2008年12月31日水曜日

広告

このままじゃあ、
新聞社より、
テレビ局が先に危ないと、
最近よく思う。

もちろん民放。

だって、
ぼくは番組自体見ないし、
たまに見るとしたって、
録画だから、
CMはスキップ。

これでは、
誰が高い金を払ってCMを打つだろう?

えっ
そりゃお前だけだって?

そりゃ失礼しました。




でも民放のCMは番組の「お荷物」だけど、
新聞広告って、
それ自体が面白い。

例えば、
30日付けの産経新聞に、
「エンカのチカラ」というコンピCDの広告が出ていた。

「音楽史上初、演歌歌手によるJ-POPカバーアルバム」

70年代ものと、
80&90年代ものの2枚で、
選曲が魅力的だ。

五木ひろし「TUNAMI」
前川清「HOWEVER」
都はるみ「聖母たちのララバイ」
ちあきなおみ「氷の世界」
島倉千代子「神田川」
石川さゆり「ペッパー警部」
新沼謙治「季節の中で」
八代亜紀「いとしのエリー」。。。

なかなかやるじゃないか、
コロンビアレコード。
どれも聞いてみたいよ。

おまけに宣伝文句に笑った。

「演歌歌手ならではの正確なピッチ、唸るコブシ。これぞ究極のE-POP!」

演歌ポップ=E-POPだって!

コレ欲しい。


●仕事の合間にレコ大を見た。ジェロと大西順子、谷村奈南。。。みな、テレビお目にかかるのは初めて。谷村さん、意外にしっかり歌うので驚いた。あとエグザイルの「亀田」さん、上手いですね●このブログは一日ずれているから、本年はこれにて終了。来年もよろしくお願いします。

2008年12月30日火曜日

感覚

陸上の朝原宣治選手がつけてきた、
練習ノートが面白い。

例えば、
「骨盤をスライドさせて真ん中を押しだす」
とか、
「スタートの前はベルトコンベアーに乗ってる感じ」
みたいな(正確じゃないけど)、
感覚的なことばかりが延々綴られる。

何となく分かるようで分からないような、
摩訶不思議な世界。
ぼくは僭越ながら、
そうして書きとめておきたい気持ちは分かる。
発声について、
ぼくも同じようにメモすることがある。



ある時、
「これだ」と得心した感覚を、
忘れないよう願って文字にする。
これでいつでも「アノ」感覚が再現できると願って。

だが、
ぼくの場合は、
後日読み返してみても、
うまく行ったためしがない。



どだい、
身体感覚を文字に置き換えるということが、
無理な話であって、
もし、
正確に表現できるなら、
その人は、
天才小説家だ。

歌やスポーツはマニュアル化、
つまり文章化できない。
だから奥深い。

きっと朝原選手も、
昔のメモを読み返したら、
首をひねるか、
笑っちゃうか、
そのどっちかだろう。



「形より感覚」

専属のコーチを持たなかった彼の20年は、
絶え間ない自分との問答であって、
その繰り返しが、
北京五輪の4×100メートル銅に結実したのだ。



●トップランナーの恐らく再放送を、仕事中にボーっと見ていたら、思わず引き込まれた。

2008年12月29日月曜日

北京五輪の開会式を演出した、
チャン・イーモウ監督に、
俳優の香川照之がインタビューした番組を、
NHKで、
時間がかぶった「情熱大陸」を録画で見た。



チャン監督は、
文化大革命の下方政策で青年期の10年間を、
地方で暮らした。

その後、
映画学校に入学し、
世界的映画監督になるのだが、
その「失われた」10年があったからこそ、
今の情熱があるのだというようなことを言っていた。



そして、
情熱大陸は、
例の竜王戦の密着ドキュメント。

3連勝の後、
4連敗を喫した羽生にインタビューしていて、
そこで羽生は、
「将棋にミスはつきものか」と問われる。

羽生は「そーですねぇ」といつもの調子で少し考え
次のように言った。

将棋には「最善」が分からない局面というものがある。
その時が大事だと。



どちらの番組も、
同じことを示唆している。

人生、
目標がはっきりしている時などほとんどない。
目標があれば、
それだけで既に幸せだ。
だってあとは努力するだけだもの。

だから肝心なのは、
目標が見つからない時だ。

何を目指したらいいか分からない時に、
どれだけ考え、
思いを募らせ、
もだえ苦しむかなんだなぁ。



きっとその時間、
人は心の根を深く張る。



●コーナーポケットで久々にゆったり時間を過ごし、三宮へ。前から一度聞きたかった矢野直道さんのライブは、素敵なショーでした。その後、武庫之荘mクアトロのセッションで1曲だけ歌った。情けない歌になってしまった。反省。

2008年12月28日日曜日

一手

将棋の渡辺明竜王の奥様は、
ご自身のブログをお持ちだ。

それだけでも珍しいと思うのだが、
「妻の小言。」というそのブログが滅法面白い。

旦那様は天下の竜王なのに、
世間体も何もあったもんじゃなく、
息子さんと3人の日々が、
ユーモラスに綴られている。



その中でも出色だったのは、
先の竜王戦で羽生名人に3連敗、
もう、
「崖っぷち」という時のものだ。














「渡辺くん、あきらめたらそこで試合終了だよ」


果たして「姉さん女房」の声は届いた。
ここから渡辺竜王は奇跡の逆転4連勝。
初代の永世竜王になってしまった。



竜王の偉業も凄いが、
このブログ、
ある意味、
将棋史を変えた起死回生の「一手」だった。



●全日本フィギュアフリーの録画に失敗。見逃した。あわわ。。。

2008年12月27日土曜日

三様

全日本フィギュアの女子SPを見た。

安藤美姫、
素晴らしい演技だったと思う。
彼女、
たまぁに、
こういうコトをしちゃうから、
愛想づかしできない。

情感たっぷりの滑り。
音楽ともとっても合っていた。

いつもは、
軽四で150㌔ぐらい出してる、
「無理っぽさ」
「痛々しさ」を感じるんだけど。
本当に彼女は猫の目のように気まぐれだ。
3位ではあったけど、
「感動的」という意味ではダントツの1位だった。




中野友加里、
本人もよもやの1位だろう。

神から授かったような才能がなくても、
コツコツ努力すれば世界とだって渡り合える。
彼女には、
そういう事を教えられる。
若手にとっては一番手本になる人じゃないかな?

何より、
フィギュアが好きなんだなぁと感じさせてくれる。



天才アサダマオー。
本人が何と言おうと、
絶対に60%ぐらいしか力出してない。
意識では全開のつもりでも、
体が勝手にセーブモードになっていた。

寝起きみたいな。

お嬢様は、
フリーのころにお目ざめだろう。



この3人は、
先日のGPファイナルにも出ていたわけで、
つまり、
全日本といいながら、
実質世界レベルの大会ということになる。
いかに今の日本フィギュアのレベルが高いかということだ。

他の選手にとって、
ここでの表彰台は、
限りなく遠い。



●何だかんだ、今のフィギュアは面白い。村主は見逃した●「奇跡のシンフォニー」をDVDで。確かにご都合主義なストーリーで白ける人もいるだろうけど、ぼくは素直に感動できた。

2008年12月26日金曜日

魅力

読売新聞の水曜夕刊に、
「PopStyle」という人物紹介企画があって、
保守的な新聞にしては珍しく、
かなり高感度な人選をしている。

にしても、
谷村奈南という歌手を、
ぼくはその時、
つまり昨日新聞を開くまで「全く」知らず、
かなりショックを受けた。

「大袈裟な」
と言われるかもしれないけど、
本当に目まいがしそうだった。



これがもっとマニアックな、
たとえばフィギュアやアニメの世界の人だったら、
「へぇそんな人がいるんだね」で済むのだが、
歌手で、
しかも公式HPによると、
2008年8月にリリースした4thシングル「If I’m not the one/SEXY SENORITA」はオリコンチャート初登場8位を記録。夏のメディアも大いに盛り上げた。

となっているから、
結構有名な人なのだった。
1987年生まれだそうだ。
娘でもおかしくない。。。



それはともかく、
このケースはPerfumeと同じか?
いやいや、
Perfumeの時は、
あれほど人気があることに驚いたのであって、
存在は一応知っていた。
何回も書くけど、
ジェロだって、
歌は聞いたことがないけど、
顔やしゃべっているのは見たことがある。

