2009年3月21日土曜日

葛藤

「ありふれた奇跡」が物足りなかったのは、
「おじいちゃん」的価値観、
言い換えると「昭和的」価値観が、
「平成的」価値観にあっさり白旗を上げたからだ。

昭和的価値観というのは、
主に昭和30年代以降の、
簡単に言えば「右肩上がり」指向と考えてもらえばいい。

平成までの約30年間、
日本人は誰もが何かしらの目標を掲げ邁進した。
そうしない人、
あるいは出来ない人は「人生の落伍者」として扱われた。

受験競争、
出世レース。。。
経済大国への道の果てがバブル崩壊だった。

平成になって20年の間、
大人は「右肩上がり」の夢が醒めず、
子どもは「右肩下がり」の日本しか見てこなかった。
いずれにせよ競争することは、
「むなしさ」しか生まなかった。
若者が競争ではないものに生き甲斐を見出そうとするのは、
当然かもしれない。

平成生まれの子どもが成人になる今、
二つの価値観は日本で共存している。
だから軋轢が生まれるのだが、
世代間の価値観の対立は、
どの時代でもどの国でもあることだ。

「ありふれた奇跡」ではその軋轢が、
軋轢というほどのこともなく、
平成的価値観の方にたやすく飲み込まれてしまった。

そこが面白くない。
おじいちゃん弱すぎなのである。
戦災孤児の骨身に染みた苦労はそんなもんなのか。
「草食系」の孫の思いつきにあっさり席を譲るのか。

昭和に生まれ育ち、
平成とともに社会人を送ってきたぼくは、
まさにその間で葛藤してきたというのに。。。

●ここまで書いて一階に降り、煙草を吸って考えた。どの世代もそれぞれの悩みや苦しみを抱えて生きている。心の窓を数センチ開いただけで、もう少し心の風通しよくしただけで人は変われるのではないか。月並みではあるがそういうことも確かに思う。でもやはり綺麗ごと過ぎないか。

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