2011年8月16日火曜日

論法

夕刊を見て頭にきた。

関電の火力発電所が故障して、
17日と18日の電力需給が厳しくなったという。

またもや「やっぱり原発必要作戦」かもしれないが、
ぼくにとってこれは逆効果。
火力発電所すら満足に運転できないようじゃあ、
原発なんて、
とても無理ではないかと、
普通なら思うと思うのだが。

それとも、
ぼくの頭が故障しているのだろうか?

さて。

ETV特集「アメリカから見た福島原発事故」

事故を起こした福島原発の、
米GE社製の「マークⅠ」には、
技術的な問題があると、
当の米国では1970年代から言われていたのだそうだ。

格納容器が狭いという構造的欠陥で、
全電源喪失から6時間もすれば、
メルトダウンするということは、
すでにシミュレーション済みだったようだ。

登場する科学者は口ぐちに、
福島原発で起きた事故の進展が、
シミュレーション通りだったと語る。

昨日からの続きだけど、
んなことは国や東電はとっくに承知していたわけで、
にもかかわらず対策はとらないまま、
3.11を迎えたのだ。

「知っているのに知らんぷり」作戦である。

その背景には、
想定外のことは考えないという、
思考停止がある。

想定外=起きないのだから、
その対策は考える必要がない。
むしろその対策を考えるということは、
逆に想定外ではないということを、
認めることになって自己矛盾してしまう。

そんな論法である。

アメリカは原爆を持っていないのだから、
日本に落とされることなど考える必要がない、
というのと全く同じである。

例えば、
元原子力安全委員会の、
原子炉安全基準専門部会長だった村主進さんは、
こんなことを言っていた。

「いいですか。マグニチュード9という地震は過去に日本で起こったことないでしょ。たとえば、隕石が落下するということは、ね、これはあるんです、確率的にはね。あるけれども今は考えなくていいと。もう、あまりにも確率が低いから。ということでやっているわけですよ。だから津波だって、マグニチュード9の津波があるということは、今まで日本では未曾有ですからね。かつてなかったんだから。考えてなかったというのはやむを得ないと、そういうことになるわけですよ、安全屋から言わすと」

安全屋さんの論法を開き直りと感じるのは、
ぼくだけであろうか?。

いずれにせよだ。

村主さんには、
マークⅠの安全性について10年研究したという、
米の科学者の言葉を贈ろう。

「原発の安全性を脅かす問題は、想定を決めて想定外を無視すること。それが大きな過ちなのです」

そういう意味でこの番組、
有益ではあったのだが、
ひとつ懸念されることといえば、
結局悪いのは原発すべてではなく「マークⅠ」だ、
という論法にすり替えられる恐れがあることだ。

日本に10基あるという「マークⅠ」さえ廃炉にすれば、
それでいいのではという方向に、
議論の矛先が向かわないことを祈る。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...