2009年5月31日日曜日

果報

元町から三宮まで、
久しぶりに歩いた。

新型インフルの呪縛から解き放たれたかのように、
週末のセンター街は人で溢れていた。

マスクをしている人は、
たぶん旅行者だろう。



途中、
ジュンク堂に寄った。
棚に「1Q84」がずらりと並んでいる。
村上春樹5年ぶりの新作長編だ。

反射的に一冊手に取りレジへ向かった。



店員が何か言っている。

ぼくはイヤホンをはずした。




「2ですけどよろしいですか」



「!」



2冊組だったのか。



で1は?



「品切れです」



「!」



「卵と壁」効果か、
27日の発売開始以来すでに、
全国で68万部が売れたという。
「ハリポタ」並みの社会現象だ。


次回入荷は10日も先。
新潮社の予想も遥かに超えていたのだろう。



まったく。



「逃した魚は大きい」。
「ない」となると余計に欲しくなる。

でもさっぱり諦めた。

時がたてばまた店頭に並ぶのだ。

そして時は、
瞬く間に過ぎていく。

読むべき本は、
いくらでもある。


●しばらくぶりに恩人に会えた。待てば海路の日和あり。例年になく鬱陶しかった5月も、これですべて帳消しだ●ちなみに「1Q84」はまだ続くらしい。だから上下巻じゃないのか。何も知らんな、ぼくは。

2009年5月30日土曜日

必須

長野県の山あいの町の、
全校生徒が100人にも満たない小学校。

田舎によくある光景だけど、
その学校が特徴的なのは、
5年生になると必ず金管バンドに入んなきゃならないということ。

どの子も何かの楽器を担当して、
卒業する6年生の楽器を譲り受け、
さらに基礎の基礎がクリアできるまで、
6年生が面倒をみることになっている。

音楽が絶対に嫌いな子もいるだろうに、
かなり強引だとは思うんだけど、
音楽の先生がまたすごい女傑で、
このシステムで全国レベルを維持しているという。



情熱大陸で前に一度紹介され、
この前「続編」が放送された。



アルトホルン担当になった綾乃ちゃんは、
なかなか高音が出せずに苦労していた。

一生懸命なんだけど、
なかなかちゃんとした音が出せない。
泣きそうな顔をしている。

その時先生は、
「最初は弱弱しい音でいいの。生まれたてのヒヨコって情けないでしょ。最初はみんなそうなの。時間はかかってもいいの」
みたいに励ましていて、
強い感銘を受けた。

そうだ、
何でも最初は弱い。

それと、
「生まれたてのヒヨコ」で通じるところが、
とっても素敵だと思った。


●この年ごろに音楽をちゃんと学べるこの子たちがうらやましい●新型インフルを理由に披露宴の出席を断られた話が朝日新聞の夕刊に載っていた!悲劇というか喜劇というか。立派な風評被害だ。もっと強く安全を発信しないと駄目だ。

2009年5月29日金曜日

呆気

今朝の欧州CL決勝戦には、
よい意味で期待を裏切られた。

マンU、
バルセロナとも、
当然のことながら世界最高峰のチームで、
激戦が予想されたのに、
蓋を開けてみれば、
優勝したバルサが、
90分間ピッチを支配し続けた。

特に中盤のパス回しの精度がけた違いだった。
ボールを奪いに来るマンUの選手を嘲笑うかのように、
パスを連携させていく。

しまいには、
マンUの選手が、
ボールを奪いに行っても無駄だと言わんばかりに、
プレスをかけなくなって、
「傍観者」状態になっているようにさえ見えた。

だからマンUの選手は、
たまにチャンスが訪れても、
動きがスローモーションみたいに鈍く、
攻撃がまるでチグハグだった。

ロナルドとか、
メッシとか、
超有名どころしか知らぬぼくは、
イニエスタだの、
シャビだの、
聞いたこともない選手の芸術的パスワークに、
ただただ呆気にとられた。

結果は2-0だったが、
内容的にも、
バルサの完勝だろう。

いや凄かった。
日本代表のお手本だろうが、
追いつくには50年はかかるナ。

●携帯で話していたら、突然通話が切れた。電池切れだった。先方の電話番号は、ダウンした携帯の中。お手上げでした●でも話の内容は想像だにしなかった朗報。しばし仕事もお手上げだった。

2009年5月28日木曜日

烙印

「花畑牧場の生キャラメル」
というのが流行りらしい。

母が1時間並んで買ってきたので、
一粒食べてみた。

食感はやわらかく、
上品なお味。
だけど、
正直なところ、
高級「ミルキー」だと思った。

10粒ほど入って900円ぐらいとか。

ひえー

た、
たかがキャラメルが?
人をなめてんのか?

母「一度食べてみたかったけど、もういいワ」



同感である。



その買い物で母は、
宮崎産のマンゴーも買ってきた。

一個1000円。

ひえーひえー

メロンじゃないよね?

でも、
普通は2000円ぐらいするのだという。

ひえーひえーひえー

マンゴーってのは、
いつからそんな高級果物になったの?

母の言うところでは、
宮崎産が特別に高くて、
外国産だと一個200円ぐらいでもあるとか。

確かにめっちゃ美味しかったけど、
それにしても、
恐ろしや、
ブランド力。


●烙印(らくいん)とはブランドの語源ということで●どっちか選べと言われれば、マンゴーに軍配●欧州CL決勝戦観戦中。今ハーフタイムで急いで書いた。これが世界最高、最先端のサッカーなんだな。

