2009年3月31日火曜日

青春

かつて「青春ドラマ」に出ていた二人の俳優が、
立て続けに脚光を浴びている。

一人は火野正平。
「飛び出せ青春」で兵藤という役柄の、
ちょっと癖のある不良を演じていた。
それが最近新曲を出したらしく、
ジャンカラのPVに出ている。

そしてもう一人は森田健作。
「おれは男だ」で剣道青年だった「モリケン」が、
国会議員から千葉県知事に当選してしまった。

芸能界きってのプレイボーイと、
片や「青春の巨匠」。
二人それぞれの活躍ぶりもさることながら、
本当に驚かされたのは年齢だ。
火野正平59歳。
森田健作同じく59歳。

ドラマを見ていたころ、
ぼくは小学校1年生ぐらいだったから、
高校生役の二人はすっごい年上に見えた。
だから、
今はもっと年齢が上なんじゃないかと、
本当に何となく思ってた。
なんのなんのバリバリの50代じゃないか。

「年の差」ってのは互いの年齢が上がると、
相対的にどんどん縮まるんだね。

二人が80歳代になるころ、
ぼくは70歳代で、
そうなるとどちらも「お年寄り」でくくられて、
どっちが先に死んだって大差なしだ。

これはつまり人間年をとるにつれ、
「成長」が緩やかになるということなんだろう。
精神的にも肉体的にも一年一年の成長が少なくなる。

というか、
精神的なものに限れば、
20歳代ぐらいまでと今と、
「核」はそんなに変わらないんじゃないかな。
人間の原型は20歳ぐらいまでに出来上がって、
あとは大人社会の作法を覚えていくということなのかもしれない。

そういう意味でも20歳ぐらいまでって本当に大事なんだな。
その後どんなに努力したって、
この根っこはどうにも変えようがないんだから。

いくつになっても人の心には、
「青春」が住み続ける。
つまりそういうことなんだナ。


●WBC韓国代表監督「イチローを懲らしめたかった」と発言。見事、返り討ちにあった訳だ。4年後、一層盛り上がるだろう●キムヨナ強い。仮に真央のジャンプが決まっていても、今のヨナの完成度には及ばないように思う。バンクーバーまではあと1年しかない●ぼくのライブまでは一週間しかない!

2009年3月30日月曜日

無粋

我が家の最寄駅であるJRの駅は、
快速も止まらぬしょぼい駅だが、
しょぼいなりに良いところがある。

駅ビルなど立派な建物がないからホームからの眺めがよい。
近くは線路脇に生える桜。
そしてその向こうには住宅街が広がり、
さらには六甲山系までが見渡せる。

電車を待つ間、
ちょうどこの季節だと、
少しずつピンクが足されていく桜を観察するのは心和む。

その駅にきょうエレベーターが設置された。

今までなかったあたりが、
この駅のしょぼさの証明であり、
お年寄りには朗報だ。
だがぼくにとってそれより大変なのは、
ホームが延長されたことだ。

エレベーターは東西方向に横たわるホームの東端に作られた。
しかし、
そのエレベーターを起点にさらに東へ数十メートル、
ホームが足されたのである。
ややこしいかもしれないが、
相対的に、
エレベーターはホームの真ん中あたりに位置することとなる。


西_________________■__________東


こんな感じ。

そんなことは工事中からわかっていたのだが、
今日初めてその新設ホームに入って驚いた。
ホームに「壁」が取り付けられていたのである。
向かい合わせの下りホームの新設部分も同じ。
つまりホームからは景色が見えない!

恐らく、
伸びた側の住民からの要望だろう。

既存のホームは従来通りの景色なのだが、
これもどうなるか怪しい。
折角の眺望をどうか奪わないでと願うばかりだ。

2009年3月29日日曜日

睡眠

ブログの書き込み時間からお分かりのように、
ぼくは典型的な夜型人間だ。
ほぼ毎日明け方に寝て昼頃に起きる。
仕事のせいもあるが、
この十年ほどはずっとこんな具合だ。

不健康だなぁと我ながら思うけど、
それはそれである意味規則正しい。
だから、
睡眠不足にはとにかく弱く、
まぁ6時間は寝ないと一日中眠気が去らない。

日の出と共に起きて日没とともに眠るというのは、
一見自然の摂理にかなうようだが、
野生動物は案外そのように眠ってはいない。

イルカは右脳と左脳を交互に眠らせるというし、
ネズミは五分寝て五分起きるなんていうセワシナイ寝方をするらしい。
人間の睡眠は案外「例外的」なのかもしれない。

それにしても、
夜の時間は昼より早く過ぎるように感じるのはぼくだけだろうか。
シンと静まり返った中でこうしてPCに向かっていると、
集中力が増しているとも考えられるけど、
たぶん脳の幾分かは眠りモードに入っていて、
その分早く感じられるだけなのかもね。

●ということでオヤスミナサイzzz

2009年3月28日土曜日

生死

映画「おくりびと」は依然見ていないのだが、
代わりに原作というべき「納棺夫日記」(青木新門著、文春文庫)を読んだ。

とてもいい。

仏教的には「生」と「死」は本来不可分の「生死」であるのに、
現代社会は「生」の側に過剰な重みを置いて、
その反動として「死」を忌み嫌うようになった。

ひょんなことから死体を納棺する仕事についた著者は、
その体験を通して「生死」について考える。
そのプロセスがてらいなく綴られ、
時にはっとさせられた。

「いつの時代になっても、生に立脚し、生に視点を置いたまま適当に死を想像して、さもありなんといった思想などを構築したりするものが後を絶たない。特に、人間の知を頑なに信じ、現場の知には疎く、それでいて感性は生に執着したままの知識人に多い」

