2011年8月4日木曜日

知命

プロフィールの写真は、
母の実家で祖母に抱かれている、
生後半年ぐらいの時のぼくである。
先日、
押入れの奥で偶然アルバムを見つけ、
あまりの懐かしさに掲載を即決した。
トリミングで消してしまったおばあちゃん、
ごめんなさい。

乳児のころのぼくの写真は、
ほかにも何枚かあるけれど、
自分ではこれが一番好きだ。
たって歩くことはもちろんまだで、
言葉もしゃべれなかったであろうぼく。
何も考えていないはずだけど、
何か妙にスッキリした表情が面白い。

写真が見事なセピア色になっていたのには、
驚いてしまったけど、
それ以上にアルバムそのものがボロボロだった。
台紙は赤茶け、
閉じているリングからほとんどがはずれている。
押入れの中に置かれているだけでも、
劣化は着実に進んでいたのだ。
万年筆で書き入れられた父自筆のコメントが懐かしい。

この写真を撮ったころ、
父は29歳だったはず。
若きパパは待望の長男に何を期待し、
どんな夢を託していたのか。
その後のぼくの人生と対象させると、
ただただ申し訳なく思えてくる。
今更反省してみても、
誤るべき父はもういない。

この写真から数年後、
幼稚園に入ったころからぼくは、
ひどく病気がちになって入退院を繰り返す。
父の期待はしぼみ、
かわりに健康を祈る日々へと変わった。
おかげさまであと2年も待たず「知命」となる。

いまだ惑ってばかりのぼくが、
本当に天命を知ることになるのだろうか?
ぼくが何をしようがしまいが、
勝手に朽ちるアルバムのように、
ぼくの中の何かが自然に変化し、
やがて天命を知る自分に気づくのだろうか?

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