中学一年の時、
ぼくは生徒会の保健委員長に立候補して、
当選した。
一応選挙期間というのがあって、
登下校時に門の前でタスキをかけて演説したり、
昼休みには各クラスを回って、
そこでも演説をした。
選挙活動の締めは立会演説会だ。
体育館に集まった全校生徒を前に壇上から、
三分間抱負を語る。
原稿用紙三枚にまとめた演説内容は、
すべて自分で考えた。
すっかり忘れたけれど、
唯一覚えている個所がある。
「この学校を一歩も二歩も、三歩も四歩も五歩も六歩も七歩も八歩も九歩も十歩も前進させます」
なぜここだけ覚えているかというと、
単純に受けたのである。
「三歩も」のあとぐらいから、
オオぉって感じに会場がどよめいたのだ。
どじょうの「心から、心から、心から」演説を聞いて、
それを思い出した。
ソクラテスは雄弁を嫌ったそうだ。
議会で大勢を前に演説し納得させる。
そういう技術は馬鹿らしいと。
彼が大切にしたには対話だ。
真理を心から希求する者同士の、
忌憚なき対話。
早稲田雄弁会出身のどじょうは、
脱原発派と会ったけど、
決してアレは対話ではない。
ただ言い分を聞いたに過ぎない。
そうではないフリをしようとしているけど、
選挙までの化けの皮だ。
雄弁家にとって、
真理や他人の意見など、
どうでもいいことである。
自分が言うことが受けるかどうかが全て。
そういう人に政治をやらせては絶対ダメだ。
ぼくがどじょうを激しく嫌うのは、
中学生の時の自分への、
恥じらいがあるからだと思う。
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