ところが谷村奈南は、
存在そのものを知らなかった!
これでは、
松田聖子を知らない高校生に呆れている場合ではない。



で、
Youtubeで見てみた。
印象は、
一応歌と踊りができる、
スタイルがよい松島奈々子という感じ。

曲自体はPerfumeよりは理解できたけど、
本人の魅力は今のぼくにはよく分からない?
会社の若い子は、
「どこにでもいるような子が今はいいんですよぉ」
と言うが、
本当だろうか。

どこにでもいそうで、
実はいない子なのか、
どこにでもいそうで、
本当にどこにでもいて、
たまたま運がよかっただけなのか、
そのあたりが見切れない。

彼女のファンは若者であっても、
取り巻く世界はぼくと変わらぬ大人のはず。
その大人の彼らは彼女が「売れる」と思ったはずで、
だから、
単純に世代間の感性の差と、
割り切れない。



疑い深い中年は、
今夜もなかなか納得しない。。。



●「もみじマーク」の義務化をやめ、デザインの変更も検討しているという。「枯れ葉マーク」と、高齢者に不評らしい。こんなことでいちいち文句言うこと自体が高齢者らしくない。高齢であることにむしろ誇りをもって、堂々と「もみじマーク」をつければいいのに。

2008年12月25日木曜日

継続

世界の経済が偉いことになっていて、
大量解雇が相次ぎ、
あのトヨタでさえ赤字だなんて聞くと、
一体全体この先,
世の中どうなっちゃうのと思う気持ちは分からないでもない。

日本のバブル崩壊という「大失敗」失敗を目の当たりにしていながら、
サブプライムローンというイカサマ商品にコロリとやられた、
アメリカという国には本当にガッカリしたし、
その裏で大儲けしているはずの奴らを思うと、
癪に触る。

株価も随分下がって、
辛い思いをしている人もいるだろう。
バブルのころと比べて、
今の株価は見る影もない。

でも、
株価ってやつは、
細かい期間で見れば乱高下しながらも、
数十年のスパンで見れば、
平均株価は間違いなく右肩上がりしているという。



どの尺度でものを見るか。
これ、
結構大事なことで、
例えばもう一例挙げてみよう。



地球の温暖化が叫ばれていて、
数十年単位で見れば確かにそういうことみたいだ。
氷山がボロボロ崩壊する映像など見せられる、
便利な暮らしのツケがついにやってきたのだ、
人類の自業自得だなどと言われても、
そうだよなぁと納得しそうになる。
でも、
牛のゲップのメタンガスも温暖化の原因だとまで言われると、
ちょっとヒステリックに過ぎるんじゃないかと思う。

もっと、
ずっと、
長いスパンで見たとき、
地球は今、
確実に氷河期に向かっているのである。

そういう大きな傾向の前では、
温暖化など、
とるに足らない一時的現象ということもできる。



こんなことを並べたてているのは、
ぼくは、
努力と結果というものも、
同じようなものだと言いたいからだ。

何かを続けていると、
好不調の波があるのは当たり前で、
日によって、
もっと細かく言えば午前と午後だって調子は違うだろう。
場合によっては、
「振り出しかよ」と思うときもあるだろう。

でも、
ちゃんと努力している限り、
緩やかであっても、
全体としてスキルは右肩上がりになってるはずだ。
大袈裟に言えば、
それは歴史が証明している。

問題は、
上がったり下がったりの調子の波を、
どれだけ上手に乗り切るかだ。
忍耐強く、
時にしなやかに、
波と付き合わなければならない。

確かに「石の上にも三年」なのである。



何はともあれ、
三年は文句を言わず、
淡々と努力してみよう。

上を見ず、
下も見ず、
ただ目の前の明日だけを見て、
毎日毎日、
歩みを進めるのみである。


●飯島愛が死んだ。ファンじゃないけど、彼女の人生を思うと、あまりに悲しい。

2008年12月24日水曜日

極意

去年の今頃、
あれほど自信満々に、
打撃の極意をつかんだかのごとく話していたイチローが、
一年後の今、
何を語るのか。

22日BS「MLB群像」の録画を楽しみに見た。

つかんだと思っていたものが、
実は違ったと、
素直に認めていた。

イチローほどの人でも、
そんなことがあるのかという思い。
と同時に、
やっぱり打撃に極意なんかないんだと、
その方が面白いよなと、
納得した。




生身の人間と対峙するスポーツや芸術において、
「絶対」の極意など、
あるとしたら逆につまらないではないか。

仮に打撃の極意があるとして、
それをイチローが本当につかんだなら、
そりゃ沢山ヒットを打って、
素晴らしい成績を残すだろう。

でも、
それはもはや彼にとって「当然」のことであって、
見ているこっちはドキドキもワクワクもしない。
イチロー自身だって、
そうなったら野球がつまんないだろう。

この辺は、
将棋の「解」を出すコンピューターの話と通じる。
「絶対」がないことこそ、
人間の魅力だ。




恐らく、
実際にあるのは、
極意そのものではなく、
理想を正しく設定する、
その設定力ではないか。

そして、
理想に対して正しい方を向く力。
これだって大変な能力で、
凡人が凡人である所以は、
何事においても、
間違った理想を追い求める点だと思う。

常に北を指す、
正しい方位磁石みたいなものを、
イチローはもっているから、
スランプという「闇」に落ち込むこともないし、
やっぱり「天才」なんだなと、
あらためて納得した。



北に何が待っているかはわからなくても、
北に歩き続けられるということは、
それだけでとてつもなくすごい。



●それにしても、イチローって、何でも格好つけたがるし、実際格好いいんだけど、それプラス何か笑えるんだよなぁ。いわゆる「ミスター長嶋」的●本年最後の「じゃず家」セッション。プロのジャズ歌手・ハービー・トンプソン氏が、何故がよくわからないが来ていて、歌が聞けた上に、ぼくの歌を直接ほめてくれた!最高のクリスマスプレゼントだった●作ったハンコを、セッション仲間のKちゃんの楽譜に無理やり押させてもらった。トンプソンさんにも、ぼくの楽譜に押して、メアドとともにお渡しした。来年は押しまくるゾ。

2008年12月23日火曜日

漫才

NON STYLEという二人組を見るのも初めてなら、
M-1をまともに見るのも初めて。
「まとも」といっても、
録画を飛ばしまくって、
ほとんど漫才の部分だけを見た。

結果を知っているので、
偉そうには言えないのだが、
確かに彼らのが一番面白かった。

何といっても、
予選(?)と決勝(?)の2度とも、
テンションを落とさずに笑わせてくれた。
決勝の他の2組は、
予選はかなり笑えたけど、
2度目はちょっと「飽きた」。
客は贅沢なものだ。




NON STYLEのネタは、
たぶん、
一歩間違えれば、
というかリズムが狂えば全然笑えない台本ではないか。
少なくとも内容は斬新ではないように感じた。
あのリズム、
あのスピードだからこそ生きる台本であり、
凄い緊張の中でやり遂げたのだから、
お見事というしかない。

二人は大阪出身で、
路上ライブなんかもやっていたらしい。
どうやら最前席のあたりに、
追っかけのファンがいたようで、
もし路上のころから知っているなら、
本人たちと同じぐらい嬉しかっただろう。




視聴率が35%だったという。
その多くがぼくと同じように、
彼らのことは知らなかっただろうし、
そういう人を笑わせてしまうのは、
路上経験の賜物だろう。

ぼくは歌に関しては、
路上ライブを見るのもやるのも経験があるけど、
一瞬止めてくれた足を固定させるのは難しい。
あの畳みこむような勢いはよかった。




M-1があの形で続く限り、
勢いとリズムがあるコンビが今後も優勝するだろう。
じっくり笑わせる芸には明らかに不利だ。

もっとも、
漫才を「審査」するというのはいかにも不粋だ。
しかも、
普段笑わす側の島田紳介や松本人志が、
仏頂面で見ているシーンは違和感があった。

紳竜やダウンタウンも、
一度出てみたらいいのに。




あ、
竜はもう、
この世にいなかった。



●あすは本年最後のじゃず家だ。XmasSongを歌いたいのだが、歌詞が覚えられない。。。●PC用スピーカー新調。BOSEだぜ。

2008年12月22日月曜日

大は象から小はネズミまで、
哺乳類の寿命は様々だけど、
トータルの心拍数は一定しているという。

諸説あるようだが、
だいたい20億回というところらしい。
従って、
心拍の早いネズミの寿命は短く2~3年。
遅い象は80年~100年生きるのだそうだ。




この理屈は人間にも当てはまるとのこと。
とすれば、
何とかして鼓動を減らせば長生きできると、
だれでも考えるだろう。

心臓の筋肉は不随意筋だから、
「持ち主」の思い通りにはならないはずだけど、
確かヨガの行者は、
コントロールできると、
何かで読んだことがある。

自分で制御できないにしても、
できるだけストレスを避けて、
心穏やかに過ごすのは、
精神衛生上もよろしいだろう。




あるいは、
心臓だけに限って考えれば、
将来iPS細胞技術が進んで、
自分の心臓をそっくり複製しちゃう人も出てくるだろう。
古くなったらハイ交換。

いや心臓に限らず、
ありとあらゆる体のパーツのスペアを用意しておいて、
定期的に交換するような時代がくると思う。




「聖の青春」(大崎善生著、講談社文庫)を読んだ。
村山聖(さとし)という棋士の一生を描いたノンフィクションで、
ずっと読みたいと思っていた。

「一生」といってもそれはわずか29年間。
彼は重い腎臓病を抱えながら、
羽生らとともに将棋会最高峰のA級に駆け上がり、
名人にあと一歩まで迫りながら壮絶な生涯を閉じた。

2日で一気に読み、
震えるほど感動した。




彼にもし、
スペアの腎臓があったらなど、
考えるのは不謹慎だと思うが、
彼は交換を望んだだろうか?

