2014年2月28日金曜日

仮想

ビットコインってなんじゃらほい。

と思っていた矢先に、
はや、
「取引停止」が起きているそうで。

「仮想通貨」と言われても、
今のお金の価値だって「金」と交換できない仮想だし。

銀行の預金だって1000万円までしか保証されないんでしょ。

電子商取引なんておおげさに言わなくても、
Amazonポチや映画のカード買い物など、
ぼくの生活では、
貨幣を使った取引より、
電子決済の方がはるかに多額だ。

先の南米旅行だって、
旅行代理店とのやりとりは全部メール。

代金も銀行振込だったし。

だから、
現地のATMでお札が出て来た時には、
逆におーって思ったり。

考えてみればテレビだって、
実際のものを映している仮想だし、
CDだってそう。

もはや実体より仮想の中で暮らしていると言っても、
過言ではないくらいだ。

東京五輪が開かれる2020年には、
ぼくらの日常はどれぐらい仮想に浸食されているのだろう?


2014年2月27日木曜日

許容

毎日、
出勤前には、
ケータイのアプリで天気と気温を確認する。

その上で、
母に一応「今日は寒い?」

とか、
「今日は雨?」

とか聞く。

一応、
親子のコミュニケーションとして。

今日もいつものように、

「今日はあったかい?」

と聞くと、

「あったかいといえばあったかい」

と禅問答のような返事。

それでも一向に構わない。

「どう考えてもあったかいやろ」

とは言わず、

「ふーん、そう」

と返事しておく。

今月の頭ぐらいは、
確か5度を下回っていたと思うけど、
今日は10度は超えていた。

はたと気づいたのだけど、
後期高齢者の母は、
暑い寒いに鈍感になっているのではあるまいか?

お年寄りが熱中症になりやすいのも、
暑いことに気づかないから、
とか聞いたことある。

年とると、
何事も許容範囲が広がるのね。

こんなぼくでも、
10年前に比べたら、
驚くほど許容範囲は広がった。

それは実感する。

世の中のあらゆる事に文句をつけて、
自分が正しいと思っていた。

ま、
今でもそういうところあるけれど。

2014年2月26日水曜日

反芻

「ウユニ塩湖まで日本から40時間かけて行ってきた」

という記事が面白かった。

そう。

まさにこんな感じ。

夕日は見れなかったけど、
こんなに奇麗なのなら残念。

知らなかったのは、
ダイアモックスという高山病の薬。

それ用意してあったら、
あんな目に遭わなかったのかな?

そういえば、
母が夜のテレビでペルーを紹介する番組を見たらしい。

「ペルーは標高が高いから水が沸騰せえへんねんて。88度やって。アンタ知ってた?」

・・・・・・・

別にペルーでお湯沸かすことなかったし。

それより、
ペルーやボリビアでは、
タバコの燃えるのが遅いのは知ってる。

なんか、
チリチリチリって感じで、
燃え方も弱々しい。

だから、
現地のタバコは燃えやすいように、
緩めに巻かれているんだとか。

そうそう。

ぼくは何と、
成田空港の免税店で、
タバコを1カートン買って持って行きました。

あれが実は、
一番持って行く必要のなかったものかもしれない。

いやぁ、
いまだに旅の荷物が片付いていないんだよな。

写真だけは一目散にプリントしたけど、
荷物はそのまま。

なんて書いていたら、
懐かしくなってきた。

どっか行きたいなー




2014年2月25日火曜日

喪失

未明に帰宅しても、
ジャンプもフィギュアもボブスレーも、
何もやってない日々が戻って来た。

五輪ロス。

ソチ五輪の放映時間って、
ウルトラ夜型のぼくにとっては、
まさにゴールデンタイムだったんだよね。

帰宅してからつらつら見て、
ちょうど終ってしばらくして、
さ、
寝ましょか、
みたいな。

つーか、
もう2月も終るじゃんか!

南米旅行から帰って来て、
もうひと月もたつのかよ!

早い。

早すぎる日常。

旅行の12日間もあっという間だったけど、
あれは中身がギュッと詰まった12日。

今は、
起きて仕事してるか、
食べてるか寝てるか。

みたいな毎日。

でも、
五輪って夏季冬季、
2年ごとにあるんだよね。

この年齢になれば2年なんてあっという間。

すぐに次のリオ五輪がやってきて、
平昌だってすぐだ。

ということは、
2020東京五輪だって、
油断してたらすぐに来る。

ちょっとその頃には何をしているか、
今のうちからイメトレしとこうかな?

