2009年1月31日土曜日

条例

東京都荒川区で、
「飼い主のいない動物への迷惑な餌やりを罰則付きで禁じる全国初の条例」が4月から施行される。

カラスの被害が発端らしいのだが、
野良猫なんかも含まれるため、
愛猫家らが反発してると初めて知った。

検索したら「荒川区+猫+餌やり」だけで12700件ヒットした。
「飼い主のいない動物への迷惑な餌やり」についての様々な意見は興味深い。

一口に「餌やり」といっても、
里親を探す、
不妊手術をするなど、
「野良状態」からの改善に真剣に努力している人もいる。
一方、
垂れ流しのように餌をばら撒くだけの人もいる。

そういう行動の多様さが、
「条例」でくくってしまった途端に柔軟性をなくす。
条例に「賛成」が「心底賛成+(善意の)無知」であるとすれば、
「反対」側の分は圧倒的に悪いだろう。
そういう「何となく賛成」な気分で日常に法律や条例が次々持ち込まれるのは嫌だ。

「傘さして自転車に乗るのダメ」
「歩きたばこダメ」。。。
結局、
自分らを窮屈にしてしまうだけではないか。


●別のところへ書いた文章なので、いつも以上にかたいな●朝青が品格をうんぬんと言ってる間に、とんでもないことに。

2009年1月30日金曜日

桜花

桜といえばソメイヨシノ。

福井に住んでいたころ、
足羽川の両岸に咲きつらなる様は、
まことに見事で、
大好きだった。

でも実は、
明治の初めあたりに品種改良されて生まれ、
比較的新しい桜なのだった。

ちなみに、
古い和歌に詠まれる桜は、
ソメイヨシノ(染井吉野)ではなく、
山桜。



小林秀雄の講演CDにこの話題が出てきて、
小林は「醜悪なる」という言葉を使って、
ソメイヨシノを毛嫌いしている。
学校の校庭のソメイヨシノは、
「植木屋と文部省が結託した結果」と言い放つ。

「第一匂わないじゃないか」

なるほど、
それはそうだ。


小林によると、
ソメイヨシノが全国に広まったのは、
苗が丈夫で、
植木屋さんにとっては栽培が容易だったからだそうな。
一方、
寿命は60年ほどと、
いまの日本人より短い。
戦後すぐぐらいに植えられたやつは、
そろそろ危ないということだ。

短いといえば、
桜は散り際が見事だと、
そして、
そういうはかなさが日本人の美意識に合っているのだと、
勝手に思っていたが、
そんなことも全て、
ソメイヨシノに限った話だった。


山桜は花と葉が同じように長期間、
鑑賞できるのだそうだ。

桜は確かに古来、
日本人に愛されてきたが、
その愛されようは、
いまのそれとは、
だいぶ違ったようだ。

敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)



●ソメイヨシノの花粉が野生桜の遺伝子に乱れを及ぼしていると、29日付朝日新聞朝刊に●「同期の桜」の桜もきっとソメイヨシノだ●ねんきん特別便300万通が宛先不明で返送。その切手代は税金●朝青ガッツポーズに横審が文句。彼らは相当「品格」に自信がおありなのだろう。

2009年1月29日木曜日

静謐

子どものころ、
押入れに入るのが好きだった。
しまわれた布団の上、
時にはその間に潜り込んで、
戸を閉める。
何とも言えない落ち着きは、
きっと生まれる前の記憶とつながっていたのだと思う。

「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川洋子著、文芸春秋社)は、
小さなチェスプレーヤーと、
彼を取り巻く人たちの物語。
先日書いた予感の通り、
実に見事な、
宝石のような作品だった。



この作品では、
「閉塞」が主要なテーマになっている。
主人公は、
カラクリ人形の台座に隠れ、
人間相手にチェスをする。
彼が子供のころ好きだった象は、
大きくなりすぎて、
デパートの屋上から死ぬまで下りられなかった。
第一、
チェス自体が、
8×8の枡目の中に閉じ込められた世界だ。

しかし登場人物、
何より主人公のリトル・アリョーヒンは、
チェスの盤面でこそ自分を解き放つ。



作中、
ある老婦人が彼に言う。
「自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません」。



対戦の描写が素晴らしい。
全くの門外漢が読んでも、
このゲームの奥深さがわかった気になる。

深く深く、
思考の海に沈む様は、
どこか、
本当の海を扱った「グレート・ブルー」に通じて、
神々しささえ漂う。



「静謐」そのものだ。


●というわけではないが、三宮「グレート・ブルー」でたなかりかさんのライブに。この人は、パッション全開で聴衆の心をわしづかみするタイプ。かなり「ヤバい」魅力である。

2009年1月28日水曜日

藝術

十三の「第七藝術劇場」に初めて行った。
気になっていた映画「エグザイル/絆」を見るためだ。
もちろん、
歌のエグザイルとは何の関係もない。



地図を頼りに、
駅の西口を出て、
梅田新道を渡った商店街、
というか、
風俗街のど真ん中。
かなり怪しげなビルの6階に、
その劇場はあった。

入口に縦長の看板が掲げてあるのだが、
「藝術」という文字からして怪しい。
しかも、
隣は古びたボーリング場で、
ゴロゴロ玉を転がす音が聞こえる。











中はまるで小学校の講堂みたいで、
昔、
東京にいた時にたまに行った、
「早稲田松竹」を思い出した。

とはいえ、
ちゃんと椅子やスクリーンはあるし(当たり前だが)、
音響もしっかりしていて、
実のところ、
相当気に入った。

3000円で会員になれば、
一本1000円で見れるという。
ラインアップを見る限り、
相当にマニアックだ。



で、
肝心の映画は、
幼なじみが大人になって、
敵対する暴力団(?)に所属し、
殺し合わねばならぬというという設定。

結局、
「絆」の方が大切でしたという話で、
ストーリー自体は目新しくはない。
女性の描き方といい、
日本の極道モノと似たり寄ったりだ。

だが、
見せ方は新鮮で、
特に狭い空間で大勢の人間が銃を撃ち合う場面の表現は、
一見の価値はあると思った。



あと、
冒頭からそうなのだが、
「鉢合わせ」が物語の駆動力になっていて、
その度に、
入り乱れた人物がドンパチやるから、
関係を理解するのに戸惑う場面が何度かあった。

蛇足ながら、
主人公らが、
やたらウイスキーをラッパ飲みするシーンには参った。
あれではまともに撃ち合えるはずないと思うが、、、



とはいえ、
この映画館を知ったことは、
最近にない大収穫。
ハマろうかなぁ?



