2014年2月1日土曜日

感謝

翼よ、
あれが、
なにわの灯だ。














12日間の南米(一部北米)旅行、
恥ずかしながら無事に帰ってまいりました。

想像以上にハードな旅だった。

というか、
ハードな旅にしてしまったのは、
ひとえに、
ぼくの準備と体力と精神力の不足が原因だった。

帰って来た今だから言えるけど、
トラブルの連続だった。

そのたびに、
救ってくれたのは、
現地の人たちだった。

2日目のクスコ観光。

いきなり富士山以上の高所に行き、
酸素の薄さに慣れず、
市内観光の最中に意識を失った。

すぐに気付け薬で意識を回復させてくれ、
その後の市内観光中、
ずっと見守ってくれたのは、
ペルー人の若いスタッフだった。

ウユニでは、
出入国カードの半券がないことに気づき、
現地ガイドに相談。

前日泊まったホテルで、
レシートなどを処分した時に、
誤ってクズかごに捨てたかも?
と言うと、
即座に連絡をとってくれた。

そのホテルでは、
若いボリビア女性従業員が、
ゴミの山を探してくれて、
水に濡れて捨てられていた半券を探し出してくれた。

アメリカでは入国審査で難癖をつけられ、
2時間も事務所に拘束された。
おかげでラスベガス行きの便に乗れず、
現地のホテルで一泊する羽目に。

心身ともに疲労困憊する中、
なんとかたどり着いた翌日のべガス。

突如、
救世主のように現れた、
現地の日本人スタッフ。

手際よくグランドキャニオンセスナ周遊と、
ショーを見る手配をしてくれ、
最高の締めくくりを演出してくれた。

彼らが献身的に動いてくれなければ、
旅はもっとハードになり、
苦い思い出しか残さなかっただろうと思う。

そして、
日本で待っていてくれた人。

毎日のように母や姉に電話していたのは、
安心してもらうため、
というより、
ぼくが安心を得るためだったと思う。

ブログ読んでるよ、
とメールをくれた姪。

凹んでいるぼくを励まし、
何とか耐えられたのは、
そうした全ての人のおかげだ。

心底感謝します。

●帰って来てから、土産は何も買ってないと母に言ったら、がっかりされた、、、いやいや、自分の土産も買ってないし。そんな精神的、時間的余裕はなかったし。。。重ね重ねスミマセン。だた写真は1491枚撮りました●きょうは「もといちの日」。いつもの場所で、いつもの感じで。







遺志

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