2014年2月24日月曜日

銀銅

ソチ五輪が閉幕。

あらためて思うのは、

金をとるのは難しい。

日本は海外で開かれた冬季五輪では、
過去最高の8個のメダルをとったけど、
金は羽生の1個。

それも、
チャンがずっこけてくれた、
かなり棚ぼた色の濃いものだった。

羽生が「悔しい」と繰り返していたのも当然だ。

銀メダルっていうのは、
そういう意味で悔しい「銀」になるケースが多い。

最後の最後で負けた証でもあるわけだから。

ジャンプの葛西が「悔しい」と、
現役続行を表明したのも当然だ。

一方で、
銅メダルの場合は、
嬉しい「銅」のケースが多い。

メダリストか否かは、
3位と4位の違い以上にはるかに大きい。

だから、
一番悔しいのは、
4位だよな。

上村愛子、
高梨沙羅、、、

特に上村の場合は、
長野五輪の時から見て来たから、
何とかメダルをって、
かなり応援していたし、
彼女の頑張りも素晴らしかったし、
どうにかメダルという形を与えて欲しいと思っていた。

彼女がメダルを逃した直後のインタビューで、

「なんだろう」

と何度も何度も繰り返しながら、
清々しい表情で語っていたのは、
本当に見ているこちらが救われた。

負けたのは悔しいけど、
やりきった感はある。

あと。

真央ちゃんがフリーを終えた直後のインタビューも、
印象的だった。

「ショートで取り返しのつかないことをしてしまったけれど、私なりの恩返しです」

みたいな内容だったよね?

オリンピックなんだから、
「国」を背負うプレッシャーがあるのは仕方が無い。

でも結局は選手がどう思うかが大事であって、
上村や真央ちゃんが4年後目指すというなら、
頑張ってもらいたいなと思う。

最後に一番感動的だったスピーチを。
















●月曜日に元町に寄ります。

2014年2月23日日曜日

新調

姪の披露宴に出席するために、
生まれて初めて洋服を新調した。

といっても、
もちろんイージーオーダー。

とはいえ、
生地を選んで、
衿の形やらボタンの数などなどを選び、
何ヶ所も採寸して、
といった工程は新鮮だった。

お好みは?

店員に何度も聞かれるんだけど、
スンマセン、
お任せします。

一般的にはどうなんですか?

何のこだわりもない、
というか、
スーツを着るような生活、
十数年してませんから。

しかし、
採寸されると、
数字で明白になるわが体型の無様さ。

ぼくにとって洋服っつーのは、
この醜さを覆い隠すためのものだと再認識。

これもまた、
自分と向き合う修行なのだ。

そしてこの際にと、
ネクタイもポケットチーフも、
ベルトも財布も新調。

なんだかんだで3時間ほどのお買い物となり、
気がつけば8時を回ってました。

スンマセン。

何が?

わかる人にはわかります(笑)

●羽生って、エヴァンゲリオンの碇シンジに似てるな。やっと気づいた。

2014年2月22日土曜日

冰壺

冬の五輪で一番「おいしい」競技は何か?

下らない設問だけど、
ぼくはカーリングだと思う。

第一に試合数が多い。
どれだけ負けても、
最低9試合は保証されている。

ソチの期間中、
カーリングを見なかった日はないくらい。

しかも、
一試合の時間が長いし、
ゴーグルやヘルメットも使わない。

つまり、
顔がバッチリ見える。

女子ジャンプの高梨なんて、
競技はたった2回、
時間にしたら20秒もないんじゃないの?

それに比べ、
カーリング日本女子のメンバーほど、
テレビに映っている時間が長い競技はない。

それが「おいしい」のか?

そう突っ込む人もいるだろうけど、
カーリングはさらに、
競技人生が長い。

今回スキップだった小笠原選手は、
2002年ソルトレイクシティ大会で初出場して、
結婚、
出産を経て、
今回が3度目の五輪。

まだ35歳だもん。

あと5回ぐらい出場してもおかしくない。

4年に一回だけど、
国民からこれほど注目されるカーリング。

おいしい、
というか、
一度やってみたいよね。

ちなみに、
iPhoneのカーリングゲームアプリは買いました。

それから「冰壺」とは、
カーリングの中国語表記です。






2014年2月21日金曜日

圧巻

フリーの浅田真央は圧巻だった。


















五輪の舞台で自己ベスト。
彼女のポテンシャルはよくわかった。

こういう演技をするために、
4年間、
努力を積み重ねて来たこともよくわかった。

ただコレ、
絶対メダルに届かない、
ノープレッシャーだからこそできたんだよね。

ショートでもう少し上位にいて、
メダル圏内、
可能性があるという状況だったら、
あのようなすごい演技ができたかどうか?

思うに彼女、
優しすぎるんだよ。

ダークな部分が感じられない。

真央にない黒真央。

それを求めるのは酷?

