、
誰もが胸を痛くするに違いない。

4月に結婚したばかりだって、、、

悪い駄洒落とは思いつつ、
人生の落とし穴は、
どこに口を開けているかわからないと思う次第。

ただただ合掌。

2011年8月28日日曜日

大雨

大阪の記録的な大雨と、
出勤時間がちょうど重なった。

大阪駅について、
「避難民」であふれかえる地下街を抜け、
地上に出ると、
まさに「バケツをひっくり返したような」雨。

イヤホンごしに雷鳴も聞こえる。

地下からの出口から、
いつも立ち寄るドトールまでの、
ほんの50メートルほどの間、
一応折り畳み傘をさしていたけれど、
体の左半分がかなり濡れた。

アイスコーヒーを飲みながら一服していると、
30分もたたない間に雨はほとんど上がり、
ちょうどいいやと、
ぼくも腰を上げた。

出社すると、
フロアのあちこちで、
新聞紙を詰め込んだ靴が、、、

喫茶店にも寄らず、
真っ直ぐに出社した真面目な方々は、
あのゲリラ豪雨の直撃を受けたらしい。

ぼくのような「カジュアル」な服装の人間ならいいが、
特に女性は可哀そうだった。

同僚の一人は、
皮のバッグをびしょぬれにしてしまい。
「シミになる~」と顔をしかめた。

そしてぼくが、
「もう、ほとんど上がってるよ」
と言ったら、
「えぇ、マジで」と、
マジで恨めしそうだった。

「記録的豪雨を体験できてよかったやん」

ぼくの言葉が彼女の慰めにもならなかったことは、
言うまでもない。

●民主党代表選は、泣き虫の海江田君が一歩リードと報道されていた。この国も、マジで末期的症状かもしれないと思った。

2011年8月27日土曜日

遭遇

元町駅の改札を出て信号待ちをしていたら、
右手の壁に違和感。














でっかい蛾。

本当は苦手なんだけど、
あまりに見事だったので、
思わずカメラを取り出し近接撮影。

写真では大きさが分かりにくいけど、
羽の左右幅は10センチぐらいあったんじゃないかな。

でもこの蛾、
夏バテのようで、
もぞもぞするものの一向に飛び立たず、
帰りに見たらまだいた。

それから大急ぎで天六方面へ。

ところが行ってからその用事がキャンセルとなり、
時間が余ってしまった。

そこで、
いつも寄りたいと思っていた喫茶店に入ってみた。

これが当たり。


















珈琲屋「BOGA」と言う名前で、
雰囲気良すぎ。

水だしコーヒーが懐かしく、
BGMのジャズもよし。

そして、
店を出て歩いていると、
妙な光景。


















窓があったはずの場所が、
塗りつぶされて、
窓枠だけが残っている。

そして夜、
近所のキャラバンのセッションに初めて行った。

すると、
昨夏にライブをした時に、
サックスを吹いてくれた神通さんとバッタリ。

いやぁ、
今日は素敵な遭遇が続いた。

で、
考えてみると、
やっぱり自分が動かないと、
素敵には出会えないということだ。

出会いは足でかせげ。

今日の教訓である。

2011年8月26日金曜日

革新

スティーブ・ジョブズが、
アップルのCEO(最高経営責任者)を辞任した。

病気が原因だというから、
相当に深刻なのだろう。

アップルといえばジョブズ。

ジョブズといえばアップル。

iMacにiPodoにiPadにiPhone。

革新的な商品の数々は、
すべて彼によってこの世に送り出された。

ぼくにとってアップルの製品は長年、
魅力的ではあるものの敷居が高いというか、
食わず嫌いなところがあった。

ようやくiPodに手を出し、
iPadに足を伸ばし、
使ってみて初めて、
どれほどアップルという会社が偉大であるか、
分かり始めた矢先だった。

それは例えば、
各駅停車しか乗ったことのない子が、
新幹線に乗ったような感覚。

それほど、
既存の商品とは比べ物にならない、
製品の先進性と完成度。

世界中の電気メーカーが、
束になってかかっても、
ついにその牙城は微動だにしなかった。

それどころか、
先日、
一時的にではあるが、
アップル株の時価総額は、
アメリカ1=世界1になった。

ジョブズが座右の銘にしていた言葉で、
ぼくが好きなのは「ずっと無謀で」だ。

彼は、
誰もが無謀と思えることを、
強い信念と美学で貫き、
世界中をあっと言わせ続けた。

先日、
余人を持って代えがたい人のことを書いたけど、
彼こそは相応しい。

ジョブズのいないアップルが、
これまで通りのアップルでいられるとは、
とても思えない。

それは、
ビートルズの後継者がいなのと、
同じように不可能なことだ。

人類は、
もう、
「あの頃」を懐かしむことしかできなくなった。

●辞任発表だけで、株価は下落し、その総額は4兆円近くになるという●ジョブズがいた間に作られたアップル製品を何か買おうと思案中である●本日、元町詣でをいたします。


2011年8月25日木曜日

美学

島田紳助の電撃引退から1日。

時間はたってしまったが、
会見の模様をYoutubeで見た。

新聞で要旨は知っていたけれど、
実際見てみないとわからないものだ。

さすがに雄弁、
というか、
自らの引退を「深イイ話」にしてしまう話術は、
さすがと言わざるをない。

恐らく会見を見た人は、
少なからず彼に同情したと思う。

何を隠そう、
ぼくもその一人だ。

長年その世界で生きてきて、
ルールだって痛いほど知っていても、
落ちてしまう穴はある。

昨日までなかったところに、
突然大穴が開いていたなんてことも、
サラリーマンをしていて、
何度も目にしてきた。

そうでなくても人生なんて穴だらけで、
落ちたことがない人は、
その人が立派というより、
単にラッキーなだけなのかもしれない。

レギュラー番組を抱えるテレビ局はバタバタだったとは思うが、
それでも、
くだらない番組に差し替えながら乗り切って、
ある番組は打ち切り、
ある番組は司会者を代えて続くのだろう。