●映画の前に時間があったので、同じビルにあるジャンカラに入った。フリードリンクで1時間120円!さすが十三●その後「じゃず家」に行った。珍しく参加者が少なく、遅れて行ったにもかかわらず4曲も歌わしてもらえた。ギタリストの塩本彰さんがお見えで、恥を承知で「ハンコ名刺」をお渡しした。

2009年1月27日火曜日

CM

NHK以外はほとんど見ない、
なんて今は言っているけど、
子どものころからCMが大好きだった。

15秒か20秒ほどの間に、
圧倒的な情報を詰め込む魔法に思えた。
将来、
「CMを作る人になりたい」と、
真剣に思っていたほどだ。

その夢は、
80年代、
糸井重里の「おいしい生活」あたりでピークを迎えた。
時代を切り取る感性にあこがれた。
でも、
なぜかそっちへは行かなかった。



休憩時間に、
NHKトップランナーを見ていたら、
森本千絵という、
全然知らない女性が出ていた。

森本 千絵(もりもと ちえ、女性、1976年4月26日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、アートディレクター。青森県三沢市に生まれ、東京で育つ。武蔵野美術大学卒。
博報堂から博報堂クリエイティブ・ヴォックスを経て、2007年に独立。同年に「株式会社goen(ゴエン)」を設立した。
日産自動車「NOTE」、DIC企業広告「イロニンゲン」などの広告や、Mr.childrenやsalyu、坂本美雨などアーティストのアートワークも手がける。ap bankによる環境コンシャス提案ショップ「kurkku」のアートディレクションや、子供達を集めたワークショップ「ちびgoen」など社会的な活動も積極的に行っている。ゼラチンシルバーセッション(銀塩写真)の活動にも参加。
N.Y.ADC賞、ONE SHOWゴールド、アジア太平洋広告祭ゴールド他多数受賞。東京ADC賞。ADC、JAGDA、TDC会員。


ミスチルのベスト盤のポスターの話がいかしてた。

そのポスターは、
横長の画面の上四分の三は海と空で、
下の残りに堤防が映ってる。
その堤防には、
ミスチルの代表曲の歌詞が落書き風に書かれている。

ただそれだけなんだけど、
あまりに美しい海と空に「ポー」となって、
それから堤防の文字や絵に気づく。
そして読み始め、
「あぁミスチルの歌詞じゃないか」とわかる仕掛けなのだ。
アルバム「HOME」や、
シングル「HANABI」のジャケも彼女の作品だった。








その他の作品にも共通するのだけど、
不思議な明るさというか、
この世に極楽があれば、
きっとこんな風だと思わされる。
(違うのもあると思うけど、きっとこれが彼女の本質だ)

押し付けがましいメッセージや、
ひねりは一切なし。
ビデオじゃなく、
フィルムの感覚。

あきれるほどの直球。
でも「能天気」とも違う。
「ハッピー」ではなく、
あくまで「しあわせ」。
気づいたらその世界の中にいる、
そういう魅力がある。

これが今の日本の「気分」なのか、、、


●ところで「テレビCM」とは言うが「新聞CM」とは言わない。なぜだろう●橋下知事の府民の支持率が82%だと読売新聞に。オバマを超えてるじゃないか!しかも就任1年後でだ。これは恐るべき数字だ●年賀はがきの懸賞が全敗だった母。一言「下手やなぁ。。。」何がですか?

2009年1月26日月曜日

独裁

「ヒトラー ~最期の12日間~」を、
昨晩、
何気にBSで見始めたら、
155分、
釘付けになってしまった。

全体主義について、
考えていたところだったこともあるだろう。
でも、
そんなことを抜きにしても、
十分見るに値する映画だった。

ヒトラーが地下の要塞で過ごした最期の12日間に焦点を当て、彼の個人秘書を務めたトラウドゥル・ユンゲの目を通して歴史的独裁者の知られざる側面を浮き彫りにしていく衝撃の実録ドラマ。


ぼくは、
ドイツの降伏間際、
ヒトラーが妻のエヴァと自殺したことは知っていたけど、
ヒトラーが、
自分が死んだあと、
跡形もなく焼くように部下に命じ、
しかも、
部屋に二人で籠ってから銃で死ぬまで、
ドア越しに大勢の幹部らがじっと待っていたなんて知らなかった。

人間、
最後に本性が出るというけど、
それはナチス・ドイツとて同じ。
戦況が最悪になって、
逃げる奴、
最後まで忠誠を誓う奴、
うわべだけの奴、
正面切って意見する硬骨漢。。。

「いるいるそんな奴」みたいなのが、
ごろごろ出てくる。

とにかく、
ヒトラーは自分がしでかしたことを十分認識していて、
最後まで自説を曲げることはなかった。
その誤りに気づいていたかどうかは、
よく分からない。。。


当たり前だけど、
全体主義というのは、
一人の特別な人間だけでは成り立たない。
文字通り、
「全体」が支えた体制だった。

ヒトラーは、
その個人的資質もさることながら、
「ヒトラー的」なものを求める人たちによって、
「独裁者」になったのだと思う。



●ところで「反ユダヤ」という点において、ヒトラーはパレスチナ人にとってどういう存在なのであろうか?今まで考えたことがなかった●YAKATA de Voce の昼セッション。2度目だ。たぶん、これまでで一番いい感じで歌えた(と思う)●朝青優勝。いつの間にこんな人気者になったのか。スポーツ報知は「日本中が待っていた」だって。一番喜んだのは、麻生総理だろう。あやかれるか。

2009年1月25日日曜日

抑制

ライブに出かける時は、
本が欠かせない。
演奏中は1人でも平気なのだが、
セットの間にやることがないからだ。

1月24日(土) 14:00~2ステージ
 三宮 CREOLE
 ミュージックチャージ 2000円
 「clair」
 Guitar&Violin 武藤 ケンイチ
 Vocal 田口 菜穂美
 Piano 赤松 真理