これを書いているのは、
最終滑走6選手を残した段階。

勝負事だから、
真央にメダルの可能性がゼロなわけじゃない。

でも、
あえて言う。

真央にメダルはない。

もし違ってたら、
明日、
謝ります。

(以下4時10分)

金のソトニコワ、
情熱を感じた。

金妍児、
後半バテたね。

とてもスリリングなメダル争い。

重圧というけれど、
それは本当に重力のようなもので、
その場に立っているだけで体力を消耗するのだろう。

そうそう。

鈴木明子のコメントがよかった。

「生きてるなぁ」

そうそう。


2014年2月20日木曜日

夢散

ソチ五輪の女子フィギュアを見ながら書いている。

そういえば、
今回の五輪ネタは初めてだな。

帰って来た金妍児。

やっぱりすごい。

何がすごいって、
今季初の国際大会がオリンピック、
それなのにあの落ち着き。

不安そうな表情もあったし、
本人も演技後そのように言ってたけれど、
いざ演技になると、
そんな内面は微塵も感じさせず、
滑り切った。

ただ、
素人ながら、
技術的には4年前とほぼ同じだったのではなかろうか?

だからこそ、
ほぼ完璧な滑りだったのに、
得点は4年前より4点ほど低かった。

もちろん、
完成度で勝負するのが金妍児だし、
フィギュアは難しいジャンプに挑んで失敗するより、
確実に美しい演技を見せる方がいいという、
ぼくの考え方からすると、
金妍児は理想型なのは言うまでもないけれど。

例えば、
男子で金メダルに輝いた羽生は、
冒頭の4回転サルコーは失敗する、
というなかば「前提」で演技を組み立てているけど、
そういうのは好きではない。

金妍児の滑りは、
まさに芸術的。

今、
村上佳奈子が終ったところなのだけど、
彼女は途中で3回転フリップが1回転になっちゃった。

村上はやっぱり若い。

リンクに入る時から演技は始まっていると思うのだけど、
胸に手を当ててみたり、
肩をグルグル回してみたり、
パンツのズレを直してみたり。

細かいと言われるかもしれないけれど、
金妍児には、
そういう「雑」なところがない。

鈴木明子も冒頭の3回転3回転を失敗。

とにかく浅田真央が金メダルをとるためには、
冒頭の3回転半を成功させることが、
絶対条件だ。

おっとリプニツカヤまさかの転倒。

そんなによかったかコストナー。

そして、
今、
浅田真央の得点が出ました。

55.51で16位。

これが五輪の魔物。

というのもはばかられるほど無惨な出来だった。








2014年2月19日水曜日

疑問

昨日、
スタップ細胞のことを書いたんだけど、
あの発見、
ちょっと疑問符がつけられているそうで。

再現実験がまだ成功していない、

とか、

論文の写真が変だ、

とか。

iPS細胞の時にはなかったような、
ちょっとスキャンダラスな匂いが漂う。

佐村河内氏の一件もあったし、
少し前にも、
森口とかいう変な医師が、
iPSがらみでマスコミをダマしたし。

前掛け姿の女性科学者に失礼だけど、
疑念があるのは事実で、
しっかり払拭して欲しい。

マスコミは権威に弱いから、
とかいわれたりするけど、
それは仕方がないわ。

ネイチャーに掲載されたり、
一流大学の教授が太鼓判押したり。

そりゃ信じる。

というか、
信じざるを得ない。

自分たちで検証実験できるわけないし。

ただ、
佐村河内氏のようなケースはねぇ。

NHKがあそこまで見事にダマされるとは。

オレオレ詐欺に注意とか、
マスコミはひごろ言っときながら、
自分たちだって、
あんなもんだよね。

聴力を失った作曲家が、
自分の絶対音感だけに頼って、
シンフォニーを書き上げる。

あり得ないからこそニュースなんだけど、
これは比較的簡単に検証できたのではないか?

つーか、
この問題、
まんま「あまちゃん」だよね。

それで思い出したけど、
最後から二番目の恋の続編が4月から始まるそうで。

よかったじゃん。

誰に言ってんだか(笑)

2014年2月18日火曜日

改造

先日、
NHKのコズミックフロントを見たら、
火星を地球みたいに改造する計画を、
NASAの科学者が研究してるという。

それもたった100年で。

温室効果ガスをまき散らして気温を上げ、
微生物やコケをつかって酸素を作る、
みたいな内容だった。

もちろん大真面目なんだけど、
そんなことが可能なら、
まず地球温暖化を止めてみたら?

って思う。

自然に人間が太刀打ちできないのは、
あまたの自然災害が教えてくれている。

ましてや惑星を100年で改造するなんて。

ちょっと科学の傲慢じゃないの?