今は同情を受けていても、
結局それが現実だ。

人の噂も七十五日。

彼のことも、
せいぜい数年もすれば忘却の彼方かも。

そう考えると、
「余人を持って代えがたい人」って、
本当に少ないなと思う。

芸能人でもスポーツ選手でも政治家でも芸術家でも、
結局その人じゃなきゃ駄目と思う人の数こそが、
その人の本当の社会的「価値」を支える。

どんな人にも当てはまるのは、
とりあえず家族かな。

彼は引退は自分の「美学」と表現していた。

同情しつつも、
この点はちょっと違う気がした。

辞めても平気な蓄えのある人に、
「引退の美学」は説かれたくない。


2011年8月24日水曜日

進退

天声人語の書き写しは、
一応続けていて、
1冊目のノートも残り少なくなってきた。

そんな23日付けの一文には驚いた。

20日付けの同コラムで、
「夕顔」と書いていた植物が、
実は「夜顔」でしたという、
全文を費やしての「お詫びと訂正」。

「不明を恥じつつ、おわびします」

もとより植物にうといぼくは、
その日もちゃんと書き写したが、
まったく気づかず。

だから責める気は毛頭ないのだが、
天下の朝日新聞の、
看板コラムでのこの大間違い。

結構チェックがおざなりなんだなぁとは思った。

筆者は辞職願までは出さずとも、
進退伺ぐらいの話にはなったのではと、
他人事ながら心配になる。

そして夜には、
島田紳助が芸能界引退のニュース。

仕事の合間にニュースをチラ見しただけなのだが、
暴力団幹部と長年にわたる交際があったという。

別件でメールのやりとりに気付いた警察から、
吉本興業に連絡があり、
本人に確認したところ認めたという。

事情通の知人によると、
週刊誌にすっぱ抜かれそうになり、
電光石火の引退会見となったようだ。

吉本の危機管理能力は優れている。

吉本としては紳助を解雇すればいいだけだろうが、
吉本を解雇されるということは、
イコールテレビ出演などが出来なくなるということであり、
一気に引退まで話が進んだのだろう。

それに紳助は芸能界を引退したって、
もうすでに有り余る富を築いただろうし。

「悪いことをしている意識はなかった」

とは紳助の会見での弁。

長年芸能界に身を置き、
硬派な番組の司会などもしていて、
頭の回転は速いと思っていたのに、
意外に脇は甘かった。

ぼくは紳助がデビュー当時から知っているけど、
特に好きというわけではなく、
引退しようが一向にかまわないのだが、
唯一彼の番組で見ている「なんでも鑑定団」の行く末は、
とっても気になる。

今夜の放映が最後だったのだろうか。


2011年8月23日火曜日

小穴

久々にセッションに行こうと家を出たのだが、
今日はその前にもう一つ用事を済ませなければならない。














長年愛用してきたジーンズの小穴が、
いつの間にか大きくなり、
通勤で使うにはちょっと、、、となった。

さすがに買い替え時でしょと、
自分でも思い、
梅田・イーマビルのDIEZELへ。

ユニクロ大好きだけど、
ジーンズはやっぱりここのが好きだ。

すると、、、














ない。

そういえば、
前に今のジーンズを買ってから、
一度も行ってなかった。

ビルのテナントも随分変わってしまったようだ。

仕方なく、
ipadで調べると、
大丸やルクアにテナントがあることがわかったが、
イーマまで来て後退するのも何か嫌で、
思い切って心斎橋の大阪本店に行った。

そこで、
イーマにいた店員さんの名を告げ、
ひょっとしているんじゃないかと思ったら、
ルクア店で働いていると教えてくれた。

何でこだわったかというと、
このMさんという店員さん、
何かぼくには波長が合って、
色々親身に相談に乗ってくれた記憶があるのだ。

だから名前も覚えていた。

しかし、
そんな彼女なら本店勤務になっているのでは、
という読みは素人考えだったようだ。

今はルクアが「最前線」なのだろう。

では、
初めてルクアに行ってみるか、
と思ったのだが、
すでに夜7時を回っており、
今からでは店には着けても、
ゆっくり試着するゆとりはなさそうだ。

それにMさんが今日いるとは限らない。

ということで、
ルクアはまた改めて行くとして、
とりあえず「本店に来たぞ記念」で、
一本買いました。

サイズは同じ。
さらに、
前のと同じように小さいけど穴、
空いてるんだよね(笑)。

帰宅すると、
母が、
「また穴空きかいな」と、
新品に指を突っ込みながら言った。

今よりはましやろ。

新しい小穴が再び大きくなるまでに、
ぼくはどれだけ成長できるだろうか。

ふと思った。

●ということで、結局セッションには行けませんでした。でも近々行くつもり。また報告しまーす。

2011年8月22日月曜日

登頂

24時間テレビは、
今年も仕事でほとんど見れなかった。

唯一、
家で少しテレビをつけた時映ったのが、
珍獣ハンター・イモトアヤコが、
盲目の少女とキリマンジャロに登頂した場面だった。

それまでの経過を全く知らず、
突然その画面に出くわした。

とにかく日の出の瞬間で、
女性二人がすごい感動していた。

キリマンジャロって、
いわゆる「登山家」でなくても登れる山みたいだけど、
確か「あいのり」では、
何人かが高山病でリタイヤしたような記憶がある。

その山に登ったこの二人って、、、

これを書きながら、
少女について調べると、
立木早絵さんで年齢は18歳。

2歳で失明したものの、
トライアスロン(!)など様々なスポーツに挑戦し、
24時間テレビでは有名らしい。

一方イモトアヤコは、
別番組でモンブラン登頂の経験もあると知った。

二人はロープを持って、
イモトが先導して登ったようだ。

体力的には問題のない二人のようだけど、
それにしてもすごい。

アフリカ最高峰の頂から、
地平線に登る朝日を眺め、
立木さんが「見えます」と言っていた。

「見える」わけはないのだけど、
彼女には本当に「見えた」んだと思う。

ひょっとしたら、
24時間で最高の場面を見たのかも。

徳光さんは60キロを無事完走(歩?)。
まぁご無事で何よりでした。

伴走のいつものあのおじさんも、
ある意味今までで一番疲れただろう。

みなさん、
お疲れ様でした~。

2011年8月21日日曜日

本意

昨日紹介した「1万人が選ぶニッポンの名場面」。

会社で今日話しても、
だれも1位を言い当てられなかった。

見てないんかい!