今日、
この演奏を聞きに行くにあたって、
どの本を持って行こうかと考え、
すぐに思い浮かんだのが、
「猫を抱いて象と泳ぐ」(小川洋子著、文芸春秋)。

本やで手にとってパラパラめくった瞬間に、
「これはイケる」と直感して買っておいたものだ。

「博士の愛した数式」もそうだったけど、
小川さんの文書には、
はっきり彼女だとわかるテイストがある。

「私の大切にしてきた宝物を、あなただけにそっとお見せします」

みたいな。
作者と特別な関係がもてるような気になる。



赤松さんのピアノは、
小川さんの小説に似た肌ざわりだ。

背伸びせず、
手に届く範囲のものを大切に大切に扱ってる感じ。
だから、
オリジナルでもスタンダードでも、
安心して耳をゆだねられる。
といっても決して「ありきたり」ではなく、
聞いているうちに、
色んな「思い」や「情景」がぼくの中で生まれてくる。
それは、
彼女の演奏が、
抑制されていながら、
「雄弁」に様々な感情を表現しているからだろう。

パワーやパッション全開にして、
こちらの気持ちを鷲掴みするという類の音楽ではないけど、
聞きながら、
そして聞き終わった後、
心がマッサージされたような気になる。

リフレッシュ完了って。



●で、本はまだ読みかけなのだけど、思った通り、赤松さんにも、ライブ会場にもピッタリはまった●それからぼくはカラオケボックスに寄り、三宮の眠眠で「かた焼きそば」を食べ(ここの店は本当においしいと思う)、さらに住吉の喫茶店で「チョコレートパフェ」を食べた。寒いけど大満足の一日だった。

2009年1月24日土曜日

紀香

先日の藤原紀香の番組で
彼女が初出演のミュージカルのため、
股割りとY字バランスに取り組む様子が紹介されていた。

彼女、
言うまでもなく、
スタイルは完璧なのだが、
番組で見る限り、
最初、
体は相当硬かった。
ほとんど人並みという感じ。

ところが、
5か月かけて地道にトレーニングを続け、
ついに両方ともできるようになった!
その瞬間、
彼女泣いていた。。。



ぼくが思うには、
彼女は演技も歌も、
決して上手くはない。
時折紹介される写真の腕だって、
素人の域は出ていない。

にもかかわらず、
37歳の彼女が輝き続けているのは、
このチャレンジ精神ゆえだろう。

関西に拠点を置いてモデル活動していた彼女が、
阪神・淡路大震災をきっかけに上京して、
本格的に芸能活動を始めたというのは、
ぼくでも知っているぐらいだから、
有名な話なのだろう。

「残された者の使命」みたいなことを、
彼女なりに突きつめているのだと思う。


●そういえば伊達公子は38歳。45歳で世界チャンプを目指す女性ボクサーもいる●元町で馴染みの女性、といっても飲み屋ではありませんが、その女性がこのブログを熱心に読んでくれているそうで、うれしい限り●「エグザイル」といっても、歌手ではなく、映画のタイトル。読売新聞で満田育子記者が絶賛していたので、是非見たいと思う。

2009年1月23日金曜日

尊重

ここ数年、
ぼくが敬愛する小説家保坂和志の、
最近のエッセーを紹介する。

「今の禁煙・エコは変だ」と題して、
2008年12月27日神奈川新聞に掲載されたものだ。
少し長いけど。



 全体主義という言葉をいつ知ったのかは忘れてしまったが、それを知って以来、私は自分がそれに加担してしまわないか、いつ も警戒している。全体主義というのは、あとになって振り返れば悪いものだが、現在形で進行しているときには「良いもの」と映る。悪いとわかっていてみんな が賛同するはずがない。「良い」の大合唱によって、反論を言うことが許されない雰囲気が社会を覆う。
私が全体主義の気配を感じるのは今の禁煙とエコのブームだ。禁煙は、煙草と酒と自動車という三つの資本の力関係によって、1人だけ“悪”に祭り上げられた 産物なのではないか。
 私が記憶するかぎり、三十年前は体を害するものといえば酒と決まっていた。昔の小説では、酒によって健康を損ね、仕事を失い、一家が離散し……というの が転落の通り相場だった。アルコール依存症にならなくても、酒は確実に体と脳を蝕む。それがここ十年か二十年で一気に形成逆転で、煙草はひたすら悪者。一 方、酒は焼酎だったりワインだったりカクテルだったり、次々ブームが演出される。喫煙を規制するなら酒も同じだけ規制するべきだ。それをしない現在の喫煙 の規制は「何かしています」というアリバイ工作のようなものとしか私には思えない。
 自動車の害は言うまでもない。轢かれたら即死だ。公共交通はともかく、遊びに自動車を使う必然性なんかどこにもない。飲酒運転禁止でなく、「運転禁止」 にすればいい。非正規雇用労働者を切りまくっている今こそ、「運転禁止」「生産中止」の絶好の機会だ。
 エコはもっとひどい。冷暖房によるCO2規制以前に、湾岸の高層ビルの建設禁止、道路建設中止による森林保護、等々するべきことはいっぱいある。建設土 木・不動産と自動車産業に支えられた現在の経済構造を温存しておいて環境破壊は止められない。エコも世界のどこかに仕掛人がいて、その人達がエコによって 巨大な利益を得る仕組みになっているに違いない。


「我が意を得たり」とはこのこと。
特に「全体主義」に関して、
「振り返れば悪いものだが、現在形で進行しているときには「良いもの」と映る」という指摘は、
本当に大事な歴史の教訓だ。

民主主義の要諦は「多数決」ではなく、
「少数意見を尊重する」ということだ。
多数意見が間違っている危険は、
常にあるという謙虚さこそ、
全体主義に陥らない「歯止め」だ。

2009年1月22日木曜日

悪者

「何でも鑑定団」で、
300万円で買った壺が、
わずか3000円だと言われた人がいたと、
母から聞いた。

司会の紳助に、
「お父さん、もう骨董は見るだけにしときなはれ」
と言われた男性は、
赤っ恥をかいたわけだが、
彼は本当に笑い者だろうか?