そういえば、
南米行っている間に、
日本じゃスタップ細胞とやらで大騒ぎだったらしいな。

科学の進歩は目覚しいから、
火星の改造だって、
いずれは可能かもしれないけれど、
よく言われるように、
人間性ってやつは、
孔子の時代からなんも変わっていない。

科学と人間性。

進歩の乖離が限界点を超えた時、
人類は滅亡するんじゃないのかな?

本日より通常モードです。

2014年2月17日月曜日

会話

ほぼひと月にわたって、
南米旅行のことばかり書いてきた。

海外旅行から帰ると、
たいがいいつも、
次はどこに行こうかな?

と考える。

でも、
現実のサラリーマン生活に戻ると、
途端にそんな考えは消え失せ、
休みの日はただただ寝てたいとか、
映画ぐらい見ようかと、
ダメダメおじさんに逆戻りしてしまう。

世間には、
休みになるとすぐに海外に行ってしまう人も多いらしい。

確かにアジアだったら、
3連休あれば、
朝イチで飛んで、
しっかり遊んで、
帰ってくることも可能だろう。

ぼくの手元には、
「5日間の休みで行けちゃう絶景・秘境」
という本がある。

5日間あれば、
世界のかなり多くの場所に行けるんだよね。

年に1回ぐらいなら、
行けるかも。

突然思い出したように書くけど、
南米行くんだったら、
少しはスペイン語を学んで行けばよかった。

本当に、
まったく勉強しなかったので、
オラとかグラシアスぐらいしか使わなかった。

といって、
日本語は全く通用しない。

だから、
片言の片言であっても、
英語が話せる、
理解できる、
ということは、
本当にありがたい事だと再認識した。

現地のガイドだって、
そんなに流暢に英語をしゃべれるわけじゃないので、
片言の英語同士、
それなりに仲睦まじく過ごせた。

ただ、
アメリカではそうはいかない。
奴ら、
こちらが英語をペラペラだという前提で話してくるし、
ちょっとでも頓珍漢な返事をすると、
絵で描いたように鼻で笑うし。

かつては、
フランス人が英語しゃべれるくせに、
わざとフランス語しかしゃべらないとか言われたように思うけど、
イマドキのアメリカ人も大概偉そうだ。

ただ、
どんなにブロークンだろうが身振り手振りだろうが、
こちらの意志をアピールしないと、
相手にされないのは事実。

とにかく、
大したことは言ってないに決まってるんだけど、
聞き取れないぐらいに早い。

もうこれは、
慣れるしかないよな。

あ、
でも、
語学的に一番つらかったのは、
虫眼鏡ドライバーのタクシーに乗った時かな。

とにかく相手の言っていることは全くわからないし、
こちらの言っていることも全く伝わらない。

ただ地図を示して、
ここ、
ここ行ってえな。

みたいな状態なんで。

本当に、
タクシーに乗るというのは、
どこの国でも刺激的な経験だ。

そうそう。

わざと遠回りした奴もいたな。

それはまた、
いずれ。

2014年2月16日日曜日

物語

いましばらく物語りを。

パスポートにケースなんかいるかいな。

正直、
そう思っていた。

でも、
結果的にボリビアで入国審査証をなくしかけたのは、
パスポートにちゃんと挟んでおかなかったからだ。

ペルーに入国した時は、
それでもかなり神経質になっていて、
最初はパスポートにバンドエイド(!)で貼り付け、
途中ではがれると、
売店でホッチキスを借りて、
バチンとくっつけていた。

いまだに思うのは、
どうしてそんなに大切な書類なら、
入国審査時にホッチキスで止めてくれないのか?

と思ったりもするけど。

ま、
とにかくパスポートにはケースをつけるなり、
手製のポケットを作るなりして、
入国審査証は確実に管理したい。

ちなみに、
入国審査で足止めされたアメリカでは、
今では入国審査証自体がない。

事前に電子登録しておくシステムになっている。

そのアメリカであんな目に遭うのだから、
まぁ何が起きるかわからんというか、
何と言うか、、、

下着については、
昨日、
日数分持って行くべきだったと書いた。

特に、
日程がタイトなツアーではそうすべきだ。

でも、
Tシャツならば、
どこでも買えるので必須ではない。

実際、
自分で着るために3枚ほど現地で買った。

一方パンツ。

パンツはなかなか旅先で買えない。

パンツだけは日数分。

iPadについては、
使わなかったと書いたけど、
実際は映画をダウンロードして、
2本見た。

ただし。

海外でのWiFiは遅いので、
映画のような重いデータのダウンロードは、
ものすごい時間がかかる。

よって、
事前に日本で何本かダウンロードして、
旅先で見る、
という使い方なら有用かもしれない。

WiFiを日本でレンタルするというサービスもあるけれど、
今回は利用しなかった。
WiFi自体は旅先のホテルや空港では、
今や必ずあるようなので、
本当に必要なのかどうか?