というわけでもないが、
録画を見直して、
改めて全部紹介してみよう。

30位 夏の甲子園 斎藤佑樹vs田中将大
29位 大阪万博
28位 植村直己 北極点単独到達
27位 美空ひばり 不死鳥コンサート
26位 千代の富士vs高花田
25位 山下泰裕金メダル
24位 バース、掛布、岡田バックスクリーン3連発
23位 毛利さん、シャトルで宇宙へ
22位 岩崎恭子、14歳の金メダル
21位 キャンディーズ解散
20位 王、ホームラン世界記録

19位 皇太子と雅子妃結婚
18位 サッカー日本代表W杯初勝利
17位 東洋の魔女金メダル
16位 長嶋茂雄引退
15位 逸見政孝,がん告白会見
14位 新元号「平成」発表会見
13位 天皇と美智子皇后の結婚パレード
12位 W杯での本田圭佑フリーキック
11位 横井庄一「恥ずかしいけれど」奇跡の生還
10位 北島「チョー気持ちいい」金メダル

9位 北朝鮮拉致被害者生還
8位 新潟県中越地震、2歳児救出
7位 山口百恵引退
6位 高橋尚子金メダル
5位 はやぶさ奇跡の帰還
4位 長野五輪日の丸飛行隊金メダル
3位 あさま山荘事件
2位 WBCイチロー決勝タイムリー
1位 荒川静香金メダル

こんな具合だ。

うーん、
こうしてみると、
やっぱり五輪は強い。

それも絶対「金」。
30傑中6個。
2割が「金」だ。

「金がいいです〜」と言った選手もいたけど、
金の威力恐るべし。

そりゃ値段も上がるわ。

これは冗談。

それと、
これは30重大ニュースではなく、
あくまで名場面ということ。

事柄としては重要でも、
それが映像としてインパクトがなければ、
ここには入っていない。

そういう意味でも五輪を含むスポーツは強い。

とはいえ、
野球ファンなら「江夏の21球」は欲しいだろうし、
ゴルフファンなら「青木功ハワイアンオープン優勝」は是非もの。
バレーボールファンなら「ミュンヘン五輪の男子金」がないのは不思議だろう。

テニスファンならウィンブルドンの伊達対グラフは欲しいし、
相撲ファンなら貴乃花対武蔵丸は不可欠のはず。

サッカーファンならずとも、
「ドーハの悲劇」は文句なしの名場面だ。

誰しも何かしらの不本意があるだろう。

ま、
TBSが映像を持っているかどうか、
それが決定的だったと思うが。

あと、
個人的には逸見さんのがん会見っていうのが、
相当に意外っていうか、
他がすべて明るい方の話題なので、
ひときわ目立つ。

そこでYouTubeで検索した。

http://www.youtube.com/watch?v=1mApD5eXrjw

「1年後に亡くなるのは本意ではありません」

享年48歳。

いやはや、、、

2011年8月20日土曜日

世論

さっきタクシーに相乗りだった後輩の男性に、

「昨日の『1万人が選ぶニッポンの名場面』って見た?」

と尋ねると、
「いいえ、何ですかそれ」と、
ややつれない返事。

「ネットで1万人にアンケートをとって紹介してたんや」

とぼく。

「ちなみに斉藤と田中の甲子園で決勝再試合が30位」

と言うと、
スポーツに造詣の深い彼は乗ってきた。

「で、1位は何やと思う」と振ると、

「イチローのWBCのヒットですか」

「惜しい、それ2位」

これで完全に彼はハマった。

Qちゃん、
北島、
王と長嶋、
東洋の魔女、
岩崎恭子、
ヤワラちゃん、
長野五輪のジャンプ、
もちろん、
なでしこ、、、

さすが速射砲のように、
歴史的スポーツの名場面を挙げるのだが、
残念ながらどれも「ブー」

なでしこは、
アンケートの締め切り後の出来ごとで、
もし今なら間違いなくダントツ1位だろう。

実際1位になったのは、
言われてみてへぇーって感じで、
ぼくとしても意外であったのだが。

「ヒント、五輪です。しかも10年以内です」

「女性の支持が圧倒的だった」

これだけ絞っても、
彼の脳はついにフリーズしてしまい、
降参だった。

こういう時、
正解を言うのって、
すんごく嬉しい。

皆さんは何だとお思いですか?

それは、、、

そうそうその前に、
ようやくブロガーが正常になりました。

借りていた「13人の刺客」を返そうと会社に持っていくと、
彼女も「下町ロケット」を読み終え持ってきてました。

甲子園も終わりですねぇ。

24時間テレビって、
8月の最終土日じゃなかったんですね。

ということで、
正解は、、、













イナバウワー

トリノ五輪、
荒川静香の金メダルでした。

そう明かすと彼は、
「そんなん全然思いつきませんわ。絶対無理」。
と憮然とした表情。

そんなもんなんだよね。

興味のあるなしや、
その時、
自分がどこにいて何をしてたかよって、
印象って全然違う。

出演者は「アリ対猪木」って言ってたし(笑)

ぼくはリアルタイムでテレビ見てたから、
比較的印象強いけど。

でも1位とは思わなかった。

女性にとっては、
相当インパクトあったんだなぁって、
教えられました。

2011年8月19日金曜日

和風

「十三人の刺客」(工藤栄一監督)が公開されたのは、
昭和38年12月というから、
ぼくが生まれる前月だ。

とんでもない暴君が明石藩にいて、
どうにかしたいのであるが、
生憎将軍の腹違いの兄弟で、
うかつに手出しできない。

そこで老中(若き丹波哲郎)が、
目付(片岡千恵蔵)に暗殺の密命を下す。

参勤交代の帰途につく一向を待ち伏せる十三人が、
53人を相手に大立ち回りを演じる。

そのリアルなチャンバラシーンは、
この作品の最大の見どころなのだが、
ぼくはむしろそこに至るまでの「静」の場面がよかった。

様式美っていうのかなぁ、
「江戸時代かくありなん」みたいな豪華セット。
あの当時なら存分に残っていたであろう農村風景。

昔の時代劇って「世界のクロサワ」ぐらいしか知らなかったけど、
いやいやどうしてなかなか、
色々観てみようかと思った。

片岡千恵蔵が渋い。
和製ジャン・ギャバンって感じだ。

彼の台詞が印象に残った。

「生きようとすれば死に、死のうとすれば生きる」

戦後18年という当時にすれば、
それは戦争を生き抜いた者として実感のある言葉だっただろう。

映画では十三人のうちの一人、
西村晃演じる剣豪が、
まさしくこの言葉を体現していた。

しかし、
今のぼくには別の意味で心に響く。

保身だけの人生は退屈で、
後先考えぬ人生は輝く、
みたいな。

それにしてもサムライって、
「生きがい」より、
「死にがい」を求めていたんだなぁ。

●引き続きブロガーの障害は直っていない。こんなことでいいのか?