死の視点からを生を想像する。
そうだ。
「メメント・モリ」(死を想え)だ。

ちょうど藤原新也の写真集「メメント・モリ」(三五館)を並行して読んで(見て)いて、
これも何かの縁かと思う。
1990年に発行された著者のインド旅行の記録だ。

ここには生死が渾然一体となった世界がある。


●「おくりびと」には縁がないのだろう●何気につけたNHK芸術劇場「平成のぞきからくり・破れ傘長庵」が抜群。人形劇と俳優のコラボ?そして同じ舞台上で高橋悠治がピアノを弾いている。何とも異色な取り合わせで、引きずり込まれた。

2009年3月27日金曜日

洗練

美智子皇后の若かりし頃、
天皇と結婚した頃の映像を見ると、
いつも「本当に綺麗だなぁ」と思う。

夕べもそんな特番をやっていて、
ちらっと見たのだが、
二人が結婚した昭和34年というのは、
敗戦から14年しか経っていなかった訳だ。

きらびやかな衣装と馬車のパレードなど、
残された映像だけ見ているとつい忘れてしまいそうになる。
当時はまだ敗戦の痛手が日本中に残っていたはずだ。
でも数十年もたつと、
記録されたものだけが「真実」になっていく。



民間から初めての皇族入りで、
インタビュー映像を見ると、
皇族の一員になるにあたって、
自分が生まれ育った民間の名を汚さぬように頑張る、
みたいなことを言っていて、
単純にすごいなと思った。

普通なら「皇室の名を汚さぬよう頑張る」だろう。
民間出身(という言い方も変だけど)ということを誇り、
その代表として皇室に嫁ぐのだという意気を感じた。

と同時に、
当時は民間と皇室の距離が今よりずっと近かったのではないかとも思った。
ぼくの感触からいっても、
皇室報道というのは年々洗練されてきたけど、
その分逆に庶民との距離感は広がったのではないか。



「洗練」といえば聞こえはいいが、
要は壁を見えなくしただけではないのか。
壁はドーンと見えるうちはまだマシで、
皇室と民間の壁は消えたけど、
実は双方海を挟んで離れ離れになってしまったみたいな。

同じようにこの世には、
暴力も、
差別も、
搾取も、
偏見も、
抑圧も、
苛めも、
本当は前よりずっと激しく存在しているのだろう。



皇后の「逸話」が語られる度に、
「マサコサマ」を不憫に思う。
外務省でバリバリ働いていたのにねぇ。
見えない壁の彼方で、
インターネットも、
包丁使った料理も、
きっとさせてもらえないんだろうなぁ。

いつまでも洗練されない作り笑い。
前は好きではなかったが、
今はあれが一番正直なんだなと思う。


●「マサコサマ」同学年なんだよねぇ●ペンギンさんは今日はご機嫌で挨拶してくれた。ぼくも嬉しくなった。

2009年3月26日木曜日

呑気

母は料理番組を見るのが大好きだ。
食い入るように見ながら、
紹介されるレシピを一生懸命書き写す。
これまでに書きためたメモは相当な量にのぼる。

しかし困ったことが起きた。

古いTVには画面を静止する機能があった。
書くのが遅くても、
心おきなく時間がかけれた。
ところが新しいTVではその手が使えない。
母の能力では、
実際に映される時間では間に合わないのだ。。

そこで母は考えた。
レシピ画面を携帯のカメラで写すのだという。

「拡大してゆっくり見んねん」

老眼の母には大画面TVの文字でも読むのが辛かったのだ。

新技を発見した母は得意満面である。

そんなの録画してから静止すればいいだけなのに。

いやそれよりも問題なのは、
依然としてそれらのレシピが食卓に並ぶことがない方だ。

「だって失敗したらもったいないやろ」

「なら写すなよと」突っ込むべきだろうが、
やっぱりこらえた。

ハハ呑気だねぇ~♪




●「おくりびと」を借りようとTUTAYAへ行ったら全部貸し出し中。結局、何となく見たかった松山ケンイチ主演「デトロイト・メタル・シティ」(李闘士男監督)を借りて見た。感想は別の機会にでも。

2009年3月25日水曜日

所以

10回2死2、3塁。
またとない打席に入ったイチローは、
頭の中で実況中継していたという。

「さぁ絶好の場面で打席にはイチロー」みたいな。

これって野球少年そのものだ。
男なら誰でも子供のころ同じような経験があるんじゃないかな。

「打った~逆転サヨナラ満塁ホームラーン」

独り言を言いながら、
日暮れも忘れバットを振った日が。

それにしても不振にあえいだ大会だった。
試合後のインタビューで、
「痛覚に感じられない痛みを感じた」と表現した。
天才も人間だったと誰もが感じた。

その一方、
「本当は無の境地でいたかったけど、ここで打ったらオレ持ってるな」と思ったという。
「神が降りてきました」とも。
無心にはなれなかったかもしれないが、
土壇場でも無邪気であれた。
それがイチローのイチローたる所以だ。