これはわからない。

圧縮袋。

これはダウンジャケットについては、
恐ろしく効果的だったけど、
下着とかその他衣類に関しては、
そんなに省スペースになるのかは疑問。

大きいサイズより、
小さいサイズを多めに用意して、
物を小分けするのには便利だった。

三脚。

手のひらサイズの物を持って行ったけど、
一度も使わず。
iPhoneのリモートシャッターも持って行ったけど、
そもそもiPhoneでは一枚も写真を撮らなかった。

あと、
暇つぶし用にと、
知恵の輪とか文庫本も持って行ったけど、
実際にはほとんど無意味だった。

そんな暇があれば寝ていた。

靴。

普段はいているナイキのスニーカーを、
そのまま履いて行ったけど、
ワイナピチュ登山の時だけは少々後悔した。

一応、
ちゃんとしたトレッキングシューズにしておくべきだった。

持って行かなくて後悔したのは、
ウインドブレーカー。

ナイロン製のコートで事足りると思ったんだけど、
やっぱりアウトドア用のフード付きウインドブレーカーが一枚あれば、
何かと便利だっただろうと思う。

わざわざ買ったのに最高にいらなかったのは、
小型の湯沸かし器。

ホテルでゆっくり珈琲なんて、
そんな暇はありませんでした。

割り箸も何本か持って行ったけど、
全く無意味。

そうそう。

用意していたのに、
忘れてしまって、
あればよかったと思ったのは、
布製ガムテープ。

芯がついているとかさばるので、
小さく折り畳んで持って行く予定だった。

あれがあれば、
入国審査証も貼れたし、
裂けたジーパンの補修にも使えただろう。

繰り返すけど、
これはあくまで、
10日そこそこであちこち回る旅行の場合。

日程にゆとりがあるとか、
一ヶ所に滞在するパターンの旅なら、
全然変ってくると思う。


2014年2月15日土曜日

荷物

今回の南米旅行は、
飛行機に持ち込み可能な大きさの、
キャリーバッグひとつで行った。

ってことは、
もう書いたかな?

まぁ、
なんにせよ、
12日の海外旅行にしては、
非常に少なめ。

理由は、
バゲージロストが怖かったから。

やっぱり書いたな。

だから、
持って行くものは厳選したつもりだったけど、
結局まったく使わなかったものも多い。

逆に、
アレは持ってきておくべきだった、
という物もある。

そんな、
物について少し。

まず、
持って行って良かったNo.1は、
WiFi機能を持ったSDカード。

最近のコンパクトカメラには、
WiFi機能は最初からついているようだけど、
そうでない人には絶対おすすめ。

撮った写真が、
自動的にiPhoneやiPadに送信されるのだから、
ブログの更新には絶大な威力を発揮した。

実はコレ、
旅行の直前に買ったんだけど、
ここまで便利だとは思わなかった。

ブログ更新は、
SDカードをiPadで読み込んで、
iPadでするつもりだった。

結局、
iPadは「ほぼ」無用の長物となった。

カメラについて書き足すと、
一眼レフカメラは、
持って行こうかどうしようか、
最後まで悩んだ。

結局やめたのだけど、
正解だったと思う。

「作品」を残すつもりでないなら、
コンパクトカメラで十分。

それに、
一眼レフだったら多分、
1500枚も撮ることはなかっただろう。

もっともiPhoneで代用っていうのは、
ちょっとやめといた方がいい。

ぼくは長年使っているコンデジに、
フック付きのストラップをつけて、
いつも腰にぶら下げていた。

盗難&故障用に、
もう一台持って行ったけど、
今回は出番はなし。

衣類では、
薄手のパーカーと、
ユニクロの薄手のダウン。

ユニクロは暖パンにも世話になった。

でも、
フリースは全く着ず、
結局、
途中のホテルで捨てた。

持って行っておけばよかったと思うのは、
下着×日数分。

実は5日分だけ持って行って、
途中で洗えばいいや、
ぐらいに考えていたのは甘かった。

洗濯している時間などなかったし、
日本にいるより遥かに動くので、
汚れる。

先日書いたように、
風呂の事情がよくないので、
せめて下着ぐらい毎日代えれば、
気分転換にはなったのにと思う。

あと、
ドライヤーはいらなかったかな。

どこのホテルにも、
備え付けのがちゃんとあった。

あくまで結果論だけど。

べたなところでは、
アイマスクとネックピロー、
部屋履きスリッパは、
絶対的に便利だった。

ま、
こんなのは、
どこの空港でも売ってるけどね。

この話しは続きます。


2014年2月14日金曜日

便所

南米旅行11日目(1月30日)