2011年8月18日木曜日

寸前

昨夜プロ野球の中日対巨人戦をテレビ観戦した。

中日チェンと巨人内海両投手の投げ合い。

1点を争う好ゲームを楽しんでいた。

5回になって気づいた。

チェン、
パーフェクトじゃん!

パーフェクト、
いわゆる完全試合とは、
先発投手がヒットはおろか、
死四球もエラーもなく、
3×9=27人で試合を終わらせることだ。

日本プロ野球では、
1994年の巨人・槙原以来達成するもののない、
投手の偉業中の偉業だ。

それをチェンが今まさに、
達成せんかの勢いで巨人打線をほんろうしている。

いちおう巨人ファンのぼくとしては、
ゲッていう感じ。

だって巨人は一度も完全試合を食らったことがない。
もしもが実現すれば、
球団史上の屈辱である。

しかし、
こんな試合を見る機会はめったにないのも事実。
すでに内海は6回に1点を取られた。
7回を終え、
8回も1死。

あと打者4人。

嫌がおうにも興奮は高まる。
一緒に見ていた周辺も慌ただしい。

結局次の小笠原がヒットを打って、
完全試合もノーヒットノーランも、
一瞬にしてついえた。

それにしても、
チェンは槙原以来、
最も完全に近付いていたことは確か。

にしても、
ぼくが生きている間に、
達成する投手は現れるのだろうか。

それほど難しい記録なのである。

●ブロガーの調子が17日午後からおかしいらしい。これは、ちょっとした裏技で挑んでいる。ご心配の方がもしおられたら、そういうことなので、ご安心ください。ぼくは元気いっぱいです(笑)

2011年8月17日水曜日

交換

昨日の晩、
帰宅のタクシーは後輩の女性と相乗りだった。

乗った早々、
彼女が「で、なでしこ行ったんですか?」と聞く。

そうそう、
INACの試合か映画「トランスフォーマー」か悩んでいた時、
「映画はいつでも見れますからね」と言った、
あの彼女だ。

「お陰さまで見に行って大正解やったわ」

「映画もあとで観て面白かったけど、オススメはしないな」

とぼくが言うと、
彼女は「私も最近映画観たんです。十三人の刺客」

「あぁあれね」とぼくが言うと、
「それじゃなくて片岡千恵蔵主演のほう」と彼女。

「白黒の?」

「白黒の」

「それがすっごい面白くって、DVDまで買っちゃいました」

「えぇ~。それぼくも借りてみよ、っていうか貸して」

「いいですよ」

というやりとりの後、
ぼくも彼女に何か貸してあげるものはないかと考え、

「そうそう『下町ロケット』、最近珍しく一気読みしたわ、読む気ある?」

と投げかけると、

「読む読む~」というので、
今日会社に持って行った。

ちょうど彼女もDVDを持ってきてくれていて、
その場で物々交換みたいになった。

ぼくが貸した「下町ロケット」(池井戸潤著、小学館)


















彼女から借りた「十三人の刺客」


















感想はまた後日。

●「国の原発対応に満身の怒り」というYouTube(http://www.youtube.com/watch?v=O9sTLQSZfwo)東大にもこんな方がいるのだと、感心した次第。

2011年8月16日火曜日

論法

夕刊を見て頭にきた。

関電の火力発電所が故障して、
17日と18日の電力需給が厳しくなったという。

またもや「やっぱり原発必要作戦」かもしれないが、
ぼくにとってこれは逆効果。
火力発電所すら満足に運転できないようじゃあ、
原発なんて、
とても無理ではないかと、
普通なら思うと思うのだが。

それとも、
ぼくの頭が故障しているのだろうか?

さて。

ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」

事故を起こした福島原発の、
米GE社製の「マークⅠ」には、
技術的な問題があると、
当の米国では1970年代から言われていたのだそうだ。

格納容器が狭いという構造的欠陥で、
全電源喪失から6時間もすれば、
メルトダウンするということは、
すでにシミュレーション済みだったようだ。

登場する科学者は口ぐちに、
福島原発で起きた事故の進展が、
シミュレーション通りだったと語る。

昨日からの続きだけど、
んなことは国や東電はとっくに承知していたわけで、
にもかかわらず対策はとらないまま、
3.11を迎えたのだ。

「知っているのに知らんぷり」作戦である。

その背景には、
想定外のことは考えないという、
思考停止がある。

想定外=起きないのだから、
その対策は考える必要がない。
むしろその対策を考えるということは、
逆に想定外ではないということを、
認めることになって自己矛盾してしまう。

そんな論法である。

アメリカは原爆を持っていないのだから、
日本に落とされることなど考える必要がない、
というのと全く同じである。

例えば、
元原子力安全委員会の、
原子炉安全基準専門部会長だった村主進さんは、
こんなことを言っていた。

「いいですか。マグニチュード9という地震は過去に日本で起こったことないでしょ。たとえば、隕石が落下するということは、ね、これはあるんです、確率的にはね。あるけれども今は考えなくていいと。もう、あまりにも確率が低いから。ということでやっているわけですよ。だから津波だって、マグニチュード9の津波があるということは、今まで日本では未曾有ですからね。かつてなかったんだから。考えてなかったというのはやむを得ないと、そういうことになるわけですよ、安全屋から言わすと」

安全屋さんの論法を開き直りと感じるのは、
ぼくだけであろうか?。

いずれにせよだ。

村主さんには、
マークⅠの安全性について10年研究したという、
米の科学者の言葉を贈ろう。

「原発の安全性を脅かす問題は、想定を決めて想定外を無視すること。それが大きな過ちなのです」

そういう意味でこの番組、
有益ではあったのだが、
ひとつ懸念されることといえば、
結局悪いのは原発すべてではなく「マークⅠ」だ、
という論法にすり替えられる恐れがあることだ。