精神的には依然天才であることは間違いない。
ただ、
彼が本当に蘇生したのかどうか。
それはメジャーが開幕してみないとわからない。

35歳。
天才にも年齢の壁はいずれやってくる。
4年後のWBCでも彼の雄姿が見られる保証はない。

いずれにせよ、
ぼくらは一人の天才バッターの一挙一動を見れた。
幸運なことだと思う。


●いやぁ疲れました。。。

2009年3月24日火曜日

日韓

いまWBC決勝戦をTV観戦している。
相手は宿敵韓国。
雌雄を決する大一番だ。
死闘の予感がする。

3年前の前回決勝戦。
ぼくは東京で観戦していた。
初めての大会。
宙に舞う王監督。
野球少年のようにはしゃぐイチローが印象的だった。

日本代表も監督は原となり、
「侍ジャパン」の愛称がついた。
列島の高揚感は一段と増している。
この3年でぼくの生活も激変した。
でもこの高揚感は変わらない。

今大会5度目となる韓国戦。
かつて見られた殺気だった雰囲気は消え、
互いを認め合った真剣勝負が繰り広げられてきた。
ここまで2勝2敗。
がっぷり四つで迎えた頂上決戦だ。

プレイボールから観戦している。

韓国が同点に追いついた9回。
そして10回、
本気のイチローを見た。
2死2、3塁で勝負した韓国も偉い。
本当にいい試合になった。

もう結果はどうでもいい。
十分ありがとう。

●さあ仕事、仕事。

2009年3月23日月曜日

爛漫

街にコブクロの「桜」が流れている。
もうそんな季節か。
また四季のサイクルが巡ったのだ。

この歌を聞くと、
花びらを揺らす暖かな風の感触とともに、
「希望」や「始まり」の予感がする。
そして同時にぼくにとっては、
「惜別」や「慟哭」の切ない余韻でもある。

近所の公園の桜は、
子どもの頃から生えていた。
幹のそばにベンチがあって、
そこに腰掛け、
何度も仰ぎ見てきた。

桜の花が必ず散るように、
だれも同じ場所に留まることはできない。
自分から踏み出そうが、
他人に押し出されようが、
いずれその場をハラハラと去らねばならない。

時に誰かと共に。
時に一人きりで。

ぼくの多くをこの桜は知っている。
咲き誇る花に包まれた笑顔も。
寒さに耐える枝の下で、
ウイスキーをあおりながら流した涙も。

一年のほんの数日見せる春爛漫。
それはぼくの愚鈍な人生について、
「それでもいいんだよ」と、
肩ごしに囁いてくれているのかもしれない。


●情熱大陸は堺雅人。なるほど演技がうまいはずだと納得の経歴でした。

2009年3月22日日曜日

裸体

ゴヤに「裸のマハ」と「着衣のマハ」という傑作絵画がある。
同じポーズでソファーに横たわる若い女性。
一枚はオールヌードでもう一枚は服を着ている。

この作品はある貴族の家の壁に飾られていた。
普段は「着衣」のほうが見えるようになっていて、
絵をくるりと回転させると、
背中合わせに飾られた「裸」の方が見える仕組みだった。

裸体画などトンデモナイという時代。
貴族が夜な夜なこの絵を楽しんでいたと思うと、
昔も今も「エロス」の感覚は変わらないんだなぁと思っていたら、
発売中の広告批評に篠山紀信のヌード写真があって、
これが東京のど真ん中で撮られたものだった。

都心の歩道橋の上で、
ハイヒールだけはいてしゃがむ女。
コンビニで下半身を露出する女。
女女女女。。。

一瞬どこかで見たような絵柄だと思ったら、
かつての「投稿写真」あたりの雑誌に載っていた素人写真に似ている。
健全な人のために言うと、
世の中には露出写真マニアという人種がいるのです。

でも大きく違う点がひとつあった。
それはモデルが恥ずかしがってないことだ。
「羞恥」が抜かき取られた篠山のヌードにエロスはない。
ただ圧倒的な「異物感」だけが存在する。

素人の露悪趣味も、
世界のシノヤマに手にかかれば芸術になる。
確信犯。
その度胸が痛快だ。

●宮沢りえのサンタ・フェの新聞広告に度肝を抜かれたのは、かれこれ20年近く前。驚かせるのが好きなんだな。この人は。小躍りしている様が目に浮かぶ。

2009年3月21日土曜日

葛藤

「ありふれた奇跡」が物足りなかったのは、
「おじいちゃん」的価値観、
言い換えると「昭和的」価値観が、
「平成的」価値観にあっさり白旗を上げたからだ。

昭和的価値観というのは、
主に昭和30年代以降の、
簡単に言えば「右肩上がり」指向と考えてもらえばいい。

平成までの約30年間、
日本人は誰もが何かしらの目標を掲げ邁進した。
そうしない人、
あるいは出来ない人は「人生の落伍者」として扱われた。

受験競争、
出世レース。。。
経済大国への道の果てがバブル崩壊だった。

平成になって20年の間、
大人は「右肩上がり」の夢が醒めず、
子どもは「右肩下がり」の日本しか見てこなかった。
いずれにせよ競争することは、
「むなしさ」しか生まなかった。
若者が競争ではないものに生き甲斐を見出そうとするのは、
当然かもしれない。

平成生まれの子どもが成人になる今、
二つの価値観は日本で共存している。
だから軋轢が生まれるのだが、
世代間の価値観の対立は、
どの時代でもどの国でもあることだ。