2009年5月27日水曜日

黒板

増四度音程は最強の不協和音だという。
キーがCなら、
FとBの関係だ。
西洋では「悪魔の音程」と呼ばれているらしい。

「音程」ではないけど、
ぼくにとって「悪魔の音」は、
黒板を爪でひっかいた時に出るアレだ。
今でも想像しただけで、
「イー」ってなる。

掃除当番の時、
黒板を綺麗にするのが好きだった。
それも、
徹底的に。

まずは黒板消し同士を、
親の敵のように何百回となく叩いて、
白い粉がほとんど出なくなるまでにする。

それから黒板。
まず雑巾できれいに拭いて、
それでも乾いたら白い筋が浮き出てきてしまうので、
先の黒板消しで仕上げる。

チョークを置く溝も徹底的に拭く。
そんなにまでしても、
誰もほめてはくれなかったけど、
きれいになった黒板を見ると、
何がしかの達成感があった。

あーそれにしても、
何であの爪の音を思い出したのか。
絶対音感のある人は、
あの音も「Fシャープ」とかって当てちゃうんだろか。

しばらくゾクゾクしそうだ。


●今でも学校は黒板なのだろうか●映画「ディパーテッド」。何でこれがアカデミー作品賞なのか、さっぱりわからなかった●じゃず家セッション。2曲歌った。ひどく落ち込むということはなかった。

2009年5月26日火曜日

伝達

耳が聞こえない先生に、
子どもが何か尋ねている。

「先生、好きな色は?」

先生はその子の唇の動きを読み取って答えた。

「今はいないの」



先生は「好きなiro」を「好きなhito」と間違えたのだ。
確かに口の動きが似ている。


先日たまたま、
しかもちょっとだけ見た番組のひとコマだけど、
聴覚障害者はこうした「聞き間違い」に苦労するらしい。
だからある人は、
「思い込まないように気をつけています」と話していた。

「色」と「人」の間違いは微笑ましいけど、
命に関わる事だってあるだろう。
大変なんだなぁと思ったが、
考えてみればぼくたちも同じだ。



人間は文字や楽譜を発明して、
言葉や音楽の流通性を爆発的に拡大させたけど、
文字や音符に込められた本当の意味を理解するのは、
なかなかに難しい。

というか、
記号に込められる意味の量は最初からたかがしれている。
だから、
記号を介して行われる、
ぼくたちのコミュニケーションは、
ほとんど誤解の上に成り立っているといっていい。

少なくとも、
それぐらいの心構えでいた方がいい。

心と心が直接結びついたような状態を、
仏教では「拈華微笑」(ねんげみしょう)というが、
その地点を100だとすれば、
ぼくたちの地点は1でもないだろう。

●中国が神戸市に子ども用マスク10万枚を寄贈した●北朝鮮が核実験を実施した。

2009年5月25日月曜日

体得

若い人が古着や制服を、
自分流に改造して着るのは知ってたけど、
ユニクロの新品を切り刻んだり、
縫い合わせたりしてしまうことが当たり前で、
それを「ユニ隠し」とネーミングまでされているとは!。

今日の東京カワイイTVは面白かった。

新宿の新店舗の視察に、
高級車に載ったユニクロ社長が現れた。
「ユニ隠し」の感想を聞かれ、
「着こなしはお客様の自由」なんて言いながら、
いかにも不愉快そうな表情が、
なかなか偉そうで笑えた。



それに引き替え、
「しまむら」という激安衣料店のおじさん社員。
若い子の流行を知ろうと、
3泊4日の弾丸英国視察旅行を、
数か月おきに繰り返しているそうだ。

1日で40軒ものファッション店を見て回って、
ホテルについたらクタクタ。
「まず座りたいです」って、
なかなか微笑ましかった。

「若い人のファッションわかりますか」と聞かれ、
「わかりません」って何と正直な!
でも、
そうやって繰り返し足を棒にして店を回っているうちに、
おじさんは知らず知らず、
体でセンスを身につけるのだ。


●難波「YAKATA de Voce」に久しぶりに。2曲。結構満足した●それからアメ村や堀江界隈を歩いた。インフルウイルスではなく、若い人オーラが充満していて、いい刺激になった。

2009年5月24日日曜日

楽理

ブルースは、
長調と短調が同居している摩訶不思議な音楽だ?



ぼくは歌は歌うけど、
音楽理論はチンプンカンプン。
でも、
「東京大学のアルバートアイラー」(菊池成孔+大谷良英著、メディア総合研究所)は、
長年の愛読書だ。
題名の通り、
二人の著者が東大で行ったジャズ講義録である。

これを読んでいると、
音楽という芸術を、
人間がいかに「理屈」の中に押し込めようと、
悪戦苦闘してきたかが分かる。

音楽の「流通」という観点からみれば、
バッハ→バークリー→MIDIと連なるこの試みは大成功で、
ジャズはもとより、
ぼくらが接するあらゆる音楽は、
この「理屈」の上で解説される。



しかし目を転じれば、
理屈に合わない音楽が、
決して「間違っている」わけじゃないとも気づく。

だから、
ブルースの話に戻ると、
先のぼくの書きようは間違っている。



正確にはこういうことだ。



まず魅力的な音楽があって、
それが現在の音楽理論で説明できないだけだと。

この違いは天と地ほど大きい。

つまり、
あらかたの解説書は、
「知ったかぶり」ということだ。
それを素直に認めた上で書かれたこの本は、
とても真摯だと思う。

新型インフル、
世界経済の趨勢、
地球環境。。。

「専門家」のご託宣の多くは、
「知ったかぶり」だということを、
知った上で拝聴するのがよろしい。

楽理万能主義の中で生き残ってきた、
強靭なブルース。

ブルースな生き方ってできないものか。

●どうも文字化けが起きている。推測して読んでください●この本は近年の一押し。このたび文庫化されたので、携帯用にまた買ってしまった●キムタクの「MR.BRAIN」。脚本は失敗してるぞ、どう考えても。ただ、主題歌のヴァン・ヘイレンに驚き、海老蔵は格好いいと思った。

