2014年2月6日木曜日

遺跡

南米旅行3日目(1月22日)

午前3時15分、
モーニングコールで起こされ、
迎えのバスに。

といっても乗客はぼく一人。














荒涼とした山岳地帯を延々2時間。














着いたのは、
マチュピチュ行きインカレイル鉄道の駅、
オリャンタイタンボ。

ひどい雨だった。































でも車内は意外に豪華。

ここで相席になったのが、
ピースボートで世界一周中の男性。

名前も年齢も聞かなかったけど、
悠々自適な団塊の世代。

船で世界の港を点々としながら、
気の向くまま下船して、
陸の旅をして、
また適当な寄港地で船に乗って。

そんな旅をしていると言っていた。

今のピースボートは、
彼のような世代と20代に、
くっきり二分されているんだって。


















マチュピチュ駅に着くと、
雨はやんでいたけど、
川がすごいことに。













遺跡に向かうバス道で、
例の土砂崩れ現場。













遺跡のガイドは地元のペルー人。
英語なんだけど、
事前の知識でなんとか理解しながら回る。

















相変わらず意味不明に精緻な、
インカ人の石積み。

インカ人はこれほどの技術を持ちながら、
文字と車輪を持っていなかったという。

インカ帝国の実像がいまだにわからないのは、
ひとえにこの文字が残されていないことによる。

ガイドの男性の口調からは、
自分たちの偉大な祖先のことを、
何とか知って欲しいという、
熱意が感じられた。













下山したら夕方4時ごろだったか。
村を散策して、
カフェで一服。

こんなカフェでもWiFiが使えて、
ブログを更新したっけ。













村全体が、
葉っぱのような陰影の山々に囲まれている。













夕食に選んだのは、
ホテル近くのピザ屋さん。

これがまた、、、、

まずいとは言いませんが、
かなり民族的なお味がしました。

次の日は、
もう一度遺跡に行って、
ワイナピチュ山に登るため、
早めに眠る。

この旅で初めてグッスリ寝た。

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