日本に10基あるという「マークⅠ」さえ廃炉にすれば、
それでいいのではという方向に、
議論の矛先が向かわないことを祈る。

2011年8月15日月曜日

必見

敗戦の季節を迎えると毎年、
マスコミで様々な検証報道や、
悲劇のドラマが放送される。

66回目になる今年、
それらがひときわ感慨深いのは、
言うまでもなく、
東日本大震災と福島原発事故があったからだ。

敗戦から復興にいたる経験から、
今のぼくらは大いに学ばないといけない。

NHKが先日放送した「原爆投下 活かされなかった極秘情報」。

この番組の内容を凝縮すると、
「原爆投下を日本軍は事前に知っていたのに何もしなかった」
につきる。

この驚愕のスクープ、
以下少しかいつまんで。

大戦末期、
日本軍は米軍が、
爆撃機B29で極秘任務を開始していることを、
電波傍受で把握していた。

また、
米軍が原爆開発に成功したことを、
知っていた。

広島に原爆が落とされた日も、
B29の飛来を、
完全に把握していたのに、
空襲警報を出さなかった。

さらに、
広島に落とされた爆弾は、
原爆だとはっきり認識していたにもかかわらず、
「非常に力の強い普通の爆弾の可能性もある」、
と言い逃れした。

そして極め付きは、
広島原爆の3日後、
長崎に原爆投下された際には、
5時間も前に原爆機の飛来をキャッチしていながら、
空襲警報はおろか、
撃墜命令も何も出さなかった。

つまり、
原爆投下は、
従来言われてきたような奇襲攻撃だったのではなかった、、、

敗戦後66年、
これら不作為の罪を一切、
わが国は公にしてこなかったのである。

どうしてそういうことになったのか?

ぼくが番組を見て推測するのは、
発端は、
日本軍による原爆開発の失敗である。

その時、
「アメリカ側においてもなしえざるものと判明せり」と、
何の根拠もない嘘を理由にしてしまった。

いったん嘘をついてしまったら、
それを守り通すため、
米軍に原爆は「ない」ことになってしまった。

そうした軍の面子のために、
結局、
数十万人の命が犠牲になった。

どうだろう。

福島原発事故後のこの国や電力会社の対応と、
瓜二つではないか。

「知っているのに知らんぷり」作戦は、
今も昔も変わらない。

66年たっても、
この国の本質は何も変わらず、
核の悲劇を再び招いた。

心底恐ろしい国だ。

この日本人必見の番組を制作した、
NHKのスタッフに敬意を表する。

2011年8月14日日曜日

臨書

つい先日、
「あなたは空白の時間をどうすごしますか?」
と問われ、
ぼくは「本とテレビとネット」と答えた。

散歩とか寝るとか、
人それぞれいろんな過ごし方があるだろうが、
ある人の答えには笑った。

「野菜を刻む」

その人が空白の時間に野菜を刻む姿が、
リアルに頭に浮かんだのだが、
確かに野菜を刻んでいると、
時のたつのを忘れ、
無心になれるような気がする。

天声人語を書き写していると、
ふと頭が真っ白になっていることがある。

それに似てるのかも。

そういえば、
腰を痛めて半年ほど療養していたという、
瀬戸内寂聴さんが先日徹子の部屋に出ていて、
病室でヒマがあると指で写経をしていたと語っていた。

坊さん続きでいえば、
NHKで「空海 至宝と人生」っていう、
3回シリーズを見た。

空海といえば弘法大師。

天下の三筆の一人である。

その番組の中で、
高名な書家が、
空海の直筆をそっくりまねて書く場面があった。

臨書というらしい。

書家はその意味について、
こんなことを言っていた。

書を見るのは楽譜を見るようなもの。
臨書するのは、
実際に楽譜を演奏してみるようなもの。

なぁるほど。

一点一角、
忠実に自分で再現することによって、
空海の気持ちを推し量ることができるのだという。

手本を真似る意味って、
テクニックを身につけるとうことではなくて、
本当はそこにあるんだね。

特に毛筆だと、
そこに人格のすべてというか、
その時のその人のすべて、
体と心のありようが、
まんま出てしまうのだな。

子どものころ、
しばらく書道を習っていたけど、
そんな観点は全然教えてくれなかったぞ(怒)。

よって今に至っても、
悪筆のままの心。

空海なんて、
神様だわな(笑)

●学生時代のバイト先に、字とボーリングは滅茶苦茶うまかったけど、会社の金を「横領」しちゃった人知ってるけど、、、●「(プロフィール欄の小生の)真っ直ぐな瞳に恥じぬよう精進します」と残暑見舞い。実はぼくの気持ちもそうなんです、、、

2011年8月13日土曜日

文鎮


















どーも。

私、
「オクトパス君」と申します。

震災で大きな被害を受けた宮城県南三陸町から、
はるばるやってきました。

元々は町のキャラクターなんですけど、
「南三陸復興ダコの会」が文鎮にしてくれました。
別名「東北復興ゆめ多幸鎮」と言います。

販売代金の一部が東北の復興にあてられるというので、
この家の愚息、
いや、
おぼっちゃまに買われました。

「合格祈願」
「除災願」
「商売繁盛」

金ぴかに光りながら、
手広く皆さまに幸せを運んでおります。

到着早々、
おぼっちゃまの母上が、
私をサマージャンボ宝くじの上に置きました。

リビングの一頭地でした。

「三億円当たりますように」

一生懸命祈ったのですが、
「金運」は私には荷が重かったようです。

当選発表の日、
「あかんたれやな」のひと言で、
おぼっちゃまの部屋送りになりました。

ここでも非力ながら、
幸せを運んでまいりたいと思っています。

ただちょっと、、、、














机の上をいささか整理していただけると、
私も居心地がいいような気がするのですが、、、

私の願いは後?

それは失礼しましタコ~

2011年8月12日金曜日

氷柱

ものすごい暑さの中を、
元町に出かけると、
机の上に「どーん」という感じで、
氷柱が置かれていた。

ビルのエアコンが故障したんだって(笑)。

どうりで暑いと思った。

しかし氷柱とはね。

よく思いつきました◎

実際これで室温が下がるとは思えないけど、
確かに目には涼しい。

ドリフのコントに出てきそうな金ダライに入れられた氷柱を、
そっとなでてみる。

このビルの近くにある刃物屋でアイスピックを買ってきて、
かち割り氷を作ったら、
何人分できるだろうか。

そういえば、
夏の甲子園が真っ盛りだ。

こちらに転勤してきてから、
毎年のように夏の甲子園観戦は、
マイ恒例行事である。

特にどの学校を応援するわけでもなく、
アルプススタンドの、
応援団からはすこし外れた席に座り、
家から持参した冷やしたジョッキに、
これまた持参した冷えたビールを注いで飲む。