2009年5月23日土曜日

値段

味の素の蓋の穴を、
ほんの少し大きくしたら、
売り上げが大そう伸びたというのは、
かなり有名な話。

人間心理を突いた商売の格好の例である。



「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ著、誠信書房)には、
同じような話が満載だ。

例えば、
店の亭主がほれ込むほど見事な宝石を、
かなりの安値で陳列しているのに、
一向に売れない。

亭主は仕方なく、
店員に「半額セールで売ってくれ」と言い残し、
バカンスに出かけた。

帰ってくると、
案の定、
その宝石は売れていた。

しかし実は、
店員は亭主の伝言を聞きちがえ、
値札を倍額に書き換えていた。。。

「安かろう=悪かろう」と同じように、
「高かろう=良かろう」と思い込む人の心理を示す例だ。



この話の教訓は、
物の価値を値段で判断してはいけないということではなく、
ぼくたちは物事を判断する際、
実に少ない点だけを比較しているという事だ。

日常生活のあらゆる判断を、
仔細に検討して下すことは、
時間の制約から不可能だ。

つまり、
ぼくらは、
そうと分かっていても、
同じような罠に陥るのである。

わかっちゃいるけど止められない。

げに恐ろしと言えまいか。

●新型インフル国内発生後、初めて神戸に足を踏み入れた。元町の人出はさすがに少なく、多くの人がマスクをしていた。しかし、いるべき場所にはいるべき人たちがいた。なぜか安心したのだった。

2009年5月22日金曜日

連鎖

貧しさから、
マンホールの中で暮らすモンゴルの子どもを、
10年にわたって追ったドキュメントを、
BSで見たら切なくなった。

「主人公」というべきボルト君は、
一時は建設会社に働き口を見つけて、
社長賞までもらうほど頑張ったのに、
自力で建てた家(小屋?)の土地を登記してなかったために、
追い出され、
そこから歯車が狂っていく。



大人になった彼は、
空き缶やびんを拾って換金しては、
その日を食いつなぐ毎日。

元妻は親友にとられ、
子どもにも会わせてもらえず、
その元妻も、
16歳で産んだ子どもに会えぬ苦しさから、
二人して酒浸りになっていく。。。

数年おきに取材したものの総集編だったので、
10年間の彼らの浮沈(といっても基本的に沈んだままだ)が、
わずか2時間ほどで紹介される。

その短時間で少年(少女)は大人になり、
幼さゆえ、
どこか明るさのあった表情からは、
夢も希望も消え、
「貧困」だけが刺青のように刻まれる。



にしても、
こういう取材をする人たちは、
どういう倫理観を持っているのだろう。
自分たちの懐にある「円」で、
彼ら数人ぐらいの運命は変えられるはずだが、
それは絶対にしない。

不幸にまみれていく姿を、
ただただカメラに収める。
その「冷静さ」は職業的には正しい。
ライオンに食われる鹿をいちいち助けないのと、
基本的に同じだ。

でも、
ぼくにはできないだろう。



不幸の連鎖。

不幸の拡大再生産。

不幸は伝染する。

そんな迷信じみた考えが、
リアルに思えた。

●前に大家族ものの番組で、いきなり夫婦が離婚してしまって、企画そのものが終わってしまったことがあった。その時の「救いのなさ」に似ていた●「ミスティック・リバー」。前に観た時は、サスペンスとしてイマイチだと思ったことを思い出した。改めて観ると、これは全然サスペンスなどではなかったことに気づいた。ブッシュ政権への痛烈な皮肉でもあるが、それ以上にこちらも「不幸の連鎖」を感じた●「不用不急」じゃなきゃ外出するなって、ぼくなら仕事以外にないなと思うと、少し寂しい。にしても、国民にマスク、マスクっていいながら、なぜあの国会議員の面々はしないのだ●裁判員制度が始まった。





不幸も、
インフルのように、
伝染するのだ。

2009年5月21日木曜日

忘却

今になって、
昨夜の分の公開を忘れていたことに気づいた。
とりあえず、
そういうことで。

ただ今DVD鑑賞中。



さて。



イーストウッド作品をもう一つと思って、
「ミスティック・リバー」を借りたのだが、
始まってすぐ、
前に見たことがあると気づいた。

いやはや、
ボケたもんだ。
でも、
こんなこと、
誰でも経験あるよね?



ところがぼくの場合、
それよりもう少し深刻だ。
というのは、
前に見た内容を、
すっかり忘れてるからだ。

途中まで進んで、
大体のことはよみがえってきたのに、
ラストが思い出せない。
これつまり、
面白くなかったってこと?

でも今観ていると、
相当に「いい感じ」なんだけど。

ところで、
前に観たのはいつだっけ?



それも忘れた。

2009年5月20日水曜日

尊厳

「グラン・トリノ」を観る前に、
予習のつもりでイーストウッド監督の、
「ミリオンダラー・ベイビー」を借りた。

ありていに言えば、
女子ボクサーの悲劇。
でも、
観終わってぼくは素直にその「悲劇」を受け止められた。
登場人物の行動に対して、
「この人がそう決めたのだから、他人がとやかく言えないな」みたいな感じ。

感情移入というのとは少し違う。
ノンフィクションの感覚でもない。

フィクションでしかないはずなのに、
ぼくはこの映画に「実際の人生」が見えた。
こんな感覚は久し振り。
紛れもない名作だ。



ボクシングといえば、
作家で横審委員でもある内館牧子氏が先日、
「お騒がせ」亀田兄弟に対して、
「『勝ちゃいいんだろ』という朝青龍に比べて、少なくともボクシングをリスペクトしている」

という風に擁護しているのをスポーツ新聞で読んだ。

朝青龍とは和解したんじゃなかったっけ?
大体、
「亀」は本当にリスペクトしてるのか。
辰吉は間違いないけど。

しかも、
なんで「尊敬」じゃなく「リスペクト」なのか。



さて、
「ミリオン」の冒頭、
「ボクシングは尊厳のスポーツ。人の尊厳を奪い、自分のものにする」
という言葉があった。

観終わって、
なるほどと思った。


●街はいつもより静かなのに、ジャンカラは大盛況。「1時間10分待ちです」だって!

