2009年6月9日火曜日

流石

朝7時半までかかって「1Q84」を読み終えた。
1、2巻合わせて約1000ページ。
これだけの分量を、
一気に読ませる圧倒的な物語力は、
「さすが村上春樹」だと素直に思う。

脳科学や生命科学、
宗教や音楽、
意識や時間、
善悪や罪と罰、
相関関係と因果関係、
そして、
通奏低音として流れる「愛」

ノーベル賞でもとろうかという世界的作家が、
7年もの歳月をかけて世に問うたのだ。
現代人が抱えるあらゆる問題点が盛り込まれた、
記念碑的作品であることは間違いない。



にもかかわらず、
大きく2つの点で腑に落ちない部分がある。



ひとつは、
物語の中心的存在として描かれるカルト教団が、
オウム真理教をベースにしていることが明白であるにもかかわらず、
「リーダー」と称される登場人物、
つまり麻原彰晃をモデルにした人物の描き方。

重い時計を念力(だか何だかしらないが)で持ち上げてみせ、
初対面の人物の過去をスラスラ当ててしまう。
そういう特別な力を持った人物として書かれている。

なぜこの点が書評あるいは報道で問題にされないのか、
不思議なくらい「好意的」なのだ。

村上春樹には過去に、
サリン事件の被害者から聞き取りした著作があるが、
あの被害者たちはこの作品をどう捉えるのだろう。



そしてもうひとつは、
圧倒的な物語力にもかかわらず、
かつての作品が持っていたような「魔法」の力がない、
あるいは弱く感じられる点だ。

作風が変わった、
あるいは、
ぼくの文学的味覚が変わったということなのかもしれないが、
物語の牽引力は強いのだけど、
彼独特の文章の「風味」が薄い。

彼以外には考えつかないのにも関わらず、
絶妙にこちらに伝わる彼独特の比喩、
それ自体が非常に魅力的だった言い回しが、
この作品では逆にマイナス要素にさえ覚える。
まるで編集者に言われて渋々つけ加えたように(そんなことはあるはずもないが)。



提示されている世界観や物語の構成は、
十二分に「ハルキ的」なものだけど、
以前の作品とは明らかに一線を画している。

それをどう受け止めるかは、
こちら次第ということか。



「説明しなくてはわからないということは、説明されてもわからないということだ」



作品の後半部分で繰り返されるフレーズだ。

そういうことだ、
と思う。

●これはどう考えても3巻以降に続く。ワイドショーで知った母に「あれ、もう読んだんか」と聞かれた。何なら貸そうか?●ヤナーチェック「シンフォニエッタ」。全く知らない曲だけど、とりあえずAmazonでCDを注文してしまった。あれだけ書かれたら、そりゃ聞きたくなるよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

遺志

30日は親父の13回忌だ。 あーそんなになるのか、 と言うのが率直な感想。 親父が亡くなる直前、 僕は酒を辞めた。 復職して最初のボーナスが出た日、 入院していた病院に行って報告した。 もう親父はかなり弱っていて、 ほとんど喋れなかった。 でも...