これ以上あろうかという爽快感だった。

飲酒をやめて4年になるが、
今でも、
あの喉越しは十二分に思い出せる。

それからも夏の甲子園には行ったことがあるが、
今の楽しみはかち割り氷を額にあて、
すこしずつ溶ける冷たい水を、
ストローで吸う。
これはまたこれで、
これ以上ない快感である。

今となっては、
甲子園という「聖地」には、
ビールより水や麦茶がよく似合うと思う。

前にも書いた覚えがあるけど、
そんな聖地が自転車で行ける距離にあるということは、
この辺りに住む者の誇りだ。

今年も行きたいけど、
さぁ実現できますかねぇ、、、

●氷柱の写真をお見せできないのが、実に残念だ●このブログを見て、天声人語を書き写し始めた小学生がいると、人づてに聞きました。嬉しい限りです。難しい字や単語があると思いますが、お母さんに尋ねてください。すべて教えてくれます(笑)

2011年8月11日木曜日

効果

ザックJが韓国に3-0で完勝。
泊まり明けで帰宅し、
夕飯食った後、
ソファでうとうとしながら観戦したのだが、
どうしちゃったの?というほど、
日本は強かった。

ひとつにはモチベーションの問題がある。
日本は震災があった上に、
元代表の松田選手が先日急逝したばかり。
喪章を腕に、
気合いが入らぬわけがない。

一方韓国は、
八百長問題で大揺れな上、
絶対的エースだった朴智星が代表を引退し不在。
さらに日本のホームゲームで親善試合。
長友を故障で欠いていたとはいえ、
日本に有利な状況がそろっていた。

それはそうなのだけど、
韓国といえば、
相手が日本というだけで、
潜在能力が五割増しになるようなところがあり、
戦前は正直「どうなることやら」と思っていた。
事実この6年、
一度も韓国には勝っていない。

一番驚かされたのは、
勝ったという事実ではなく、
戦い方だったようにも思う。
相手のゴール前に香川や本田らが攻めよせ、
素人目にも点が入りそうな「匂い」を終始漂わせていた。

実際香川の2ゴールは、
ちょっとこれまでの日本人では考えられないような、
すなわち「流れ」の中で、
相手ディフェンダーに囲まれながら決めるという、
メッシばりのプレーで、
ちょっと次元が違うと感動させられた。













以上述べてきたような、
すべての理由を踏まえ尚指摘したいのは、
「なでしこ効果」である。
口には出さないけど、
彼らの頭にはなでしこの快挙に負けまいとする闘志、
あるいは、
「日本人でもやれる」という自信が宿っていたように思う。

やればできる。
その自信が結果となり、
さらなる自信を生む。
これから、
日本のスポーツ界にそういう好循環が起きたとしたら、
その起点には「なでしこ」がいると思って間違いない。

本当に、
今日のようなパフォーマンスを発揮できるなら、
W杯予選はもとより、
本大会でも相当どでかい事をやってくれそうな、
そんな予感がした。

http://www.youtube.com/watch?v=qj5a5Kpf6Osこんな子が大きくなるころには優勝も夢じゃない?●プロボクシング・ミニマム級の井岡も堂々の初防衛。ただ気になるのは、最近のスポーツ選手は勝っても「頑張れ日本」とか言わなくなったこと。心の中ではもちろん思っているだろうけど、まだまだ口に出さないとね●業務連絡。木曜日元町に行ってみます。


2011年8月10日水曜日

正論

関西電力が、
長期運転休止中の火力発電所5基を、
再稼動させる方針を決めた。
定期点検入りする原発の代替なのだが、
大規模補修が必要で、
来年の夏に間に合うかは不透明だそうだ。

震災があって福島原発が大事故を起こしてから、
5ヶ月近くたって、
今頃何を馬鹿なこと言ってんのと、
言うのはたやすいが、
彼らはそんなに馬鹿ではない。
というよりむしろ、
我々庶民よりははるかに(ズル)賢い。

彼らは同時に猛暑が復活して、
電力供給が逼迫しているとも喧伝している。
つまるところ、
彼らは独占供給している電力をタテに、
庶民を脅しているのである。
原発を再稼動させないと、
大変なことになりますよと。

一私企業のこんな横暴を前に、
マスコミはただ彼らの「脅し文句」を、
ハイハイと垂れ流すばかり。
ご丁寧に彼らの作った「でんき予報」のマークまでつけて。
「報道災害【原発編】」(上杉隆、烏賀陽弘道著、幻冬舎新書)にならえば、
これは報道ではなく広報である。
批判精神の欠片もない。

震災、
津波、
原発事故の報道を、
第二次世界大勢時のそれと比べる人が、
意外に多いことに勇気づけられる。
70年前と同じ過ちを、
ぼくら日本人は現在進行形で行っている。
黙っていることは、
加担しているのと同じだ。

しかし残念なことに、
そうした「正論」が「大本営発表」でかき消される状況もまた、
70年前と同じである。
当時との決定的な違いはネットの存在であるが、
まだまだネット上の言説は、
既存マスメディアが作り上げた信用を凌駕するには至っていない。

いかがわしい、
胡散臭い、
眉唾物。
決定的正論は、
時としてそんなゴミくず言説の中にある。
ゴミかそうでないか。
見極める目が大切だ。

菅総理の退陣がいよいよ迫っていると、
大マスコミがやっきにあおっている。
もっとも当のご本人はその気はないようだが。
(KANーFULL BLOG)

2011年8月9日火曜日

失敗

夕方姉から、
「やっぱり桜は散りました」とメール。
一瞬何のことかと考えて、
姪が就職活動の真っ最中だと思いだした。
最近はあんまり顔も出さないので、
すっかり忘れていた。

こんな時こそ「失敗の見本市」である叔父の出番だ。
失意であろう姪に、
なぐさめと激励を込めたメールを送った。
さっき帰宅して携帯を見ると、
返信が来ていた。

「人生なめてるところがあったと思います」。
神妙な内容の文章に、
いつも以上に誤字が多いのは、
涙のせいだろうか?
しかし、
そんなメールを打つことが出来ただけでも、
彼女は試験に落ちた意味がある。

二人いる姪の、
姉の方は何事にも全力投球で、
学生時代から就職まで、
期待通りの結果を残してきた。
対して妹の方は、
そんな姉の拓いた道をなぞるような、
「要領良さ」があった。
いつまでも姉という盾の後ろを歩くわけにはいかぬと、
身を持って知ったに違いない。

単体では失敗と呼べる結果でも、
後々「あそこで失敗して良かった」と思えることは、
人生には多々ある。
成功から学ぶことのできる賢い人はいるけど、
世の中の99%の人は、
失敗から多くの教訓を得る。