同じ日、
TK初公判が開かれた。
著作権があると騙して、
会社社長から5億円をだまし取った罪が、
これから裁かれるわけだ。

考えてみよう。
二束三文の壺を大枚はたいて買った男性が笑い者にされるなら、
TKに騙された社長だって同じようなものではないか。

紳助は、
TKに騙された社長に対しても、
「社長さん、あんた音楽は聴くだけにしときなはれ」
と笑い者にしないと不公平だ。



いやむしろ、
3000円の価値の壺を300万円で買わされた男性の方が、
ひと山あてようとTKの著作権に目がくらんだ社長より、
ぼくにはよほど可哀そうだ。

法律って何なんだろうね。

ぼくには、
「小室被告の騙しのテクニックが明るみに出ます」
などと叫ぶレポーターが、
無性に腹立たしい。


●三宮ホリーズで Pf.押領司由紀Bs.宗竹正浩Dr.山口実紗トリオを聞く。女性ドラマー、珍しい。押領寺さんには、じゃず家のセッションでお世話になっている。1曲歌わしてくれてありがとう●藤原紀香の「私が子供だったころ」をBShiで。おらが郷土出身の有名人。彼女の生き方は好きだなぁ。

2009年1月21日水曜日

成熟

森田芳光監督の新作が、
「私出すわ」というタイトルで、
あみんの「私待つわ」を連想すると同時に、
そういう時代なんだなと思った。



金を払うという行為は、
物を買ったり、
サービスを受けたりする対価として、
普通は行われる。

つまり、
「意思表示」としての支払い行為が、
もっと増えると思うのだ。

端的なのは、
オバマ大統領の選挙戦だ。
何億ドルという、
膨大な資金を、
オバマ陣営は、
ネットを通じてパーティー券を売るという手法を大々的に展開し、
大きな成果をもたらした。

もちろん、
大口の献金も受けていたのだが、
一口50㌦という「破格」の安さで支持を表明できるこの手段に、
多くのアメリカ人が「乗った」。



ここには、
いわゆる「寄付」とは違う、
市民による積極的意志表示がある。

先進国の人々は、
物質的豊かさを追うことに、
もう、
さほどの魅力を感じていない。
高い理想や夢があれば、
大富豪でなくても、
自分のできる範囲で金を出す時代になったのだ。

広告やマスコミに踊らされるのではなく、
人々が主体的に金の使い道を選択する時代。
日本でも、
団塊の世代を中心に、
そういう時代が来ると思う。

政治のみならず、
文化や芸術にまで波及すれば、
21世紀型の豊かな社会の突破口になりはしないか。



●歴史的オバマ大統領就任式。あれほどの儀式を通じて、アメリカという国はひとつになるのだと思った。「義務を喜んで受け入れよう」という呼びかけが印象的だった。ま、ケネディの「あなたが国家のために出来ることを考えて」というのと趣旨は一緒だが。アレサ・フランクリンが歌っていたのには驚いた。

2009年1月20日火曜日

円谷

円谷と書いてツブラヤ。

若い人なら間違いなくウルトラマンを生んだ、
円谷英二を思い出すだろう。

ぼくにとってはもう一人、
円谷幸吉もまた、
忘れ難い名前だ。



東京五輪マラソンで銅メダルに輝いたヒーロー。

その円谷が自殺した時、
ぼくは4歳だった。

薄ぼんやりとだが、
「すごい可哀そうな出来事が起きた」という印象が残っている。
たぶん、
日本全体がそういう雰囲気だったのだと思う。
それは、
彼が残した遺書の影響が大きかった。

父上様 母上様 三日とろゝ美味しうございました。干し柿、もちも美味しうございました。(中略)父上様母上様、幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒 お許し下さい。気が休まることなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。


日本中が哀切に包まれたに違いない。

五輪後の身体の不調や、
婚約話が破談になったからなど、
理由は様々語られる。

きっとどれもこれも全てが理由なんだと思う。
当時の五輪選手の重圧は、
「五輪を楽しむ」などという今とは、
次元が違った。

ましてや彼は、
東京五輪では陸上で日本唯一のメダルを獲得。
次のメキシコでは「金」と獲ると宣言していた。
周囲もそれを期待していた。

きっと彼はそういうすべてのものに押しつぶされたんだろう。

この遺書の通り、
繊細で、
端正な人だったんだと思う。


●先日の読売新聞でこの遺書を久し振りに読んで、思い出した●確か、このことを歌った歌があるはずと、調べてみたら、やっぱりあった。ギターのアルペジオが哀しい。YouTubeでどうぞ。


『一人の道』

作詞 今江真三郎 

作曲 茶木みやこ 



ある日走った その後で 僕は静かに 考えた

誰のために 走るのか 若い力を すり減らし

雨の降る日も 風の日も 一人の世界を 突っ走る

何のために 進むのか 痛い足を がまんして

大きな夢は ただ一つ 五つの色の 五つの輪

日本のための メダルじゃない 走る力の 糧なんだ



父さん 許して下さいな 母さん 許して下さいね

あなたにもらった ものなのに そんな生命を 僕の手で

見てほしかった もう一度 表彰台の 晴れ姿

だけど 身体は動かない とっても もう 走れない

これ以上は 走れない

1972年(昭和47年)

2009年1月19日月曜日

宿命

地球から男がいなくなるらしい。



いや、
正確には、
男を決めるY染色体の「劣化」進んでいて、
遅くとも500万年後にはY染色体が消滅してしまうというのだ。

Nスぺ「女と男」③をぼくなりに解釈すると、
Y染色体は、
遺伝子のシャフリングを経ないで受け継がれるため、
偶発的な欠損が修復されることがない。
このため、
長い時の中で少しずつ「摩耗」して小さくなってきた。

もともとX染色体と同じほどの大きさだったのに、
今では10分の1ぐらいになっちゃっているのだとか。



率直な印象は、
それでも機能しているんだから、
きっと本質的な部分は、
失われていないんじゃないの?
という感じ。
本当はもっと深刻な問題なのかもしれないが。

しかし、
たとえY染色体がなくなっても、
クローンなり何なり、
その時の人間がちゃんと手立てを考えるだろう。

人類がすべて女性になることはあっても、
滅亡の危機を、
指くわえてみているだけな訳がない。



番組では、
より現実的な問題として、
精子の数や活動力が低下している点を挙げていた。
一夫一婦制の中で、
他の男との競争がないことや、
生殖医療の進歩で、
本来なら生殖能力のない精子でも、
妊娠可能になったことなどが原因なのだという。

これらの説が本当かどうか知らないが、
こうしたこともあって、
バチカンは、
自然に反する生殖医療には反対なのだそうだ。



バチカンの神父は、
「できそこないの男」は子孫を残すなと言っている訳だ。

生殖医療の話になると、
すぐに「倫理」を持ち出す人も、
ぼくにはよくわからない。
一体、
倫理とは何なのか?