というわけで、
ラスベガスからロスアンゼルスを経由して、
何とかかんとか帰国。

途中日付変更線をこえて、
我が家には1月31日の夜に帰宅。

とにかく、
元気に帰ってくるのは、
旅行の最低条件であり、
それが出来たことは大満足。

我ながら厳しい旅行になったのは、
第一に日程がタイトだったこと。

今回の工程であれが、
やっぱりまる2週間は必要だったかもしれない。

特に、
いきなり標高3000メートルを超す高地に行き、
日ごろなんの運動もしていないぼくが、
観光を開始したのは、
不用意だったかもしれない。

それに、
ウユニ塩湖に実質1日しか滞在しなかったのは、
かなりリスクが大きかった。

たまたま晴れ間が出たからよかったものの、
下手をすれば、
鏡張りが全く見れない危険があった。

少なくとも2日、
いや3日ぐらい滞在するようにすべきだろう。

特に、
ウユニ塩湖にだけ行って帰る「弾丸ツアー」の場合はそうだ。

そして、
さらに言えば、
ウユニ塩湖は素晴らしかったけれど、
人類史という意味では、
マチュピチュの方が感慨深かったかもしれない。

ワイナピチュ山の登山は忘れられないほどキツかったし、
あの遺跡にはもっともっと奥深いものもあって、
どちらにもう一度行きたいか、
と問われれば、
マチュピチュと答えるだろう。

それから、
南米はトイレ事情が悪い。

水洗は普及していたけど、
紙は流すなというところばかりだった。

紙は備え付けのくずかごに捨てろというのは、
男性はともかく、
女性にはかなりハードルが高いのではないだろうか?

ウォシュレットに慣れたぼくにとっても、
最初はちょっとした「勇気」が必要だった。

印象は続く。

2014年2月13日木曜日

一転

南米旅行10日目(1月29日)

朝イチの便で、
マイアミからラスベガスへ。

機中、
ラスベガスではカジノをやって、
ショーのひとつでも見れたらいいな、
と思っていた時。

昨夜電話した姉の言葉が頭をよぎった。

「現地でツアー申し込んだらいいやん」



そうか。

夕べは疲れていて、
そこまで考えられなかったけど、
その手はあるぞ。

幸い、
乗ってる飛行機は、
有料だけどWiFiにつなげられる。

まいふぉんを取り出し、
調べ始めた。

「グランドキャニオン」

「遊覧飛行」

あったあった。











遊覧飛行のサイト。
これからラスベガスに着いても、
間に合う便もあるぞ。













ちょっと希望がわいて来た。
サンキューお姉さん。













空港内を地下鉄が走っており、
ようやく出口へ。













ここで、
何とリムジンのお出迎え。

前夜、
一応旅行業者に電話しておいたのがよかった。

ここで、
絶望の前夜から一転、
トントン拍子に物事が運ぶ。














ショーの当日割り引きのブース。
ここでシルクドソレイユのチケットゲット。


















ラスベガスなホテル。














遊覧飛行の手配もバッチリ。

















圧倒的なグランドキャニオン。
30年前は、
この谷を底まで歩いておりた。





















ホテルに戻ると夜。













急いでステーキディナーを食べ。
タクシーでシルクドソレイユのホテルへ。














演目はKA












劇場内もパチリ。
速攻注意されたけど。

シルクドソレイユって、
正直「超一流のサーカス」
ぐらいの知識しかなかったのだけど、
迎えに来てくれた旅行会社の人が、
「おすすめです」
と言われるがまま従ったのだが、
正解だった。

一枚の可動式舞台で繰り広げられる、
ドラマチックなパフォーマンス。

想像を超えた演出。

文句なしに、
一見に値すると思った。













10日余りの間に、
マチュピチュからウユニ塩湖、
最後のラスベガスと、
南北アメリカ大陸を駆け足で回った今回の旅。

撮った写真は1500枚近くになった。

でも、
一番大変だったところは、
写真に撮れなかった。

そりゃそうだ。

写真どころではないぐらい大変だったからだ。

そういう意味も含めて、
旅の醍醐味は、
目的地よりも、
そこに達するまでの道程にある。

言わずもがなな真実を、
あらためてかみしめた。



2014年2月12日水曜日

入国

南米旅行9日目(1月28日)

この日はボリビアからアメリカへの移動日。

旅の最大の目標も果たし、
正直、
ホッとしてたんだよね。

やっぱりアメリカに行けばさ。

ちょっと安心な気もするし。

それが大間違い。

この旅で最悪の一日になる。















そもそも、
ボリビアのラパスからアメリカのマイアミを経由して、
ラスベガスに行く予定だったんだけど、
ボリビアからの飛行機が、
エアコンの故障で2時間ぐらい遅れたわけ。