「ありふれた奇跡」ではその軋轢が、
軋轢というほどのこともなく、
平成的価値観の方にたやすく飲み込まれてしまった。

そこが面白くない。
おじいちゃん弱すぎなのである。
戦災孤児の骨身に染みた苦労はそんなもんなのか。
「草食系」の孫の思いつきにあっさり席を譲るのか。

昭和に生まれ育ち、
平成とともに社会人を送ってきたぼくは、
まさにその間で葛藤してきたというのに。。。

●ここまで書いて一階に降り、煙草を吸って考えた。どの世代もそれぞれの悩みや苦しみを抱えて生きている。心の窓を数センチ開いただけで、もう少し心の風通しよくしただけで人は変われるのではないか。月並みではあるがそういうことも確かに思う。でもやはり綺麗ごと過ぎないか。

2009年3月20日金曜日

用心

山田太一脚本の「ありふれた奇跡」が終わった。
無理やり丸く収めちゃった感じで、
期待していたような歯ごたえがなかった。

さりげない日常も奇跡の連続なのだということは分かる。
若者に期待したい気持ちも。
「君は一人じゃない」というメッセージも。
でも、
74歳の脚本家の本心はドラマの「おじいちゃん」が代弁しているのではないか。

信用できるのは血を分けた家族だけ。
他人はどん底になると結局裏切る。。。
戦災孤児として生き抜いてきた老人の信念だ。
だから子供を産めない女性と孫との結婚に反対する。

ところが今日の最終回で、
孫に「用心し過ぎると世界が広がらない」と食ってかかられると、
「自分の信念はどん底の常識。今はどん底じゃないから」と折れてしまう。
この折れ方があっさりし過ぎている。
まるで昼ドラみたいだ。

隠れて女装するのも、
子供ができないことも、
別れた夫婦がよりを戻すのも仕事がないことも何もかも、
他人に迷惑かけなきゃいいじゃないか。
世間体などクソくらえってか?

それではただの「平和ボケ万歳」じゃないか!


●「本当と嘘とテキーラ」はよかったが●陣内&紀香離婚へ。ぼくは藤原紀香を応援しているので、これはショックだった●WBC日本準決勝へ。イチローがあそこまで追い詰められていたというのも意外だった。

2009年3月19日木曜日

事故

知人が交通事故に遭った。
同乗していた車が高速道路で横風を受け、
左の測壁に当たって跳ね返り、
今度は右の分離帯にぶつかって止まったという。

助手席の知人にけがはなかったが、
車は横転こそしなかったものの大破。
骨折した人もいたという。
大事故になっていても不思議ではなかった。

大学生だった時、
バイクごと車に当たって道路に投げ出された。
電柱に頭が当たった時、
ヘルメットが割れたと思った。

生きているということは、
そうした紙一重を何とかすり抜けているということだ。
事故に遭わなくたって、
電車に乗ったり町中を歩いていたりすれば、
人は常に命の危険にさらされている。

明日、
空から鉄骨が降って来ることは、
決して妄想なんかじゃない。

ぼくらは生きているのではなく、
一瞬一瞬を生き残っている。


●WBC。日本がけっぷち。今日は勝つと思うが。。。半々。

2009年3月18日水曜日

自我

人は起きている時も夢を見続けているのではないか。

先日書いたことが引っかかる。

脳の仕組みをPCにたとえるのは、
便利すぎて誤っているかもしれないけど、
ネットを閲覧したり文章を書いたりしている間にも、
PCは勝手にプログラムの更新をしていたりする。

同じようなことが脳の中でも起きているのではないか。
今こうして考えている自分とは別に、
脳は独自で何事かを考え判断しているかもしれない。

寝ているという状態は、
単に「ぼく」というプログラムが閉じられているだけで、
脳そのものはシャットダウンすることはないのではないか。
それが夢という状態なのではないか。

無意識と言い換えれば分かりやすいだろうか。
本当の「ぼく」とは、
こうして文章を打っているこの意識ではなく、
休むことなく生起し続ける無意識の方ではないのか。

俗に言う無の境地とは、
意識と無意識が統合している状態、
あるいは本来の「ぼく」である無意識が意識を凌駕した状態ではないか。

今のぼくは「仮想自我」といえまいか。

2009年3月17日火曜日

猶予

嫌なことを後回しにしたいのは人情だけど、
やらねばならない事もある。
良識ある人は、
グズグズしているようでいて、
実は内容をちゃんと把握している。
だから自分なりのタイムリミットがあって、
ギリギリであれ滑り込みであれ、
何とか間に合わせるものだ。

ところがぼくは見て見ぬふりをする。
当然やるべき事の内容も把握していない。
そのくせ周囲には「大丈夫。一日あれば片づくから」
などとうそぶいてみせる。

実のところ本人も薄々「こりゃヤバい」と感じている。
不安は不機嫌となって少しずつ堆積し、
頂点に達してようやく、
こわごわ中を覗く。
そして、
ありゃりゃ絶対間に合わないじゃないかと天を仰ぐのである。

何の因果か「確定申告」をせねばならず、
今日が最終日だった。
沢山稼いだわけではない。
そういえば昨年マンションを売った。
税務署からはかなり前に封筒が届いていたが、
開けたのは昨晩。
税務関係の意味不明の単語を見ただけで、
というより用紙を一瞥しただけで、
頭がくらくらして寝てしまった。

学生の時、
冷蔵庫の中で腐った食べ物を処分するような気分だ。
でもどうやら不動産を売って「損」した人は、
日付と金額だけを書けばよいらしい。
いや正確には、
よいことにしてしまった。

今朝になって資料をかき集める。
何とか書き込んで投かんしたけど、
本当はそれでは全然ダメなのかもしれない。
でもそれならそれで、
いずれ税務署から何か言ってくるだろう。
その時はその時。