家族とか、
一夫一婦制とか、
そういうものは、
長く続いてきた制度ではあるけど、
人間の生き方として決して「絶対」ではない。

そうでなきゃ、
同性愛の人たちや、
未婚の母は、
今でも肩身狭く生きねばならないじゃないか。



ぼくが思うには、
人間は言葉を獲得した時から、
「自然」を逸脱したのだ。

逆に言えば、
歩くサルは、
そうやって人間になったのだ。


●京都の「le club jazz」セッションへ。初めてのお店で地に足が着かなかった●「情熱大陸」売れっ子放送作家鈴木おさむ。必死で仕事をしていることはわかった。

2009年1月18日日曜日

陸沈

陸沈と書いて「りくちん」と読む。

広辞苑にも載っていない、
この言葉を知ったのは、
小林秀雄の講演CDでだった。

「国が滅亡すること」と解説している辞書もあるけど、
調べてみるとこれは荘子の書に、
「陸沈者」として出てくる。

簡単に言えば、
爪を隠し、
世俗の中で暮らす鷹といったところか。



小林の講演では、
「近所のご隠居」と説明していたかと思う。

どっぷりと世間にまみれ、
時に馬鹿にされながらも、
実は知恵も勇気もあるという存在。

水戸黄門も「御隠居」と呼ばれているけど、
あれはちょっと目立ち過ぎかもしれないナ。



少々飛躍するけど、
「第一線」
「表舞台」は、
必ずしも「最上」ではないということだ。

こういう陸沈者が多い国は、
きっと、
懐が深いはず。

さて、
日本はどうだろう。


●「人のセックスを笑うな」で印象的だった松山ケンイチが「銭ゲバ」に主演しているので見てみた。脚本がねぇ、どうなんでしょう?「家なき子」みたい?。

2009年1月17日土曜日

真実

何日にも渡る厳しい取り調べにも、
一貫して否認してきた容疑者が、
一転「落ちる」時、
捜査員と容疑者、
本来、
敵味方の関係にある二人の間に、
「ふわっとした感覚」が生まれるのだという。

「警視庁捜査二課」(萩生田勝著、講談社)によると、
そういうことらしい。

著者は元警視庁警視。
39年半の警察人生を終えたばかりの、
生々しい記録である。



「ふわっとした感覚」が生まれた時、
「ホシ」は聞かれてもいない殺人事件まで自供することさえあるのだという。

どんな取調官でも、
という訳じゃない。

著者は言う。

 いい取り調べをするためには、ホシなりその事案なりを徹底的に探求することが肝要です。ギャンブルもやらない、苦労も知らない。失敗もしたこともない。こんな刑事ではいい調べはできません。大勢の刑事を見てきましたが、ギャンブルが好きな奴。金の苦労をしてい奴。家庭の問題で悩んでいる奴。何度も失敗を重ねた奴。こんな刑事がけっこういい調べをするんです。
 いくらかの苦労を背負って生きているから、ホシの気持ちも分かるのでしょう。浅く広くでもいい。いろいろなことを学びながら、いい刑事は育っていくものなのです


何となくわかる気がする。
多くの善と悪は、
結局、
この世で割り振られた役回りに過ぎないのかもしれない。

立場が違っても、
通い合うものが生まれた時、
人は人として、
真実を話し出す。

2009年1月16日金曜日

言葉

「人間は言葉を使う動物」

確かにそうだ。
でも、
人間がどうやって言葉を使うようになったのか。
その答えは未だに分からない。

NHKの「言葉の誕生」を観たけど、
いくつかの仮説が紹介されていたけど、
どれも「決定打」ではない。



そりゃそうだ。
チョムスキーという、
とっても有名な言語学者は、
こんな説を唱えていた。

原始的な言語しかない時代、
ある一人の人間に、
遺伝子の突然変異が起き、
突然、
単語の羅列ではない、
「文章」を話し始めたのだと。

仮にそうだとして、
じゃ一体、
その人しか話せない文章を、
誰が理解したというのだろう。

そのようなドラマチックなことではなく、
相当な時間をかけて、
数え切れぬ人たちが使う中で進化したと考える方が、
いまのぼくには自然に思える。



一番魅力的だったのは、
言葉の起源は「歌」だという話だ。

ジュウシマツの求愛の歌が、
意外に複雑なパーツの組み合わせからできていて、
しかも、
より複雑な組み合わせができるオスの方が、
よく「モテル」のだとか。

人間も同じように、
歌が最初にあって、
それが分解されて単語になったのでは、
というのだ。



なるほどね。
「求愛の歌」というところがいいじゃないか。

2009年1月15日木曜日

意外

前回の「情熱大陸」は、
こんな回だった。
HPから引用する。

医師 川原尚行(かわはらなおゆき)43歳
 未だ民族間の紛争が絶えないアフリカ・スーダン。政情が安定せずインフラの整わない村々には充分な医療施設もない。2005年、日本の外務省から派遣されていた川原尚行は、一医師として何かできないかと考え、勤めていた外務省を辞職、NGO「ロシナンテス」を立ち上げ、スーダンの人々の中に飛び込んだ…


年収1700万円の外務省医官の職を捨て、
妻子を日本に残して単身奮闘するこの男、
確かに凄いが、
奥さんの方がもっと凄いな。



本題とは全く関係ないところで興味深かったのは、
診察料も払えないほど貧しい村の患者が、
何故か携帯電話は持っていたところだ。

先日、
ようやく解放された、
日本人女性医師がいた、
「世界一危ない国」ソマリアも、
携帯電話が普及しているらしい。



テレビはおろか、
洗濯機も、
というより、
文明の利器が何一つ満足にないような地で何で?
電気がちゃんと通ってるのかも怪しそうな場所(に見えた)なのに。

大体、
料金の支払いはどうしてるのか。
まさか銀行引き落としじゃあるまい。
いちいち何時間も歩いて、
町まで払いに行くのだろうか。。。



●武庫之荘Mクアトロでライブ鑑賞。岩本圭右(Vn) 大長志野(Pf)。バイオリンって、人間の声に一番近いとか。シンシンと冷える夜、心が少し澄んだ気がした●思わず歌わせてもらう幸運に恵まれた。嬉しかった。