2009年5月19日火曜日

必然

ウイルスは生物じゃないという。
構造は単純な遺伝子をたんぱく質の殻が覆っただけ。
自力で増えることもできない。

増殖するためには、
動物などに感染しなければならない。
感染された方は、
時として病気になる。

そんな非生物がなぜ自己を増やそうとし、
あるいは変異して毒性を増すことがあるのか。

そこに働いているのは意志なのか。
あるいはウイルスによって人が変わり、
そのことによってウイルスが変えられるのか。



新型インフルは、
関西で猛烈に患者が見つかっているが、
恐らく日本中にすでに蔓延していると思う。
神戸の医師が通報しなければ、
いまでも国内感染は見つかっていなかったかもしれない。

震災を経験した神戸の人たちが、
日本人の中で一番危機管理に優れていたとみるべきか、
あるいは、
だからこそ第一例目に「選ばれた」のか。



いずれにせよ、
秋口に訪れる「第二波」こそ本番だと心得るべきだ。
ある専門家は「七割の確立で強毒化する」と語っている。

「あれは序章に過ぎなかった」なんて、
映画の予告編みたいなことが、
本当に起こらなければいいけれど。

いや、
そんな「乙女の祈り」はやめよう。
今の流行を予行演習ととらえ、
本格的に準備を具体的にすべきだ。

変異は「突然」ではなく、
「必然」ととらえるべきなのだ。


●さすがにマスク姿の人が増えてきた。といっても3割ぐらいじゃないかな●他人の咳やくしゃみに敏感になっている自分が情けない。

2009年5月18日月曜日

勇者

「キリヤ」なんて苗字、
滅多にないから、
ひょっとしたらと思ったら、
やっぱり宇多田ヒカルの元夫紀里谷和明だった、
きょうの情熱大陸。

理知的なイメージがあったのだけど、
青春映画並みに熱そうな男だったので驚いた。

イメージといったって、
結婚と離婚の時の顔写真しか知らないわけだから、
こちらの勝手な思い込みだが。

それにしても、
これまで一応謎めいていた彼が、
いきなりこんな番組に出たのは、
5年がかりで作った映画「GOEMONN」の宣伝のためらしい。



何でも中学卒業を待たずに渡米したとか。
写真、
PV、
映画、
どれも独学で学んだそうだ。

うまく表現できないのだが、
どうも「良い意味」で胡散臭い。

渡米をただ一人応援してくれたという、
中学校の恩師と会っては大仰に涙ぐむ。
ロスの一人住まいという、
やたらでかいキッチンでは、
十穀米と、
プロテインとサプリをジューサーで混ぜて、
ジューサーに入ったまま飲む。

「悪い意味」で、
子どもがそのまま大人になった感じ。
YOSHIKIと10年来の知り合いというのも、
怪しさ満天じゃないか。

わざと自分を追い詰め、
そんな自分に酔っているようにしか見えないところが、
辛く笑える。

しかし、
東京の体育館に、
1000人もの観客と記者を招待して、
大々的に完成発表したのに、
翌日のスポーツ紙にベタ記事扱いされていたのは、
余りに可哀そうだった。



とはいえ、
実はぼくは彼がうらやましい。
うらやましくて仕方ないのだ。

中学生の時、
ぼくもアメリカに行きたかった。
こんな国を飛び出して、
世界を見てみたかった。

たとえ他人に笑われても、
自分のやりたいことをやり抜くこと自体は、
とっても素敵だし、
どれほど嘲笑を浴びようとも、
笑うだけの人より何億倍も勇ましい。

2009年5月17日日曜日

良識

神戸の高校生が、
新型インフルに感染した。
初の国内感染である。



母「ということは、豚肉食べたんやろか」

ぼく「………………………………………」



こんな母でも、
裁判員になる資格はある。
恐ろしいことだ。

裁判員制度を推進する側は、
二言目には、
「先進諸国の多くが導入」
っていう。

こういう言われ方をすると、
ついぼくたちは、
「そうか、日本って遅れてるんだな」
なんて思いがちだけど、
一体今の制度の何が問題なんだろう。

市民感覚と判決のズレ?

そんなのは、
刑法や刑事訴訟法を改正すればすむことだ。
そのためにはぼくたちは立法府の人、
つまり国会議員を選んでるんじゃないか。

大体、
重大犯罪の裁判だけに関わらせて、
司法が身近になるのだろうか。
切断遺体の写真や、
血塗られた包丁を見せられて、
トラウマにならぬ人がいるだろうか。



この人は死刑に値するかどうか。

そんな事を、
うちの母に判断させるなよ。

母は良識ある人間だ。
でも殺人や強盗事件の被告の有罪無罪、
そしてその量刑まで判断するのは、
はっきりと無理だ。

国がやるべきことを社会に押しつけ、
社会で解決すべきことに国が口を出す。

双方が弱っているとしか思えない。



新型インフル以上に深刻だと思う。

2009年5月16日土曜日

衝撃

スピッツの「ロビンソン」を初めて聞いた時、
それはたぶんカーラジオだったと思うけど、
あの独特のイントロや歌声の衝撃はすごかった。

何この歌?
何ていうバンド?
何、
何、
何っていう感じ。

新しい季節は なぜか切ない日々で
河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた
想い出のレコードと 大袈裟なエピソードを
疲れた肩にぶら下げて しかめ面まぶしそうに

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で 作り上げたよ

誰も触れない 二人だけの国
君の手を放さぬように
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る


何てったて「ルララ」だからな。

今でもこの季節になると、
あの切ないイントロとともに思い出す。
40年から生きてても、
あれ程のインパクトはそう味わえるもんじゃない。

ほかに挙げるとすれば、
宇多田ヒカル「オートマチック」や、
古くなるけど松山千春「季節の中で」、
もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」なんかかな。

別の意味で強烈だったのはサザン。
ザ・ベストテンの「今週のスポットライト」で紹介された時、
子どものぼくは生で見ていて、
その興奮はかなりなものだった。

あと、
その音楽が、
というより、
その映像が、
といった方が正確だったのが小椋佳。

曲が先行して売れて、
初めて顔が見れる、
しかもライブでというので、
「どんな人だろう」と、
NHKを固唾を飲んで見たものだ。
あの時の驚きも別の意味で忘れられない。

