プロフィールの写真は、
母の実家で祖母に抱かれている、
生後半年ぐらいの時のぼくである。
先日、
押入れの奥で偶然アルバムを見つけ、
あまりの懐かしさに掲載を即決した。
トリミングで消してしまったおばあちゃん、
ごめんなさい。
乳児のころのぼくの写真は、
ほかにも何枚かあるけれど、
自分ではこれが一番好きだ。
たって歩くことはもちろんまだで、
言葉もしゃべれなかったであろうぼく。
何も考えていないはずだけど、
何か妙にスッキリした表情が面白い。
写真が見事なセピア色になっていたのには、
驚いてしまったけど、
それ以上にアルバムそのものがボロボロだった。
台紙は赤茶け、
閉じているリングからほとんどがはずれている。
押入れの中に置かれているだけでも、
劣化は着実に進んでいたのだ。
万年筆で書き入れられた父自筆のコメントが懐かしい。
この写真を撮ったころ、
父は29歳だったはず。
若きパパは待望の長男に何を期待し、
どんな夢を託していたのか。
その後のぼくの人生と対象させると、
ただただ申し訳なく思えてくる。
今更反省してみても、
誤るべき父はもういない。
この写真から数年後、
幼稚園に入ったころからぼくは、
ひどく病気がちになって入退院を繰り返す。
父の期待はしぼみ、
かわりに健康を祈る日々へと変わった。
おかげさまであと2年も待たず「知命」となる。
いまだ惑ってばかりのぼくが、
本当に天命を知ることになるのだろうか?
ぼくが何をしようがしまいが、
勝手に朽ちるアルバムのように、
ぼくの中の何かが自然に変化し、
やがて天命を知る自分に気づくのだろうか?
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