2009年1月14日水曜日

日常

深夜に帰宅し、
寝ようとしていた母に、

「何か変わったことあった?」

一応聞いてみた。

すると、

「鼓膜が破れたかと思って耳鼻科に行ったのと、そこの道でおばあさんが倒れていたので救急車を呼んだぐらい」

と返事。




聞かなきゃ言わなかったのかよ。



ぼくよりエキサイティングじゃないか。


●ちなみに、どちらも大事に至らずとのこと●じゃず家セッション。明らかに下降線。いつ上向くのだろう。

2009年1月13日火曜日

消息

今年のゴールデン・グローブ賞で、
ケイト・ウィンスレットが、
主演女優賞と、
助演女優賞をダブル受賞した。

そう、
映画「タイタニック」のヒロイン、
ローズを演じた女優だ。
あれから10年、
再び大輪の花を咲かせようとしている。



で、
会社では、
あの子役はどうなった話になり、
ぼくは、
トレイシー・ハイドが気になって調べた。

「小さな恋のメロディー」

恋をした子供の気持ちが、
見事に描かれた、
傑作だ。
ビージーズの音楽とともに、
ダニエルとメロディーがトロッコを一緒にこぐシーンが、
今でも脳裏に浮かぶ。

当時は、
子供同士のキスシーンが話題になったっけ。




alcinemaで簡単にわかった。
彼女はその後、
OLになり、
80年代前半にはテレビドラマなどにも出演しているという。

ダニエル役のマーク・レスターは、
まもなく俳優をやめ、
父親のレストランや保育園で働いた後、
整骨師の資格をとる。
今はイギリスで妻子と静かに暮らしている。



もう一人、
この映画で人気だった、
トム訳のジャック・ワイルド君はどうだろう。

履歴を見る限り、
70年代中ごろ以降は、
目だった活躍はしていないようだ。

そして、
意外にも、
彼は2006年に亡くなっていた。
1952年生まれ。
53歳だった。



あの映画の主題歌は、
「メロディー・フェア」

色んな思いとともに、
よみがえった。


●成人式で印象的な言葉をしゃべっていたのは、早稲田の斉藤祐樹投手。ハンカチ王子だ。「今までの20年は準備の20年だったと思う。大人としてのスタートラインに立ったんです」。賢い男だと思う。

2009年1月12日月曜日

一瞬

2001年に、
北アフリカのチャドの砂漠で、
700万年前の化石が見つかった。
人類最古の化石「トゥーマイ」だ。
サルからヒトへ、
進化のパズルは、
少しずつ、
でも確実に埋まりつつある。

NHKが年明けから、
地球や生物史について、
立て続けに良い番組をやっていて、
見るのが追い付かない。



こうした番組を見ていて思うのは、
つくづく、
「神」は死んだということだ。

宇宙は、
人類史など軽く凌駕するスケールで動いている。
観念的な意味としてはともかく、
例えば人類を創造したような意味での神を、
もはやぼくたちは絶対視できない。

無論、
それでも神を信じることは、
決して悪いことではない。
でも、
少なくとも神を理由に戦争するのはやめた方がいい。
科学は万能じゃないけど、
人間性に比べれば、
遥かに進歩している。



同時に、
地球史の中で、
奇跡的な「一瞬」として存在する人間を、
文字通り「一瞬」で終わらせないために、
しなければならないことが見えてくる。

いつか来るに違いない、
巨大噴火や隕石衝突に備えて、
科学を発展させ、
手立てを講じることだ。



●難波「YAKATA de Voce 」に始めて行った。仕事前、昼のセッションだ。えべっさんで大変な人ごみの中、迷ったが、着いたら、あまりにも「いい感じ」なんで、嬉しくなった。

2009年1月11日日曜日

談春

立川談志は知ってても、
その弟子は全然だった。
「ためしてガッテン」立川志の輔だって、
言われるまで気付かなかった。

まして、
談春なんて。。。

ひとえに不勉強でした。
先日の情熱大陸を見て、
読みました「赤めだか」(扶桑社)。



いずれブックオフ行きだと、
丁寧に扱っていたのに、
途中でページが破れていることを発見。
カバンに無造作に入れたのがよくなかった。

そこで急にどーでもよくなって、
ボールペンを取り出すと、
気に行った箇所に線を引いてみた。



ひとつめの引用は長い。
中学生の文化鑑賞か何かで、
寄席に行った談春らに、
談志がこうしゃべったという。

「忠臣蔵は四十七士が敵打ちに行って、主君の無念を晴らす物語だよな。でもね、赤穂藩には家来が三百人近くいたんだ。総数の中から四十七人しか敵打ちに行かなかった。残りの二百五十三人は逃げちゃったんだ。落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ。人間は寝ちゃいけない状況でも、眠きゃ寝る。酒を飲んじゃいけないと、わかっていてもつい飲んじゃう。それを認めてやるのが落語だ。『落語とは人間の業の肯定である』。よく覚えときな」


もうひとつ。
これは、
トレーダーに対して、
談春の「投資の神様はいるか」との問いに答えた部分だ。
「人生で勝ち逃げ、只もらいは絶対に存在しません。どんなに才能があっても使いどころを間違えると、ひどい目に遭います。負ける時はみんなで負ける。ただし勝ちにまわった時に他人より多く勝つ。その差ですね。分かれ目は」



いずれも、
奥深い話だけど、
談春本人の語りでないところが、
何とも。。。

それにしても、
流石噺家、
話しがうまい。
落語家の世界、
というより立川流の、
不条理とも思える世界は圧巻で、
一気読みしてしまった。



●以前通っていたジャズ教室の退会手続きをした。戻ってきた入会金は、本、CD、服にすぐ化けた●「コード・ブルー」久しぶりに。なぜか胸が詰まるんだよなぁ。

2009年1月10日土曜日

兄弟

「THE FABULOUS BAKER BOYS」(邦題は「恋のゆくえ」)
というのを、
DVDで観た。
1989年、
平成元年、
つまり、
ぼくが就職した年の作品だ。

何でまた20年も前の映画を、
ということだけど、
主演しているミシェル・ファイファー好きの先輩から、
「絶対にいいから」と勧められたからなのだ。

題材がジャズというところにも魅かれた。

allcinemaから引用しよう。

風采の上がらないジャズ・ピアニスト・コンビが、起死回生にと雇った美人ヴォーカリスト、スージー。彼女の人気でトリオは一躍脚光を浴びるが、やがて彼らは三者三様の苦い経験をする破目に……。監督が撮影当時弱冠29歳(しかも新人)とはとても思えない、男女の心の機微を繊細につづった秀作。M・ファイファーが吹替え無しで挑んだ素晴らしいボーカル、ボーとジェフのブリッジズ兄弟の共演と話題は多かったが、何よりも、単なる恋愛劇を越え、アーティストと芸人の狭間で揺れるジャズメンたちの人間ドラマとして、実に格調高い仕上がりになった。自身もジャズ畑である名匠D・グルーシンが音楽を担当、題材の良さも相まって絶妙のスコアをつけている。


ということで、
ちょいと持ち上げ過ぎのような気もするが、
まぁ言い得てるか。

色んな要素が過不足なく収まっていて、
観終わって気分すっきりという感じ。
スカッとするというのとは違って、
フワッとドラマが舞い降りてきて、
霧に包まれるように、
ぼくはその中を漂い、
エンドロールと共に霧がサッと晴れるみたいな。