それでも、
まぁマイアミでの乗り継ぎには何とか間に合うと、
たかくくってた。

ところが。

マイアミでの入国審査で難癖つけられ、
なかなか通してくれない。

細かいことは書きませんが、
とにかく、
「お前、ちょっと別室へ」
ってことになったわけ。

その別室には、
ぼく以外にも、
「ちょっとこい」連中が集められていた。

見るからにワルそうな男の子や、
きわめてフツーにみえるおばさんや。

とにかく余計なことはせず、
ひたすら待っていたら、
係員の女性がやってきて、
ぼくの乗る飛行機について尋ねるから、

「早くしないとラスベガスの便に間に合わないんだけど?』

と聞いてみたら、
女性は、
「残念だけどその便は無理ね」
とこともなげに。

おーまいがーっと。

明日の朝はラスベガスからグランドキャニオン観光なんだけど!

そうこう絶望しているうちに、
同じように待たされていた黒人の太った女性が騒ぎ始めた。

要するに、
わたしゃ何にも悪い事してないのに、
なんでこんなとこで待たされなきゃなんないの、
って、
泣きながらわめき散らしているわけ。

気持ちは同感なんだけど、
そんなに騒いで大丈夫?

と思っていたら、
やっぱり別室の別室に連れて行かれちゃった。

女性は別室の別室の中でもわめき散らしていて、
このままじゃ逮捕されちゃうんじゃないかって、
心配したけど、
それより自分のことが大切。

俺こそどうなるんだ?

かれこれ2時間待たされ、
ようやく名前を呼ばれ、
いくつか質問に答えたら、
あっさり放免。

なんじゃいなそれは、
と思いながら、
アメリカン航空のカウンターで、
乗れなかった理由を説明して、
次の便に乗りたい旨を話すと、

「今日の便はもうないから」

がーん!!!!

「このクーポンでこのホテルでシャワー浴びて少し寝ろよ」

係の男性はそう言って終わり。

ホテルへは歩いて行けるの?

ノー、
そこからシャトルバスが出てるから、
それ乗って。

仕方なく空港の外に出るけど、
どこにシャトルバスが来るのやら、
さっぱり分からず。

それでも、
しばらくウロウロしていたら、
ホテルの名前が書かれたバスが来たわ。

確かに。

クーポン見せて乗り込んで、
空港から何キロか離れたホテルに連れて行かれた。














そのホテルは、
さすがにアメリカンで、
決して一流ではなかったけど、
ペルーやボリビアに比べれば格段によかった。























これがクーポン。

とにかく、
こうなったら仕方がない。
飛行機は翌朝しか飛ばないのだ。

旅行会社の事務所に一応電話して、
翌日のグランドキャニオン観光をキャンセルして。
真夜中だったけど、
夕飯のクーポンもあったので、
とりあえず食べることにした。














チキンサンド。

これがやっぱり美味しかった。

気づいたんだけど、
ペルーやボリビアって、
マヨネーズがないんじゃないの?

このサンドイッチのマヨネーズ味が、
なんともなつかしいような、
ほっとするような。

















部屋に備え付けの珈琲マシーンも、
使ってやった。

とにかく入国はぼくにとっては鬼門だわ。

安心できるはずのアメリカで、
この旅最大のアクシデントに見舞われた。

ラスベガスでは、
スロットマシンぐらいして、
もう日本に帰ろ。

心身疲れて、
ちょっとヤケになってた。

空港行きシャトルバスは5時半。

わずかな仮眠をとる。

そうそう。

笑えたのは、
ラスベガス行きの便がないと言われたころ、
別のカウンターで大声でしゃべっている女性がいたの。

その女性、
さっき別室の別室に連れて行かれた、
あの黒人女性じゃん!

なんでアンタここにおんねん!

って。

あれだけ騒いでも大丈夫なんだったら、
ぼくも少しは文句言えばよかったかも?

2014年2月11日火曜日

帰途

南米旅行8日目(1月27日)