もし、
ぼくがここまでの人生、
失敗することなく歩んできていたら、
いまより相当嫌なヤツになっていただろう。
そういう意味で人生は、
なめてかかるぐらいの方がいい。
ぶつかって転んで、
奥深さを知り、
荒波にもまれて心が鍛え磨かれる。
若い二人には、
もっともっと失敗して欲しいぐらいだ。

2011年8月8日月曜日

美女

マイ夏休み前半戦も、
はや最終日。

午後から同志パティさんのライブを観に、
武庫之荘・Mクアトロへ。














歌が上手い人って一杯いるんだけど、
また聞きたい声っていうのは、
そうあるもんじゃない。

パティさんの妖艶ボイスはまさにそれ。

そして、
歌全体の安定感がますます増している感じ。
やっぱり場数って、
絶対に必要なんだなぁ。
ぼくも見習って、
早くライブしなっくっちゃ、
彼女に置いてきぼりにされちゃうね。

そうそう。

このライブに向かう途中、
西北のガーデンズのあたりを、
いつものような風体で歩いていると、
突然うら若き女性が話しかけてきた。

ぼくはイヤホンをはずし、
あらためて彼女の言葉に耳を傾ける。

「兵庫県立芸術文化センターはご存知ですか」

なんか、
宝塚歌劇の娘役が似合いそうな(感じの)人で、
何でこんな人がぼくなんぞに道を聞くかと思いながら、
とりあえず、
彼女たち(母親も一緒だった)の向かっている方向は、
真逆であることを伝え、
「とにかくあっちの方なんで、そこでまた尋ねてください」と、
身振りを交え答えた。

そう。
なんか美女デーなのであった。

んで、
本日の締めはこれ。














トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン(マイケル・ベイ監督)。

巷間言われるように、
もはやこれは映画というよりアトラクション。
2時間半の遊園地だ。

しっかし、
最近は3D眼鏡って持ち帰りなんだね。
どうしろっていうのかな?
3Dテレビもこれで見れるんかいな?

明日出勤の時に、
サングラス替わりにかけてみようか。

世の中がもうちょっと、
立体的に見えたりして(笑)

2011年8月7日日曜日

閃光

















暮れなずむ淀川。

今年は来れたぞ、
淀川花火大会。

去年はチケットを取りながら、
休みを取りそびれるという大失態。
今年はちゃんと夏休みおさえました。

天気はバッチリ。
このころには気温も下がり、
頬をなでる風が気持ちよい。
一緒に見物してくれる「相棒」もいて、
まさに完璧な花火日和。

毎年書くけど、
4年前の夏、
ぼくはこの花火大会を、
病院の10階から眺めていた。

あの時の気持ちを忘れぬために、
ぼくは毎年ここへ来る。





















光と音のスペクタクル。

あの時の記憶が、
ズシンズシンと心底に届く。

球児じゃないけど、
あの夏を忘れないと、
あらためて誓う。

そんな今年のマイベストショットはこれ。

2011年8月6日土曜日

翻訳

アインシュタインの伝記本が、
その日本語訳のあまりのひどさから回収騒ぎになり、
ネットや新聞で話題になっている。
初版5000部のその「とんでも本」にプレミアがつき、
定価の10倍で取り引きされているのだとか。

「これらのすごいブタが、あなたの精神に触れるのに最終的に成功したと立証します」
「堂々とした風采となだめている単語の両方で」
これはどう考えても自動翻訳そのまま。
出版史上に残る汚点だ。

こうなった経緯がまた不可解だ。
上下巻からなる伝記の中で、
とんでも翻訳は下巻の13章のみ。
ほかの章にこれほど酷い部分はないという。

一体どんな経緯でこんな事が起きたのか。
出版者がこういう騒ぎになること織り込んだ上での、
「宣伝活動」に利用したのではないかと、
うがった見方をしたくなるほど杜撰だ。
一冊の本の問題は、
ひいては「活字文化」への信頼を揺るがす。
先日も日経新聞に、
発売中の宝くじの偽当せん番号が掲載されるという、
前代未聞の珍事があった。

放送と通信の融合といわれて久しい。
電子出版もじわじわと日常に浸透しつつある。
執筆や編集や校閲など、
印刷されるまでのすべての作業がパソコンの中で行われるようになり、
紙媒体に対する緊張感、
つまり一度流布されたものは取り消せないという、
大原則が希薄になっているのではないか。
そもそも、
これら出版に不可欠な段取りを、
まともに踏んでいたのかも怪しい。

話題づくりには成功した。
適当に回収して重版から直せばいい。
そんな風に出版者が考えているとしたら、
そら恐ろしい話だ。
アインシュタイン博士も草葉の陰で泣いているに違いない。

2011年8月5日金曜日

便利

台所で、
母がブドウの皮をむいている。















右手に持った器具をくり。















くり。















ぷに。


そ、
それは何じゃ?

「これか、むい太郎や」

ブドウの皮むき専用の器具がテレビで紹介されていて、
近頃手に入れたそうである。

「包丁でむくより何倍も便利やで、ええわぁ、これ」

そう言いながら次々にブドウをくりくりしている。

実に楽しげだ。

「むい太郎でブドウむいたろうか」

ダジャレも飛び出す。














むい太郎。

主婦生活半世紀の母のイチオシです。

2011年8月4日木曜日

知命

プロフィールの写真は、
母の実家で祖母に抱かれている、
生後半年ぐらいの時のぼくである。
先日、
押入れの奥で偶然アルバムを見つけ、
あまりの懐かしさに掲載を即決した。
トリミングで消してしまったおばあちゃん、
ごめんなさい。

乳児のころのぼくの写真は、
ほかにも何枚かあるけれど、
自分ではこれが一番好きだ。
たって歩くことはもちろんまだで、
言葉もしゃべれなかったであろうぼく。
何も考えていないはずだけど、
何か妙にスッキリした表情が面白い。

写真が見事なセピア色になっていたのには、
驚いてしまったけど、
それ以上にアルバムそのものがボロボロだった。
台紙は赤茶け、
閉じているリングからほとんどがはずれている。
押入れの中に置かれているだけでも、
劣化は着実に進んでいたのだ。
万年筆で書き入れられた父自筆のコメントが懐かしい。

この写真を撮ったころ、
父は29歳だったはず。
若きパパは待望の長男に何を期待し、
どんな夢を託していたのか。
その後のぼくの人生と対象させると、
ただただ申し訳なく思えてくる。
今更反省してみても、
誤るべき父はもういない。

この写真から数年後、
幼稚園に入ったころからぼくは、
ひどく病気がちになって入退院を繰り返す。
父の期待はしぼみ、
かわりに健康を祈る日々へと変わった。
おかげさまであと2年も待たず「知命」となる。

いまだ惑ってばかりのぼくが、
本当に天命を知ることになるのだろうか?
ぼくが何をしようがしまいが、
勝手に朽ちるアルバムのように、
ぼくの中の何かが自然に変化し、
やがて天命を知る自分に気づくのだろうか?