恐らく望んだだろう。
だが、
そうしていればきっと、
彼の凄まじい生き様は、
描かれることはなかったに違いない。




一回きりの、
一方通行の、
時代も場所も選べない道だからこそ、
描ける人生もある。

傲慢だけど、
そう思う。

2008年12月21日日曜日

演技

高倉健や吉永小百合を、
ぼくはこれまで、
あまり役者として重要視してこなかった。

「よい(上手い)役者」というのは、
役に成りきった芝居をする人であると、
ずっと思っていたからだ。

滅茶苦茶大ざっぱに言うと、
「舞台系」の人は上手くて、
「映画(テレビ)系」の人は大したことがない、
みたいな。

大変な男っぷりや美貌で、
確かに「大スター」ではあるけど、
吉永小百合が演じると、
どんな悪女でも汚れ役でも、
「吉永小百合」が透けて見えすぎて、
役になりきってないな、
なんて生意気にも思っていた。
高倉健についてもしかり。




そういう意味では、
中井貴一も吉永~高倉ラインの人で、
ぼくの中では「演技は上手くない人」だった。

でも、
「風のガーデン」を見て、
まず中井貴一を見直し、
さらに「演ずる」ということへの認識までが変わった。

役が憑依したかのごとき芝居も確かに凄いとは思うのだが、
「演ずる」ことの本質は、
すなわち役の本質をとらえることだと思い至った。




あたかも役が憑依したかのごとき演技であっても、
それはあくまで役の表面的なもので、
それだけでは、
結局「真似が上手い」ということにしかならない。
つまり「達者」の閾を出ないのではないか。

逆に、
役の本質をつかんでいたからこそ、
いつも変わらぬ七三分けの中井貴一が、
末期のすい臓がんであるプレイボーイの麻酔科医という、
役そのものに見えたのではないか。。。




何となく思い返しただけでも、
吉永小百合にしても高倉健にしても中井貴一にしても、
演じてきた役の幅はかなり広いように思う。
案外、
「上手い」と世評の役者は、
その人の「はまり役」ばっかり演じているだけかもしれない。

そう考えると、
宮崎あおいは篤姫を演じ切ったと言えるように思った。



●と、自分のものの見方の浅はかさに気付かされました。仲間由紀恵は何やっても「ごくせん」なんて言っちゃ失礼なのかも。

2008年12月20日土曜日

感性

年々、
流行歌事情に疎くなって、
その年大ヒットしたはずなのに、
紅白歌合戦で初めて見る(聞く)歌手が増える一方だ。

青山テルマや、
ジェロでさえ、
名前と顔はわかるけど、
歌っているのは知らない。

今やCDの売上枚数より、
ダウンロード数のほうがはるかに多い時代。
ぼくの知らない別世界で、
ヒット曲がどんどん生まれているのだから、
それも致し方あるまいと、
ほとんどあきらめ気味だ。



そんなぼくが唯一、
最近のポップ事情を知ることができるのが、
カラオケボックスだ。

DAMチャンネルを見ていると、
いろんな若い人が出ていて、
少しは参考になる。




Perfumeという女の子3人組を知ったのも、
最近のことだ。
機械処理された声と、
人形のような振り付け。
フィギュアブームとか、
その辺を狙っているのだろうが、
正直、
星のように生まれ消える新人のひと組としか思ってなかった。

それが実は今や大変な人気だと知って驚き、
紅白に出ると知って仰天し、
今日、
BSで武道館コンサートをやっていて、
目まいを起こしてひっくり返りそうになった。




認識不足も極まれりだなと、
反省しながら少し見たのだけど、
バックバンドなし、
相変わらずのエフェクトされた声、
決して巧いとは思えぬ踊り。。。

わからん!
どーしてこの3人組がそんなにいいの?

ぼくは、
デビュー当時のサザンを認めなかった親父のように、
彼女らを否定したくはない。
でも、
本当に分からない。
彼女らのどこが魅力的なのか。
かけらさえも。

武道館を一杯にして、
観衆を沸かせるエネルギーがどこにあるのか。
曲がいいの?
ルックス?
センス?




若者に迎合したいのではなく、
わからんものを、
わからんで済ませたくない。

こんな風にわからんものが、
どんどん自分の周りに増えていくとすれば、
ちょっと息苦しいではないか。

いやひょっとすると、
もうすでにそういうもので、
ぼくの周囲は埋め尽くされているのかもしれない。

ちなみに、
公式サイトによる彼女らの経歴は以下の通り。

意外に芸歴は古い。

1999年 アクターズスクール入校
2000年 Perfume結成
2002年 広島限定で「OMAJINAI☆ペロリ」、「彼氏募集中」リリース
2003年から活動拠点を東京に移し、サウンドプロデューサーにcapsuleの中田ヤスタカ氏を迎えて、インディーズより「スウィートドーナッツ」、「モノクロームエフェクト」「ビタミンドロップ」をリリース。2004年にワンマンライブを3回、イベントも精力的に行う。
2005年9月21日 メジャー第1弾シングル「リニアモーターガール」リリース。
以降、「コンピューターシティ」(Sg)、「エレクトロ・ワールド」(Sg)、「Perfume ~Complete Best~」(AL)、「Fan Service [sweet]」(Sg)、「Fan Service [bitter]」(DVD)、をリリースし、2007年7月から「NHK 環境・リサイクルキャンペーン」のCMに出演が決定する。同CMソング「ポリリズム」を2007年9月にリリースし、オリコンウィークリーチャート7位を獲得。
2008年に入り、「Baby cruising Love」(Sg)をリリースし(オリコンウィークリーチャート3位獲得)、4月にリリースした「GAME」(AL)で自身初となるオリコンウィークリーチャート1位を獲得する。
その後、「love the world」(Sg)、「Perfume First Tour 『GAME』」(DVD)をリリースし、共にオリコンウィークリーチャート1位を獲得する。

2008年12月19日金曜日

合掌

長嶋茂雄は「水戸黄門」ファンで、
月曜8時になると、
自宅和室に一人で行き、
座布団の上に正座をして鑑賞する。

と聞いたことがある(もちろん今はそんなことないだろうけど)




「風のガーデン」が終った。
何回か見逃したこともあって、
決してよい鑑賞者ではなかったが、
このドラマを見るときは、
なにか居ずまいを正してしまった。
ソファにごろ寝では見れないような。。。

ガンですでにこの世にいない緒形拳演じる医師が、
末期ガンの息子を演じる中井貴一を看とるという、
何ともいえぬ切なさ。
そして、
黒木メイサの美しさ。。。




ちょうど去年のこの季節、
親父がガンで死んだ。

だから、
主人公が実家に帰ってから亡くなるまでの中井喜一の演技が、
本当にリアルに迫ってきたのだが、
不思議と、
悲しみがよみがえるというより、
スッとあの頃に引き戻される感じだった。

最後の入院から2週間。
親父は点滴だけになってどんどん痩せ、
麻薬のせいで意識がもうろうとしてるんだけど、
家族や親せきが毎日集まって、
時に笑い、
時に涙したその期間が、
どれほど大切なものであったか、
思い出させてくれた。


