NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」が終わった。
録画してすべて見た感想は、
というか、
全部見たのだから何がしか面白かったんだろうけど、
それを考えると結局、
「堀北真希を見るため」だけだったように思う。
前にこのドラマは何事も小さくまとまって行く、
みたいな感想を書いた事があるけれど、
最終回でまさしくそれを象徴するようなセリフが、
松子の口から語られた。
それは確か、
「平凡な暮らしの中にも色々ある」みたいなことで、
それが狙いだったのだとしたら、
確かにそういうドラマであったし、
つまるところ、
ぼくのような人間が見るべきではなかったと悟る。
てな具合で最終回を録画で見終わったあと、
同じく録画で「渡部篤史の建物探訪」を見る。
還暦を過ぎた夫婦が、
建築家に設計してもらったという家は、
確かに素晴らしい出来だった。
でもその出来過ぎのようなお宅は、
どこか「梅ちゃん先生」に通じるものがあって、
ぼくは素直に見ていられなかった。
いやでもこのある種の嫌悪感は、
きっと自分に対するものなのだと思う。
平凡とか普通とか中庸を嫌いながら、
結局自分こそが骨の髄まで平凡なのであって、
それを嫌いながらそこから抜け出せない。
破天荒を志向しつつ、
結局なんだかんだ理屈をつけて、
安易で怠惰な方に流れて行く。
自分に似た物に対して嫌悪感を抱く、
そういう精神構造は、
「近親憎悪」というらしい。
ということは、
おわかりですね。
どじょうを毛嫌いするぼくこそが、
実はどじょうに非常によく似た個性を持っているということなのです。
それを認めることができただけでも、
「梅ちゃん先生」には感謝せねばならん。