音楽以外の分野では、
江頭2:50も、
マイ十傑には入る。


●「インサイド・マン」(スパイク・リー監督)をレンタル。銀行強盗が盗んだものは…みたいな内容。面白かった。ジョディ・フォスター出てたし●久しぶりに元町ルーチンをほぼ完全に遂行。

2009年5月15日金曜日

意味

深夜帰りの車の中、
ホッと一息、
音楽を聴く。

耳元から流れるのは、
こんな歌詞だ。



月よ 僕らとは
何がしかの意味を
さまよい求めては
今もこうして
血をかよわせ生きている
この姿をかりて
あるべくしてある意味を
誰が知ろう・・・。



題名は「azure moon」。
アジュールムーン。
感じ(漢字)としては「蒼い月」か?

で、
思い出したのが、
仏語のtoujours(トゥジュール)。
「いつも」という意味らしいんだけど、
社会人になったころにいた町のスナックの名前だった。
確かそこのママさんは、
「永遠っていう意味なの、ウフ」
って言ってたけど。

二日と空けずに通っては、
カラオケを歌いまくっていた。
この店で歌うために、
カラオケボックスへ一人で行き、
練習したほどだ。

今でこそ、
「ひとカラ」などと市民権を得ているけど、
20年前だとかなり怪しかったかもしれない。



「永遠」といえば、
続いてこんな歌詞が聞こえてきた。



限りあった未来はきっと
残された掌で輝くと今誓う
君が生きたその証を
永遠(とわ)に愛し続けよう



この歌の題名は、
good night

2009年5月14日木曜日

姿勢

柴崎友香「ドリーマーズ」(群像6月号)の冒頭、
終電車内でケッタイな格好で寝ている男が出てくる。

 車両の真ん中のシートのその真ん中に、黒いスーツの男が座っていた。正確には「座る」からはほど遠い姿勢だった。座席からはずり落ちて、ひざを床に着き、そこから上の体を弓なりに反らせて肩の少し下をシートに載せて絶妙なバランスを保ち、上を向いたまま眠っていた。両腕は床に向かってぶら下がり、手はちょうど彼自身のかかとの隣にあった。頭と顎の重みが反対方向にかかって、口がぱかっと開いて、叫んでいるみたいに見えた。


一読してどんな状態か想像できるだろうか。

ぼくにはピンときた。
なぜなら、
以前友人のブログで紹介されていた男性の写真そのままだったからだ。

作者がこの写真を見たことがあるか、
あるいは現場にいたか、
あるいは他人からこの写真またはこの状況を聞いたのであることは、
ほとんど疑いようがない。

それほどに特異な姿勢なのだ。
それともこの男性、
たびたびこういう姿勢になるのだろうか。
だとしたらかなりな「名物」だ。

いつか紹介したいと思っていたが、
ちょうどいい機会だ。

とくとご覧あれ↓











2009年5月13日水曜日

軌跡

花火の写真を撮ったことがある人なら分かるかな?

フラッシュを使わず、
花火を持った手をグルグル回して写すと、
プリントには光の軌跡が円のように映ったはずだ。

それを応用して懐中電灯で光の絵を描き、
しかもそれを連続させて、
アニメのような作品にしてしまった、
「トーチカ」という男女のユニットが、
NHK「トップランナー」に出ていた。

いかにもこの番組らしい、
いい意味で素人臭さが抜けない、
これからブレイクしますよみたいな二人で、
とっても面白かった。

上に書いた手法は、
これまでにあるようで、
実際にはなく(厳密にはあるかもしれないが)、
たまたま現場で思いついたのだそうだ。
4年前のことだったという。

それだけで今後ずっと食べている訳ではないだろうが、
アイデア一発、
そういう「隙間」を見つけ、
それを展開させていく時の喜びは、
何物にも替え難いだろうなと羨ましくなった。

誰もやったことのない事で、
他人を驚かせるのって、
ぼくは本当は大好きだ。

でもそれが「サプライズ」とか名付けられて、
期待というか、
要求というか、
半義務化されると、
途端に嫌になってしまう。

予期されていないからこその驚きだもの。

それでも驚かせ続けられる人は、
「プロフェッショナル」に出演できるだろう。

●それにしても暑い。

2009年5月12日火曜日

審査

アメリカン・アイドルという、
米国版「スター誕生」を、
初めて通して見た。

詳しくないのだが、
どうやら8代目のチャンピオンを決める途中で、
36人に絞られた挑戦者を3組に分け、
各組3人が決勝に進むようで、
今回はそのうちのひと組12人分だったようだ。

最後にサティスファクションを歌った男の子が、
抜群にうまかったと思うのだが、
それより面白かったのは、
審査員の講評だった。

一番多かったコメントは確か、
「選曲が悪い」だった。

「あなたに向いてない」
「歌唱力が生かし切れていない」云々。

自分が好きな歌と、
自分に向いている曲が違うというのは、
わかっちゃいるんだろうけど、
やっぱり好きな歌で勝負したいもんだろうし、
難しいところだ。



審査といえば、
TKに執行猶予判決が下った。
求刑が懲役5年だったから、
間違いなく「寛大な」判決だ。
本人は実刑を覚悟していたと思う。

朝日新聞にTKの興味深いコメントが載っていた。
判決前のものだが、

「拘置所に放り込んでもらったことで良かったこともある。変な人間関係をすべて断ち切り、生活を絞ることができた」

と周囲に語っていたという。

彼は才能があるのだから、
またヒット曲を生み出せるかもしれない。
でも砂糖には必ず蟻が群がる。
その時が問題だろう。


審査とヒット曲といえば、
作曲家の三木たかしさんが亡くなった。
確か「スタ誕」で審査員をしていた。
でも黛ジュンが妹とは知らなかった。

テレサ・テンより、
妹に書いてあげればよかったのに。


●皮膚科と本屋とTUTAYAに行った。「ドクター・ハウス」の1、2話を借りてしまった。それにしても、「シーズン○」という言い方は、いつから広まったのだろう。「アメリカン・アイドル」もシーズン8って言ってた。ぼくの人生は今何シーズン目だ?。