●竜王戦第7局も素晴らしかった。終盤、形勢逆転、逆転、また逆転。解説しているトップ棋士でさえ先がまったく読めない展開。BS中継の枠にも入りきらず、ネット中継もつながらず、結局深夜に渡辺明竜王が3連敗から4連勝という「奇跡」を知った。連続5期、これで初の永世竜王だ。後世まで語り継がれる名勝負だった。ど素人のぼくでさえこんなに感動させたのだから●それに引き換え映画「地球が静止する日」。近所のシネコンで観た。前日の「インディ」に続いてまたも宇宙人ものというだけでいささか食傷気味の上、内容があまりにもお粗末。ハリウッドの民主党支持者がオバマを宣伝するために作ったのに違いない。やたら「WE CAN CHANGE」ってセリフが出てくるし。

2008年12月18日木曜日

もう閉じてしまったけど、
ぼくは去年の10月からブログを書きはじめていて、
12月16日には、
こんなことを書いていた。

タイトルは「幸せの記憶」となっている。

僕が住むあたりは、
かつては社宅だらけだったけど、
バブル崩壊からこっちは次々に取り壊され、
マンションや一戸建てに変わっていった。

近所の一角にも最近、2階建ての家がまとまってできた。
一戸ずつ少しずつ違うけど、
意匠が同じのたたずまい。
小さな庭があって、
周囲に塀がなく、
開放感にあふれている。

その一角では今、
クリスマスイルミネーションの電飾が美しい。

新居で初めて迎えるクリスマス。
小学校に上がったかどうかというような年頃の男の子や女の子が見守る中、
まだ若くて頼りない庭の木に、
お父さんが付けたであろう青や赤の電飾が灯る。
光の数はまだ控えめだ。

ピョンピョン飛びはねている男の子がいる。
三輪車の目線から見上げる女の子。
隣近所の同じ歳ぐらいの母親同士が話している。


「これ以上幸せな光景があるだろうか」

そう思わせるのに十分な師走の夕暮れ。


その家には今年も同じようにイルミネーションが輝いている。
ぼくが一つ年をとったように、
その一家も全員1歳年齢を重ねた。
子どもは大きくなって、
いずれ巣立ち、
夫婦二人きりの時がやってくるかもしれない。

それでもぼくは、
来年も、
再来年も、
ずっとずっと、
あの家にイルミネーションが灯って欲しい。

ぼくはそれを見て人の幸せを思い、
ぼく自身の、
あの年の、
あの冬を思い出すだろう。


●ブログアドレス入りのはんこが出来上がった。一応シャチハタと張り込んだ。来年から、名刺代わりにポンポン押そうと思う●インディジョーンズ最新作をTUTAYAでレンタル。確かに素晴らしくよくできてたけど、ワクワク感がないのは何故?

2008年12月17日水曜日

撤退

ホンダのF1撤退に驚いたのもつかの間、
F1と並ぶモータースポーツのWRCから、
スズキとスバルが相次いで撤退を発表した。

もちろん昨今の世界不況が引き金なのだが、
どうにも車が売れないらしい。

ぼくは先日書いたように、
自家用車を手放した。
今の生活に車が必需品でないことが、
はっきりしたからだ。
日ごとにその決断が正しかったと実感している。
というより、
車がないことへの違和感が全くない。

きっと同じように感じている人が増えているのだと思う。



さて、
非マイカー人間になって思うのだが、
車の排気ガスは健康に悪い。
だからぼくの回りで車はできるだけ使わないでほしい。
あなたの撒き散らす排気ガスは、
ぼくのが肺がんになるリスクを著しく高めている。

特にレジャーで乗るの人は、
どこか田舎の人気のないところで楽しんでほしい。
五人乗りの自動車に一人で乗るなんて、
きっと路上喫煙よりマナーが悪い。
自家用車に関する税金はもっと上げるべきだ。。。




喫煙者批判への意趣返しのつもりで書いたが、
もちろん本気で思っている訳じゃない。
でも、
車や電車に乗ることも、
電気やガスを使うことも、
他人の健康や環境を害している。
そういうことだ。

その自覚があれば、
人はお互い、
もうすこし優しい気持ちになれると思う。




ぼくはF1が好きだし、
特にアイルトン・セナの時代は、
かなり好きだった。
彼が大クラッシュした瞬間は、
テレビ中継を見ていたし、
亡くなったとアナウンサーが涙声で報告したときは、
ぼくも涙ぐんだ。

車のある暮らしが便利で楽しいことも十分理解している。
地方では必需品であることも。
ぼく自身、
これまでに地球5周分ぐらいは運転してきた。
将来、
再び車を持つときがくるかもしれない。




ただ、
環境問題とか景気とかとは別の次元で、
車離れは進むだろう。
乗馬が交通手段ではなく、
趣味のひとつになったように。




●いよいよ竜王戦第7局が始まる。頑張れ渡辺。

2008年12月16日火曜日

「力本」ばやりだ。

Amazonの和書で「力」をキーワードに検索しただけで、
悩む力(姜尚中)
鈍感力(渡辺淳一)
察知力(中村俊一)
関心力(井上富紀子)
頑固力(岡田彰布)
決断力(羽生善治)
質問力(斎藤孝)
読書力(斎藤孝)
参謀力(童門冬二)
雑談力(武藤清栄)
指導力(山本七平)。。。。

3文字のタイトルだけでこれだもん。
キリがない。
生きるには、
実にいろんな「力」が必要だ。

でも、
ぼくがこうした本を書くとしたら、
タイトルは間違いなくコレだ。


「夢中力」


夢中になること。
年齢も
性別も
立場も
時間も
場所も
何もかも忘れて一心不乱に打ち込むこと。
これ以上に幸せなことはない。




昨日の話の続きにもなるけど、
夢中になるためには、
音楽でも何でも、
まず、
自分を好きになることが絶対必要だと思う。

誰よりも自分のファンであること。
自分を好きじゃない人は、
たぶん他人も好きになれない。
そして、
誰にも自分を好きになってもらうことはできない。




ぼくは子どものころから歌うのが好きで、
フォークギターや、
バンドや、
カラオケと、
年齢によって形は様々だけど、
好きだったから歌っていたし、
歌っている自分が好きだった。

でもある頃からそうではなくなった。
自分の歌が自分で心地よくなくなっていた。
それは誰かに強制されて歌ったからとか、
声が悪くなったからとかではなく、
たぶん、
自分の歌の下手さ加減に気づいたんだと思う。

上手い人の歌を聞くたびに、
何でぼくはあのように歌えないのだろうと、
そんな思いが積もり積もった。

そうなると聞いてくれる人の反応も悪くなった。
ぼくがぼくの歌を好きだった時は、
下手ではあったけど、
聞いてくれる人は好意的だった。
でも自分で自分の歌を好きじゃなくなると、
どれだけ歌っても、
人の心をつかむことができなくなった。
そういうことは、
本当に「手に取るように」わかった。

人前で歌うことが怖くなった。

そのまま諦めてしまうことだって出来た。
別にぼくはプロじゃない。
歌わなくても生きていける。



でも人生最大の挫折があって、
多くのものを失い、
その時ぼくの中に残っていたのは、
歌しかなかった。
歌うことさえも捨ててしまえば、
ぼくは本当に何の取り柄もないと思った。
なにせキャッチボールも満足にできないのだ。

だからいい年して頑張ろうと思った。
そしてまた、
少しずつだけど、
自分の歌が好きになりつつある。



●今週は仕事でじゃず家に行けない。来週23日が本年最後になるだろう●ユニクロでフリースのパーカーを買った。デザインが「進化」していて驚いた。たかが、されどである●小学校の時、中学受験を目指す同級生が下敷に「常在戦場」と書いていて驚いたという話は前にもしたけど、その時、ぼくも何かと思い書いた言葉を、さっき風呂に入っていて突然思いだした。「一期一会」だった。山口百恵が好きな言葉だといっていて、「ちょっと迫力ないな」と思いながら書いたのを覚えている。30年たってその意味がわかり始めた。