この日は朝からラパスへ帰り。
天気が悪くて、
道が川のようになっている場所も。














途中で車のブレーキパッドを交換したり。














アルパカ肉の昼食をとったり。
ワイルドだぜ。

でも、
帰りは車中でひたすら寝てた。

行きが十数時間かかったんだから、
帰りも当然それぐらいかかる。













ホテルに着いたのは夕方遅く。
すぐに銀行でボリビアーノを引き出し。
タクシーでフォルクローレを聞きに。













ガイドブックに載っているいるので、
地元でも有名な店なのかと思いきや、
タクシーの運ちゃん、
迷っちゃって、、、













「ここやと思うで」
って感じで下ろされたビルに入ると、
ポスターがあったので一応ホッと。


















薄暗い階段を上がる。













ここでした。

コンドルは飛んで行くとか、
演奏があって、
合間に男女のダンスがある。

そのたびに、
何人かの観客を舞台に上げて一緒に踊るんだけど、
写真左から2人目の女性が、
毎回ぼくの手をとって舞台に上げられた。

ほかにも客は沢山いるのに、
なぜか毎回ぼく。

ダンスできません。

でも、
いい思い出。

そして店からの帰り道。

適当にタクシー拾って、
ホテルの地図見せて。

ここプリーズって頼んだら、
かなり年配の運ちゃん、
いきなり虫眼鏡取り出して、
地図を3分ほど眺めてた。

それからやおら車を発進させたんだけど、
もう、
不安で不安で。

なんか来た時とは違う道のような気もするし、、、

ドアのレバーを握りしめ、
いつでも飛び降りれる態勢でいたんだけど、
ある角を曲がったら、
そこはホテルでした。

エクアドルの事件があって、
タクシーにはかなり慎重になったけど、
南米の町は確かに夜8時を過ぎると、
急に人通りが少なくなって、
歩くのはかなり勇気がいる。

近くてもやっぱりタクシー。

でも、
乗る車はじっくり選んで。

それが感想。



2014年2月10日月曜日

到達

南米旅行7日目(1月26)














ウユニの朝。
ホテル外観。













ホテル前の道。














塩湖に向けていざ出発。

ウユニ塩湖というけれど、
東西100キロ、
南北250キロという、
広大な塩原だ。

ぼくらが向かうのは、
そのほんの端っこの部分。














まずは、
塩湖入り口にある塩のホテルに到着。













ここで長靴を借りる。













いよいよ塩湖へ。














塩湖の水深は、
10センチそこそこ。













ついにたどり着いた。
日本を出てから一週間かかった。















・・・・・・・・・・・・














このウユニ塩湖、
パリダカのコースにもなっている。

休憩所には世界各国の国旗がはためく。













一度、
塩のホテルに戻る。

この日はここで宿泊。

部屋の屋根も塩のブロック。














夕日を見に、
もう一度行ったけど、
天気はごらんの通り。













ホテルの係員が持っているのは何でしょう?

実はコレ、
ぼくのボリビア入国審査証。

ぼくはなんと、
前夜のホテルで、
この重要書類をゴミかごに捨てるという、
愚挙を犯していた。

塩のホテルにチェックインする時、
この査証がないことが判明。

ひょっとしたら前夜捨てたかも、
とガイドに話すと、
前日のホテルに連絡してくれ、
そのホテルのメイドが、
ゴミの山の中から探し出してくれたのだ。

何たる幸運。

コレ、
もし見つからなかったら、
ボリビアに2日間ぐらい足止めされるところだった。

本当に危なかった。

メイドさん、
心からありがとう。

















てなこともあり、
塩のホテルでのディナータイムは、
もう心身ともにクタクタ。

スープとデザートだけ食べるのが、
精一杯だった。

帰国後、
塩湖で何考えた?

と質問を何度かされた。

実際のところ、
特別の感慨はなく、
まさに放心という感じ。

あーこれかー。

初めてグランドキャニオンに行った時もそうだったけど、
あまりに現実離れした光景を目にした時、
放心してしまう。

自分の中のスケールが狂ってしまうというか。

それから、
この日は基本的に天気は悪かった。

青空が顔をのぞかせたのは、
たぶん1時間もなかったと思う。

それがラッキーなのかどうなのか。

初めて行ったぼくにはわからないけれど、
これがウユニ塩湖だ、
という景色を見れたのは、
少しはぼくの行いを天が評価してくれたのかもしれない。

今回の旅の最大の目標は、
こうして達成された。

2014年2月9日日曜日

悪路

南米旅行6日目(1月25日)

この日のひたすら移動。

ボリビア・ラパスのホテルを車で出発。

4時間ほど舗装路を走る。














ラパスの町は、
大きなすり鉢状になっていて、
一番底に高所得者が住む。

すり鉢を登るほど
家は祖末になっていくのがよくわかる。













途中で寄った売店には、
ピラニアの剥製が。

ボリビアって、
アマゾン川の源流なんだよね。













昼食のチキン。













舗装路がなくなって、
四駆に乗り換え。

ひたすら悪路。














悪路。













ウユニのホテルに着いたのは、
とっぷり日がくれてから。

車には合計14時間ぐらい乗っていたと思う。
ホテルというより、
民宿?

部屋は内装がきれいなんだけど、
設備は古い。

南米旅行を通じて言えることだったけど、
どのホテルもそうだった。

とりわけ辛かったのは、
どのホテルもシャワーがまともにシャワーが出なかったこと。














ここもそうだった。

お湯は出るんだけど、
量がわずか。

ちょろちょろ流れる程度で、
頭を洗うのはあきらめた。

シャンプーつけてからでなくてよかった。

そしてこの夜、
ぼくはとんでもないミスをしでかす。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...