2009年1月23日金曜日

尊重

ここ数年、
ぼくが敬愛する小説家保坂和志の、
最近のエッセーを紹介する。

「今の禁煙・エコは変だ」と題して、
2008年12月27日神奈川新聞に掲載されたものだ。
少し長いけど。



 全体主義という言葉をいつ知ったのかは忘れてしまったが、それを知って以来、私は自分がそれに加担してしまわないか、いつ も警戒している。全体主義というのは、あとになって振り返れば悪いものだが、現在形で進行しているときには「良いもの」と映る。悪いとわかっていてみんな が賛同するはずがない。「良い」の大合唱によって、反論を言うことが許されない雰囲気が社会を覆う。
私が全体主義の気配を感じるのは今の禁煙とエコのブームだ。禁煙は、煙草と酒と自動車という三つの資本の力関係によって、1人だけ“悪”に祭り上げられた 産物なのではないか。
 私が記憶するかぎり、三十年前は体を害するものといえば酒と決まっていた。昔の小説では、酒によって健康を損ね、仕事を失い、一家が離散し……というの が転落の通り相場だった。アルコール依存症にならなくても、酒は確実に体と脳を蝕む。それがここ十年か二十年で一気に形成逆転で、煙草はひたすら悪者。一 方、酒は焼酎だったりワインだったりカクテルだったり、次々ブームが演出される。喫煙を規制するなら酒も同じだけ規制するべきだ。それをしない現在の喫煙 の規制は「何かしています」というアリバイ工作のようなものとしか私には思えない。
 自動車の害は言うまでもない。轢かれたら即死だ。公共交通はともかく、遊びに自動車を使う必然性なんかどこにもない。飲酒運転禁止でなく、「運転禁止」 にすればいい。非正規雇用労働者を切りまくっている今こそ、「運転禁止」「生産中止」の絶好の機会だ。
 エコはもっとひどい。冷暖房によるCO2規制以前に、湾岸の高層ビルの建設禁止、道路建設中止による森林保護、等々するべきことはいっぱいある。建設土 木・不動産と自動車産業に支えられた現在の経済構造を温存しておいて環境破壊は止められない。エコも世界のどこかに仕掛人がいて、その人達がエコによって 巨大な利益を得る仕組みになっているに違いない。


「我が意を得たり」とはこのこと。
特に「全体主義」に関して、
「振り返れば悪いものだが、現在形で進行しているときには「良いもの」と映る」という指摘は、
本当に大事な歴史の教訓だ。

民主主義の要諦は「多数決」ではなく、
「少数意見を尊重する」ということだ。
多数意見が間違っている危険は、
常にあるという謙虚さこそ、
全体主義に陥らない「歯止め」だ。

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