2008年12月15日月曜日

安藤忠雄

芸術性と競技性の両立を迫られるフィギュアスケーターは辛い。

昨日そんな話を書いたが、
「建築家」というのも、
「作品」と「商品」の板挟みという意味で、
フィギュアスケーターと一脈通じるところがある。



元町のjamjamで、
以下のようなイベントがあったので行ってみた。

2008/12/14 SUN.建築家 安藤忠雄氏との座談会
「神戸に夢を」
安藤氏と共に膝を交えながらのトークタイムです。

12月14日(日曜日) 15:00~17:00

1500円(シフォンケーキと珈琲)
シフォンケーキは数に制限がございますのでご了承下さい。

このひと時を是非皆様と共有したいです。
沢山の方々のお越しをお待ち致しております。

場所:ジャズ喫茶jamjam 078-331-0876




一応予習にと、
「建築家安藤忠雄」(新潮社)を読んでおいた。
おおよそ事前の印象通りの人だった。



おそらく建築家の優劣は、
自らの理想を実現させる力、
つまり、
クライアントとの交渉力で決まるのではないか。

いくら立派な図面を描いても、
実際に建たないならそれこそ「画餅」だ。
「どんな手を使っても」作っちゃった奴が偉い。
今風でいえば「実現力」ということか。




果たして安藤氏は、
施主の言うことは「一応聞いた振りはします」と断言した。
要するに表面的にはクライアントと丁丁発止やりあっているようで、、
結果的に「全て」自分の思い通りに事を運ぶということなのだと思う。

でもクライアントの方は、
いっぱい議論したんだから、
自らの意見もいっぱい反映されていると思うんだろう。

そう納得するまで話し合いには付き合う。
そういう粘り強さが安藤氏の真骨頂であろう。
そこが氏が傑出しえたひとつの要素だと思う。

自分の理想の建築を作るより、
クライアントの希望をかなえる方が、
時には(恐らく大抵は)楽なはずで、
ほとんどすべての建築家は、
優秀だが(あるいは優秀であるが故に)妥協してしまうのだと思う。



ただ、
実際の話を聞いてみて感じたのは、
氏にはそういう交渉術のほかに、
相手が敵か味方かを瞬時に見分ける「目」があるということだ。

反射神経というか、
本能というか。
要するに「勝てない喧嘩はしない」


氏が元プロボクサーであったことと無縁ではあるまい。




ところで氏に限らずの話だが、
60歳代の人が今の日本や若い人のことを悪く言うと腹が立つ。
氏も60年代安保に非常に思い入れがあるようで、
「あのころの若者は熱かった」みたいに賛美する。

でも、
教育システムを始め、
今の「日本」を作り上げた実動部隊は、
紛れもなく今の60歳代の人たちだ。
実際にヘルメットかぶって機動隊と戦ったかどうかは別として、
「あの頃」の若者がその後40年かけて、
日本を今のような姿にしてしまったのではないか。

そんなことはほおっかむりして、
年金もらって「今のままでは日本に未来はない」みたいに言われると、
さすがにこうして一言書きたくもなる。

本当は、
「ぼくたちがこんなにしちゃった日本だけど、今の若い人、何とか立て直してね」とお願いしなきゃいかんのじゃないか。



あと、
ぼくは氏が感じているほど、
若者に絶望はしていない。



●ジャズピアニスト小曽根真がオスカー・ピーターソンの魅力に迫ったNHKBSハイビジョンの番組が滅法面白かった。内容もさることながら、番組に参加していた女性が最後に言っていたことが印象的だった。「彼は自分の音に感動していたからこそ、聴衆を感動させることができた。彼は誰よりも自分を感動させたくて練習し、弾いていたと思う」みたいなことで、それはとても重要なことだと思った。

2008年12月14日日曜日

両立Ⅱ

フィギュアスケートの、
競技性と芸術性は両立するかについて、
もう少し考えてみる。



例えば、
棒高跳びのイシンバエワが、
バーを持って助走する時、
何か振り付けをしたらどうだろう。
そして、
その結果、
問題ないはずの高さが跳べなかったとしたら。

あるいは、
白鳥の湖を舞うプリマが、
いつもより一回多く回った挙句、
無様にこけてしまったら。

どちらもナンセンスだろう。



ところがフィギュアスケーターが求められているのは、
そういうことで、
だから常に(文字通り)本末転倒になる危険をはらんでいる。

浅田真央がトリプルアクセルを決めた瞬間は、
凄いものを見たと思ったけど、
それは純粋にフィジカルなものであって、
芸術性とは違う次元の話だと思う。

高い芸術性を生むには、
高い技術が必要だという意見には半分賛成だけど、
身のこなしや表情やプロポーションは、
フィギュアの技術とは本質的に関係ないと思う。

解説の伊藤みどりが興奮していたのも、
トリプルアクセルを2度跳んだという、
歴史的事実に対してであって、
彼女にとって、
芸術性はあんまり興味がなかったのではないか。
少なくともぼくにはそう感じた。
だって技術論ばっかりだったから。

荒川静香なら、
表情とか演技構成とかにもっと言及しただろう。



とにかく、
難易度の高いジャンプが決まった時というのは、
小手先の工夫などは蹴散らす、
圧倒的な感動があることは確かだ。

結局ジャンプはすべてに勝るのかな。
何回こけたって、
女子がもし4回転を決めたら、
それ一発で歴史に残る訳だし。

でも安藤美姫みたいに、
最初から最後までジャンプばっかりしてた印象しかないのもどうだろう。
あれじゃ、
わざわざ音楽変えた意味ないじゃないかと、
ど素人は思う。



こんなことばかり書いていると、
何だかんだ、
お前つまりフィギュア好きなんじゃねーかよと、
突っ込まれそうだ。

確かに、
テレビ桟敷で文句たれてる、
ただのオヤジだ。



●偶然だが「ジャンパー」という映画をDVDで観た。最近、これほど下らないと思った映画はない。

2008年12月13日土曜日

両立

フィギュアスケートは難しい。

技術的なことはではもちろんない。
それは当然難しいにきまってる。

ぼくがいつも感じている難しさは、
フィギュアの「競技としてのあり方」
あるいは、
フィギュアの観客の心構えとでもいうものだ。

やる方も、
見るぼくらも、
女子なら3回転半とか4回転とか、
大技の醍醐味と同時に、
細やかな感情表現など、
ドラマチックな感動も求める。
でもそれは、
かなり贅沢であり、
時に傲慢かもしれない。

確かにトップアスリートは美しいけど、
その美しさは「芸術的美」とは違うと思う。
この二つは本来両立しえないのではないか?
控え目に言っても、
両立するのは極めてまれであるはずだ。

今日のGPファイナルを見ていて、
あらためてそんなことを思った。



例えば安藤美姫。
第一演技者で、
最初のジャンプで思いっきりこけてしまった。
ぼくは正直、
彼女に関しては、
そこから後は見れなかった。

こけてしまった後、
「よい滑り」で採点は盛り返せても、
演技としては、
開始数秒で空中分解してしまった(と思う)。
彼女の熱烈なファン、
あるいは「競技」として見ている人は、
違う見方かもしれないが。

浅田真央が確かNHK杯のフリーの最後、
素人目には何でもない場面で転んだのは、
十分感動した後だったから「ご愛敬」で済んだ。
でも安藤に限らず、
最初のジャンプでこけるのは最悪。
芸術としては「台無し」だろう。


いっそ、
競技なら割り切って、
音楽なしで、
ウエアももっとシンプルなものにして、
純粋にジャンプとかステップとか回転とか、
技術だけを争ってはどうかと思う。

パフォーマーとしての部分は、
エキシビションとかで見られればそれでいい。
練習では100回やって100回成功しても、
本番であっさり失敗して、
時に涙ぐむ彼女らを見ていると、
こっちまで辛くなる。



●真央とキムの一騎打ちだろうが、真央の滑りには今だに「発表会」の色がある。対してキムは、ミスがあっても「パフォーマンス」色を感じる●将棋の竜王戦は大変な事態になっている。羽生に3連敗して後がなかった渡辺竜王が、そこから3連勝でタイに持ち込んだ。第7局は勝った方が永世竜王がかかる大一番。間違いなく歴史に残る戦いだ。必見。

2008年12月12日金曜日

野良

ぼくの家の前を流れている用水路に、
最近、
亀が出没する。

用水路は幅が2㍍ほどで、
こどものころには結構な水量があり、
ザリガニやドジョウやタニシをとって遊んだが、
今ではサラサラとかすかな流れがあるだけだ。

そこを体長20㌢ほどの亀が歩いていたらしい。
近所の人が見つけ、
わざわざ宝塚の清荒神まで連れて行って、
池に放してやったという。



ところが昨日、
そして今日と、
うちの母が、
同じような大きさの亀が、
用水路を歩いているのを見たという。

だれか飼いきれなくなった人が放したのだろうか。
野良猫ならぬ、
野良亀。


とりあえずお目出度いけど、
不思議なことだなぁと話していたら、
「もっと面白い話あるで」と母。
何でも、
玄関先のプランターにある日、
干からびたお握りが捨ててあったという。

近所のこどものいたずらだろうと、
母が捨てたら、
翌日、
そのプランターの中を、
カラスがクチバシで探っていた。
お握りは、
カラスが隠していたものらしい。


おっかしいなぁ、
ここに隠しといたのに


カラスが、
いかにもそう言いたげな仕草だったので、
母が興味深く観察していると、
そのカラス、
ふっと振り向き、

お前か!