肩の荷は無理やり降ろした。


●今日は久々、西宮北口「CornerPocket」にて。

2009年3月16日月曜日

真摯

ポメラを使ってよいと思うのは、
文章「しか」打てないことである。
PCではこうはいかない。

まずPCはネットにつながるわけで、
その気になれば相当突っ込んだことまで調べられる。
深入りすると一時間ぐらいあっという間だ。

知識が増えるのは善し悪しで、
調べているうちに色んな見解を知る。
巧みな表現に感心しているうちに、
自分の率直な思いが書けなってしまう。
これでは本末転倒だ。

公開するものだから節度は必要だが、
多少の誤解や独善が許されるのがブログ「らしさ」でもある。
「正確」かつ「公平」であろうと八方気を使うのは、
新聞などに任せればいい。
「ちゃんとしている」必要はない。

さらにポメラは、
YouTubeを見ることもゲームで遊ぶこともできない。
電子辞書さえないのである。
わき目もふらずひたすら文章を打つしかない。

引用もデータもなし。
この頭の中に今ある思いだけで勝負する。
それも案外楽しいものだ。


●本日は近所の喫茶店にて●写真家森山大道のドキュメントをNHKで。彼が得意とするコントラストのキツイ白黒写真は好きだ●テリー伊藤と麻生総理が対談。しかもNHKで。似た者同士、ということか。

2009年3月15日日曜日

絶句

ブログを公開し終えたのに表示できない。

昨夜の出来事だ。

「アドレス違いです」というような表示とともに、
似たアドレスが紹介されている。

「住所をお間違いではないですか」という訳だ。
示されたアドレスは「takashiro」。
「h」が「k」になっている。
当ブログと一字違いだ。

このアドレスは一体何だろうと、
自分のブログが表示されない問題はひとまずおいて、
クリックしてみた。

環境音楽のようなBGMが流れる中、
海外らしき風景写真が5秒間隔ぐらいで移り変わる。
素人写真だけど割に趣味が合うなと眺めていた。

しばらくすると、
どうやらこれは誰かの結婚記念らしいことが、
時折挿入される英文から分かってきた。

そういえば昔々、
新婚旅行した時に写真を撮りまくってカレンダーを作ったっけ。
誰か知らないが、
こんなものを作ってネットで公開するなんて、
よっぽ嬉しいんだろう。
はしゃぎぶりが微笑ましい。

そんなことを思いながら3分ほど経った。
スライドショーの最後、
画面に映し出された文字で全てが分かった。



高城剛&沢尻エリカ



ちぇっ。


●ということは、高城氏のブログを見たい人がこのブログに迷い込むこともあるのかもしれない●自分のブログの問題は、何回かリトライしたらちゃんと表示された●今日は元町jamjamでご機嫌なジャズを聞きながら打ってみた。

2009年3月14日土曜日

解除

我が家のテレビにはハードディスクが内蔵されていて、
登録しておけばお気に入りのドラマを毎週、
自動的に録画してくれる。

買って間がない頃、
「こりゃ便利だ」とあれこれ登録してしまったが、
録画が貯まる一方で見るのが追いつかない。
そらだけなら消去すればすむ。
ところが本当に見たい番組とバッティングして、
帰宅したら半分しか録画されていないことが続いた。
登録を解除するしかないと観念したが、
やり方が意外に分からない。

近所の電器屋さんが今日来たついでに頼んだ。
ところが専門家である彼も答えられない。

最近の電化製品は懇切丁寧で、
アレコレいじっているだけで、
いつの間にか操作が覚えられるようになっている。
メカ音痴の母が誰にも教わらず、
携帯で写真付きメールを送れたほどだ。
言っておくが母がすごいのではなくて、
間違いなく機械が偉い。

それだけに、
録画の登録解除ごときに手間取るとは情けない。
電器屋さんも結局お手上げで、
調べておいてくれることになった。

登録は簡単で解除が難しい。
悪徳商法の契約みたいだ。


●携帯の電源スイッチが見つからず、ドコモショップまで行ったら、実は一番目立つところにあって恥ずかしい思いをしたことがある。灯台もと暗し●画家特集。今日はダリだった。人間は起きていても実は夢を見ているのかもしれないと思った。

2009年3月13日金曜日

拡張

BShiで立て続けに有名画家の特集を見た。
一夜目はゴッホとゴーギャン。
続いてゴヤとドラクロアだった。

生きた時代も国も、
もちろんその生涯の内容も様々なのだが、
いずれも共通しているのは変革者だったということだ。

彼らにはそれまでの人々に見えないものが見えた。
長年の修練の末に、
あるいは一種異様な精神状態の中で。
そして見えたものを忠実に描いた。

たとえばドラクロアは影にも色を見出した。
下書きの枠に制約されない描写は、
躍動感を画面に定着させた。

ゴッホの目には夜空も糸杉も、
彼が描いたようにのたうつように見えたに違いない。

彼らがいたおかげで人間は、
物が実際にそのように見えるようになった。
3Dの絵が突然飛び出すように。
長年破られなかった記録が、
雪崩のように次々塗り変えられるように。

芸術は人間の五感を拡張する。
だからスポーツや料理も芸術たりうるし、
映画や小説といえど芸術に値しないものもある。

しかし思う。
できなかったことが出来るようになる。
それは人間の進歩なのだろうか。
それとも忘れていただけなのだろうか。

●ハイビジョンを見慣れると、アナログ放送がやけに粗く見えるようになってしまった。放送局がわざと画質を落としているのではと疑うほどだ。贅沢を覚えてしまったのか●今日はカラバッジオ。彼らはビデオはおろか写真すらない時代に生きていたのだなぁと改めて思う●ipod shuffle新製品。すごく魅力的だが、イヤホンが専用なのが難点か。頑張れウォークマン!