2009年5月11日月曜日

深夜

煙草を切らしたので、
この時間にも関わらず近所の自販機に買いに出る。
歩いて300歩ほどの所なのだが、
この時間はさすがにTシャツ一枚では肌寒い。
でも、
サンダルの足では駆け足する気にならない。
ゆっくり足を進める。

今日はすでに月曜日だ。
どの家の明かりも消えている。
月がまん丸く輝いている。

明日は何をしようか。
映画を見に行こうか。
それとも皮膚科に行くのが先決か。
ぼくはアトピー性皮膚炎があるのだ。

自販機に小銭を入れると、
「商品を選んでください」と機械が言うのだが、
その音量がやたら大きく、
近所迷惑じゃないかといつも思う。
できるだけ素早く商品ボタンを押し、
タスポをかざす。

そのあと飲料水の自販機に向かう。
何か気分をしゃきっとさせたかったのだ。
サイダーかコーラ。
無糖のコーラが最近はあるんだな。
久しぶりに買ってその場で飲んでみたら、
思いのほか美味しく、
狙い通りのどがすっきりした。
同時に過去の記憶がよみがえった。

帰り道、
再び月を見上げる。
この瞬間、
地球上で同じ月を眺めている人は何人いるだろうかと、
ふと考えた。

●アカデミー賞をとったアニメ「つみきのいえ」の作者がトップランナーに出ていた。水中に没して朽ちたベッドを眺めていると、かつての幸せだった生活が思い出されるシーンがあって、たぶん番組で紹介していたから、このアニメの「いいところ」なんだろうけど、ぼくには10年前のタイタニックの焼き直しにしか見えなかった。アメリカ人はこういうのに弱いのだろうか。大変な手間がかかった作品だということは理解できた。●「ドクター・ハウス」の4話を見る。医者や医者の卵には専門的な部分が面白いのだろうが、素人には患者が実験動物になってしまっているようで、まだあまり好きになれない●「終の住処」は読み終わった。大変な密度の作品で一気に読了したが、理解するには、繰り返し読むしかないと思った。最近の若手の小説には、一人称と三人称を混在させたり、視線や場所や時間の飛躍や混濁がみられるものが多い。これは明らかに日本人の精神構造の変化を象徴しているように思われる。

2009年5月10日日曜日

奇跡

旅客機が川に不時着して話題になった、
「ハドソン川の奇跡」のBSドキュメントが凄かった。

離陸直後、
NY上空900メートルで鳥の大群を吸い込み、
左右のエンジンが停止。
機長の的確な判断と操縦で川に着水させ、
乗客に犠牲者ゼロだった事故の様子は、
1月の発生の時にニュースで見たけど、
今回いくつか新たな事を感じた。

当たり前といえば当たり前なのだが、
エンジンが両方停止したということは、
何十トンもの機体が突然「グライダー」になったということであり、
それは「飛行」というよりむしろ「落下」する状況だったという事。

その中で、
着水を成功させるには、
時速230キロ以上の速度と、
川面に対して期待を11度に保つことが条件だった。
その条件を完全に満たさなければ、
機体は失速して墜落するか、
川に激突してバラバラになっていたという。

滑走路への着陸だって成功の条件はあるだろうが、
何せエンジンが止まっているのだ。
与えられた時間は3分半。
状況は最悪。
その中で機長はベストを尽くし、
ベストの結果を得た。

究極のプロの仕事って、
一般人には「奇跡」に見えるということだ。

●それにしても副操縦士の影が薄すぎ。というか一言のコメントもない。なんでだろう●友人の医師が推薦してくれた「ドクター・ハウス」がレンタルされ出したので借りて1話だけ見た。うーん。医学推理物といったところ。知識のある人には面白いのだろうけど、ドラマとしてはERの方が好きだな。

2009年5月9日土曜日

視線

この連休を利用して、
フランス語の集中講座に通ったという友人のブログを見て、
しばし唖然とした。



なんと前向きな生き方よ。



新型インフルにかこつけて、
小型連休のまる2日を家に閉じこもっていた自分は何だったのか!

たとえ家にいたとしても、
部屋の片付けをするとか、
誰かに手紙を書くとか、
有意義な過ごし方もあろうものを、
ただ無様に昼過ぎまで惰眠をむさぼり、
ひげも剃らずにボーっとしていたのだ。



同年代の人が社会で活躍している。
例えば作家の磯崎憲一郎などがそうで、
一昨年「肝心の子供」という処女作が文藝賞をとり、
昨年は「眼と太陽」が芥川賞候補になった。
驚くべきことは、
彼がれっきとした会社員だということである。

少し刺激を受けようと、
新作「終の住処」が掲載された新潮を買った。

最早焦っても仕方ないと分かっていながら、
そうせざるを得ない自分がいる。



今日の読売新聞の五郎ワールドに、
『天に「見る眼・聴く耳」』と見出し。
著名人の母にまつわる話だが、
なかなか読ませる。

人の行いは良い事も悪いこともみな、
天が知っているという意味だ。

天=母とも言える。
母親とは恐ろしいほどに、
子供のことは何でも知っている。

いや母でなくとも、
人は、
自分のことなど誰も分かってないと思っていても、
意外なほどに誰もが自分を分かっているのである。
自分以上に他人の方が自分を理解している。
そういう事を知った時の驚きを、
ぼくは何度か体験した。

