カバンを整理していたら、
新聞の切り抜きというか、
ちぎった紙片が出てきた。
そうそう、
前に感動していつかここで披露しようと思っていたのだ。
朝日新聞のオピニオン欄8月23日付だ。
コラムニストの小田嶋隆氏のどじょう観。
一部抜粋するね。
「野田さんの演説って、間の取り方、声の張り方、抑揚を効かせた弁舌が実に見事なんです。生で聞いたら、私もグラッときたかもしれない。でも、まさに大衆演劇とういか田舎芝居のセリフ回しとおんなじなんですね。『赤城の山も今宵限り』みたいなセリフも、実に立派なこと言ってるように聞かせてしまう。心なんかこもってないのに、こもっているように聞かせる空虚な名人芸。駅頭で通勤客を相手に長いこと自己陶酔を続けてきた人ならではの、変に練れた芸の力なんでしょうね。あぁこの人はダメだ。受け入れがたい人だと思いました」
一言一句パーフェクトに賛成である。
特に「空虚な名人芸」、
最高の表現だと思う。
なんて、
どじょうのことばっかり言ってたら、
細野剛志原発大臣が民主代表選に出そうだとか。
笑止千万、
どじょう以上にぼくはこの男を好かない。
この男、
一生懸命物事に取り組んでいるフリは非常に上手い。
相手の話しに熱心に耳を傾け、
共感しているようなフリをする。
自分の考えを述べる時でも、
非常に低姿勢で、
長幼の序をわきまえているフリをする。
でもこの男も、
根っこはどじょうと全く同じ。
相手の言うことなど右から左にスルーで、
結局なんだかんだ自分の言いたい事だけ押し付ける。
もちろん正確には、
自分の言いたい事ではなく、
原子力ムラの言いたい事を代弁しているだけだけれど。
どじょうのようなアクがない分、
つまり先の小田嶋氏の言葉を借りれば、
大衆演劇的なクサさがないだけに、
空虚さに気づきにくい。
でも本質は、
ちょっと都会風などじょうである。
そこが本物のどじょう以上に好かない理由だ。