先頃定年退職された大先輩に久々にお会いしたら、
真っ黒に日焼けして随分精悍な顔つきになっている。
何回かに分けて四国お遍路に挑戦しているとのこと。
精悍に見えたのは、
日焼けしているからだけではなく、
サラリーマン生活におさらばして、
全く新しい人生に挑戦中だったからなのだ。
65歳以上の人口が3000万人を突破したと、
ニュースでやっていた。
団塊(だんかい)の世代が、
今まさにそういう年齢にさしかかっているんだね。
いわゆる「第二の人生」をどう過ごすのか。
退職した途端に腑抜けのようになる人もいるって聞くけど、
この先輩のように、
サラリーマン時代以上い生き生きとしている姿は、
ひとつの理想かもしれない。
ぼくがジャズという分野に取り組んでいるのも、
堅苦しく言えば生涯学習としてである。
会社を辞めても何か続けて打ち込めるものを、
今のうちから始めておこうと考えたのが、
もう10年ほど前になるかな。
それから全くの手探りでここまで続けてきて、
やっぱりまだまだ山の麓にもたどり着けていないけど、
だからこそ生涯学習なのだと思う。
そういえば、
久々登場のペンギンさんは、
即興演劇に取り組んでいる。
「プレイバックシアター」という言葉を初めて聞いたのも、
彼女の口からであった。
ウィキってみる。
観客や参加者が自分の体験したできごとを語り、それをその場ですぐに即興劇として演じる(プレイバックする)独創的な即興演劇。芸術的な側面を持つ一方で、その場で演じるもの(アクター)、語るもの(テラー)、観るもの(観客)が、共感や知恵、勇気や癒しをもたらされることになる。そのため、劇場の舞台はもちろん、ワークショップや教育の場、臨床や治療現場など広く活用されている。
YouTubeでもいくつか見れるけれど、
こりゃ演劇として相当ハードルが高い。
打ち合わせなしで複数の人間が一つの表現行動をとるということ自体、
考えられない難しさだが、
それを観る方も相当な鑑賞力が必要だと思った。
実は「ペンギンさんとその仲間たち」の舞台をぼくは観たことがあるのだが、
難しいなぁというのがその時の正直な感想だ。
ある体験談を分解して再構成して一度に見せる、
つまり、
ピカソのキュビズ絵画のようなものだ。
絵画なら何時間でも見続けることが可能で、
まぁそれでも「わからん」ってなるわけだけど、
演劇は時間芸術だから、
数分で終わってしまう。
たとえばリンゴの実物をまず見せられて、
それからスライスや、
種や皮や、
顕微鏡写真や、
そういう物を見るような感じ。
乱暴な言い方だけど。
そのことがリンゴをより深く理解することになるのか、
あるいは、
それがリンゴの本質なのか、
そのあたりがよくわからないのである。
そういうものは理解するのではなく、
感じるものなのかもしれないけれど、
もしそうだとしても、
観る側も相当に訓練されていなければ、
感じる事さえ難しい。
「プレイバックシアター」は、
まだまだ日本ではなじみが薄いようだ。
難解なこの取り組みを、
今後ペンギンさんがどのように深め、
かつわかりやすく発展させるのか。
大先輩もペンギンさんも、
バリバリ頑張って、
ぼくに刺激を与え続けて下さいよ。