呆けた生き方をしている人間は、
何で着飾ろうとも、
何の小理屈をこねようとも、
すべて世間にさらしているのと同然である。

それはそれは怖いものだ。

とりあえずこの小説を読み、
次は映画でも見ようか。

それよりまず歌の練習か。

母の日が近い。


●といいながら、空から一万円札が降ってこないかなぁと考えている●エレベーターに乗るペンギンさんを見た。扉が開いて閉まる数秒のことだった。

2009年5月8日金曜日

生還

脳卒中から復活した脳科学者のドキュメントを見る。
以前見逃したやつの再放送だ。

意識と脳の関係を知るうえで、
またとない症例だ。
本はベストセラーだそうだ。

一命を取り止め、
意識が戻った時、
自分の体が溶けて世界と混じり合ったように感じたといい、
その一体感を「涅槃」と表現していたのに驚いた。
とても幸せな感覚だったという。

まず臨死体験と似ていると思った。
あるいはLSD体験者の話。

死の瞬間、
脳にある種の作用が起きて、
幸福感に包まれるのだとしたら、
それは素敵なことだ。

科学的な見地からは、
彼女は脳の左側に卒中が起きたので、
左脳が司る、
理性や時間感覚が失われたと推定されている。

相対的に脳の右側の感覚、
つまり芸術的部分が鋭敏になって、
それはリハビリ後の今でも続いているそうだ。
外を散歩していて風が体に当たると、
風の源とつながったような感じがすると言っていた。
脳は不思議なことだらけだ。

とはいうものの、
趣味のステンドグラスは、
そんなに芸術的には見えなかったのはご愛敬か。

それよりも脳卒中患者にとって、
彼女の存在が生きる励みになっているそうで、
それはとても貴重な事だ。

ぼくもある意味、
奈落から生還したような人生だから、
別に大したことができなくても、
今こうして生きている事自体が、
他人に励みになるような、
そんな存在にならねばと感じた。

きっとぼくの使命だ。

●小型連休が明け、休みボケからの復活には少々時間がかかりそうだ●天気予報外れまくってませんか?いつになったらお出かけ日和になるのだろう。今日も裏切られた。

2009年5月7日木曜日

現実

バンド・エイドといっても、
傷に貼るあれじゃない。
1984年、
飢餓に苦しむエチオピアを救えと、
イギリスとアイルランドの歌手が結成した、
「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」という、
一曲限りのチャリティーバンドだ。

そのTVドキュメントがとても面白かった。
ブームタウン・ラッツっていうバンドのボーカルが、
たまたまBBCのニュースを見て、

「えらいことになってるやん。オレらに出来ること何かないか」

みたいな話を友達のミュージシャンして、
その輪が次々広がったという話。

指定された日に半信半疑で集まるミュージシャンたち。
スタジオにリムジンで到着する奴や、
カメラ回っているのに普段着で来ちゃった女性歌手。。。
ほとんどお祭りのノリで始まったのに、
次第に熱中していく様がよく分かった。

圧巻はカルチャー・クラブのボーイ・ジョージ。
NYにいるジョージに朝の4時に電話がかかってきて、
「今からコンコルドに乗って来い」って言われて、
本当にやって来るか。
いきなり歌詞渡されて10分後には歌わされていた。

あと、
当時はまだ売り出し中だったU2のボノ。
歌わされた歌詞が今でいう「上から目線じゃないか」ってゴネて、
ドキュメントの中で「今でも納得できない」って言ってた。
実に彼らしい。

レコードは瞬く間に世界中で250万枚売れ、
関連イベントも入れると、
2億5千万ポンドぐらいの勘定になったとか。
1ポンド150円だとして330億円ぐらいか。

4半世紀前のお伽噺にぼくも当時酔ったし、
この番組を見て改めて凄い事だったと感動した。
でも、
最後のボノの言葉で現実に引き戻された。

他のブログからだけど引用する。

「正確にはわからないけど、ライブ・エイドで集めた資金は2億5000万ポンドぐらいだろう。大変な額に驚いたよ。皆、少しは貢献できたと誇りに思っていたんだよ。でも現実は厳しいものだった。アフリカは負債の利息として寄付金と同じ額を毎月支払っていると知った。俺たち結構やったって思ったけど、エチオピアの債務の1週間分なんだよ」


●連休最後も一日家にいてゴロゴロテレビばかり見ていた。新型インフルのせいということにしておこう。

2009年5月6日水曜日

教授

ぼくの高校時代からの友人に、
大学教授になった奴がいて、
先日の同級生の集まりで話題になった。

その「教授」を知る別の同級生が、
「中学までは、あいつよりオレの方が頭よかってんで」
と言い出した。
ぼくは中学は彼らと別だったので、
実際のところは知らないけど、
負け惜しみではなさそうだ。

「でもな、あいつ、高校で基礎英語始めてから賢くなってん」

高校生で基礎英語とは、
本当は遅いのだろうけど、
確かにぼくも「教授」から、
基礎英語を聞くようになって英語ができるようになったと、
直接聞いたことがある。

「教授」の英語力はそれからもグングン伸び、
さらに興味は語学全般にも広がって、
ついには言語学を専門にしてしまった。

ぼくだって当時、
基礎英語に何度か挑戦したのだが、
睡魔に勝てなかったのと、
何より毎日続ける根気がなかった。

もちろん、
基礎英語だけで「教授」になれる訳じゃあない。
でも、
継続は力。
それは言える。

ぼくにとっては、
今更何を言っても、
後の祭りであるが。


●天満「じゃず家」セッション。最後ぼくと、常連のタッパーKちゃんと、日本を代表するギタリスト塩本彰さんという、初の組み合わせとなった。まさに塩本マジック。自分が上手くなったような気になる。これぞプロだと、改めて感じ入った次第。

2009年5月5日火曜日

不穏

読売新聞の朝刊一面を何気に眺める。

「タミフル・リレンザ 15都道府県備蓄前倒しへ」
がトップ。
新型インフルの脅威が迫っている。

だがその下には、
「夏へ もう待てない」と海開きの話題。
写真に写るビキニの女性たちの誰一人として、
マスクはしていない(当たり前だが)。

かと思うと左肩は、
「生活『苦しくなった』54%」という世論調査。
国民の生活不安感は「第二次石油危機並み」だという。



世の中には明るい話もあれば、
暗い話もある。
当然のことだ。
当然なんだけど、
この紙面はどうにも胸がモヤモヤする。

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような。
止まってはいるんだけど、
フトした事で途端に暴走しそうな、
そんな感じ。



要するに不穏なのだ。



忌野清志郎が死んでしまった。
昨年2月に復活ライブをしたばかりなのに。

今日のTVニュースで、
連休の話題に挟まれるように、
告別式の模様が流れていた。

遺影の縁がピンク色だった。


●故人の遺志なんだろう。でなきゃ誰がそんなアイデア出せる?