2009年3月12日木曜日

合間

急ぎの用でタクシーに乗り、
ご丁寧に地図まで見せたのに、
「はいこちらです」と言われて降りたら違う場所。

「あっ」と思って振り返ったら、
すでにタクシーは去った後だった。

夜だし土地勘ないし、
置き去りにされて途方にくれかかったら、
ふいに目的の店の看板が目に入り事なきを得た。

それにしても最近のタクシー運転手は本当にひどい。

と、
こんなことを打っているのはライブの合間。
初めて来た新大阪のWAZZは素敵な店だ。
作りも音響も高級感があり、
仕事のイライラをゆったり流し去ってくれる。

俗に「暇疲れ」などというが、
今日はそんな感じだ。
五月雨のようにだらだらやることがあった。
「手中豪雨」的仕事に慣れた身には一段とこたえる。

とここまで書いて、
第3ステージが始まろうとしている。。。

●こんな時間にポメラは役立つ。退屈しないし、周囲の人は仕事でもしているのかと思ってくれるだろう。そうそう、今日の演奏は「じゃず家」でお世話になっている押領司由紀さん(Pf)のバンド。素敵でした●カーネル・サンダース発見。道頓堀川から24年ぶりに陸に上がったカーネルおじさんは、何かの「遺跡」のように見えた。

2009年3月11日水曜日

貢献

12000円の定額給付金。
世論調査では確か大多数が「NO」と答えていたが、
いざ支給されるとなると早速皮算用を始めている人も多い。

実際「捕らぬ狸」なのであるが、
「アレで買ったことにして」と言いながら、
すでに実際の額以上を使ってしまった。

先日の中古のウォークマンがまさしくそう。
だからもう数千円しか残っていないはずなのだが、
今この文章を打っている「ポメラ」なる機器も買ってしまった。

プリンターのついていないワープロなんだけれど、
キーボードを折り畳めば文庫本サイズになる。
電池込みで400グラムを切っているから、
持ち歩きにも便利だ。

外出先で浮かんだ取り留めのない考えを記録しておくためだ。
手帳で十分じゃないかという人もいるだろうが、
ぼくはすでにキーボード派だから、
こちらのほうが自然に頭と文章がつながる気がする。
ちょうどスティービー・ワンダーのように
あらぬ方を見ながらでもつらつら打ててしまう。

これがあればブログも少し充実するかなと期待するのは、
新しいクラブを買えばゴルフがうまくなると勘違いするオヤジと変わらない。
我ながら道具から入る人間だと苦笑する。

実に単純な景気回復貢献である。


●喫茶店で打って、帰宅してからPCに移し、手を加えればハイ完成。思った通りの便利さではあるが、内容は別に向上してはいないようだ●天満「じゃず家」セッション。結構人が来ていたのにもかかわらず4曲も歌わしてもらった●体のあちこちを検査してもらった母。「異状なし」と言われ、さらに元気になったように見える。お墨付き効果恐るべし。

2009年3月10日火曜日

振幅

「ぶれない」という言葉を目や耳にする。

「彼の考え方はぶれない」とか、
「彼女の生き方はぶれない」とか、
まぁカッコいい意味で使われる。

確かに、
朝令暮改とか、
行き当たりばったりとか、
ちょっと古いけど転向とか、
「ぶれる」のはカッコ悪いというか、
少なくともそんな上司は御免だ。

しかし、
生き方や嗜好や意見がぶれない人などいるのだろうか。
若いころは別としても、
元来人はぶれるものだ。
悟りを開いた坊さんでもなきゃ、
生きてる限り人はぶれるに決まっている。

「自分はぶれないと思っている人は気味悪い」とまで言えば、
逆に「ぶれいな」奴と言われるだろうか。

そういえば、
独楽は勢いよく回っているとぶれないな。
ヒントになりそうだ。


●「イーグル・アイ」(D.Jカルーソー監督)をDVDで。そういえば、よく似た名前のサングラスの通販があったな。核になるアイデアは新鮮ではないものの、脚本と役者がいい。娯楽作品としてよく出来ていると思う。期待しなかった分、よけいに面白かった●WBC。やっぱ韓国、今日はマジだった。顔つきが違った。

2009年3月9日月曜日

御供

行方不明だったウォークマンが出てきた。
とういうか「あった」。
あまりにも恥ずかしいので具体的には書かないが、
何気なくそこに「あった」。

ない!
ない!!!
ない!!!!!!