映画が夢だとするなら、
いい夢見させてくれてありがとうという気分だ。

●この作品の監督・脚本はスティーヴ・クローヴスという人だけど、この人、履歴を見る限り、その後、あまりパッとした活躍が見られなかったのだが、突如、「ハリ・ポタ」シリーズの脚本を手掛けている。この映画サイトは、出演者や製作者らが縦横にリンクし合っていて、意外なつながりを発見できるから面白い。

2009年1月9日金曜日

焦点










今年の賀状に使った写真だ。
正真正銘、
1月1日にぼくが撮影した。

実際に送った分には、
住所や所感のほかに、
謹賀新年の代わりに、
「FOCUS」と大きめの字を入れた。

なぜFOCUSなのか。
一応訳があって、
それはこの日、
ぼくは近視の矯正手術を受けた。

だから、
この写真は、
ぼくのド近眼が治って、
初めて撮った写真ということになる。



元日に手術!と、
驚かれたかもしれない。
実はぼくも驚いた。
そもそも、
手術を受けようと思いきったのは年末で、
思いきると行動は早くて、
予約、
検査、
手術と、
トントン拍子に進んだ。
元日もやってるなら、
誕生日でもあるし、
記念に受けるのも悪くないと決断した。



実感として、
手術というのは少し大袈裟な気がした。
少なくとも、
虫歯の治療よりは痛くなかった。

もちろん目のことだから、
ぼくは他人に勧めはしない。
今後のリスクもあるかもしれない。
その時は報告するけど、
何も書かなければ、
経過順調なのだと思ってください。



とにかく、
何かを具体的に変えていく年にしたい。
ひとつひとつ、
焦点を絞って実現させたいという思いから、
FOCUSと書いた。

乞うご期待と、
あえて大言壮語する。


●武庫之荘mクアトロで松原衣里(Vo)鈴木久美子(Asx)廣田昌世(Bs)という女性3人のライブ。こういうの編成もアリなのかと、とても興味深かった。終了後、廣田さんに例のシャチハタを押した「名刺」をお渡ししたら、「変わった苗字ですね」と言われる。「たはしろ」を苗字だと思われたのだ。なるほど。それは気づかなかった。そういえば高城剛という人もいるしなぁ●倉本聰を観て、山田太一を逃せない。ぼくは「ふぞろいの林檎たち」の世代だ。「ありふれた奇跡」。主題歌エンヤとは知らなかった●「白川静」(松岡正剛著、平凡社新書)が面白かったので、今度は白川氏本人の「漢字」(岩波新書)と「漢字百話}(中公新書)を合わせて買った。

2009年1月8日木曜日

途方

地球に隕石が衝突して、
その熱で海水がすべて蒸発する「全海洋蒸発」と、
赤道までもが凍りつく「全球凍結」。

この年になると、
10年や100年ぐらいは「すぐ」って感じになったけど、
億年の単位で繰り返されたという、
想像を完全に超えた、
地球のダイナミズムに、
ぼくの物差しは全く役に立たない。



NHKが新年から始めた、
「地球大進化」が箆棒に面白い。



再現CGでは、
直径5キロの隕石が地球に衝突すると、
その熱で海水や雪や植物や岩や、
地表のありとあらゆる物を焼き尽くし、
わずか30分後には、
地球が、
丸ごと燃える炭のようになってしまった。

かと思うと、
ある時を境に地球は凍り始め、
氷河期のレベルをはるかに超えて、
地球丸ごとフローズンしてしまった。
その状態が何百万年だか、
何千万年だか続いたのだという。

もちろん再現といっても、
科学的想像なんだけど、
化石や地層など、
それなりの根拠はあるわけだ。



肝心なのは、
灼熱や凍結といった地球の変化は、
決して「過去」のものではないってこと。
つまり、
終わってしまったことではなく、
今も続いていていて、
ぼくらは、
その真っ只中にいるのだ。

CGがテレビにしては迫力満点で、
眺めていると、
ただただ、
はぁーっとなり、
人類など一瞬の存在、
ぼくごときの日常の悩みなど、
どーでもよくなる。



この「途方もなさ」。
憂き世に疲れた時には、
ちょうよさそうだ。

保存しとこう。



●新聞を読んでいて印象に残ったこと。社会貢献したい20歳代の若者は64%。定額給付金2兆円で、派遣社員100万人を雇用できる●ガザの惨状に、国際世論がようやく動き出しそうだ。そりゃそうだ。これで終決へと向かうのだろうか。本当に、人間って何やってんのかねぇ。

2009年1月7日水曜日

理由

年末から始まった、
イスラエルによるガザ地区への攻撃は、
一向に収まる気配が見えない。

そもそも、
なんで今なのか。

新聞やテレビでは、
日々の被害は分かるが、
肝心の理由が見えてこない。

一般的には、
ハマスのロケット弾攻撃に対する報復ということだけど、
それにしては執拗に過ぎないかな?
ハマスを壊滅させる勢いだという報告もあった。

いつもながら米国がイスラエル擁護に回っている。
日本の立場はどうなってるのか?



ネットでは、
来月行われる、
イスラエルの総選挙で、
「ハマス排除」を唱える右派の躍進が予想されているため、
現政権が「先手」を打ったとか、
「中米対話路線」のオバマ氏が大統領に就任するまでの間隙、
今が攻撃のチャンスだったのだとかいう、
そのあたりが「妥当」なのだろうか。

中には、
最終的に米の狙いは、
景気回復のためにイランと戦争をしたいのだという、
大胆な説もあった。



こういう、
「世界を裏で操っている力」的な話を「さもありなん」と思うのは、
こちらの頭がハリウッド化しているのだけなのか?