という眼で母をにらみ、
飛んで行ったそうな。



カラスの恨みを買った母の運命は如何に。。。

2008年12月11日木曜日

格差

受動喫煙の被害者だといって、
喫煙者を一方的に攻め立てる人が、
ぼくは苦手だ。

そういう人は、
一点の曇りもなく、
自分は加害者ではないと思っているのだろう。

人間は生きているというその事だけで、
すでに加害者であるという意識が全くない、
そういう無神経さが、
ぼくには理解できない。



煙草がまた値上げされそうだ。
喫煙者の間では、
ひと箱1000円ならやめるけど、
500円なら吸い続けるというのが、
意見の「相場」だろうか。

いっそ明日から1000円にしてくれ、
そしたらスッパリやめられるのにと、
他力本願な声もある。

値上げするたびに、
喫煙者の割合が減っているそうだから、
きっと1000円になれば、
うんと下がるだろう。
喫煙者を目の敵にしている人たちにとって朗報に違いない。



この前、
BSで中国の出稼ぎ労働者のドキュメントをやっていた。
彼らは本当に貧しそうで、
帰省するバス代にも事欠く。
郷里に残した子供にラジコンヘリを買ってやりたいが、
当然そんなお金はなく、
金魚数匹が精一杯の土産となる。

そんな彼らが、
のべつ幕なしに煙草をふかしている。
ひと箱いくらなのか知らないけど、
この国では、
煙草は貧困の象徴のように見える。

近い将来、
地球上の喫煙者の4割は、
中国人とインド人になるともいう。



しかし、
日本でひと箱1000円とか2000円とかになって、
それでも吸い続けられるのは富裕層だけだろう。
煙草=裕福という状態になって、
ノキアの携帯じゃないが、
わざわざひと箱5000円とか10000円とかする煙草も、
売り出されるのではないか。

街の喫煙所は豪華になり、
高級店では得意客用に喫煙室を設置するところも現れるだろう。
いまは隔離されたかのごとき喫煙室の人たちが、
誇らしそうに紫煙をくゆらす日が。

ズワイガニもマツタケも、
昔は全然高級品などではなかった。
ところが数が減り、
庶民が容易に手を出せない値段になると、
逆にありがたがられるようになった。



いつかは煙草が吸えるようになりたいね

ああ


そんな会話が交わされる、
格差に満ち満ちた日が、
やってきそうな雲行きだ。


●帰宅してNHK「SONGS」を録画で。ミスチルがいきなり「HANABI」を歌った。「もういっかいもういっかい」。コード・ブルーの主題歌だ。やっぱりいい歌だと思った。●ついでに東京カワイイTVも。「ニューヨークはアメリカじゃない」と言った人がいたが、そういう意味で東京は日本じゃない。

2008年12月10日水曜日

国語

芸能人が遊ぶだけのクイズ番組は言うに及ばず、
30歳代ぐらいの「中年」とよんでも差支えないような人でも、
あまりに日本語の語彙が少ないので驚くことがある。

こんなことで大丈夫なのかと、
心配になりもするが、
まさか日本語が「亡びる」とまでは認識していなかった。



「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、筑摩書房)を一読した。
英語が「世界の共通語」となることがはっきりした今、
日本語の「読み書き」は、
ぼくたちが努力して継承していかなければ亡びると、
著者は憂う。

誤解がないようにしたいのは、
日本人が将来みな、
英語を話すようになるという意味ではない。
あくまで書き言葉としての日本語である。
話し言葉と書き言葉を、
著者は明確に区別している。



「文化とは<読まれるべき言葉>を継承することでしかない」



その一方で著者は、
日本語と英語の両方に堪能な、
真のバイリンガルを要請すべきであるとも述べる。

日本語教育を内壁とすれば、
英語教育は外壁という訳だ。
それで初めて、
日本語は守られると。



漢字+ひら仮名+カタカナ文という、
世界でも類をみない日本の書き言葉は、
地理的、
歴史的特殊性があってこそ守られた「奇跡」なのだと言う。
実際、
漢字も仮名も廃止してローマ字に統一しようとか、
いっそ日本語そのものをやめてフランス語に乗り換え用とか、
びっくりするような議論が、
文化人や官僚を交え、
つい最近(といっても数十年前)まで大真面目にされていたのである。

日本語が当たり前に存在し、
当たり前に存在し続けると思っていてはいけないのだ。
地球上で日々言語は消滅していて、
今ある6000ほどの言葉のうち、
8割が今世紀中になくなると予測されているという。



以上はぼくなりのこの本の解釈で、
間違ってるかもしれないが、
なるほどなぁと思う一方で、
言葉は生き物だから、
「守ろうとか」
「流行らせよう」とかしても、
所詮なるようにしかならぬのではないかと、
ぼくなどは諦観派だけど、
それは、
無理やり別の言語を強制されるような、
苛烈な経験がない故の能天気発想なのだろうか。

例えば、
「ナウい」という表現がどういう感触を与えるかなんて、
数年単位の時間の差、
使われる状況、
使う人によって、
千差万別であって、
そういう移り変わっていくものを、
ピタッと固着させて受け継いでいくことなどできないのではないか。



文化を継承できるのは<読まれるべき言葉>だけだろうか。



その一方で、
わずか100年前にこの日本で書かれた文章が、
仮名遣いの違いや漢字の略字化などを経て、
すでに読むことすら困難ということも問題だ。

英語であれば、
何百年前のものでも、
基本的に読むことに苦労はない。
時代的に強引な比較だけど、
源氏物語には「現代語訳」が必要だが、
シェークスピアにその必要なない。
「死語」があったとしても、
理解できない訳じゃない。



ぼくが書いているブログは、
恐らく人類がある限り、
ネットの間を漂い続けるだろう。

しかし、
読む人がいないのなら、
書かれなかったのと同じだ。
確かに、
「第三者的」にはその通りだ。

でもそれは、
ぼくが書かなかったということと同じではない。



この違いは大きい。


●ノーベル賞講演の益川さん。「英語は話せるに越したことはない」。それでまた世の親は日本語より英語教育に熱を入れる●じゃず家セッション。今年最高の出来だったと思う。マイクと仲良くなれた気がした。9日は親父の命日だった。何かの縁だろうか●NHKプロフェッショナル。ボリショイバレエ団ソリスト岩田守弘。存在を知らなった自分を恥じる。久々鳥肌がたった。

2008年12月9日火曜日

羽毛

今冬初めてダウンを着た。
やっぱりすっごく暖かい。
これさえあれば、
中はTシャツ一枚でも平気だ。

でも、
「羽毛万歳」
とばかりも言ってられない。
ひょっとすると、
「これ一枚羽織れば」時代は、
終わりかもしれない。



理由は地球温暖化対策、
あるいは原油高騰。

会社が暖房温度を下げてしまったのだ。
だから、
薄着にダウン一枚だと、
脱いだら寒いのだ。

といって、
重ね着すると、
パンパンになっちゃう。
真冬の定番が危うくなり、
少し思案中だ。



確かに贅沢な暮らしをしてきたのだ。
どこへ行っても冷暖房完備。
我慢するのは夏の戸外だけという生活に慣れすぎた。

こどものころ、
冬はおばあちゃん手縫いの半纏を着て、
炬燵でまるまっていたし、
夏は熱の籠った部屋で、
蚊取り線香の煙の中、
扇風機にタイマーをかけ、
汗をかきかき寝たもんだ。

きっとダウンが流行りだしたのは、
この国が豊かになったことと同時に、
どこでもしっかり暖房されるようになったからに違いない。



我が家には、
昨冬からガスファンヒーターが登場したけど、
明日は炬燵を出そうかな。



●難波845で太田雅史さんのボーカリーズジムへ。依然、スキャットは滅茶苦茶。何とかせねば。ピアノの赤松真理さんから「来年はライブしましょうね」と、温かい励まし●吉川友梨さんの父親をだました二人。「人間じゃない」っていう表現は、こういう時こそ使うべきだと思う。

2008年12月8日月曜日

遺言

何気なく日本経済新聞をめくっていたら、

「完全版 正式遺言セット」の広告が目に飛び込んできた。

遺産相続を巡るゴタゴタが起きないように、
マニュアル通り書き進めば、
法的にちゃんとした遺言書ができるという、
まともな趣旨の製品なのだが、
内容がどうにも笑える。



セットは遺言書と財産目録、
家計図や重要事項のほか、

遺影に使う写真や、
防水密封ポケットなどが、
「高価なヤギ革」の鍵つきバインダーに閉じられている。

「お客様からんのお手紙」というのがあって、
葛西章夫様(72歳)が、
「相続のことはのびのびにしていたが、簡単そうなので申し込んだ。簡単で漏れもないのに驚いた。定年後は空虚な生活を送っていたが、これからは毎日を大切にします」
と感想を寄せておられる。

そして、
なんと推薦人は丸山和也弁護士。

「生き生きした老後を送るあなた自身の何より大切な一冊、パートナーとなってくれる」
と手放しで宣伝しておられる。




広告の中央にはでかでかとバインダーの写真があって、
下には「お名前を金文字で刻印いたします」の文字。
その広告写真をよく見ると、
名前が「徳川家康」となっているのには吹き出した。

これで一括払い38000円。
分割払いも用意されていて、
月々12900円×3となる。

遺産を巡って「骨肉の争い」になりそうな人が、
分割払いで買うわけないだろ!



