2011年8月14日日曜日

臨書

つい先日、
「あなたは空白の時間をどうすごしますか?」
と問われ、
ぼくは「本とテレビとネット」と答えた。

散歩とか寝るとか、
人それぞれいろんな過ごし方があるだろうが、
ある人の答えには笑った。

「野菜を刻む」

その人が空白の時間に野菜を刻む姿が、
リアルに頭に浮かんだのだが、
確かに野菜を刻んでいると、
時のたつのを忘れ、
無心になれるような気がする。

天声人語を書き写していると、
ふと頭が真っ白になっていることがある。

それに似てるのかも。

そういえば、
腰を痛めて半年ほど療養していたという、
瀬戸内寂聴さんが先日徹子の部屋に出ていて、
病室でヒマがあると指で写経をしていたと語っていた。

坊さん続きでいえば、
NHKで「空海 至宝と人生」っていう、
3回シリーズを見た。

空海といえば弘法大師。

天下の三筆の一人である。

その番組の中で、
高名な書家が、
空海の直筆をそっくりまねて書く場面があった。

臨書というらしい。

書家はその意味について、
こんなことを言っていた。

書を見るのは楽譜を見るようなもの。
臨書するのは、
実際に楽譜を演奏してみるようなもの。

なぁるほど。

一点一角、
忠実に自分で再現することによって、
空海の気持ちを推し量ることができるのだという。

手本を真似る意味って、
テクニックを身につけるとうことではなくて、
本当はそこにあるんだね。

特に毛筆だと、
そこに人格のすべてというか、
その時のその人のすべて、
体と心のありようが、
まんま出てしまうのだな。

子どものころ、
しばらく書道を習っていたけど、
そんな観点は全然教えてくれなかったぞ(怒)。

よって今に至っても、
悪筆のままの心。

空海なんて、
神様だわな(笑)

●学生時代のバイト先に、字とボーリングは滅茶苦茶うまかったけど、会社の金を「横領」しちゃった人知ってるけど、、、●「(プロフィール欄の小生の)真っ直ぐな瞳に恥じぬよう精進します」と残暑見舞い。実はぼくの気持ちもそうなんです、、、

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...