タイミングとして、
不況にあえぐ米が、
この事態に噛んでいることは、
想像に難くない。
イラクの例もあるし。。。

しかし実は、
米にはもはや、
世界を動かす力さえないのかもしれない。
そうであれば、
かえって底が見えない怖さを感じる。



●正月明け、仕事が再開した。またいつもの時間に戻った。

2009年1月6日火曜日

油絵

最近、
画面の右側に掲載している、
男の絵は、
ぼくの自画像なんだけど、
描いたのは中学1年、
たぶん12歳の時だ。

我が家にはお宝はないけど、
こういう、
しょうもない物は残っていて、
嬉しがってみた。




絵画としての出来はさっぱりだけど、
似ているという点では、
まあまあだと思う。

服装からすると、
衣替えの後、
夏か秋のころではないか。

眺めていると、
描いていたときの事を、
ぼんやりと思い出す。

好奇心旺盛で、
理屈家で、
大人でも言い負かすような、
要するに「鼻持ちならない」くそ餓鬼だった。

ぼくが教師だったら、
こんな生徒は、
扱いづらくて仕方なかったろう。

何せ、
自分でも自分の用法が、
さっぱり分かってなかったのだから。



30年以上もたって、
こんな形でブログに載り、
「世界中」に公開されるなどとは、
想像外の外だった。

確かに下らない物だ。

でも、
僕には「お宝」だ。

2009年1月5日月曜日

濃度

前日の金毘羅参りに続き、
今日は善通寺へ。

生まれてこのかた、
これほど賽銭を投げた年はない。



さて無事帰宅後、

安カ川大樹 Bass
西山 瞳  Piano

デュオライブを聴きに西宮北口「コーナーポケット」へ。

さらに、
返却日が迫った「人のセックスを笑うな」を
さっきまでDVD鑑賞。



2日間の香川旅行で、
讃岐うどんのようになっていたぼくの濃度は、
一気に通常レベルに上がった。

2009年1月4日日曜日

旅人

ほとんど思いつきで、
今、
金比羅温泉にいる。

我ながら不思議なものだ。

年末、
正月休みを地元だけで過ごすのがもったいなくなり、
最寄り駅のJTBに飛び込んで、
なんとなく申し込んだ。

新幹線とローカル線を乗り継いでも、
2時間少々。
天気にも恵まれ、
午後ホテルに到着すると、
その足で金比羅参り。

七百数十段(忘れた)の階段は、
想像していたより、
はるかに楽に登れ、
賽銭箱一つ一つに「献金」して回った。

ついでにおみくじもと、
引いてみると「吉」
願望は「安く叶う」とか。

いいじゃないか。



露天風呂に入り、
夕食をたらふく食べ、
もはや寝るのみ。

久しぶりの旅は、
あーなんとも地味、
素晴らしくお気楽。

でもこれをきっかけに、
今年は旅づくかもネ。



●金比羅参りの途中で、円山応挙と伊藤若冲の襖絵を鑑賞できたのが、最大の収穫か。

2009年1月3日土曜日

識者

私たちは個々の融資を丹念に審査しなくても、金融工学でリスクを管理できると思いこんでいた。市場に自浄作用があるとも信じていた。しかし、結局、それは間違いだった


こんなことを言っているのは、
プリンストン大学のP・クルーグマン教授。
去年のノーベル経済学賞受賞者である。

今日の読売新聞1面。
「大破乱立ち向かう」の、
栄えある1回目の「識者」だ。



この人、
かねてから、
子ブッシュの経済政策に文句を言ってきた人のようで、
我が意を得たりというところのようだが、
「私たち」と言ってるのだから、
この人も今のような事態は想定外だったのではあるまいか。

彼の言いたいことは、
「市場経済には適度な規制が是」に尽きる。
ちょっと市場の好き勝手にさせ過ぎた。
だから少し規制を厳しくすべきだと。

至極単純なことだ。



しかし改めて思うに、
米国は日本のバブル崩壊から何を学んだのだろう?

ヘッジファンドが駆使した金融工学とやらも、
結局、
クルーグマン氏のような経済学者が作り出したもので、
その人は確か、
ノーベル賞を獲ったはず。

結局、
経済政策に「正解」なんてないから、
右に振れれば左の人が表に出てきて、
今度、
左に振れ過ぎると右の人が出てきて。。。

特にクルーグマン氏に先見の明があったとか、
そういう事じゃないと思う。
言うならば彼の主張は、
たまたま時流に乗っていただけだろう。



そうやって経済は地球規模でのたうちながら、
そのダイナミズムの中で、
儲ける奴はガッチリ儲けてるという、
きっとそういう事だ。

2009年1月2日金曜日

托鉢

JR大阪駅東口から阪急百貨店に行く途中の、
大きな横断歩道の手前に、
托鉢のお坊さんが立っている。

割に若くて、
黒ぶち眼鏡をかけている。
目を閉じているのでよく分からないけど、
いわゆる「いい男」風だ。



毎日というわけではないのだが、
そこを通勤路にしているぼくは、
ひたすら立って、
恐らく経文と唱えているであろう彼を、
しばしば見かける。

その度にぼくは、
自分も喜捨をと思いながら、
周囲の目を気にして躊躇し、
通り過ぎてしまう。



元日の昨日も、
彼はそこにいた。
意外なことにというか、
そのあたりのお店が軒並み休業だから当然というべきか、
その時は、
普段は人で溢れ返っている横断歩道の手前には、
あまり人がいなかった。

ぼくは「今日しかない」と、
半ば反射的にジーンズのポケットを探り、
小銭を取り出した。
500円と100円が出てきて、
少し迷って100円を鉢に入れた。



どこの寺の僧侶か。
はたまた新手の「路上生活者」か。
何にも分からない。
でも、
彼が長年、
そこで立ち続けて何事かを祈っていることは事実で、
ぼくは、
ずっとたまっていたモヤモヤが、
少し晴れた気がした。


●今日も大阪に行ったが、昨日とは打って変わって、福袋を下げた人たちでごった返していた。彼の姿はなかった。

2009年1月1日木曜日

彩色

東京事変のライブを録画予約しただけで、
慌ただしく出勤したのだが、
大みそかの夜、
実に多くの見るべき番組があった。



その一つ。

長谷川智彩(はせがわ・ちさい)という、
「佛像彩色師」を紹介した、
BS-iの「超・人SP」。

インドや中国にあるような、
色付きの仏像って、
ちょっとドギツイ印象があったけど、
彼女のはいささか様子が違うように思った。

一木造りの仏像が、
彼女の手によって、
圧倒的に緻密で、
荘厳な雰囲気を放つ。










ほんのちょと、
ながら見しただけなので、
はっきり分からないけど、
彼女の何とも淡々とした物腰が印象的だった。

地道だけど、
凄い高みへ登っている人がいるのだと、
やたら関心した。


●詳しくは彼女の名前で検索を●ほかにも鳥越俊太郎のドキュメントやら、フランスのポンピドーセンターを設計したレンゾ・ピアノと安藤忠雄の対談やら。。。いやはや●紅白。森進一はやはり天才だ●一つ年をとった。はてさて。。。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...