葛西章夫さんみたいに、
この広告みて、
本当に買う人いるのかな。

いや、
本当に切実な人は、
こんなふざけた広告でも、
飛びついてしまうのかもしれない。


●読売新聞の今日の朝刊に「生命物質 隕石衝突で誕生」という記事が載っている。生命に必須のアミノ酸が、海に隕石が落ちた時の反応を実験室で再現できたというのだが、本当ならスゴイ発見だと思う。ひょっとしたら、月が地球に衝突した時かなと想像してしまった●麻生内閣支持率21%に。ここまでくると、可哀想に思えてきた。

2008年12月7日日曜日

圧縮

人の考えや音楽は、
それぞれ活版印刷や、
レコードの発明によって、
一気に庶民のものとなった。

大木こだま・ひびきのギャグじゃないが、
わざわざ行かなくても、
向こうから来てくれるようになった訳だ。

ある場所に行かねば味わえない感動が、
手軽にお家で楽しめるようになった恩恵は計り知れない。
今の文明はこれらなしではあり得なかった。



その究極の形が、
今読んでいる「日本語が亡びるとき」(水村美苗著、筑摩書房)で描かれる。


 シュメール語が記された粘土板から今まで、人類は最低三千二百万冊の本、七億五千万の記事やエッセイ、二千五百万の歌、五億枚の画像、五十万本の映画、三百万本のビデオやテレビ番組や短編映画、そして一千億のホームページを「出版」した。これらの全部の資料は、完璧にデジタル化されれば、すべてが五十ペタバイトのハードディスクに圧縮することができる。そのとき、すべてを収めた図書館が、あなたの財布の中に入り込んでしまう。



ちょっと端折って引用したけど、
そういうことらしい。
ちなみに「ペタバイト」とは2の50乗だって。



この文章に驚いたのは、
無数とか無限であるはずの人類の文化的営みが、
数値化、
つまり有限化されているということだ。
概算にしても、
人類が生みだした画像は五億枚と言われた時、
それが多いのか少ないのか見当がつかないけど、
何か「身も蓋もない」感じがした。



それがいかに膨大であっても、
数え切ることができれば、
つまりデジタル化されれば、
すべからく「圧縮」されちゃう運命にある。

圧縮といっても、
エッセンス、
つまり「濃縮」ならよいのだが、
圧縮すればするほど、
普通は「搾りかす」しか残らないものだ。

人間の営みの本当の魅力は、
圧縮され得ない部分にこそある。

例えば油絵の実物と、
そのデジタル画像の差。
舞台とその録画の差。



本当は言葉も音楽も同じことなのだと思う。
言葉は文字化されることで、
音楽は録音されることで、
圧倒的な流通力を得たけど、
言葉が発せられた場、
音楽が奏でられた場のほとんどすべてのものは、
そこにしかあり得ない。

こだま・ひびきが本当に来てくれればいざ知らず、
やっぱり劇場に行って見なければ、
こだま・ひびきを「体験」したことにはならない。



ところで、
今のぼくを圧縮したら、
どれぐらいの、
「汁」が出るだろう。
量はともかくその味は、
きっと苦いだろう。


●しっかり見ていたわけではないのだが、昨夜、BSの『COOL JAPAN ~発掘!かっこいいニッポン~』という番組で、ある外国人は日本の不動産の間取り図にを見て「コンロの数まで描いてあるなんてアメイジング!」と驚いていた。結構重要なんだけどなぁ●元町のjamjamに行くと、正面のスピーカーにゲバラのでかいポスターが掲げてあって、そこに「Noone is free from faults」と書かれてあった。「欠点のない人などいない」。その通りです。

2008年12月6日土曜日

着地

たなかりかさんのライブに、
また行ってしまった。

「しまった」というのは、
後悔しているという意味じゃなく、
「あらかじめ(何かによって)決めらられていた」というイメージ。

事前にチェックしていた訳じゃなく、
ふいに空き時間ができて、
ライブに行こうと思い立ち、
ネットで探したら、
あった、
ラッキーという具合だ。



こういう時は、
何もかも巡り合わせが良くいくもので、
激しい雨も昼ごろにはやみ、
予約なして行っても運良く席があり、
流れよく事が進む。

ライブの中身も当然ご機嫌で、
一日の着地がピタリと決まった。



もちろん、
いつもいつもこんな風にうまく行く訳じゃあない。
なにせぼくはMW君である。
何か月も、
どうにも休みが合わないこともある。

彼女のファンではあるものの、
元来が行き当たりばったりなもんだから、
当然と言えば当然だ。



この年齢になり助かるのは、
仕事でもプライベートでも、
何事も大きな流れがあって、
それに抗っても無駄だと分かってきたことだ。

そう割り切ってしまえるから、
じたばたしていた若いころよりは、
精神衛生上よろしい。
そしてればたまに、
今日のような「満点」の日もある。

「縁」のあるなしで片付けるのも、
若いころは癪だったけど、
最近は、
雑誌の星占いなんかも、
いっちょ真面目に信じてやろうかと思ったりする。



どうせ一寸先は闇なのなら、
何を信じようと、
馬鹿げているなどと、
誰に言えよう。



●そういえば、彼女の先日のライブで、おひねり(!)が飛んでた。ジャズのライブでおひねりなんて、初めて見た●新垣結衣のドキュメントをNHKで。彼女の演技がいいのは「コード・ブルー」で知っていたが、歌も素直でよい。しかし二十歳とは。番組の最後で「一歩ずつ 少しずつ しっかりと歩いていきたい」と抱負を書いていた。彼女ならそう生きれるだろうなと、思わせるものがあった。

2008年12月5日金曜日

加速

人の第六感とは「加速感」ではないか。

福岡伸一氏は「できそこないの男たち」(光文社新書)で、
そう述べておられる。

赤ちゃんが高い高いをしてもらって喜ぶのも、
人がジェットコースターに熱狂するのも、
その加速感が「快」だからだと。

視覚
臭覚
味覚
聴覚
触覚

そのすべてを奪い取られても、
なおぼくたちは加速を感じることができる。
だが現代科学をもってしても、
加速を感知する仕組みは分からない。



ザ・ローリング・ストーンズのライブ映画「シャイン・ア・ライト」。
5日から劇場公開されるのにもかかわらず、
DVDを買ってしまった。

こどものころは完全にビートルズ派で、
というより、
ストーンズのことはほとんど知らず、
実際今でもよく知らないのだが、
還暦をすぎた男4人の、
この驚くべき映像を見て、
完全にノックアウトされた。


かっこよすぎる


それは、
音の加速感であり、
バンドの歴史の加速感であり、
メンバーひとりひとりの人生の加速感が、
全部ひとまとまりになって、
画面から押し寄せてくるからだ。

ノスタルジックなんかじゃなく(実際ぼくは彼らの曲はほとんど知らない)、
現在進行形で、
どの曲もすばらしくドライブし、
「うわぁー」とぼくをどこかへ連れていく。
きっと映画館で見ればもっと凄いことになってしまいそうだ。



