夕方姉から、
「やっぱり桜は散りました」とメール。
一瞬何のことかと考えて、
姪が就職活動の真っ最中だと思いだした。
最近はあんまり顔も出さないので、
すっかり忘れていた。
こんな時こそ「失敗の見本市」である叔父の出番だ。
失意であろう姪に、
なぐさめと激励を込めたメールを送った。
さっき帰宅して携帯を見ると、
返信が来ていた。
「人生なめてるところがあったと思います」。
神妙な内容の文章に、
いつも以上に誤字が多いのは、
涙のせいだろうか?
しかし、
そんなメールを打つことが出来ただけでも、
彼女は試験に落ちた意味がある。
二人いる姪の、
姉の方は何事にも全力投球で、
学生時代から就職まで、
期待通りの結果を残してきた。
対して妹の方は、
そんな姉の拓いた道をなぞるような、
「要領良さ」があった。
いつまでも姉という盾の後ろを歩くわけにはいかぬと、
身を持って知ったに違いない。
単体では失敗と呼べる結果でも、
後々「あそこで失敗して良かった」と思えることは、
人生には多々ある。
成功から学ぶことのできる賢い人はいるけど、
世の中の99%の人は、
失敗から多くの教訓を得る。
もし、
ぼくがここまでの人生、
失敗することなく歩んできていたら、
いまより相当嫌なヤツになっていただろう。
そういう意味で人生は、
なめてかかるぐらいの方がいい。
ぶつかって転んで、
奥深さを知り、
荒波にもまれて心が鍛え磨かれる。
若い二人には、
もっともっと失敗して欲しいぐらいだ。
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