2009年5月4日月曜日

官僚

宇宙から眺めた地球には、
国境線などなかった、
といった宇宙飛行士がいたと思うが、
現実には「国境線」を巡って人類は、
絶え間なく戦争し、
それは現在進行形でもある。



「国家」とは何か。
「社会」とどう違うのか。



佐藤優という元外交官は、
鈴木宗男がらみで逮捕されたので有名だが、
近年盛んに著述活動をしていて、
実体験に基づいた国家観はとても刺激的だ。

「テロリズムの罠(左巻)」(角川oneテーマ21)
を読み始めたら、
まだ序章の途中なのだが、
線を引くところが多くて嬉しくなる。

「国家はその本質において、合法的な暴力を独占する機関である。国家は抽象的な存在ではない。国家として思考し、行為する実体は、官僚だ。新自由主義が理想とする『小さな政府』とは、国家機能から福祉、教育などの分野を削り取り、治安、外交、防衛に国家機能を極力限定していこうという発想だ」

「政治家」でも「公務員」でもなく。
「官僚」である点が重要だ。

「国家は、社会と渾然一体になっているが、本質的に社会の外側に存在する。国家を実体的に担う官僚階級は、社会から租税を収奪することによって生活している」

人間が集まれば社会はできるが、
国家と決定的に違うのは租税の有無だ。
過激な表現をすれば、
民主主義国家であるはずの日本も、
実は搾取する者とされる者、
つまり、
官僚とそれ以外に分かれる。

官僚、
とりわけ財務官僚などは、
間違いなく自分たちが国民を支配していると思っているだろう。

官僚=公僕などと思っていたら、
大間違いなのである。


●情熱大陸は五代目尾上菊之助。厳然とした型を継承しつつにじみ出る個性ってすごいな。

2009年5月3日日曜日

秘訣

「アタック25」というクイズ番組。
ぼくが子供のころからやってるから、
長寿番組だとは思っていたが、
34年目とは驚きだ。

司会の俳優児玉清は、
腹膜炎を患った2回だけ休んだそうだが、
それにしても大したものだと思う。

朝日新聞の別刷りbe「元気のひみつ」に、
彼が風邪をひかぬ秘訣は「鼻うがい」と書いてあり、
我が意を得たりの心境だ。

なぜならば、
ぼくも鼻うがいを実行するようになってから、
熱が出るほどの風邪は引いていないからだ。
もう7年ぐらいになる。

それまでは、
少なくとも年一回は高熱の風邪にかかっていたのだ。
それがピタリとなくなった。
嘘のような実話だ。

ちょっとキワモノっぽくて敬遠している人も、
「児玉清もご推薦」とあらば、
もう試してみるしかないんじゃないかい?

慣れるまではちょっと痛い。
でも新型インフルの今だから、
あえて強調する。

鼻うがいは最強の風邪予防策だ。


●高校時代からの友人の新築宅に8人で押しかけ深夜まで騒ぐ。奥様ごちそうさまでした。お肉おいしかったです。ただ、話に花が咲き過ぎて、渡辺篤史になりそこねたのが心残り。

2009年5月2日土曜日

未病

病気というほどほどではないけれど、
健康でもない。

東洋医学で「未病」というそうだ。
養命酒の広告にそう書いてある。

横浜の高校生は、
幸い新型インフルではなかったそうだが、
もはや日本人は、
新型インフルの未病状態といえるだろう。

水際作戦と称して、
空港や港湾での検疫作業が続くが、
鎖国でもしない限り、
ウィルスの進入は避けられまい。
たぶんすでに国内に潜伏しているのではないか。
そうに違いない。

弱毒性だからといって安心ではなく、
むしろ潜伏期間が長いだけ、
感染爆発の危険は高まったといえる。

問題はそれがどれほど危険なのかという点に尽きるのだが、
これがわからない。
人類が始めて体験するウィルスなのである。
いつされに突然変異をするかも分からないのである。
呑気に歌っている場合ではないのである。
といって出来ることは、
手洗いとうがいぐらいしかない。
まな板の上の鯉同然である。

マスコミは、
どうでもいい時に大騒ぎして、
どうでもよくない時に自制する。


●ペンギンさんもマスクをしていた●風薫る5月。好物のざるそばがおいしい季節になってきた。なか卯で食す。

2009年5月1日金曜日

落語

昼食時、
母が「朝ごはんはおいしいねんけど」と、
食が進まぬ様子。

どこか具合でも悪いの?

「シショクがあかんかったんかな」

シショク?

「やっぱり試食かなぁ。。。」

首をかしげる母。



近所に出来た百貨店の食料品売り場で、
勧められるまま「ちぎり蒲鉾」とやらを食べたら、
それが「口が一杯」になるほど大きかったんだとか。



そりゃ食も進まんわナ。



その母、
陽気に誘われ大阪へ出かけた。
電車でフト、
上着の忘れ物を見つけ、
駅に届けたんだそうだ。

暑かったから脱いだんやなぁ。
親切なことで。
そりゃ忘れた人も喜ぶわ。



「でもな、代わりに自分の日傘を電車に忘れてん」



お後がよろしいようで。


●行楽のニュースとインフルのニュースを続けて見ていると、今、世の中が緊張しているのか弛緩しているのか分からなくなってくる。

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...