ぼくにしては一生懸命探したはずなのに、
これまで全く見つからなかった。
なのに今日、
突然視野に入った。

「なんだ、そこにいたのかよ。おい行くぞ」

そんな感じでイヤホンにつなぎ、
何事もなかったかのように外出した。

先日中古で買った同型クンには、
家で活躍してもらおう。

ボロでもやっぱり御供はこれだ。



●何を書いても言いわけになるが、きっと本当に家出してたんだ。酷使してたから●難波「Yakata」と武庫之荘「Mクアトロ」。2度目のはしご●「一日一生」(酒井雄哉著、朝日新書)。天台宗の偉いお坊さん。ぼくも83歳になったら、こんな風に言ってみたい、というような本だった。

2009年3月8日日曜日

挑戦

フィギュアスケートの技に人名がついているのは5種類。
ジャンプの「ルッツ」「サルコウ」「アクセル」。
そしてご存知「イナバウワー」とあと一つ。

「ビールマンスピン」である。

片足を後ろに持ち上げて回るアレだ。
意外にもあの技、
最初から「芸術的」と認められたわけではなかった。

1977年当時は、
「アクロバティックで危険」とか、
「ポーズが大胆すぎる」とか、
好意的でない審判が少なからずいたという。

認めさせたのは観衆の支持だった。
採点は割れ続けたが、
皆が喜んでくれるからとビールマンは技を続け、
ついに「芸術的」と受け入れさせた。

女子選手で初めて3回転半を2度、
ひとつの演技で成功させた浅田真央。
そして彼女の最大のライバルであるキム・ヨナ。
彼女らもまた女王であり挑戦者だ。
いやむしろ、
女王であるためには挑戦者でなければならないというべきか。

若い女の子なら、
大観衆の前でみっともなく転倒してよいと思うはずはないし、
自分一人に注がれる視線に怖じ気づきもするだろう。
できれば無難に収めたいはずだ。
その妥協をはねかえし、
チャレンジする気持ちが尊い。

そうだキムのあの、
観衆を射すくめるような眼差しは、
真央の45秒のステップは、
押しつぶされそうな自分を奮い立たせる「意志」そのものだ。



振り返ってこのぼくは、
そんな風に何かに挑み続けたことがあるだろうか。



●スポーツ大陸の感想●ビールマンは五輪の金はとれなかった。でもプロの世界では長らく無敵だったそうだ●侍ジャパン、韓国にまさかのコールド勝ち。あっぱれ。以前はどんなスポーツでも、韓国は日本相手となると気合いが5割増しって感じだったけど、日韓友好が進んだのか今日はさほど感じなかった。あの先発、ニヤニヤしてたし。きっと国では大騒ぎだろう。

2009年3月7日土曜日

杵柄

唐突だけど、
小学校で一輪車が教えられるようになったのはいつだろうか。
少なくともぼくが子供のころのは一般的ではなかった。

でも、
大学生になる姪は普通に乗れる。
つまり日本人は、
一輪車に「乗れる世代」と「乗れない世代」に分かれるわけだ。

考えてみればすごいことではないか。
ぼくにとっては一輪車なんて「曲芸」の世界の乗り物で、
自転車とは次元が全く違うそんな物に上手い下手はともかく、
そこらの若い人はみな乗れるのだ。

具体的には想像できないけど、
一輪車に乗らないと、
あるいは乗れる能力がないと命がないという場面では、
ぼくらの世代はほとんどが絶望ということだ。

んな大げさなと思われるかもしれないが、
泳ぎを考えてみればいい。
目の前の100メートルを泳ぎ切らないと死ぬならば、
ぼくはほぼ絶望だ。

逆上がりや蹴上がりなど、
鉄棒の技を懸命に練習した覚えは誰にでもあるはず。
運動でなくても九九だってそうだ。

三つ子の魂なんとやら。
一輪車ひとつといえど、
それによって養われた感覚は、
「世代の感覚」として芸術なんかにも反映しているかもしれない。



●日本一輪車協会の設立は1978年。全国的に普及したのはいつのころだろう●東京中央郵便局を保存しようと騒いでいる鳩山弟。まさか麻生の後釜を狙ってるんじゃなかろうな●「百万円と苦虫女」をDVDで。映画の出来はともかく、蒼井優の魅力はわかった。

2009年3月6日金曜日

無限

酒に女に博打が滅法好き。
それでいて囲碁が恐ろしく強い。
そんな「最後の無頼派」と呼ばれる棋士藤沢秀行のドキュメントを、
NHKで再放送していた。

以前「野垂れ死に」(新潮選書)を読んだことがあるくらいだったが、
4年前の撮影時点で79歳の彼は、
3度のガンでもう枯れ枝のようになっていて、
足取りも危なっかしく、
「豪放磊落」という形容詞は面影もない。

でも頭脳は別だった。
現役は退いたものの、
勉強会では現役のトップ棋士を叱咤し、
中国に招かれて若手の指導をする。
枯れているようでいて、
実は全然そうじゃないあたりが、
同じNHKで先日やってた吉本隆明とそっくりだと思った。

「碁は無限」だと言われる。
18×18枡。
その広がりはスパコンでもいまだ足元にも及ばない。
その無限に挑み続ける男の年老い方。
ほろ酔いの時に「夢は何ですか」と聞かれ、
ポツリと言った一言が凄い。

「もうちょっとマシになること」だって!


●元町のペンギンさんが頭を抱えていた。ペンギンさんも悩むのか(笑)●久しぶりにJamJamで1時間過ごせた●WBC開幕。

2009年3月5日木曜日

会得

長嶋茂雄(ミスター)が、
奇行や迷言の宝庫なのは有名だ。
中でもぼくが一番好きなのは、
水戸黄門を欠かさず見るというやつで、
毎週8時前になると自宅和室に座布団を敷き、
一人正座して「鑑賞」するらしい。

で、
面白いのはここからで、
印籠を出す寸前になるとTVを消してしまうという。
「あとは同じだからいい」だって!