先の福岡氏は、
こうも述べている。


 私たち人間は、媒体としての時間の存在を知覚することができない。時計も、カレンダーも、日記も、等速運動を分節しているだけで、時間の運動そのものの実感を知らせてくれはしない。  
 時間の存在を、時間の流れを知るたったひとつの行為がある。時間を追い越せばよい。巡航する時間を一瞬でも、追い越すことができれば、その瞬間、私たちは時間の存在を知ることができる。時間の風圧を感じることができる。それが加速覚にほかならない。
 巡航する時間を追い越すための速度の増加。それが加速度である。加速されたとき初めて私たちは時間の存在を感じる。そしてそれは最上の快感なのだ。なぜならそれが最も直截的な生の実感に他ならないから。


ストーンズの音楽も、
紛れもない「生」を実感させてくれた。

ジャズもまた、
そういうものなのだと思う。


●生命保険を整理した。車もなくなった。もっと生き方をスリムにして、人生の加速感を味わいたい●神戸・ルミナリエが始まった。今日は比較的暖かく、人でもさほどではなかったとの情報あり。

2008年12月4日木曜日

MW

よし今日はあの店を覗いてみようと、
張り切って行くと定休日である確率が、
ぼくの場合非常に高いと思う。

他人と比較できるわけもないけど、
飲食店、
美容院、
病院など、
ジャンルを問わず「定休日率」が高い。

そういうことは記憶に残りやすいから、
そんな風に思えるだけかもしれないが、
「定休日」の文字の前で唖然とするたびに、
「俺って間が悪い」と思ってしまう。

昔、
株を買ったときも、
ドル貯金をした時も、
ことごとくタイミングを逃し、
得した覚えがない。

そんな事があまりに多いものだから、
もう、
ぼくはそういう人間なんだと開き直って、
「定休日」の文字を見ても、
さほどがっかりしなくなったけど、
今度ばかりは参った。



それは先日のこと。
友人が使っている携帯が気に入り、
翌日、
さっそく買ったのはいいが、
何とそれがNOKIA製だった。

その直後だ。
同社が端末事業から撤退するという報道があったのは。
それを知ったぼくは、
いよいよ間の悪さも極まったと、
あきれ返って笑ってしまった。

まぁ、
撤退といっても、
この携帯が使えなくなる訳じゃないし、
その携帯自体とてもよくできているので、
実害はないのだが、
新車を買った途端にモデルチェンジしたような、
損した気分になってしまった。

こんな時こそ白州正子氏を見習って、
かえってこの携帯を大事にせねばならぬのだ。
そう自分に言い聞かせる。



それにしてもである。
「空気が読めない」がKYなら、
さしずめぼくはMWだなぁと、
一人笑いしている。



●NOKIAの新携帯は1台100-500万円するとか。一体全体、どういう人が使うの?それとも、富裕層と貧困層という二極分化は、想像以上に進んでいるのだろうか。



2008年12月3日水曜日

両極

「アルマゲドン」という映画は、
とにかく巨大隕石が地球にぶつかりそうになり、
海底油田掘削のプロが乗り込んで破壊するという話で、
先日久々に観たけど、
やっぱり面白かった。

そんなに地球に近づくまで、
どうしてわからなかったんだというアメリカの大統領に、
NASAの職員が「宇宙は観測しつくすには広すぎるのです」と、
確かそんな風に説明していた。



都合のいい脚本だなぁと思っていたけど、
実際のところ、
今の観測には限界があるそうで、
荒唐無稽とは言えないようだ。

アメリカのキャリー・マリス博士(ノーベル賞受賞者)は著書で、
もっと予算を割くべきだと警告している(「マリス博士の奇想天外な人生」ハヤカワ文庫)。

そういえば、
地球と月の関係は、
その昔、
「元地球」に超特大の隕石がぶつかって、
一部は今の地球に吸収され、
残りが月になったと、
先日のBSで説明していたっけ。



さて、
一挙にスケールダウンするけど、
サラブレッドの蹄の部分は、
人間でいえば人差し指なんだと、
何かで読んだ。

つまり指4本であの巨体を支え、
疾走するわけで、
美しさともろさは紙一重というわけだ。



そして、
会社でたまたま見た番組では、
金色や虹色のクワガタ虫を紹介していて、
あまりの美しさに目まいがしそうになった。



極大から極小まで、
この世で繰り広げられるスペクタクルに、
「なんで」という思いもなく、
ただただ呆然とする。

海を見て「オレなんてちっぽけな存在」と感じる、
そんなもんじゃ追いつかない、
圧倒的なあきらめにも似た、
それでいて身軽になったような不思議な浮遊感。



こういう感覚もたまには良い。



●じゃず家セッション。「管」の多い日だった。これも不思議●NHK2番組、録画で。トップランナーはジャズトランペッター市原ひかり、プロフェッショナルは武豊。

2008年12月2日火曜日

「素直」ということを考えた。

この年齢になって思うのは、
若い人は素直な方が「得」だということだ。
大人を侮らない若者は、
大人に好かれる。

ぼくが言うことに耳を傾けてくれれば、
単純に嬉しい。
可愛いヤツだとなって、
じゃあこれはどう、
ついでにあれもどうと、
あれこれ面倒をみたくなる。

だから素直な若者は、
精神的にも物質的にも得だ。



しかし、
素直といっても、
丸飲みするということではないだろう。
何も考えず、
無条件に大人を肯定するようでは、
可愛がられはしても、
彼(彼女)の成長にはつながらない。

それは素直なのではなく、
調子の良い、
大人のご機嫌取りだ。



好き嫌いなく「まず」受け入れてみる素直さ以上に、
肝心なのはそれをかみ砕く「心の歯」だと思う。
それでこそ「食べた」物は栄養となり、
成長する糧となりうる。
中身を味わう「心の舌」も、
自然と鍛えられる。

では「心の歯」を丈夫にするにはどうしたらよいのか。
固いせんべいでもバリバリかみ砕くような、
強い心の歯が欲しいなら、
若者はどうすべきか。

ぼくもよく分からないんだけど、
結局、
本当の歯と同じように、
しっかり歯磨きすることなのかな。

つまりいつも自分を鍛え、
かつ手入れを怠らないこと。

柔らかいもの、
甘いものが氾濫する日本で、
しっかりしたものをしっかり食べてる、
丈夫な「心の歯」を持った若者は探せばちゃんといることを、
ぼくは知っている。



翻って、
ぼくの心の歯は、
まだどれぐらい丈夫なのだろう。
本人はまだまだ、
「せんべいぐらい平気さ」って思っているが、
案外、
ポロリと欠けたりするかもしれない。

用心、
用心。



●西宮北口「コーナーポケット」へ久しぶりに。お店の奥様と、初めてまとまった話をさせていただいた。よい休日の午後だった。

2008年12月1日月曜日

悲鳴

近所に映画館があったらなぁと、
こどもの頃よく思っていた。

特に高校生の時かなぁ。
大人たちが若い時、
映画館に入り浸っていたなんて話を読んで、
近所にあるこじんまりした名画座と喫茶店、
この二つは文化的暮らしの象徴のように思っていた。

喫茶店の方は何軒か素敵な店があったけど、
映画館の方はあいにく、
日活ロマンポルノ3本立てのしかなく、
ぼくの文化的生活は半分しか実現しなかった。
(まぁ日活にも行ったけど)



それがついに、
近所にシネコンができちゃった。
何か知らんが「東洋一」というから、
今どき「東洋一」っていう宣伝文句も笑えるけど、
とにかく立派だということで、
ぼくの若い夢は、
30年ほど遅れて大スケールでかなった。

ネット予約をして、
母と「レッドクリフ Part1」を見に行った。
知り合いの「シニア」の女性が「面白かった」といったからだ。
これなら母も寝はしまい。

真新しいカーペットに立派な椅子。
ぼくが信じられない気分になったぐらいだから、
母はいかほどだっただろう。



映画はご存じ三国志の赤壁の戦いが題材。
ジョン・ウー監督、
CGを駆使して、
大スペクタクルに仕上げていた。
エンタテイメントとして、
確かに評判だけのことはある。

母は映画のストーリーより、
すごい勢いでポップコーンを食べるぼくにあきれていた。
でも、
最後まで寝ずに見ていたから、
分からないなりに、
満足していたのだろう。

ぼくとしては、
BSに続き、
またしても誘惑が増えたことで、
本を読む時間がなくなりそうと、
嬉しい悲鳴をあげている。



●て、ぼくにしても三国志は読む方は挫折したクチ。NHKの人形劇は見てたけど。たまたま先日のBSで予備知識があったから、知ったかぶりができたものの、たぶん知らないと映画の筋はチンプンカンプンだろう●それでも小さな名画座にはあこがれる。このシネコンでも1スクリーンぐらい、そういう感じでやってくれないかな。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...