2011年8月3日水曜日

分際

東日本大震災が発生して一週間後の、
3月18日、
スカイツリーが目標の643メートルに達していたと、
録画していたNHKのドキュメントを見て初めて知った。
634メートルの世界一高い自立式電波塔。
あの地震でもたぶん大丈夫なんだろうと思っていたが、
実はそうでもなかったらしい。

あの塔の構造はシャーペンのようなものだ。
展望台がある本体部分がシャーペンの胴体で、
そこから上の「ゲイン塔」と呼ばれる約140メートルの電波塔が芯。
建て方もまさにシャーペン。
胴体部分を作ったあと、
あらかじめ地上で作られたゲイン塔を、
ニョキニョキとジャッキアップさせたという。
精度はミリ単位であり、
番組では「巨大な精密機械」と表現していた。

震災が起きたのは、
ジャッキアップの大詰め作業中だった。
不安定なゲイン塔は揺れに揺れたという。
結果的には大丈夫だったから、
この塔の耐震性が図らずも証明されたということらしい。

ジャッキアップの過程では、
ゲイン塔が回転するという不測の事態も起きた。
日本最高の技術者があらゆる側面から検討したが、
原因はわからずじまいだったという。

たかが電波塔を建てるだけでも、
そんな訳のわからないことが起きていたのだということに、
いささか驚いた。

日本は科学立国だと、
何となくそう思い込んでいるけど、
原発事故の推移を見ていても、
実際のところはどうなんだろうと首をかしげる。
アメリカが月に人を送ってから半世紀近くたっても、
有人宇宙船さえ作れぬ国である。

高速鉄道事故でたたかれている中国でさえ、
4年も前に実現させている。
日本人宇宙飛行士は何人も誕生したけど、
有人宇宙飛行船の計画はない。

エネルギーも食料も自給率は低く、
自衛隊はあるものの、
実戦経験はもちろんゼロに等しく、
おまけに政治は三流以下。
中国を嗤う前に、
ぼくらはもう少し身の程を知った方がよさそうだ。

●プロフィールの写真を若い頃のものに変えてみた。セピアだぜ。

2011年8月2日火曜日

栄誉

その名を初めて聞いた時、
「カワセミって変わってるな」と思った。
川澄奈穂美。
女子w杯準決勝のスウェーデンで2得点を決め、
一躍有名になったなでしこジャパンの背番号「9」だ。

全国的にはほぼ無名の選手が、
一夜で知れ渡った「シンデレラストーリー」。
ぼくの記憶では、
岩崎恭子以来のような気がする。
今では誰もが「カワスミ」であり,
INAC神戸のキャプテンだと知っている。
昨日観戦していた試合にも出場していた。

彼女のブログ「ROAD RUNNER」に好感を持った。
2009年5月から、
ほぼ毎日更新されていて、
W杯の最中も感想やらエピソードやら、
こまめに伝えてくれていたと、
今ごろ知った。

今日も更新されていて、
「はなまるマーケットに沢と出演」とある。
昨日試合してから、
東京に移動して早朝の番組に間に合わせたのだろうか。
超過密スケジュールの中、
浮かれることなく日々頑張っている姿がけなげだ。
早速ブックマークに登録した。

なでしこへの国民栄誉賞授与が、
いよいよ今日発表されるらしい。
団体に対するものとしては初めてになるという。
彼女がどんな感想を書くのか、
今から楽しみだ。

今年の国内十大ニュースの一位はもちろん震災で、
二位は原発事故に間違いないけど、
三位はなでしこで決まりだろう。
ロンドン五輪「金」へのプレッシャーが、
いよいよ高まるだろうが、
バルセロナの金をとった後マスコミの餌食となり、
つらい思いをした岩崎の轍を踏まぬよう、
変わらず笑顔でプレーを続られるよう、
ぼくらが皆でなでしこを育てなければならない。

2011年8月1日月曜日

生沢

沢のINACと宮間の湯郷が、
須磨の総合運動公園で試合するというので、
思い切って見に行った。
サッカー観戦は、
日韓W杯以来だから、
ざっと10年ぶりになる。

電車を乗り継ぎ約1時間、
試合開始の午後3時まで小一時間あるというのに、
すでにかなりな人が集まっていた。
とりあえずグッズ売り場に行ったけど、
すでに大半の品は売り切れており、
それでも真っ赤なINACのキャップを記念に買った。

グラウンドには、
沢や宮間のほかに、
大野や海掘や川澄や近賀ら、
テレビでしか見たことのなかったヒロイン達がいる。
双眼鏡を片手に、
わくわくしながら見守る。

試合は湯郷が1点先制したものの、
スター軍団のINACが3点を入れて逆転勝ち。
しょーもない巨人の試合を観ているより、
よっぽど面白かった。
でもぼくは試合展開というより、
もっぱら沢一人の動きを追った。

W杯の時とは違い、
激しい動きは若手に任せ、
中盤でボールを受けると、
ほぼワンタッチで誰かに回す「省エネ」プレー。
それでも、
あの沢を生で見れた喜びは大きかった。

試合終了後、
選手たちがグラウンドを一周。
ぼくは客席最前列まで行き、
沢がやってくるのを待ち構えた。
INACのその他の選手に遅れ、
彼女は一人で姿を現した。






















クイーン沢。
なんでこんなにぼけているのかというと、
実は試合前に、
缶コーヒーをデジカメにこぼして壊してしまい、
急きょ携帯で撮った画像を、
トリミングして拡大したからなのだ。
2万1000人が詰めかけた観客席に手を振る沢。
ぼくは心の中で「ありがとう」と何度も唱えた。
たぶん観客のみんなが同じ思いだったと思う。

●INACのファンクラブに入ろうかと、真剣に検討中。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...