そのミスターはバッティングの指導も風変わり、
というか意味不明らしい。
「そこはバッと振れ」とか、
「ドーンと当てる感じ」とか、
要するに擬音語が多くて、
教わる方は何が言いたいのかわからないのだそうだ。

では、
ミスターは指導者失格なのだろうか。



なるほど、
「グリップの位置は方より3センチ上」とか、
「腰の回転は背骨を軸にして」とか、
教則本には「わかりやすく」書かれている。
「わかりやすく」というのは、
「誤解を招きにくい」ということなのだけど、
しかし恐らく、
この説明にはバッティングの肝心のところは欠落している。

その肝心のところとは、
言葉で表現するなら結局、
「ビシッ」とか、
「グイッ」とかにならざるを得ないんだと思う。

数学や物理なんかと違って、
体を使うことに関しては、
指導はすべてオーダーメイドしかありえない。
本で学ぶなら、
めいめい自分流にアレンジするしかない。



「正解」は自分の中にしかない。


●昔、岡八郎のギャグに、空手を通信教育で習うというのがあったけど、その面白さと同じことだ●ウォークマンが依然行方不明。仕方がないから同じ物を買おうとしたら、既に製造中止になっていた。新製品は機能満載だけど、ぼくには不必要なので、同じ物を中古屋さんで手に入れた。

2009年3月4日水曜日

有無

メキシコのピラミッドを発掘する日本人が、
「この1センチ先に何かがあるかもしれない」というのを聞いて、
確かにそうだよなぁと思った。

NHK「プロフェッショナル」考古学者・杉山三郎の回だ。

誰かが残した図面があるわけじゃない。
彼らは経験と勘を頼りに掘り出す。
どれだけ掘っても何も出てこなければ、
いずれ諦めないといけない。
でも、
目の前の土の1センチ先には、
黄金の仮面が眠っているかもしれないのだ。



いっそ誰かが「ない」と宣告してくれれば楽だろう。
逆に絶対「ある」と分かっていれば、
何年かかろうと、
掘り続けるだろう。

「ある」か「ない」か分からないまま、
「途中」で引き返す決断は残酷だ。
しかし、
根こそぎ掘り尽くすわけにいかない。
時間には限りがある。

だから考古学者は、
慎重に準備するし、
記録を詳細にとる。
たとえ自分が何も発見できなくても、
後世の人間の参考になるように。
プロセスそのものが意味を持つように。。。



そんな発掘は、
どこか人生と似ている。


●愛用のウォークマンが消えた。忽然と。自宅にあるはずなんだけどなぁ。第二のZIPPOにならなきゃいいんだけど●天満「じゃず家」セッション。

2009年3月3日火曜日

度胸

街中でよく見かけるようになったAED。
「止まった」心臓を電気ショックで蘇らせる機械だ。

日本中に何台あるのか分からないけど、
2007年末で12万9000台というデータがあるから、
今ではずっと多いだろう。

しかし、
アレで救われた人っているのかな。
まだいないとしたって、
これから一人でも助かるのであれば別にいい。
でも、
アレを「使うべき時」ってどんな時だろう?



目の前に倒れている人がいて、
息をしていなくて、
そばにアレがあって、
果たしてぼくはどうするか?

少なくとも消火器のように、
燃えているからエイッという具合にはいくまい。

使って取り返しがつかなくなったら。
いやいや、
そもそもこの人に必要なのか。
といって、
使わずにこの人が亡くなったら。。。



一生に一度あるかないかの場面。
迷ってる間に、
きっと救急車が来る。


●調べてみたら、使うべきかどうかも機械が判断してくれるらしい。要は、ためらうなということのようだ。ちなみに、ドラマでよく見るヤツほどの威力はないそうだ。体が跳ね上がったりするのかと思ってた。

2009年3月2日月曜日

高揚

1985年の夏、
ぼくはアメリカ大陸を旅していた。
長距離バスを乗り継いで45日、
サンフランシスコから反時計回りにぐるっと一周。
青春時代のハイライトだった。



524人を乗せた日航機が群馬県の山中に墜落した8月12日は、
旅も後半にさしかかり、
オハイオ州シンシナティの親戚宅に滞在していた。
「マンモスケイブ」という鍾乳洞の待合室みたいなところのテレビで、
ニュースが流れていたの覚えている。



「クライマーズ・ハイ」(原田眞人監督)を見て、
「あの夏」を思い出した。

航空機史上最悪の事故を報道する地元紙の混乱ぶり。
クライマーズ・ハイ=登山家の興奮状態が極限まで達し、恐怖感が麻痺してしまう状態
見事なタイトルだ。
記者役の堺雅人が素晴らしい。



ヒッチハイクしたり、
牢屋に入れられたり、
バスの中でヤク切れの男が騒ぎ出したり、
巨漢の黒人男に付きまとわれたり。。。

あの夏のぼくも、
クライマーズ・ハイだったに違いない。

2009年3月1日日曜日

決行

カラオケボックスのバイトの顔ぶれが、
いつの間にかほとんど入れ替わってしまった。



そういう頃なのかと納得しつつ、
少し寂しい気もする。



結局、
営業トーク以外のやり取りをすることはなかったけど、
あの子たちはぼくのことを一体どう思っていたのだろう?

いつも同じような時間に、
しかも毎日のようにやってきては、
1時間だけ利用するおっさん。

それ以上でも以下でもないか。
名刺も渡せなかった。



そんなことを続けてもう1年以上たった。
そろそろ腹を決めてライブを行います。
詳細は右上に掲示します。

ここまで読み続けてくれている人、
是非来てください。
できれば何人も誘って来てください。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...